フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-11
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akaboshiコラム004●「カミングアウト教」の信者じゃないから ~NHK教育テレビ「ハートをつなごう ゲイ/レズビアン」に寄せて

 カミングアウトを無条件に称賛して促すような一面的な表現は、副作用があるのに明記しないままで薬を処方するのと、同じことなのではなかろうか?

 前日に引き続き放送されたNHK教育テレビ『ハートをつなごう』の「ゲイ/レズビアン」第二夜(9月30日放送)は、人口2400人の小さな離島に住むゲイ男性が、4月に放送された『ハートをつなごう』の第1弾を見たことで番組スタッフにメールを送ったことがきっかけとなって実現した企画だった。なんと彼は、テレビを通して大々的にカミングアウトしたいと宣言したらしい。

 番組ではその「売り込み」に乗り、彼の住む離島に取材に出かけ、その暮らしぶりや母親や友人と語らう姿などを映し出した。かくして「一大(!?)カミングアウト」が実行されたわけだが…前夜に続き、僕には制作者側の「無邪気さ」が気になってしょうがなかった。

 もちろん、離島に住む彼が今回とった行動については他人がとやかく言う筋合いのものではないと思う。彼は現在、海外に住む外国籍のパートナーと遠距離恋愛中なのだそうで、いずれ離島で共に暮らしたいとの夢を持っているようだ。

 ただ気になったのは、まだ離島で「男ふたり暮らし」を実践しているわけではない彼が、なぜにこうも今、思い切ったカミングアウトを行う必要があるのか。彼はイギリス在住の経験があるそうなので、かの地の空気に触れたことも影響しているのだろうが…。「カミングアウト、どうせするなら国会で!」ならぬ「カミングアウト、どうせするならNHKで!」といった浮かれ具合には、驚きを禁じ得なかった。そして、浮かれさせたままで撮影し、放送していた制作者側の態度にも、「NHK」というブランドの暴力性に、どの程度の意識があるのか疑問に思った。

 もしこの番組が「非当事者向け限定」に制作されて公開されたのだとしたら、まだわかる。しかし「当事者もたくさん見る」ことが前提となって放送されたわけだから尚更、その無神経ぶりに対して僕は黙ってはいられない。

 「結婚」と同じように、 「カミングアウト」はゴールではない。

 今の日本の社会状況の中では、同性/両性愛者が自分の性的指向を周囲の人間に告げることには、リスク が付きまとうケースがまだまだ多い。特に、告げる相手が近親者であればあるほど、カミングアウトによって新たな精神的ストレスを本人も近親者も抱え込むことになりやすいという話を、周りの人間から耳にタコが出来るほど聞いてきた。

 これまで、たとえばゲイの作家やレズビアンの政治家が大々的に「社会的カミングアウト」をしてきた系譜があるが、その裏では必ず「カミングアウト」をしたことによって本人たちが新たに抱え込むことになってしまった、想像を絶するようなストレスや重圧との闘いがあったことを無視してはならない。ノンケ社会との戦いだけではなくコミュニティ内部からのバッシングも起こり、疲労困憊になって精神を病んだり隠遁することになった者も数多く居るのだ。

 しかし、「活動家」的な使命を帯びた作家や政治家は、カミングアウトによって生じた「負の部分」を表立っては語りたがらない。なぜなら「見えないマイノリティ」と言われる同性/両性愛者の可視化を進めるために、それは障壁になると思ってしまうからなのだろう。

 結果として、彼ら/彼女らの発するメッセージの「善の部分」 のみを真に受けて、自分の身の丈から逸脱した規模でのカミングアウトを急激な速度で実践してしまう者が、特に若者の中に出てきたりするのだ。そのことによって本来は切れずに済んだ人間関係が切れてしまったという例も、数多く聞いている。それが「良かったこと」なのか「悪かったこと」なのかは、誰にも判定できない種類のものではあるけれど。そんな粗暴なことを結果的には扇動しかねない無邪気なメッセージの発し方に対しては、今の僕は断固として反対する。

 カミングアウトは自分だけの問題ではない。それを受け取る「他者の問題」でもある。当事者でさえ「自分が同性/両性愛者である」ことに気づいてから、何年も悩みを抱え続ける場合が多々あるのだから、受け取る側がそれと同じくらいに、いや、それ以上に悩みを抱え込んでしまうことだって有り得ることぐらいわかるだろう。その「事実」から目を背けてはならない。自分の都合だけで無神経に遂行すればいいというものではないはずだ。

 たとえば、このブログでこれまでにカミングアウト・ストーリーを紹介してきた石坂わたるさんの母親・石坂モモさんの場合には、息子からのカミングアウトを受けて強烈なショックを受け、悩みを抱えて同性愛者である息子を「矯正」しようと思い立ち、大学に入って心理学を学んだりした。そして何年も経ってから徐々に受け入れることに繋がったのだ。もし、モモさんが「大学に入る」という道筋を思い描くことが出来ずに悩みを一人で抱え込まざるを得ない環境で暮らしていたら、どんな結果になってしまっただろうか。

 そのエピソードを、結果論から「カミングアウトの成功例」として笑いながら振り返ることは出来ても、その笑顔の裏を具体的に想像してみてほしい。実は、失敗と成功の間には「紙一重」の違いしかないことに気が付くはずだ。

 尾辻かな子さんの母親・尾辻孝子さんにしても、娘が「政治家として、東京レズビアン&ゲイ・パレードでカミングアウトする」と実行の数日前に家族に告げたため、母親としてはもはや、受け入れざるを得ない状況に置かれたのだ。もちろん孝子さんは、すぐにそれを受け入れたわけではない。あれよあれよという間に娘が「レズビアン議員」として新聞で報道され、一夜にして「レズビアンの母親」というレッテルを引き受けざるを得なくなった当時の、不安に苛まれ続けた日々の暗さや重さにも、きちんと想像を働かさなければならないと思う。昨年の1月にインタビューを行った時。その時期のことを振り返って語る孝子さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいたことを僕は忘れられない。

 石坂モモさんや尾辻孝子さんのように「子どもからカミングアウトされた親」としての経験を人前で語れる立場の人はつい、活動家的な血がたぎりながら「大丈夫ですよ」と「良い面」を強調しがちだ。したがってそれを聞く側もつい、「そうか大丈夫なんだ」と、素直に「良い面」を印象的に受け取りがちだ。しかし、その話の中にチラッと出てくる「何年も悩んだ」あるいは「死のうと思った」などの言葉の重さと暗さをも、けっして無視してはならないと思う。

 したがって、「カミングアウト」という人間関係の繊細な部分に関わることを「促す」立場から物を伝えるならば、意識して「リスクも付き物ですので、現状を冷静に分析した上で、実行するかどうかを判断してください」との注意も同時に伝えなければ、とても粗雑で暴力的なプロパガンダに堕してしまう。この点については、過去の自分を振り返っても配慮に欠けていた点が多々あるため、自己批判の意味も込めて書いている。

 たとえば、親にカミングアウトして理解し合いたくても、すでに年老いた親にこれ以上、精神的な負担をかけたくないと思って泣く泣く「言えない」当事者たちもたくさん居る。また、人間関係の濃淡はそれぞれに多様なものであり、性的指向を開示する必要のない人間関係だって人それぞれあるはずだ。カミングアウトを巡る環境とは、当然のことながら多様なものなのだ。

 また、僕は最近「クローゼット」だの「カミングアウト」だのという、極端から極端への移行を連想させる言葉を使うこと自体、やめるべきではないかとさえ思っている。自らの性的指向を多くの人に開示していないからと言って、必ずしもその人が、押し入れの中に引きこもるかのように一人で暗くジメジメと生きているわけではないはずだ。言える人には言っているし、言えないと判断した人には言っていない。ただそれだけのこと。それがリアルな感覚というものだろう。

 何人に、どの程度開示すれば「クローゼット」から「オープンリー」になれるのか。そのへんの基準も曖昧なまま、仲間内でお互いにレッテルを貼り付け合って蔑視したり嫉妬したりするような不幸は、いいかげん終わらせるべきではないのか?使われる言葉が極端すぎるから、そうした現象が起こるのだ。

 LGBTコミュニティーは「カミングアウト教」の信者たちによる集合体ではない。もしそうなのだとしたら、そんなコミュニティーに僕は属して居たくない。

 日常レベルの人間関係に密接した、些細で繊細でリアルな面を想像することのできないまま、ただ闇雲に「オープンリー礼賛」のメッセージを発する無神経には、ただただ閉口するばかりだ。「ノンケが作っているから」という問題で済まされることではない。FC2 同性愛Blog Ranking
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コメント

この記事へのコメント

...

akaboshiさん こんにちは
失礼ながら田舎視点のコメントをさせていただきます。

問題点が3つあるように思います。
一つはメディアとしての取り上げ方の問題。もう一つはカミングアウト自体の問題。それと、視点の問題。

1つめ。メディアが素材を切り取って編集をする以上、内容が分かりやすく単純化されるのは必然でしょう。聴取者が番組を最初から最後まで、もれなく見るという保障もないし、一度見たぐらいでは理解できないことの方が多いと思います。今回の番組も、十分理解できるのは、普段からあれこれ考えている当事者だけかもしれません。

多くの人にとっては、断片的にでもイメージ(それもできるだけ肯定的な)が印象に残れば、よい方ではないでしょうか。本などと違って、映像メディアは情緒的な訴求力が強いので、カミングアウト=良いもの、という図式は仰るように非常に危険です。
しかし、番組ではカミングアウトに至る困難さも、さりげなくですが触れられていたように思います。もちろん、それが危険を解消するものではありませんが。

二つめ。個々のカミングアウトについては、その人の置かれている状況や環境が1人ひとり違うわけですから、番組の内容と直結して行動に走るというのは、必ずしも結びつかないと思います。
単純なカミングアウトで解決できないからこそ、悩んで苦しんでいるわけですから、番組は一つのきっかけにはなるでしょうが、多くの人は時間をかけて考え抜いていると思います。カミングアウトは自己責任ですから。

3つめ。聴取者の視点があります。akaboshiさんは都会(多分、東京の都心)からの視点で、意識的に客観的な気持ちで見られたと思います。
画面からは、当事者の周辺環境に関する情報は、極めて限られたものしか出てきていませんでした。それを十分に出せない編集上の限界、プライバシーと取材する側のかかわり方の限界があると思います。もし彼がその島に住まなかったら、彼のカミングアウトは成立しなかったという必然性のようなものは、十分に描けているとは思えません。

私はその島に数年住んでいたことがあるので、島の特殊な環境の中で、彼がカミングアウトしたいと思えてしまう気持ちが、なんとなく想像できます。それを分かっていたかどうか、彼を取材対象にした製作スタッフには責任があると思います。

いづれにしても、番組自体がカミングアウトを前提にしなくては成立しない(取材できない)わけで、可視化の限界があると同時に、それしか今のところ方法がないのではないでしょうか。
カミングアウトの事例紹介は、このテーマのほんの入り口で、どのようなサポートを社会が用意すべきかの方が重要だと思います。それは、その後のLGBTの第1回で触れられていました。

すいません、長々と書きました。多少反論めいた所もありました。どうか気分を悪くしないでください。

学生さんは・・・

一般のサラリーマンは、こういったテレビ番組には、でたがらないと思います。
(本を出しているような人は、その道のプロなんで出演したいんだろうけど。)
離島に住むゲイ男性の場合は社会人であり自分の責任で出演したのだから、
それはそれでいいとしても、LGBTの放送で学生さんが出演したのは、
ちょっと・・・
もう、未成年ではないのだろうけど、社会にでてその厳しさをしらない、
私からみればまだまだ子供。
あとで後悔しなければいいけどって思います。
私だったら大人の責任として彼らがテレビにでることに反対すると思います。
一般の社会人の出演者がみつからなかったから、まだ、世間知らずな学生さんを
出演させたように思えたのですが・・・
どうなんだろう?

カミングアウト原理主義者の横暴さ

心配りのできない カミングアウト原理主義者は嫌われる。

カミングアウトする当人だけの自己満足で、
そのカミングアウトによって起きうる、告白された周囲の新たな葛藤を心配りできないような人は、カミングアウトするべきではないと思います。

美談の背中合わせには悲劇がある。
その悲劇があることを知っていながらも、美談しか語らないような
プロ市民的なゲイリブのカミングアウト原理主義者には
心底、辟易してます。
番組の担当者が悪いのではなく、
そのようなカミングアウトを増長させてまっている活動家の責任の方が追求されるべきだと思いますよ、

横暴に対する横暴?

カミングアウトすると家族や会社の上司同僚との関係性で困難を負うだけでなく、ゲイコミュニティの中でも考えがないように言われ、本を出したりテレビに出演すると出たがりでカミングアウト原理主義だと「ゲイから」言われる。何十年も変わらないのは、マスメディアではなく異性愛社会でもなくゲイの受け止め方であって、それが最も逆風であると感じられます。異性愛社会から差別されるより、こうして同じ同性愛者のブログでコメント欄が荒れているのを見てしまう方が傷つく。私はカミングアウト推進派ではないし、同性婚推進派でもないけれども、自分の人生を大切な家族にも知ってもらいたいと願い、恋愛関係というだけじゃなくて伴侶として互いに育つものがあるならそれをパートナーと見たいと願うから、カミングアウトも結婚もしてみたいと思う。それは結婚式がしたいからじゃないし(結婚式したっていいじゃないかと思いますが)、異性愛者の真似でもない(真似する人が悪いかとも思いますが)。選択肢がないより、あった方が豊かなのは自明ですし、それを享受してみたく思って問題があるでしょうか。それを心の内に押し込め、「異性愛者は伴侶としてパートナーを親にも紹介できるけど、同性愛者がそれを望むのは子どもじみたことなんだ」と同性愛社会から言われることを内面化して納得するのは、異性愛社会から存在を否定される以上に、希望をなくす体験です。今日の日記で、
>仲間内でお互いにレッテルを貼り付け合って蔑視したり嫉妬したりするような不幸は、いいかげん終わらせるべきではないのか
と書かれているakaboshiさんのお気持ちとは少し違うところでもコメントがついているのではと拝察しますが、テレビと同じようにネットもさまざまな感性の人がそれぞれの人生の中で触れるものなのですから、akaboshiさんにはこういう場を作っている方としての、包括した公正なお考えを改めて示していただきたく願っております。なぜいつもゲイコミュニティでは自己犠牲的な感性ばかり、もっとも成熟した考えのように思われるのか、不思議でなりません。子が親に理解してもらいたいと願うことは、悪? カミングアウトしている人たち全てが、親を思いやれない未熟さでもってしているのではないと思いますけど。それは、カミングアウトしていない人が「暗くジメジメと生きているわけではない」のと同じです。LGBTコミュニティーは「カミングアウト否定保守思想推進教」の信者による集合体でもありません。極端なイメージや言葉を掲げることで巻き込みがちな不毛な論争を思うなら、akaboshiさんも「カミングアウト教」の信者、などという蔑視表現は避けられてはいかがでしょうか。それもまた、メディアの無神経だと感じられました。こういう風にさまざまな立場の人が、意見を交し合える場があることを幸福と思い、akaboshiさんの示されるお考えに日頃共感していた私ですが、今回は違和感を覚え、また少し悲しく思いました。失礼の段はお許し下さい。ネットというメディアで責任も負い、思想を牽引されているお立場の大変さを思い、ご活動には敬服してます。長くなってすみません。

不同意さん、このブログのコメント欄は別に荒れてませんよ。
(100件も200件もコメントがついているわけではありません。)
むしろコメントが少なすぎって思います。
前から気になっているのは、
akaboshiさんは、このブログを作るのに相当の労力を注いでいるはずです。
そのわりにはコメントを残す人が少ないと思います。
多くの人がカミングアウトどころか、ブログにコメントを残すことや、
こう言う問題をネット上だけでも話し会おうともしていないのが現状ではないのでしょうか?

問題はいろいろあると思います。
だからコミュニュケーションをしなければいけないと思うのですが、
そう言った場所は、実は、ネット上にもまだ存在していないのではないかと思います。
(私が知らないだけかもしれないけど。)

世間の差別や偏見の問題もあるけど、
LGBTが幸せな生き方をするにはどうすればいいのかを、もっと多くの人が、
ディスカッションしてもいいのではって思います。
(そう言う場所がどうしたらできるのかは良くわかりません。)

いろんな考えがあるから、私は、
不同意さんの考えも、akaboshiさんの考えも間違ってないと思いますよ。

●nobaraさん。

冷静なコメントをありがとうございます。

1つ目の、メディアの取り上げ方の問題について。
・・・NHKの番組作りの多くに言えることなのですが、基本的な方針は「子どもからお年寄りまで幅広い人々にわかりやすく」作ることが、制作目標として据えられているようです。ゴールデンタイムの8時から放送される番組なわけですから、尚更そうした「縛り」は制作者たちに課せられていることでしょう。従って、多くの人にとって「1度見て理解出来る」ことを目指して編集された番組であるように僕には感じられました。(もちろん視聴者一人一人の予備知識や先入観にも左右されますが。)

今回の番組はとにかく、「カミングアウト出来て良かったね」「自分らしく生きられるって素晴らしいね」ということを視聴者に「わからせる」方向へと向かうベクトルの強度が強かったように感じました。そこが一面的だと感じた理由です。映像メディアは最終的に「イメージ」として残るのは確かです。だからこそそのイメージが「単純な一色」として残るのではなく、影まで含めた「複雑なグラデーション」として残って欲しいと僕は希望するのです。そうでなければ薄っぺらすぎます。

2つ目に関しては、そうとも言えるしそうでないとも言えると思うので、僕には判断は出来ません。ただ、警鐘を鳴らしたくなる感覚を抑えることができなかったので、書いたまでです。

3つ目に関しては、たとえば取材したディレクターがスタジオ出演して「取材VTRで描けたこと、描けなかったこと」について説明する時間を設けたりした方が、より立体的に物事が浮かび上がったのではないかと、nobaraさんのコメントを読んで感じました。

「もし彼がその島に住まなかったら、彼のカミングアウトは成立しなかったという必然性のようなものは、十分に描けているとは思えません。 」
・・・このご指摘についても同感です。だから「NHKの取材で舞い上がっている人」という側面が、僕の印象には強く残ってしまったのかなと思います。

VTR部分はいいんです。問題は、スタジオ場面でVTR映像の「不足分」を補えていなかったという所にあるのではないかと思います。取材ディレクターが出て語るというのは、あの番組では御法度なんでしょうかね?(他のシリーズを見た事が無いのでわかりませんが)

●Qooさん。

2008年の日本においては、学生さんにしても会社員にしても、テレビに出られる人はかなりの数いるのではないかと僕は思います。

ゲイ雑誌やネット上にも「顔出し」している人はたくさん居ますし、YouTube用に映像を撮影しても、驚くくらい多くの人が、なんでもないことのようにOKを出してくれて、驚くことが多いです。むしろ、「テレビに顔出ししてスゴイね~」と英雄のように扱ったりすること自体に薄ら寒いものを感じます(笑)。

「メディアに出る」という選択を本人がしたのなら、その地平から見えてくる道を歩めばいいだけです。生き方の「道」は無数にあるものですから、他人がとやかく言うのは「おせっかい」なのでは?

●同意さん。

「プロ市民」って言葉、はじめて知りました(笑)。

誤解されると困るのですが、僕は、カミングアウトを「したい人が、出来る人にする」ことには全く反対ではありませんよ。自分も言ってる人には言ってるし。つまり、既存の言い表し方に当てはめるとするならば、「ある人にとってはオープンリー・ゲイ」だけど、「ある人にとってはクローゼット・ゲイ」なんです。そのどちらも自分であり、自分の中では、どちらの人間関係のあり方にも貴賎をつけるつもりは毛頭ありません。

ただ、「クローゼット」=未熟な同性愛者、→「カミングアウト」が出来て立派だね。→「オープンリーな同性愛者」=皆が成るべき理想像という形で英雄化する表現に触れると、抵抗したくなるんです。

そして、物事には必ず光もあれば影もあるわけですから、そのことを丁寧に描かなければ単なる「プロパガンダ映像」であって、どこかの活動団体が作るPR映像ならともかく、いきなりNHKがそういう印象をもたらしかねない番組を作ることは無邪気すぎやしませんかと言いたいだけです。少なくとも僕にとっては、そう言いたくなる番組でした。「LGBT」の第一夜も含めて。

また、こういう意見表明によって誰か特定の活動家を責めているわけではありませんが、「活動家」と自称する方々にもその辺は気をつけてもらいたいとは常日頃思ってます。活動家が、「なんだか違うフィールドに居る人たち」だと思われがちなのは、そうした繊細さに欠けるからではないかと思うからです。そういう意味で、個人的には『カミングアウト・レターズ』の繊細さは、大好きです。

●不同意さん。

あなたのコメントを読んでいて感じたのは、「ゲイ・コミュニティ」というものを一枚岩の「実体」であるように捉えすぎではないかということです。それは幻想ではないでしょうか?。

世の異性愛者にいろんな意見の持ち主が居るのと同じように、「ゲイ・コミュニティ」にもいろんな意見の持ち主が居るのは当たり前じゃないですか。それこそが「多様性」というものでしょう。そして、どの人々にも意見を表明する自由はあるはずです。

そのことを本当に理解しているのならば「同じ同性愛者のブログ」という風に「同じ同性愛者」などという言葉は出てこないはずです。自己(self)と他者(others)の区別、付いてますか?。すべてにおいて自分と意見が同じでないと、他人のことを受け入れられないのですか?

可視化のための「活動的なベクトル」の方向に沿わない意見に触れたからといって、それをいちいち短絡的に「逆風」だと捉えてしまうなら。「順風」ばかりのコミュニティを想像してみてください。僕にはそれは「ファシズム」に近い状態であり、「多様性」とは正反対の状態に思えてなりません。

また、僕は「包括した公正なお考え」などというものは、神ではないので表明できません。人は誰もが「主観」からしか物事を言うことも見ることも出来ないのではないですか?。そんな無茶な要求をされても応えられません。

いつもは共感していただいているとのことですが、では何に関しても「同じ意見」でないと許容できないのですか?あなたと僕は「他者」なのですよ。

最後に。僕は基本的に同性愛者が、あらゆる面において「異性愛者」と同じような権利や選択肢を得るべきであると思っています。ただ、そこに至らせたいばかりに粗野で粗暴なプロパガンダを繰り返していては、かえって遠回りになってしまって「活動畑」と「市井」がますます乖離するだけだと思っているのです。

短絡思考ではなく複雑思考で柔軟に行きましょうよ、焦らずに。

●Qooさん(2回目のコメントに対して)

実は僕、mixiもやっているもんだから、近しい人たちのコメントはそっちに行ってしまうんですよね~。2,3年前位から、コメント欄での議論というのはmixi上での様々なコミュニティで行われる傾向にあり、ブログはどちらかというと「公的メディア」的なイメージを持たれるように変化してきているような気がします。(僕も、そんなイメージを持って両メディアを使い分けていますし。)

離島に住む彼の友人です

akaboshiさん、いつもブログを興味深く拝見しています。興味深い情報やご意見を共有していただき、どうもありがとうございます。

さて、昨日の放送に出演した離島に住むゲイは、私の友人です。彼を知っているだけに、上記を拝見して何か言わずにはこのページを去ることができず、コメントさせていただきます。akaboshiさんご自身を批判する等の意図はまったくありませんので、その点ご理解ください。

上手く言えないのですが、私の友人のように堂々とテレビに出てセクシュアリティを明かしてしまう人たちを「『カミングアウト教』の信者」と言うのは、言葉が適切ではないと思います。akaboshiさんがご指摘のように、「LGBTコミュニティーは『カミングアウト教』の信者たちによる集合体ではない」ことは確かです。現在の社会でカミングアウトをすることにリスクがあることは事実で、カミングアウトしないということは個々の選択・権利として認められるべきです。しかし同時に、彼のようにカミングアウトしたい人がする選択・権利も尊重されるべきだと思います。

番組は、視聴しているLGBTにカミングアウトを奨励したでしょうか?私は決してそのようなことはなかったと思います。出演者の中には、顔にモザイクのかかった人たちが少なからずいました。そのモザイクの意味は、akaboshiさんの仰る、カミングアウトのリスクであったり、また、LGBTであってもカミングアウトしなくてもよいということではなかったでしょうか?

LGBTのコミュニティーについてですが、自分の周囲に限っていえば、「反カミングアウト教」の信者たちのほうが圧倒的に多いです。いわゆる「良識派」というんでしょうかね。寝た子を起こすな、というような。尾辻さんが選挙で勝利できなかったのもむべなるかなという思いです。

●みっちゃんさん。

コメントありがとうございます。

冷静に読んでいただければわかるとは思うのですが、僕はあなたの友人を「カミングアウト教の信者」と言い表したわけではありません。

番組制作者たちに対して「LGBTコミュニティーは「カミングアウト教」の信者たちによる集合体ではない。」と釘を刺したのです。NHKのディレクターの方とは面識があり、このブログを読んでくださっていることを知っていますし、僕がこうしたことを書くことでどのような反響が巻き起こるのかも見ておいて欲しいと思ったので、あえて公開のブログ上に書きました。(僕もそれを知りたかったですし。)

僕は、先日の「ゲイ/レズビアン第二夜」の放送はLGBTにカミングアウトを奨励しているように感じました。「リスク」について、何らかの形で具体的に提示するなり言及するなりしないということは、結果的にそういうことになるのではないかと思いました。そして、LGBTの活動団体でもないNHKという巨大組織の、どういう主体がどういう責任を持ってそのようなメッセージを発しているのかが掴みかねることに混乱し、気持ち悪さを感じました。

ただ、これはあくまでも僕の主観であって、そう感じなかった人ももちろんいるでしょう。いろんな意見を正直に率直に表明しあうことは、結果的に番組の今後を活性化させることになると信じていますし、制作者たちもそれを望んでいると思います。

●sakaiさん。

そういう方たちも、ある人には言っているし、ある人には言っていない。「完全にクローゼット」という人はあまり居なくて、多くの人が自分の身の丈に合った規模での「カミングアウト」をしているんだと思います。

「クローゼット」「オープンリー」という区分けをやたらと強調し、「オープンリー礼賛」と感じられてしまうようなメッセージをこれ見よがしに発して「英雄」「ヒロイン」を作る方法論は、いわゆる「コミュニティー」とか「活動」とは一線を画した心理状態で生きている多くの人々を「引かせる」だけなのではないかと、昨年の選挙を通して僕は感じました。

しばらくはこの感覚にこだわった視点から、物事を考えて行動してみようと思っています。そうでなければあの選挙から何も学ばなかったことになるような気がして。

コメントありがとうございます。そうなんですよね、皆さん現実的な範囲でカミングアウトされているのだろうと思います。ただ、まあ責任を持ちたくないんでしょうね。「あなたの言ったとおりにカミングアウトしたらこんなひどい目にあった!」とか言われても困るからカミングアウトなんて勧めない、とか。あるいは「現実は甘くない」と言っておけばとりあえずの体裁はつくとか。よく分かりますけどもね。

でも、単純すぎるのかもしれませんが、例えばゲイの若者が自分を受け入れられずに悩むようなシチュエーションで、周囲に無理解なノンケと「反カミングアウト教」信者のゲイしかいない状況というのも結構うすら寒いものを感じます。メディアが「オープンリー礼賛」を挙げるぐらいでちょうどバランスが取れているのかなと思ったり。

NHKのディレクターの方も読んでいらっしゃるかもしれないとのことなので、番組に肯定的なゲイもいることを知っていただきたく書いてみました。akaboshiさんが指摘されているように、ゲイ・コミュニティは一枚岩ではありませんので、こういった番組を必要としている層も必ずいる、と思います。

●sakaiさん。

そうですね、応援メッセージがたくさん送られているだろうことは想像が付きます。でも僕のこの意見表明も、もちろん「応援」なんですよ。(しかも熱烈な。笑)

akaboshiさん、こんなにブログの記事書いて、コメント返して、大丈夫ですか?
すごいパワーを使っているから少々心配です。(と、言いつつコメントかく私・・・)

なんか思ったことをうまく文章にできないので、箇条書きに。

すべての人が同じ意見を持たなくてはならないというのは、おっしゃる通りいびつな世界です。議論をすることと、個人を攻撃することは違うことなのだという前提がちゃんと共有できた上で、建設的な議論ができるといいですね。

カミングアウトについては、「安全なカミングアウトとは?」を考える必要があるでしょうね。それは一人ひとり違うと思います。そして、異性愛者はカミングアウトをしなくてもいい、性的少数者のみカミングアウトを要請されてしまうこの社会構造、非対称性について異性愛者の人に考えてもらえるとうれしいなと思います。そして、カミングアウトをしたい人がカミングアウトを選択できる社会になることがいいのかなぁと思います。

親へのカムアウトについて。当事者が何年も葛藤してきたように、カミングアウトされた親も葛藤することでしょう。親にカムアウトする時は、受容まで長期スパンで考える必要があると思います。


「ハートをつなごう」
LGBTは残念ながら数的に少数者です。この社会でより楽に楽しく生きていくために、いったい「誰」と「どのように」手(ハート)をつないでいったらいいでしょうか。
私は、その方法を模索したい。

いろんな違いを持った人たちと手をつなぎたい。その方法もきっとひとつじゃないのだと思います。ある人はそのために崖をのぼり、ある人は山道を歩き、ある人は・・・・。

akaboshiさんもきっと「つなぐ」方法を考えているんだなぁと勝手ながら推測しました。

このコメントは一方的なコメントですので、レスは不要です。もちろん、akabosiさんにとって、不要でしたら消して頂いて構いません。

これだけの議論になることを書いてくれて、ありがとうございました。(こんな感謝の言葉もなんだか変ですが・・・)
パワーを使いすぎて倒れないでくださいね。




初めまして。前から時々ブログを拝見しています。
NHKの番組については、私は「けっこう乱暴なつくりだな」と感じました。
第一夜を見て「むずがゆい」とakaboshiさんが書かれているのを見て、腑に落ちたものがありました。そう、なんだかむずがゆかったです、私も。
でも、NHKの番組はわりといつもむずがゆいので、全国の人がそしてコドモから大人までが見るんだから仕方ないのかな、
「こういうテーマを取り上げるだけま、いっか」とも。
たった30分ですしね。
それにしてはいろいろ詰め込んで当たり障りの無いように、口当たりのよいように、ほどよくまとめてある、そんな風にも思いました。

お返事どうもありがとうございました

 akaboshiさん、ご返信どうもありがとうございました。仰るように上記はakaboshiさんの「主観」であって、そしてお送りした私のコメントもまた「主観」によるものです。ただ1点、くり返しになりますが、カミングアウトによるリスクを認識するのと同じくらい、どのような形ででもカミングアウトを選択する権利も尊重されなければならないことが、上記の文章から私個人は感じられずに少し残念に思ったということだけ、お伝えさせてください。(akaboshiさんの意見表現の場としてのブログであって、誰かを喜ばせようというための上記ではないことは十分分かっております。私は、勝手に「残念に思っ」てしまったのです)
 お感じになった点はとても貴重と思いますので、番組制作者にきちんとお伝えになれば、よりよい(今回よりはbetterな)番組制作につながるのではないでしょうか。

過渡期

きっと色んな意味過渡期なんでしょうね。

カミングアウトにかんしては、ほぼakaboshiさんと同意見。

活動やそれを助けている者は、今一度、キモに命じることが、大切だと思います。

ただ、個人的な意見ですが、

カミングアウトをしやすい世の中にではなく、

わざわざカミングアウトしなくてもいい、お互いの多様性を認め合える、成熟した大人の社会を目指すことが、

私たちの目標だと、番組を観て、強く感じました。

●tomoさん。

レス書いちゃいました(笑)

っていうかさすがtomoさんの僕に対する推測は鋭い!

●Lilisさん。

よくよく考えてみたら本当に「子どもから大人まで見るかもしれない状況」で放送されたんですよね・・・そのこと自体は凄いことだ、イヤ本当に。

ただ、家族そろって見ることのできた家庭がどれだけあるのかは疑問ですけどね。民放が派手に期首特番スペシャル番組攻勢で来ている裏という理由だけでなく、今の日本に親と一緒にあの内容を見れる人が、どのくらい居るのか・・・。でも、放送される「回数」や「量」によって次第にじわじわと慣れていくという効果は出るのだろうと思います。・・・NHKにチャンネルを廻す種類の人たちには。

●みっちゃんさん。

「カミングアウトを選択する権利の尊重」は、番組によって充分に表現されていたと思ったので、僕はそのバランスを取ろうとしたんだと思います、数日たってこの記事を書いたときの気持ちを振り返ると。

●Leoponさん。

「過渡期」

・・・その通りだと思います。

「わざわざカミングアウトしなくてもいい、お互いの多様性を認め合える、成熟した大人の社会を目指す」

・・・これ、究極の目標でしょうね。

みんな同じ

一人ひとりが違うように、ゲイでもいろんなタイプが居ます。ゲイであることを公表したい人。ゲイであることをクチが裂けても言えない人。
でも、世間体、親兄弟、他人に迷惑にならないなら、本当の自分を判って普通に接して欲しいと思うのが殆んどだと思います。 
ただ、今の日本にはそれを受け入れるだけの風潮が無いと言うだけです。 私自身も古い考えの人間なので公表は有り得ない話ですが、最近の親を見ると受入範囲が昔より広がっている感じがします。 
昔の厳しい両親に育てられた我々の考えと、現代的?な親に育てられた若い子の感覚は100%違います。 それにカミングアウトされた親のショック度も違うと思います。
「リスクも付き物ですので、現状を冷静に分析した上で、実行するかどうかを判断してください」>>>な考え方は我々ではごく普通の考えでも、現代においては普通じゃ無いけど人によっては許容範範囲内であるかも知れない。(それを受け入れるまで何年かかるか判らないけど・・・)
そんな風にしてホント少しづつだけど、世の中が変わっていくのかな?

●なおさん。

そうですね。世の中は少しずつ変わってきていて僕もその恩恵を受けている者の一人だと感じます。とりあえず僕は「同性愛者だから」という理由での孤独感を、あまり感じることは無かったですから。(主にインターネットのおかげなのですが。)

ただ、『薔薇族』などの雑誌が発行される以前から同性愛者である子供のことを「なんでもないこと」のように受け入れる親も実際に居たし、逆に現代でもカミングアウトされた途端に包丁を持ち出して来て息子を勘当する親も居ます。時代の問題、世代論で語ると抜け落ちてしまうケースが多々あるということも意識し続けたいと思います。

「これが我々の世代の主流の考え方だ」と過剰なイメージ付けがなされると、そこに当てはまることのできない人々に孤絶感を与えてしまいます。そういう無神経には抵抗して行きたい。

人間としての「深い」「繊細な」部分にかかわる問題なのですから。
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