フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-10
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たかがテレビ064●セクマイのテレビ表象の段階は、バラエティーが先行気味

 昨晩28日の23時過ぎから、日本テレビ系「NEWS ZERO」で MtFトランスジェンダーの性転換手術までの日々を半年間取材した映像が、15分近くにわたって放送されました。

 半年にわたる取材をギュッと15分に濃縮したせいでしょうか。全体的に展開が細切れであっという間。まるで「お手本」のように、性同一性障害をマスメディアが描く時に必要だと思われる全ての要素を、オーソドックスに真面目に丁寧に盛り込んだという印象の作りでした。「性同一性障害」という言葉を漠然と認識している人たちに、そのディテールを確認させようとしたのかな?という感じ。

 ただ、これまでにも数多く見てきたこの手の報道、大体が「MtF」なんですよね。「FtM」のものって、民放の報道番組ではあんまり見た覚えがない。ドラマでは「金八先生」とか「ラストフレンズ」で描かれていますが、こうしたドキュメンタリー的な描写では、民放の場合は大抵が「MtF」です。その方が企画が通りやすいとでもいうのでしょうかね?

 あと、マスメディアで報じられる際には相変わらず「トランスジェンダー」という言葉が使われません。当事者が自分のことを名乗る時の定番が使われず、いわゆる世間に認知されている呼び名である「性同一性障害」という言葉が優先され続けているということ自体、まだまだ、こういう「お硬い系」のニュース番組はセクマイを「発見」して「紹介」している段階でしかないわけですね。当たり前に「ともに生きている」という扱われ方がされる日が来るのは、いつの事なのでしょう?歩みが遅すぎやしませんか(笑)。

 バラエティ番組では特に昨年の中盤あたりから、トランス系のタレントが「居て当たり前」であり、むしろ引っ張りだこの状態になっています。確かに彼女らも「トランスジェンダー」とは呼ばれずに「性同一性障害」だと説明されるわけですが、他の人たちと同じ立ち位置で和気あいあいと一緒に「遊んでいる」姿がテレビに映し出されているというのは、「居て当たり前である」というイメージを喚起するのに、とても大きな効果をもたらし続けていると思います。そういう意味では今、バラエティ番組の方がセクマイ表象の段階的には「先」を行っていると言えるでしょう。

 昨晩のニュースで描かれた「性同一性障害」の彼女が「ヘテロの友人」とカラオケボックスで遊ぶ姿は、まるで「特別のこと」であるかのように特記事項的な扱い方で「紹介」されていました。・・・なんだかなぁという感じです。テレビ番組のジャンルによってセクマイ存在の日常性とか親密性の描写に違いが生じてしまっており、いわば「バラエティ先行」で世間への浸透が進んでいるというのが実情だと言えるでしょう。

 旧時代的な段階にとどまっていないで、テレビのノンフィクション系の制作者よ、もっと時代の空気を吸ってくれ!と主張しておきます。FC2 同性愛 Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

「NEWS ZERO」もそうでしたが、セクシャルマイノリティーが日本のニュースでとりあげられる場合、なぜこうも「はれものに触る」かのような表現になってしまうんでしょうか…半年も取材しておいてこんな表層的な感じの表現だとは。なんだか残念です。また、akaboshiさんもご指摘のように、ヘテロの友人とのシーンは妙に「特別」なことであるかのような切り取られ方で引っかかりました。カラオケさえも空元気、とでもいうような…
以前、ニュースで「海外ではこんなことやっています」的な取り上げられ方で、アメリカや台湾のゲイパレード映像が放映されるのを何度か見たことがあります。でも、日本のパレードをニュースで見た記憶がない…ニュースの世界ではセクシャルマイノリティーは「日本にはないこと」であったり「あるけど非常に特別なこと」なのでしょうか。
今回のakaboshiさんのお話から離れた話になるかもしれませんが…公の媒体でセクシャルマイノリティーが語られるとき、まだまだ納得できない表現にぶつかることが多いように思います。
最近特に引っかかったのが、話題の映画「おくりびと」。大きなエピソードとして「顔は女性に見えるが肉体は男性」というご遺体を納棺するシーンがあります。その際、故人の両親が「息子がこうなったのはお前のせい」と諍いをするのですが、結果,故人が望んでいたであろう女性の化粧を施され赤いワンピースをかけられておくられ、父親が「あの子は娘になっても私の子だ」と泣き崩れる…というシーン。両親の諍いの際、妻が夫に「あんたの種のせいだ!」というような発言をした直後、故人の遺影を抱いた父親がなぜか「横座りでなよっと座ってる」シーンがインサートされたのです。なぜあえてあの座り方にしたの?まさか遺伝とでもいうの?という考えが頭の中をかけまわり、感動どころでなくなりました。私がうがった見方をしたのでしょうか?akaboshiさんがもしご覧になったのなら、感想をお聞きしたいものです。
また、今フジで放映中の山田太一ドラマ「ありふれた奇跡」でも来週気になる展開がありそうです。主人公のカップルの父親同士が以前から知り合い同士だったようなのですが、それがどうも「女装」という秘密を通じての知り合いのようなのです。山田先生「女装」をどう描くのか?
公の媒体でマイノリティーを描いた場合、その表現が「一般的なもの」とか「真実の姿」であると受け取られがちだと思います。言葉狩りや映像狩りはしてはならないとは思いますが、明らかな「錯誤」がまかり通っている場合には「クレーマー」の眼で厳しく批判したいなと思います。
長くなりましてすみません。

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