フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-09
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記憶について・・・2●洪水の記憶②

その保育園は川沿いにあるため洪水を想定して設計され、床が高く作られていた。
玄関に行くには地上から1.5メートル高いバルコニーまで階段を上がる必要があった。
僕が濁流を目撃し、興奮して飛び出して行ったのはそのバルコニーの部分。水はあと階段2段分位まで迫っていただろうか。なにしろ1歳児なので危険を察知できないまま、濁流に向かって飛び出して行ったのだ。
外は土砂降り。バルコニーに激しく打ちつける雨。
僕は目の前で波打つ泥水が面白くて、さらに階段を下りて水を触りに行こうとした。
動き出そうとしたその時、ツルッと滑って転んだ。
足元が濡れていたので、かなり派手に尻餅をついた。転んだショックで、僕は大声で泣きだした。

その泣き声ではじめて、昼寝をしていた保母さんが目覚めた。
彼女は僕を見るや否や、咄嗟に「動いちゃダメー!!」と、ものすごい声で叫びながら飛び出してきた。そのまま抱かかえられ、僕は雨の中から救出されたのだった。

あの時あそこで転ばなかったら僕は水を触りに行き、滑って落ちて濁流に呑まれていたかもしれない・・・危機一髪だった。

保母さんの胸でしばらくワァワァ泣いた後、泣き疲れて今度こそ昼寝をしたらしい。気がついた時にはすでに避難の準備が整い、たくさんの消防士さんが保育園に集まっていた。
それから彼らに肩車をされ、門のところに用意されたボートまで運ばれた。
水は大人の胸のあたりまで来ていただろうか。流れは激しくはなかった。
あたり一面が泥水色になっている光景に、僕はまたしても無邪気にはしゃいだ。乗せてくれている消防のお兄さんも、上下にゆすって一緒にはしゃいでくれた。
ボートに乗ってからも姉と一緒に騒ぎ続け、避難先の農家に着いてからはラジオを聴いて過ごした。
その時にご馳走してもらった「ミニあんパン」が忘れられない。今でも、コンビニで6個入りの小さなあんパンを見かけると、あの時のおいしさを思い出す。

僕らが無邪気にはしゃいでいるその頃、道路の通行止めで保育園に辿りつけなくなった父と母は気が気ではなかったという。今のように携帯電話で連絡を取り合うこともできなかった時代。情報がつかめなかったらしい。父は思わず泥水の中を泳いで行こうとして止められたという。

避難先の農家から出るときも、再びボートに乗った。
心配そうに待っている人々の中に両親の笑顔を見つけて、またしても姉と二人で騒いだ。
その時の、若かった両親の笑顔は鮮明に覚えている。

小さい頃から我が家では、夏が来るたびにこの話題が繰り返された。想起される度ごとに映像は鮮明に塗り替えられ、記憶として強化されてきたのだろう。まるで昨日の事のようにすべてが鮮明なのは、そのせいだと思われる。

記憶とは、事実ではない。
現在までの人生において、どれだけ想起し塗り替える機会があったのか。・・・その間の人生の経過をも物語るものである。

今年も世界のあちこちで水害が頻発した。僕にとっては笑い話で済んだ水害の記憶だが、笑えない記憶になってしまった人たちの事を思うとやりきれない。
その人たちはこれから生き続ける限り、夏が来るたびに辛い記憶として想起してしまう。家族と離れ離れになったり、住み慣れた家が破壊されたり・・・その精神的ショックに繰り返し襲われてしまう。その度に塗り替えられて鮮明に心に残り続けるだなんて、どんなに辛いことだろう。

人間は良くも悪くも記憶の呪縛から解き放たれることはない。それは生きている証でもある。
しかしその功罪は、とても一言で語り尽くせるような単純なものではない。だから僕は興味がある。
記憶について考え続け、発見をし続けたい。

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コメント

この記事へのコメント

私には、もうスグ2歳になる娘がいますが、産まれた時から今まで、離れ離れになったことがないので、1時間離れただけでも恋しくなっちゃうし、気になって胸が苦しくなっちゃうんです(^^;)・・・これじゃあ幼稚園とか行くようになったら大変ですよね;
・・・でも、親ってそんなものだと思います。自分の子供を怒るのも、子供が将来幸せになれるように。子供がいくつになっても親からすると、子供は子供なんですよね。・・・って関係ない話になってた気がします(^^;)ごめんなさい;
水害にあった人たち、全て失ってしまったうえに、最悪の記憶だけ頭に残り、一から自分の人生をやりなおさなくちゃいけないのは凄く辛いですよね。私には何も出来ないけど、頑張ってほしいですね。

小さいころの事なのに、鮮明に覚えているなんて凄いと思いましたが。
自分も振り返ってみると、いろいろ覚えてました。(笑
2,3才ぐらいだったと思いますけど、家で留守番しててテレビみてたら
ホラー物みたいのが、始まっちゃって。パニックになってたなんてことがありました。
ほっとんど、覚えてないんですが。そのテレビの映像だけは覚えてるんですよ。
京都の古町?って言うんですかね。そんなところをピエロの行列が静かに行進していくんですよ。
あっ自分の話になっちゃってる!笑
やっぱり印象的なことは何年たっても覚えているんですね。
けど、記憶っていう己の歴史があるからこそ今の状態の自分がここに存在しているんですよね。
だからこそ、忘れられないんじゃないんでしょうか?
駄文失礼しました

スマトラ島で起きた津波によって建物は崩壊し
たくさんの人々が亡くなられましたが
大切な人を亡くした人にとって
そのことを毎年思い出してしまうのは
本当につらいことだと思います。
これは友達の話なのですが
その津波の募金活動に参加して
募金おねがいします
といっているときに、1人の中年女性が近寄ってきて
あんたたちはそんな風に募金をやってるけど
そんなの偽善なのよー偽善者!とののしられたそうです…
偽善じゃないのか…と言われれば本当のところよく解らないけれど
その活動に対してそんな文句を言う人がいるというのは俺も衝撃でした。
皆が、たとえ同じ国ではなくとも他人を思いやる心を持てるといいですね
WHiteBandというのがはやっていますが、たとえおしゃれの為につける
人が居てもあんな風に募金に参加するというのは良いことだな…と思い
ます

「記憶とは事実ではない」確かにそんな部分もありますね。
記憶違いもありますし。反り返られる場合もあります。
そして現実逃避で全く違う記憶が植えつけられる事だって無きにしも非ず。
改めて「記憶とは事実ではない」と実感しました。

桃は、4歳の時に母親が、皮膚ガンで亡くなったんですが、覚えていないと思っていたけど、すごい嫌な事があった時に、母親を思い求めると、かすかに覚えてる部分がありました。お葬式です。その時は、父親は、いませんでした。後から聞くと、ショックで、姿を誰にも見せれなかったそう。弟は、泣いている。この状況を察知して、とんでもない事なんだ。と思ったし、自分が、しっかりしなければ、ここ(家)がとんでもない事になってしまう。と思った。周りから渡された花を、母親が入っているおかんの中に花を入れた。周りは、桃の姿を見て泣いていた。なんだかこの部分を覚えています。生きている母親の姿は、思い出せないけど、これで少しは、楽に生きれると思う。写真あるし。でもさすがに1歳の頃は、ないです。すごいですね。

●ihananomamaさん。
あ、この記事って幼いお子さんをお持ちの方には不安を喚起してしまいますね。
僕も、姉の子どもが今2歳で可愛い盛りなので、
目が離せないという感覚はすごくわかります。
そう考えるとウチの親はよくもまぁ、0歳から預けたもんだ(笑)。
でも、母には母なりの考え方があって、
「共働き」をしながら子育てがしやすくなる環境を作るべく
けっこう頑張って活動をしたらしいです。
僕は母のそういうところを尊敬しています。

● hat-oさん。
僕がこのことをはっきり憶えているのは「笑い話」になったからなんでしょうね。
保育園にいるうちからきっと、毎年のように笑い話は繰り返されたのだろうし。
そうして塗り替えられて、噂が人から人へ伝わるかのように
自分の中の記憶も、少しずつ変化しながら伝わってきた・・・。
そういうもんだと思います。
ピエロの行列が京都を行進?・・・ある意味、すごいホラー物だ(笑)

●highlightさん。
スマトラ島の地震からは、年末で一年になりますね。
あの時期が来るたびに苦しい思いをする人が
かなりの数、いるということですね・・・。

● jyubonさん。
僕の「洪水の記憶」も、ここに文章化したことで
また塗り替えられました。
こうして変わり行くのが記憶。

●桃さん。
幼心に「しっかりしなきゃ」と強く思った気持ちが
強烈に刻印されたのですね。
その記憶はまぎれもなく、現在の桃さんの個性を形づくっている
大きな要素だと思いましたよ。

ミニあんぱんかあ・・・お腹空いてたんでしょうね、ずっと食べられなくて。
記憶は不思議なところだけ残ってたりしますよね。悪いところだけだったり、良い所だけだったり、変なとこばかり覚えてたりして。幼稚園くらいの時に知り合いが車から手を振ってくれていたら運転手が窓を自動で閉めてしまって、知り合いの顔がはさまってしまってるのとか、その時に持ってたキラキラしたボールとか覚えてます。みんなで笑ってましたけどね^^;

2:47のakaboshi氏のコメントについてです。
現在では、ナースが多いのですが、出産して産休が明けるとすぐに保育園に預けるお母さんが多いです。首も据わらずに、カゴに入れて保育園に連れてきます。保育士の数は十分でも、満1歳まではとにかく熱を出しやすいので大変です。喘息を持っているとなおさらで知人のナースの子供は1年に6回も入院しました。けれどそれなりには育つし、問題なのは、今年、アメリカでもデーターが出ましたが、自宅に於ける親子の関係が大きいという事です。働く女性が多くなればなるほど、注目しなければならない問題でもあります。
後は、その保育園の質や保母の人間性です。
 公務員、学校の先生は今年から産休が3年間になりましたが実際には1年間で復帰するようです。3年間はありがたいけれど、実際には取りづらいと友人は言います。
 余談でした。。。。

●flowfreeさん。
それは面白い記憶の断片ですね。
記憶の世界って、まるで夢と同じような不条理な感覚もあって、
だから面白いんだと思います。

●seaさん。
本当ならば、そんなにすぐに働かないでも済むように
せめて子育て期間位は福祉の保障があるべきだと思います。

素敵なお母さんですね!
不思議なもので、子供を産むと、母親って子供の為なら何でも出来るんですよね。もしも私も、自分しか子供を守れないってなったら、預けて働くと思います。子供は親と一緒に居たい時期だと思うけど、親としては子供に不自由な生活をさせたくないですからね。
でも、きっとakaboshi07さんのお母さんも凄く我慢しながら働いてたんでしょうね。頑張らなくちゃいけないって気持ちが大きかったかもしれないけど、産まれたばかりのカワイイ我が子を人に預けて働かなくちゃいけないんだから、きっと大変でしたよね。
本当に素敵なお母さんですね。私も見習いたいと思います。

●ihananomamaさん。
うちの母が早いうちから働いたのは・・・第二子だからかもしれません(笑)。
多分、はじめての子どもである姉の時にはてんやわんやで
目が離せなかったのかもしれませんが、二人目となると
だいぶ余裕が出てくるものみたいですからね。
ちょうど、時代の雰囲気としても母親が働くということを
「運動体」として要求する熱が高まっていたのだと思います。

私はまだ二人目がいないからわかりませんが、やっぱり慣れてくるのかもしれませんね!私は、子供が3歳になったら幼稚園に入れて働く予定です♪子供の為もだけど、私自身も、社会に出ていろんな経験をしたいので!このまま専業主婦で終わらせてしまったらもったいないですもんね。

●ihananomamaさん。
母から聞いたことがあるのですが、一人目と二人目とでは本当に
全然違うらしいですよ。子育ての先行きがある程度予測できるということは
かなり、母親に安心感をもたらすようです。
・・・二人目である子どもにとっては、ちょっと複雑な思いがしましたけど(笑い)。
僕も、主婦の方が社会で生き生きと働くことには大賛成です。
いろんな人と日々交流することが、人間的魅力を高めることに
つながると思いますし、子どもから見ても格好よく見えるものです。

『母親に安心感をもたらす』って良く言えば、肩の力を抜いて子供に接することができる。ってことかもしれませんね!私も、子供が憧れるくらい格好良く見てもらえるように頑張ります。

●ihananomamaさん。
子どもが親に憧れる・・・これ以上最高なことはないと思います。
自然体で、飾らずに子どもと接してあげてくださいね。
大人が繕っているということについて、
子どもは敏感に察知するものだと思いますので。
(僕はそういうイヤラシイ子どもでした・・・笑)

自分の為にも自然体が一番かもしれないですね。
子供の為にも自分の為にも、飾らないで生活できるように頑張ります!
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