たかがテレビ044●予定調和は旧来の価値観を補強するだけ。創造性の欠片も無い

12日(土)に放送された「化粧をしない女の子の話@女子大生モデルの生き方」は、予定調和な雰囲気がバリバリに漂っていたことを感じ、僕は見ていてフラストレーションが溜まりました(爆)。登場した「化粧をしない女の子」は化粧を「しない」だけであって、「したくない」わけではなかったんですよね。だから可愛いモデルさんが目の前にやってきてメイクの方法を教えてくれたり、カリスマ美容師のいる美容院に連れて行って髪をおしゃれにカットしてくれたり、至れり尽くせりのサービスを受けさせてくれたのですから・・・そりゃあ喜んで染まって行くでしょうねぇ(爆)。かくして彼女は、いわゆる「女の子の世界」であるキラキラした可愛いものを身に纏っていくことに対して、なんの躊躇も無く踏み入って行くことになったのでした。
でも今回の設定、そもそもが不公平ではないかと感じました。だって「新しい世界」を教えるのは一方的に「女子大生モデル」の側からであり、「化粧をしない女の子」の日常の世界観とか、自称「オタク」であるという彼女の趣味の世界のことには大して触れられずに番組は進んでしまったんです。
もしも個人と個人の出会いを「対等に」描きたいのなら、「女子大生モデル」の側も「オタク体験」をしてみるべきだし、「化粧をしない女の子」の気持ちを味わうために、スッピンになって渋谷の街を歩いてみたりしなくちゃ。「化粧をしないって、こんなに楽なんだ~」と感じるかもしれないし、「化粧をしないで女の子が街を歩くって、逆に世間の視線が気になってしまうことなんだ~」とか、別の角度からの発見があるかもしれないじゃないですか。両方試してみて、その上で「やっぱり化粧をすることって楽しいよね~」という考えに到達するのならばわかりますよ。ところが「女子大生モデル」の側は自分の世界観を崩すことなく、まず「女の子ならば化粧をすることありき」で番組が進行したのが、どうも納得できませんでした(爆)。
さらに、女子大生モデルの側はMtFトランスジェンダーであり、そりゃあ人生経験を語らせたら物語的な強度が圧倒的に強いことは明白でしょう。「女の身体で生まれなくても『女の子であること』を求めて自分の努力で獲得している人がいるのに、どうして女の身体で生まれたあなたが、それを楽しまないの?」という主張が、モデルという彼女のルックスを伴って展開されれば説得力を持ちやすいことは、企画の段階から想定できてしまいます。・・・う~ん、これぞ予定調和(笑)。
番組を見ていて、どうも僕は気持ちが悪くてなりませんでした。まるで女の子には「女の子の世界」っていう「同化」「同調」しなければならない世界があって、そこに入って行けない感性を持っていたら「おかしなこと」なんだ。「もったいないこと」なんだという圧力に満ちていると感じたからです。表現された映像から、番組の制作スタッフがその「根本の部分」には疑問を感じない種類の人たちなんだろうなぁと感じ、とても狭量な価値観によって制作されている番組であるように感じました。(だからといって出演者二人の個性を否定するわけではありません。僕は番組の「企画」「構成」「表現方法」を問題にしています。)
この番組のコンセプトである「現実には知り合うことのあり得ない“対極”の若者2人 の出会い」を本当に遂行したいのならば、登場する若者どちらの世界観もちゃんと尊重するべきだし、そういう観点から「出会いの組み合わせ」を考えるべきではないかと思うのですが。現在のスタイルでは、どうも片方の世界観ばかりが強すぎて、結局は「若者だったらこうあるべきだ」という企画者側のイデオロギーが先行する番組になってしまいがちで、面白くはならないのではないかと思います。今回の場合、まるで出演者たちがカメラの前で「企画どおりに」単純な物語を演じさせられているかのようにも見え、痛々しくも感じられました。人間ってこんなに単純ではないはずです。→FC2 同性愛Blog Ranking
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