クィア・レインボーパレード福岡02●120人が「祭」を堪能。朝日新聞社会面に大きく掲載!

↑これ、社会面のド真ん中ですよド真ん中!しかも朝日新聞!
「祭」としては動員数日本一を誇る「博多どんたく」の参加団体の一つとして行進するスタイルで、昨年から始まったクィアレインボーパレード福岡。今年は5月4日の夕方17時50分頃から行進が行われたのですが、各地から集まったセクシュアル・マイノリティーとその友人たちが晴れやかな表情を浮かべながら、沿道の数万人の観客に存在をアピールしました。僕は今年、はじめて参加してきました。その模様は例のごとく(笑)映像で収録させてもらいましたので、公開の準備ができ次第、紹介させていただきます。さて今日はその前に、この「画期的な目立ち方」で掲載された朝日新聞の記事を紹介。記事本文も参加者のコメントも、読んでて僕は思わずジーンと来てしまいました。(朝日新聞・西日本版2008年5月5日28面に掲載)
『同性愛 私は恥じない〜博多どんたく 堂々行進』福岡市で繰り広げられた「博多どんたく港まつり」のパレードに4日、同性愛者らの一団が加わった。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル・・・・・・。職場や学校、家族にさえ秘密にしてきた人もいた。これまで差別や好奇の視線にさらされてきたが、この日は堂々と存在をアピールした。誇りを持って生きるために。(古田大輔)
同性愛や性同一性障害など性的少数者のグループだと紹介するアナウンスが流れると、総勢120人の一行は歓声を上げ、笑顔で手を振った。
熊本市の派遣社員斉藤忠明さん(27)は、恋人の男性と手をつないで歩いた。自分がゲイだと意識したのは中学生の頃。友人たちが「ゲイなんて死ねばいい」と冗談交じりに話すのを聞き、誰にも相談できなかった。19歳で、初めて友人に打ち明けた。あからさまに差別する人はいなかった。「身近にゲイがいると知ることで、周りの意識が変わった」
愛知県から来た自治体職員の女性(26)は、福岡市に住む恋人の女性と一緒に参加した。自分がレズビアンであることを周囲には打ち明けていない。それでもパレードに参加したのは、自分に自信を持つためだ。いつか、同性愛者であることを隠さなくてもよい社会になってほしい。「私が好きな人を、誰にでも紹介できるようになりたい」
昨年に続き2回目のパレードを企画したのは、同市天神でバーを営む元満真紀さん(32)。自身もレズビアンで、東京で数千人規模のパレードを体験し、どんたくへの参加を思いついた。
「人にばれるのが怖いから」とパレードに出ず、沿道から見守った同性愛者もいた。差別への恐怖は根強い。元満さんは言う。「人の意識を変えるのは難しいし、おこがましい。でも、私たちが誇りを持って歩く姿が、差別や偏見のない社会をみんなで考えるきっかけになるはず」
元満さんの最後のコメント、いいですねぇ。「人の意識を変えるのは難しいし、おこがましい」 ・・・これ、すごく正直な言葉だと思う。夢見心地な理想論で「人の意識は変えられるはずっ!」とリキんで血眼になって現実の変化の遅さに焦ったりするよりも、こうしたシビアな現実認識を踏まえて冷静に構えてこそ、本当に地に足の着いた活動が展開できるのではないか。そんなことを感じました。
とにかく今回のパレード参加は、いろんな意味で「学ぶことの多い体験」でした。この刺激的な体験を整理しておくという意味でも、このブログにこれから、細かく書きとめておきたいと思っています。→FC2 同性愛Blog Ranking
コメント
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(うちも朝日ですが、"島田雅彦"の連載小説を偶に読み冷笑するだけが楽しみ)
それと『人の意識を変えるのは”おこがましい!”』
こういうコメントが出来る人の存在に感動&尊敬の念を感じました。
こういうコメントは、恐らく(自信無しも)初めてでは?
共感しました。
未だ、ここのブログ完読出来ていませんが、唯一読む価値があるので
Linkを勝手に張らせてもらいますが、宜しく。
僕も参加しました。
僕も参加させていただきました。
これだけの人々が集まれる。仲間がいる。それが、すごく心強かったです。
ただ見物だけ…と思っていたのですが、そこは博多の血が騒いだらしく、
思い切って参加して、Aブロックで歩いていました。
また来年もと思ってます。
変化は苛立たしく遅く、時に後退と感じられる場合も有りますが、長い目でみれば、住みよい世界に変わってきているのでしょう。
少なくとも、有無を言わせず望まない生き方を強制される度合いは、減ってきているように思えます。(違った生き方でも、とりあえず黙認される。或いは、自力で変えられる範囲が広がってきている。等)
●FeliscutusverXさん。
こうしたマスコミ手配を、そつなくこなしていた実行委員会の手腕がスゴイと思います。
●Kaさん。
●神村里樹さん。
●tonkumaさん。
ただ、まだまだ一人一人の個別の問題に目を凝らしてみると、住んでいる地域や家庭環境・職場・学校での立場などによっては、自分を押し殺さざるを得ない人たちが、少なからず居るだろうことは想像できます。
大局的な変化が徐々に進んでいることを意識するのと同時に、そうした分析的な視点からは取りこぼされる部分に目を向けて行くことが、まだ必要な段階にあるのではないかと思っています。
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