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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2020-07
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水木荘也「わたし達はこんなに働いている」●MOVIEレビュー

僕はこの数日、下北沢TOLLYWOODでの
『戦後60年 日本映画のたどった道
ショートフィルムの60年』
という企画上映に通ってこれらの作品を見ている。とても吟味されたプログラム構成が素晴らしい。(選定者:大久保正氏・・・社団法人映像文化製作者連盟)
しか~しっ!
連日、客席には一ケタの観客しかいないというのはど~いうこっちゃ(怒)。 「上海」 を観た時などは客席に僕一人だったし。僕が見に行かなかったら、あの上映はなかったと言うことか・・・?

「或る保母の記録」のスタッフが、こんなものを作らざるを得なかった悲劇

あれほど豊かで人間性に満ちた名作を作ることの出来たスタッフたちが、2年後にはバリバリの国策映画に手を染めざるを得なかったことを知り、ショックを受けた。
「わたし達はこんなに働いている」
構成:厚木たか/監督:水木荘也
1945年、朝日映画社、18分
とても同じ人たちが作ったとは思えない。この映画は戦意高揚映画そのものだからである。

絶望へとひた走る姿を、図らずも刻印

この映画は’44年秋から’45年の春にかけて、海軍衣服廠の女子挺身隊で撮影された。兵隊が着る軍服を大きな工場で生産する彼女達は、おそらく学徒動員されたのであろう。
10代の若い乙女たちが、ものすごいテンションで布を裁断し、すさまじい早業でミシン掛けをする様子が勇ましく描かれる。
流れ作業で「きびきび」と、背筋を伸ばして規則正しく。そこに映っているのは人間ではない。機械と化した奴隷である。

「私たちがこんなに働いているのに、なぜサイパン島では玉砕してしまったのだろう」

↑こんな感じのナレーションが、全篇に渡って観客に呼びかけ続ける。そこに込められたメッセージは、

「なぜサイパンは玉砕したの?」

「私たちの頑張りが足りなかったから」

「戦地の兵隊さんと同じように、私たちもここで、命がけで働いて戦いに参加するべきなのよっ!」
・・・こういう思考パターンである。
そして、まだまだ自己犠牲が足りないからもっと身を挺してお国に奉仕しなさいというマインドコントロールが実行されて行く。

サイパン島の玉砕は1944年のことであり、「戦勝報道」一色の中にいた人々に大きなショックを与えた出来事。しかし政府情報局はそれすらも逆手に取り、更なる「挺身」を国民に強いたのである。なんというしたたかさ。

敗色の濃くなった戦局を乗り切るには、あとは精神力だけ。観客の情に訴え、さらなる頑張りを喚起させようとする自虐精神。・・・こんなキャンペーンを政府が行なわなければならなかった時点ですでに末期症状だと言えるだろう。
今の視点から見ると「マジかよ・・・」という寒気とともに、失礼ながら思わず苦笑してしまうほどの異常なテンションに満ちている。そんなあの時代の空気が記録されているという点では、とても重要な映画ではある。

真面目すぎる・・・

この国の勤勉な国民性というものは、わかりやすい正義を与えられると目的達成のためには「なりふりかまわず」取り組んでしまう。その危険性は肝に銘じ過ぎても過ぎることはないだろう。

絶対的な正義を強いられる環境の下では、いつの間にか人間性よりも「正義という大義の保持」こそが優先されるようになる。オウム真理教事件を、我々は笑えないのである。
人間性よりも生産性が重視されていたあの時代。人間は完全に機械の一部になるしかなかった。破滅への予感を誰もが感じていながら「頑張ればなんとかなる」と神風の奇跡を信じ、国中が血走っていた。その悲壮感が見事に記録された貴重な映画である。

ただのプロパガンダ生産者に堕した映画人

この映画をもし、亀井文夫氏が発注されていたとしたらどう撮っただろう。
作業の合間に見せる彼女たちのあくびや、工程を間違って照れ笑いする様子。終業の時間に帰宅する解放された生き生きした表情などを巧みに盛り込んだに違いない。
いくら彼女達が真面目さを強いられる環境にあったとしても、四六時中、目を血走らせていたわけではないはずだ。そこを掬いとって人間というものを多面的に捉えるのが、本来のドキュメンタリー映画である。世界を捉えて描き出すというのは、そういうことであるはずなのだ。

しかし1944年の時点では、亀井氏は治安維持法で逮捕され獄中にあった。映画製作者たちが生活するためには、国策に従った作品を真面目に作るしかなかった。結果、国威発揚のためのプロパガンダ映画を量産し、国民を破滅へと導くのに大きな役割を果たしてしまった。
そのことの悲劇を思う。

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☆本文中の画像は、この映画のものではありません。
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コメント

この記事へのコメント

今もなお、人間性より生産性が重視される時代でありながら、「頑張っても・・・」と信じるものがなくなり、あの時代を生きることとは別に生きにくい時代になってしまったようだ。と、嘆き哀しむには及ばない。
自分の身体と精神とでただ生きて死ぬだけだと思えば社会の諸相なんか、屁みたいなものさ!

前、8・15近くになるとNHKで、戦争体験者が実際に当時の事を話すという企画がありました。その中で、印象的だったのが、「風船爆弾」を作る工場に動員された女高生の話です。
 この工場で作られた風船爆弾がアメリカまで飛んでいって、爆発したのは全部ではなかったけれど、その報告を受けた時、女高生達は、これだけ働いたのに!と思ったり、爆発が少なくてよかった!と思ったりと、とても
複雑な思いになったそうです。そして、動員されている間、幸いな事に、誰にも生理が来なかったんだそうです。
 それ程、身体にも精神的にも追い込まれていたのです。
この話をしてくれた女性はこの時、、看護士でした。
 

●cafenoirさん。
そうですね。
今は、社会全体が目指す「わかりやすい目標」が見えにくくなっているので
戦時中や高度経済成長の時代とはまた違った種類の
「生き難さ」を感じながら生きていますね。
自分も含めて。
それが現代の特徴だと思いますし、問題点だと思います。
「自由」を手に入れても、生かし方がわからない。
「自由」は、失くしてみてはじめて気づくものなんでしょうね。

●seaさん。
風船爆弾を製造するためには大きな場所が必要だったので
歌舞伎座の劇場内でこっそり作っていたそうですね。
しかも、学校は休校にされて学徒動員された女学生達によって。
風船爆弾は、たくさん飛ばしのに
ほとんど効果は無かったらしのですが
何発かはアメリカ本土に漂着し、民間人を殺傷しています。
実際に命を落とした人もいるのです。
その人たちに謝りに行った元・学徒動員生のことを描いた
ドキュメンタリーを見たことがあります。
そういえば何年か前に、北朝鮮から風船爆弾めいたものが多数
日本に飛ばされているのが発見されて騒がれたことがありますね。
あれは戦時中の日本を真似してるのかもしれないなぁと感じて
複雑な思いがしました。

母の話

昭和4年生まれで女学生だった母は、旋盤で銃のスプリングを作らされていました。ある日、女学生のひとりが旋盤の操作を誤り、右手指を、親指から小指にかけて斜めに切断したそうです。「ぎゃーっ」という悲鳴に作業が中断された時には、血の海だったそうです。母は「医者に持っていけばつくかもしれない」と工場長に言われて、指をかきあつめて氷づめにして渡したそうです。まだ15やそこらの女の子が。憲兵は、すぐさま作業を続けるように言ったとか。でも製品の品質はバラバラで(だって素人の女学生ですから)、上に合格品を並べて、あと数量だけあわせてたとか。「あれで本当に弾が出るの?」母はそう思ったそうです。
戦後、海外で勉強をして東海村の原子力発電所で勤務した母の従兄弟は、当時、原爆やTVのことも知っていたそうです。そして大日本帝国が負けることも。冷静に見ていた人には、大本営発表もバカバカしかったみたいですね。

●秋さん。

それは生々しい話ですね。
でも、この映画に映されていた「目が血走っていた」少女たちの姿を思い出すと
納得出来ます。
信じられないような猛スピードの生産ラインで働かされてたし、
私語一つ許されないような環境だったみたいだし。

勤勉実直さと真面目さは、凶器にもなり得るんだということを
この映画で見せ付けられました。
当時の記録映像と言うのは、プロパガンダ映画だとしても
「時代の空気」が濃厚に込められているから貴重だし、
機会があったら多くの人が見て、ある意味ショックを受けるべきだと思います。
人間って、忘れやすいみたいだし
当時の当事者たちは高齢化してしまったし。
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