パーヴェズ・シャルマ「愛のジハード」●MOVIEレビュー
遠回りすることが、最も近道だった。
シナリオによって、あらかじめ結末が決まっており、予定された「完成形」に向かって制作するのが、いわゆる「一般的なフィクション映画」なのだとしたら、真の意味での「ドキュメンタリー映画」とは、その対極にあるものだと言えるだろう。
結末などわからない。先行き不透明な現実に向かってカメラを向ける。撮り始める前に描いていたビジョンは、現実の複雑さを前にすれば常に裏切られる。そう、「裏切られる」ことを楽しんだり、そこから発見することを楽しむことが出来ない人には、真の意味でのドキュメンタリー映画など撮れないのだ。
『愛のジハード』の監督は、楽しむことの達人だ。彼は2001年の「9・11」以降、世界中で加速してしまった「イスラムへの偏見」に危機感を覚え、映画を撮り始めたという。
おそらく、その時点では映画としての「完成形」など、全く見えていなかったことだろう。しかし、彼は撮り始めた。他宗教の信奉者から「偏見の対象」とされる「イスラム教徒」という立場の内側から、当事者にとっての「フツー」を探り、その日常感覚を撮り続けた。さらには、自身が同性愛者であるということから感じる「ダブル・マイノリティー」として見えてくるものを、撮り続けた。気付けば、撮影期間は6年にもわたっていたという。
さらにそれから一年以上かけたという編集期間中に、彼が見つけたものはなんだったのか。それを観客として受け取りながら僕が感じたのは、なんとも言えない「やわらかさ」そして「明るさ」だった。
「無駄」の中にこそある豊穣
監督はきっと、撮影しながら気付いたのだろう。ただ単に、「ムスリム」そして「同性愛者」としての「生きづらさ」を描き出すだけでは、真に彼らの生き様を描き出すことにはならないと。たしかに、登場人物たちがインタビューで切々と、現実の厳しさを語る場面も多く出てくる。そうした言葉に耳を傾けることは大切なことだ。しかし監督は必ずと言っていいほど頻繁に、その同じ人物が笑顔で過ごしている場面や、なんでもない日常を過ごしている場面を印象的な形で挿入した。おそらく、意識的にそうした場面をたくさん撮ったのだろう。そういう場面こそ、撮るのが楽しかったのだろう。
その結果、この映画は単なる「同性愛者権利獲得」「ムスリムの偏見粉砕」を目指すためだけの単純で安直なプロパガンダ映画に留まることなく、スクリーンからは、いろんな「豊かなもの」が零れ落ちる映画になっていた。おかげで、観客としては自由に想像力を羽ばたかせることができた。
遠回りのように見えるそうした「無駄なもの」の中にこそ、実は監督が当初、この映画を「撮りたい」と思った魂の「核」が存在していた。その発見の過程が、生き生きと記録されていた。
全作品を観た第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭において、最も心を打たれた作品を挙げるとしたら、躊躇することなく僕はこの作品だと応える。この映画には最も深く「旅」が映っていた。映画作りという旅。人生という旅の豊かさが。→FC2 同性愛Blog Ranking
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●東京国際レズビアン&ゲイ映画祭05●「愛のジハード/A Jihad for Love」監督・プロデューサーTALK

結末などわからない。先行き不透明な現実に向かってカメラを向ける。撮り始める前に描いていたビジョンは、現実の複雑さを前にすれば常に裏切られる。そう、「裏切られる」ことを楽しんだり、そこから発見することを楽しむことが出来ない人には、真の意味でのドキュメンタリー映画など撮れないのだ。
『愛のジハード』の監督は、楽しむことの達人だ。彼は2001年の「9・11」以降、世界中で加速してしまった「イスラムへの偏見」に危機感を覚え、映画を撮り始めたという。
おそらく、その時点では映画としての「完成形」など、全く見えていなかったことだろう。しかし、彼は撮り始めた。他宗教の信奉者から「偏見の対象」とされる「イスラム教徒」という立場の内側から、当事者にとっての「フツー」を探り、その日常感覚を撮り続けた。さらには、自身が同性愛者であるということから感じる「ダブル・マイノリティー」として見えてくるものを、撮り続けた。気付けば、撮影期間は6年にもわたっていたという。
さらにそれから一年以上かけたという編集期間中に、彼が見つけたものはなんだったのか。それを観客として受け取りながら僕が感じたのは、なんとも言えない「やわらかさ」そして「明るさ」だった。

監督はきっと、撮影しながら気付いたのだろう。ただ単に、「ムスリム」そして「同性愛者」としての「生きづらさ」を描き出すだけでは、真に彼らの生き様を描き出すことにはならないと。たしかに、登場人物たちがインタビューで切々と、現実の厳しさを語る場面も多く出てくる。そうした言葉に耳を傾けることは大切なことだ。しかし監督は必ずと言っていいほど頻繁に、その同じ人物が笑顔で過ごしている場面や、なんでもない日常を過ごしている場面を印象的な形で挿入した。おそらく、意識的にそうした場面をたくさん撮ったのだろう。そういう場面こそ、撮るのが楽しかったのだろう。
その結果、この映画は単なる「同性愛者権利獲得」「ムスリムの偏見粉砕」を目指すためだけの単純で安直なプロパガンダ映画に留まることなく、スクリーンからは、いろんな「豊かなもの」が零れ落ちる映画になっていた。おかげで、観客としては自由に想像力を羽ばたかせることができた。
遠回りのように見えるそうした「無駄なもの」の中にこそ、実は監督が当初、この映画を「撮りたい」と思った魂の「核」が存在していた。その発見の過程が、生き生きと記録されていた。
全作品を観た第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭において、最も心を打たれた作品を挙げるとしたら、躊躇することなく僕はこの作品だと応える。この映画には最も深く「旅」が映っていた。映画作りという旅。人生という旅の豊かさが。→FC2 同性愛Blog Ranking
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