フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-10
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アンドレ・シェーファー「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」●MOVIEレビュー

「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ。」

 関西クィア映画祭にて2度目の鑑賞。たぶんこの映画の監督は、あの伝説の同性愛映画史映画『セルロイド・クローゼット』から滲み出ているジメジメ&鬱々とした雰囲気を刷新したかったのだろうと感じた。

 『セルロイド・クローゼット』においては、インタビューに出演している監督や俳優たちの撮影の多くが、暗い室内で照明を横から照らして光と影のコントラストを強調していたのに対し、この映画では照明はほとんど使用せず、野外の自然光を意識的に活用しながら明るめに撮っている場面が多かったからだ。

 もちろん「フィルム」と「デジタル」の撮影機材の違いもあるわけだが、手持ちでラフにインタビューを撮っている場面もあるなど、「アンチ・セルロイド・クローゼット」の気概があちこちで感じられた。こんな風に「アンチ」(あるいは「ポスト」を期した作品)が出るというのはすなわち、それだけ影響力のある映画だったということでもあるわけだが。

 また、『セルロイド・クローゼット』は、「いかにこれまで、ハリウッドで同性愛的・クィア的描写が隠されてきたか」とか、「当事者たちが迫害を恐れながらも、いかに工夫して表現に自らのセンスを忍ばせていたか」を公に露わにするという、一昔前の「活動家チック」な動機が満ち満ちていた映画だったと言える。

 それに対してこの映画は、冒頭からジョン・ウォーターズ監督の「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ」という発言を使うなど、すでにゲイの存在が表現者の世界では一般化されており、セクシュアリティの特殊性が「表現者としての選民意識」と結びついていた時代が、とっくの昔に終焉している事実を観客に突き付ける。

 そうは言ってもやはり、今日のような表現環境が達成されるまでには先人たちの「戦い」があったことをリスペクトし、主に「セルロイド・クローゼット以降」に活躍した非ハリウッド系出身のゲイ監督たちの仕事を振り返る。ペドロ・アルモドバルやガス・ヴァン・サント、ジョン・ウォーターズ、フランソワ・オゾン、デレク・ジャーマンなどなど。作品のみの引用もあれば、監督インタビューもあり。

 いちばん多く発言が使われていたのはドイツのクィア系映画祭の実行委員の人。クィア系映画の近年の動向について、やたら博識が広いから使いやすかったのだろうが、解説ばかりなので何を言ってたのかはあまり印象に残らなかった。そういうところが「真面目すぎる」映画かなぁとも思う。監督の主観が消され気味なところがNHKっぽい。

 『セルロイド・クローゼット』が作られた時代はある意味では、「なんとか我々の存在を可視化したい」という表現の目的や動機が単純化されやすく、監督の主観もわかりやすい形で作品に載せやすかったのだろう。すなわちベクトルが単純だったから。

 しかしそのベクトルの指示していたビジョンがある程度は達成され、「多様化」が進みつつある世界のクィア映画を「語る」というのは、こんなにも難しく捉えどころがなくなって来ているのかという事実が、如実に表れている映画ではあった。

 そんな中でも具体的に焦点が絞られて印象的だったのが『ブロークバック・マウンテン』にまつわる様々な意見。ゲイ映画としては未曾有の大ヒットを記録したあの映画。本当はガス・ヴァン・サントが監督する予定だったそうだ。本人がインタビューに出演して答えているところによると、ブラッド・ピットなどの大スターを起用した形でないと成功しないと思っていて、思うようなキャスティングが実現しなかったことなどが理由で企画から降りてしまったとのこと。つまり当時、ブラッド・ピットはゲイ役を断ったという事実が暗に語られていた(笑)。

 結果的に、いわゆる「ヘテロ」であるアン・リーが監督をして大ヒットとなったのだが、ガス・ヴァン・サントが言うには「もしも自分が監督していたら、あそこまでヒットはしなかっただろう」とのこと。他のインタビュー出演者たちの多くも「あれは非当事者が制作したから、いわゆるマジョリティ側に受け入れられやすい形になったのだ」と分析していた。

 つまり当事者的視点から見ると、いくつか描写にはリアリティが欠けると感じられるものがあるものの、「保守派をも含めてメイン・ストリームに受け入れられやすい形」で生み出され、結果的に社会現象を巻き起こした点は評価するという意見で、この映画の出演者の多くの人々の意見は一致していた。(こういう風に編集でまとめているということは、監督もそういう意見なのだろう。)

 僕としては、そうとは決めつけずにぜひ今後、ガス・ヴァン・サント監督に『ブロークバック・マウンテン』を作って欲しいなぁと空想した。綺麗に作ることで「メインストリーム受け」を意識することはアン・リーが既にやったので同じことをする必要はもう無いわけで、今度はとことんリアルに泥臭い形で作って欲しい。意外とそういう割り切りで制作されたものがヒットする場合だって無きにしもあらずなわけで。『MILK』での成功を生かしてぜひ!(笑)。

 他にも『L word』の脚本を手掛けているレズビアン監督が「レズビアン映画はまだ量的に少なく、質も高いとは言えない」と苦言を述べたり、『異国の肌』の監督が「必ずしも同性愛映画としての意識では作らなかった。」と述べたりと、百花繚乱のクィア映画界の多様っぷりが示されて映画は終わる。刺激や濃度は高くないけれど、楽しく気軽に、1980年代後半以降のクィア映画を「ざっくりと」振り返るには適した映画ではあった。

 ただ、日本やアジアの動向にまったく触れてなかったのが残念。動きが無いわけではないはずなのだが。たぶん、この映画の根底に流れていて最後のセリフでも使われていた「カミングアウト!」的な前のめりな楽天性からは、はみ出てしまっているだけなのであろう。アジア映画の中のクィア映画の面白さとか、その分析をする映画が、これから出てくるべきだと思った。

 あと、日本版の『セルロイド・クローゼット』も。まずは「いかに隠されてきたのかっ!」っていう、おもいっきり活動家チックな路線でもいいから、作られるべきだと思う。FC2 同性愛 Blog Ranking
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