マグダレーナ・ピェコシュ「笞の痕」●MOVIEレビュー

男の親子。
なにかと厄介な間柄である。
「男」というのは社会的に、メンツや体面を重んじて行動することを美徳とする生き物。西洋的に近代化された文化であるならば、どこでも共通である。
しかしそれを家の中にまで持ち込む時、悲劇が生じる。真面目で不器用な人ほど、公と私を使い分けられずに健全な父子関係を築くことが出来ない。子どもの前で「厳格な父親」であろうとするということは、家の中に「社会」を持ち込んでしまうことでもあることに気が付かない。
この映画はポーランドの30代の女性が監督し、そんな父子関係をシンプルにリアルに描き出した傑作である。
★日本での上映が限られた作品なので、ネタバレを気にせず記述しました。
鑑賞予定のある方はご注意ください。

幼いうちから、息子にクラシックを聴くように強要する。男らしく振舞うように強要する。少しでも自分の意にそぐわない行動をすると笞(むち)で打って「お仕置き」する。しかし息子は父の要求に順応できない。親子と言えども、違う感性を持って生まれた「他人」だからだ。
父が息子を自分の枠に嵌めて育てたがるのは愛情の裏返しなのかもしれない。愛情は基本的に盲目である。しかしそのせいで子どもの本当の姿が目に入らない。
子どもからすれば父というのは身体が大きく威圧的な存在だ。力ではかなわないし、「お前は俺がいなかったら死ぬんだぞ」と言われたら、何も言えなくなってしまう。父が暴れ出すとトイレに閉じ籠り震えてやり過ごす息子の孤独は募って行く。

親というのは、「親である」という事実そのものがすでに権力的だ。子どもは庇護される立場にあるのでヒエラルキーから言うと「下」になる。
そのうえ、さらに権力を誇示された場合、子どもに出来ることといえば「自分を殺すこと」しかない。
父親の「いる所」と「いない所」でキャラクターを使い分ける癖が身につき、歪んだ性格が醸成されてしまう。部屋に籠もり、カセットテープに本音を録音することで感情を放出する息子。しかしそれも父に見つかり、笞で打たれるのだった。

息子は家の中で発散できないから、学校で悪さをするようになる。成績は下がり、落第の危機を招く。
教師から父親に呼び出しがかかる。そのことでまた叱られる。・・・恐怖の悪循環が起こる。
この家は父子家庭であるようだ。
「アメとムチ」の「ムチ」しかないということは、ただでさえ立場の弱い子どもにとっては行き場がなくなる。

父の歪んだ愛情というものは息子を歪ませる。息子は周囲と折り合いがつかないので孤独を好むようになり、成長してからは探検家になる。性格が攻撃的だから友人が出来ない。
しかし彼の暗さに興味を持ち、積極的にアプローチをする女性が現れる。「女」であることを前面に押し出し、頑なな彼を翻弄することに喜びを見出すタイプの女性。彼女によって、彼の硬くなった心は解きほどかれて行く。

彼女は見抜いていた。弱いからこそ強がっている、彼の壊れそうな魂を。
こういうのを母性本能というのだろうか。主人公を救済するために、このような人物を登場させるのは女性監督らしい描き方だと思った。
やがて二人は結ばれる。
30歳を過ぎ、ふとした日常で、父に似てきていることを実感する彼。逃げていたはずの父に、自分が重なって行く不思議。
そしてある日、長らく縁を切っていた父が亡くなったことを、死後数日経ってから知るのだった。

はじめて対話できた父と息子
父の遺品としてカセットテープを渡される。そこには、長年会えずにいる息子に対して語りかける父の謝罪が吹き込まれていた。
その中で父は息子に語りかける。かつて息子が吹き込んでいた父への不満が詰まったテープを、
一人で毎日聴いているという。本当は息子に謝りたかったが出来なかったことへの自責の念。年老いた父が孤独の中で吹き込み続けたモノローグが淡々と流れる中、息子は取り返しのつかない時間が経過してしまったことを始めて意識する。
その夜、彼は彼女に抱きつき慟哭する。そのまま激しくセックスする。
◇◇◇僕にはとても重い映画だった。自分の体験と重なり合う部分が非常に多いからだ。しかしわざわざ自分から、この映画を選んで観に行ってしまった。自分の根幹に関わるテーマだと思っているからだ。

格好つけてるうちに
人生は終わり行く。
僕はかねがね思っている。親子関係というのは、もっと自然にフツーに形作ることはできないのだろうかと。
僕の父も愛情過多だった。庇護していることを事あるごとに口にし、権力を誇示してきた。厳格さという鎧をまとって息子に接しようとする父との葛藤を抱えながら育った歪みを、僕は今でも克服出来ないでいる。
わりとこういう人は多いのではないだろうか。この国の文化はなぜか、父親の理不尽に対して寛大であるから。前時代的な「家父長制」の亡霊が、いまだに少なからず跋扈し続けているから。
格好つけるというのは基本的に「嘘」である。その人本来の姿ではないのだから。子どもは大人の嘘を敏感に察知する。しかし大人はそれを認めようとしない。
そして、息子に「こうあらねばならない」という理想像を過剰に押し付けるということは、息子の現在に対して盲目である場合が多い。父親というものはなぜか、自分を息子に投影させようとする。だからなかなか「他者」として息子を扱えないのである。
せっかくのかけがえのない「親子の時間」が、こうした歪みで失われてしまうことに早く気付くべきである。「親と子」でいられる時間など、そう長くはないのだから。
◇◇◇余談だが・・・僕は今までもこれからも、父が要求する「世間並みの男」という理想像に当てはまることは出来ないだろう。ゲイだから。
ゲイの人で、僕と同じように父との葛藤を抱えている人は非常に多いのではないかと思う。
男らしさという規範に息子が当てはまらない場合、父親との葛藤は激しさを増すだろうから。
そして、そういう人ほどゲイになりやすいのではないかとも感じる。
・・・もう少し気持ちの整理が出来たら、いずれこのテーマでここに、書きはじめるかもしれない。
◇◇◇

笞(むち)の痕(あと)監督:マグダレーナ・ピェコシュ(1974- )
Pregi
2004年 カラー 91分 日本未公開
原本・脚:ヴォイチェフ・クチョク
撮影:マルチン・コシャウカ
美術:ヨアンナ・ドロシュキェヴィッチ、エヴァ・スコチコフスカ
音楽:アドリアン・コナルスキ
出演:ミハウ・ジェブロフスキ、ヤン・フリチ、アグニェシュカ・グロホフスカ、ヴァツワフ・アダムチック、ボリス・シツ、ヤン・ペシェク

<今後の日本公開日程>→FC2 同性愛Blog Ranking
●9月25日(日)13:00
・・・「ポーランド映画昨日と今日」
東京国立近代美術館フィルムセンター
小ホール(地下1階)
●10月27日(木)12:00
・・・第18回東京国際女性映画蔡
~映像が女性で輝くとき
東京ウィメンズプラザ
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コメント
この記事へのコメント
読んだもん勝ちブログのR・Kです。実はMYPのG2と同一人物ですが、タイプの違うブログを書いています。映画つながりということで、TBさせて頂きました。私はこの映画、辛くて観られません。自分と母親との関係に重なって、それを反転させたものとして、想像がつくからです。歪んだ父性?は深刻な問題ですが、その深刻さはなかなか理解されませんね。
●R・Kさん。
母と娘も、また別の衝突がありそうですね。
「男同士」と「女同士」での心理過程の違いはありそうですが。
その辺を考えてみるのも、男女のジェンダーを捉え直す方法として
面白いのかもしれません。
母と娘も、また別の衝突がありそうですね。
「男同士」と「女同士」での心理過程の違いはありそうですが。
その辺を考えてみるのも、男女のジェンダーを捉え直す方法として
面白いのかもしれません。
こうならねば成らないとか、こうしなければいけない。という枠に入れて、人生を決め付けるのは、その親が臆病なんです。
そういう親が私の回りにもたくさんいて、子供をダメにしてるけど、間違いの駄目押しだと思う。
親子でも一人一人が別の人間だから、認めろなんて言わないけれど、
せめて、放っておけばいいと思う。
親離れよりも、子離れが子供の人生への影響が大きいと思う。
子離れできない親を持ったら、子供は自分から去ることしか出来ない。
そして、時間が解決してくれる事を祈りたい。
時間が見方してくれる事を祈りたい。
そういう親が私の回りにもたくさんいて、子供をダメにしてるけど、間違いの駄目押しだと思う。
親子でも一人一人が別の人間だから、認めろなんて言わないけれど、
せめて、放っておけばいいと思う。
親離れよりも、子離れが子供の人生への影響が大きいと思う。
子離れできない親を持ったら、子供は自分から去ることしか出来ない。
そして、時間が解決してくれる事を祈りたい。
時間が見方してくれる事を祈りたい。
●seaさん。
バランスの崩れた「偏愛」は、親子関係に不幸をもたらします。
ある程度の指導は必要だし、教育もしないと人間は育たないので
親というのはとても難しい役割だと思います。
大切なのは、子どもを「オレが庇護してやってる弱い物」として捉えるのではなく
「一緒に人生の面白さを共有し合うパートナー」だと捉える事なのではないでしょうか。
子育てという経験は、子どもが幼いからこそ出来ることです。
それは誰の人生においても「かけがえのない時間」であり、
世の中というものに新鮮な感性を持っている子どもから大人が教わることも
たくさんあるはずです。
僕は子どもを持つことはないでしょう。
だから、子どもを持てるという恵まれた人たちに、そのことに気づいて欲しいと
すごく思います。
バランスの崩れた「偏愛」は、親子関係に不幸をもたらします。
ある程度の指導は必要だし、教育もしないと人間は育たないので
親というのはとても難しい役割だと思います。
大切なのは、子どもを「オレが庇護してやってる弱い物」として捉えるのではなく
「一緒に人生の面白さを共有し合うパートナー」だと捉える事なのではないでしょうか。
子育てという経験は、子どもが幼いからこそ出来ることです。
それは誰の人生においても「かけがえのない時間」であり、
世の中というものに新鮮な感性を持っている子どもから大人が教わることも
たくさんあるはずです。
僕は子どもを持つことはないでしょう。
だから、子どもを持てるという恵まれた人たちに、そのことに気づいて欲しいと
すごく思います。
akaboshi さん、ありがとうございます。
実は今日は私の誕生日なので、このコメントを忘れないでしょう。
育児とは子供とともに、親が育つ事をも、含める事だと思います。
実は今日は私の誕生日なので、このコメントを忘れないでしょう。
育児とは子供とともに、親が育つ事をも、含める事だと思います。
● seaさん。
お誕生日ですか。おめでとうございます。
「子どもは3歳までの可愛さで、親孝行は果たしている」というseaさんの持論、
けっこう好きですよ。
お誕生日ですか。おめでとうございます。
「子どもは3歳までの可愛さで、親孝行は果たしている」というseaさんの持論、
けっこう好きですよ。
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