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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2024-04
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たかがテレビ。003●笑いのファシズム

テレビ映像は「絵」だけではありません。「音」との組み合わせで作られています。
試しにテレビを「消音」にしてみてください。途端にスカスカした印象になってしまいます。
「絵」にとって、いかに「音」が大切なのかが実感できると思います。

あるダンスの演出家はこの機能を逆手にとり、振りのネタ作りに困った時はテレビの音を消して「絵」の動きに集中してみるそうです。すると、普段は気が付かなかった人間の面白い仕草や表情が発見できるそうです。
たしかにそうした創造的な発見もあるのですが、もう一つ奇妙な発見もすることが出来ます。実はけっこう、音がなくても今のテレビって事足りるもんなんです。なぜなら、説明過多だから。

いつからか、テレビにはやたらと字幕(テロップ)が入るようになりました。
いまやバラエティーを筆頭に、ニュースでもドキュメンタリーでも、登場人物たちの喋っている言葉を文字で説明することが常識になっています。NHKも例外ではありません。これはテレビならではの現象でしょう。

登場人物たちは外国語を話しているわけではありません。聴き取りにくい方言を喋っているのでもありません。とても聴き取りやすくはっきりと語っているにも関わらず、まったく同じことが文字でも示されるのです。
だから音を消したところで同じこと。テレビが発する情報はほとんど、音などなくても文字で読み取れてしまうのです。

僕が思うにこの現象は、よく親に隠れて見ていた(笑)「夕やけニャンニャン」の放送されていた頃(~1987年)には無かったので、バブルのはじけた1991年あたりから顕著になって来た現象ではないでしょうか。そもそも「夕やけニャンニャン」は生放送だったので同時テロップは入れられないという事情もありますが(笑)、あの頃は面白い番組の中にはけっこう、生放送がたくさんありました。しかし「同時テロップ多発現象」が主流になるにつれ、テレビから生放送のバラエティーがどんどん姿を消して行きます。

今、ゴールデンタイムで放送されているバラエティーはほとんどが録画のようですね。同時テロップを入れて、隙間を無くして面白くする編集をするためには、そのための時間が必要ですから。

いまではテロップ付け専門の制作会社もたくさんあり、日夜ひたすら編集済みの番組にテロップを付けることを仕事にしています。僕の友人が就職していましたが、あまりの激務に精神がおかしくなりかけて辞めてしまいました。
「面白い」と思われているタレントたちの発言やギャグなどは、こうした人たちが「面白く」見えるようにしているから、より面白く感じられるのです。
「ここが面白い」「ここで笑え」と見ている者に笑う場所を説明してくれるようなあのテロップの大洪水。僕はなんだか、笑う部分まで強制されているようで嫌いです。

そもそもなにに笑うのか、なにをおかしいと思うのかは人ぞれぞれ違うはず。
ところがテレビ村の住人になると、笑う部分までみんなと一緒のことを強制されてしまう。

その裏には、意地でもなんでも「視聴者」をテレビから離れさせないように、リモコンでチャンネルを変えられないようにという、制作者たちの恐ろしい血の滲むような執念が感じられます。
彼らは視聴率という結果を出すためには止むを得ないと腹をくくっているのでしょうが、そんな人間性のカケラも無いようなシステムに振り回されている人たちにバカにされるような「盲目な視聴者」でいることは、僕はやめたいと思っています。

たかがテレビに笑いまで強制されてたまるか。
僕は、自分の笑いたい時に、自分が心から面白いと思ったものに対して腹筋を使おうと思います。

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コメント

この記事へのコメント

ニュース番組のテロップは、聴覚障害者への配慮もあるかなと思ってます。手話ニュースもあるから、そうだとも言い切れないでしょうが。

あのテロップは、マンガで背景に文字で「ガーン」とか「ゴォォォ」とか書き入れるのに似てますよね。今、番組を制作している世代が、マンガ世代だからかな?と思ったりもします。
そういうのもあっていいけど、いつもそうだとうざったくもあります。
難聴の方にとっては、何を言ってるか解りやすいというメリットもあるかもしれないですね。健常者の方と難聴の方と一緒に笑えて、ちょっとテレビを見るだけで連帯感を持ったりできるのには有効な面もあるかな。
それ以外は、みんな同じ演出にしなくてもいいんじゃないの?と思います。

●cafenoirさん。
なるほど。この記事を書いていた時に、その視点が抜け落ちていました。
大切な指摘、ありがとうございます。
聴覚障害の方々にとっては、テレビのあの文字の量は逆に
とても大切なものでもあるのですね。
いわゆる地上波のテレビというものは、視聴者というものを
いわゆる「全国民」向けに設定していると思うので
「万人に受け入れられやすい」方向を目指すというのがメディアの特性なのでしょう。
そのことで生じる問題点というものはあると思うし、
それに接する者としては「そういうものなんだ」とわかった上で見るという態度が
必要なのでしょうね。
このことについても、今後考えを進める必要がありそうです。

●umepochiskyさん。
ご指摘どおり、今、テレビを作っている世代はテレビを見ながら育った世代ですね。
ちょっと前までは、テレビがなかった環境で育った人たちが作っていた。
その違いって、あるのかもしれません。
いや~、気が付かなかったことがどんどん見えてきて、面白いです(笑)。
これぞブログの醍醐味!

私も考えが及ばなかったことに気づきました。
聴覚障害の方への配慮と言いながらも、健常者と聴覚障害の方と一緒に同じ番組を見る光景にまで考えが及ばなかった。バラエティ番組も結果として、そうゆう面があるんだなと気づきました。
ただ、やはり過剰な演出ですよね。映像と音声と文字とが一緒に間断なく流れ込んでくるんですよ、脳みそが考えるヒマもないだろうに。

●cafenoirさん。
「全国民向け」に公正中立に番組を作るということが
そもそも可能なことなのかどうか。有り得る事なのかどうか。
そういう根本が問い直されるべき時代になってきているのかもしれませんね。

ぼくも日本を出る90年代初頭にあまりテレビを見ない生活を送っていてたまに日本に帰ってテレビを見るようになってからバラエティのテロップの意味について考えたことがありました。上の記事で書かれたように笑うべき言葉を文脈から切り取って見せているだけというパターンが多いという印象なので、聴覚障害者向けにあるとは考えにくいのですが、きのうたまたまシドニーの病院の救急病棟で長時間座りほとんど聞こえないほど音量を絞ったテレビをみていて、ああいうテロップがあればいいのになと、思いました。
文章を書く時に「!」や「畳語」を多用する直接的なアプローチがありますよね。あれと似たものも感じます。ウメポチさんの「漫画の書き文字」との類似もたしかにありますねー。
善し悪しではなく、制作者の意図や姿勢があれによって見えてくる部分もあっておもしろいかなとは思います。

●nicoさん。
僕、最近テレビを見ることが生活習慣の中にないので
たまに見ると、今でもあの字幕には違和感を感じ続けています。
いつだか、日本のドキュメンタリー映画を一緒に観に行った友達が、
「字幕の無い映像を久々に観た~。」って無邪気に発言したことがあります。
スクリーンでは日本語で話されていたにも関わらず、
字幕がないことが不自然に思えたそうです。面白い発言だと思いました。
制作者の意図や姿勢の表現として活用されていれば面白いですが
ここまでほぼすべての番組で多用されていると
「慣例」になっているからやっているという場合が多いのではないかと思います。

●at 2005-10-03 00:17 の鍵コメさん。
ありがとうございます。
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