春日亮二さんの訃報で気付く「コミュニティー」意識

→訃報、春日亮ニ氏 (JapanGayNews(ゲイの最新ニュース)#1201)
僕が、はじめて春日さんの存在を意識したのは今年の2月に新木場・夢の島でのゲイ・バッシング追悼の献花に出掛ける際、ネットで調べ物をした時です。2003年に行われたという追悼式でギターを弾いたという春日さんの写真が載っていました。
→「GB新木場事件三ヶ年を考える集い&交流会」レポート
その後、パートナーの方と方々で活動を御一緒する機会があったり、石坂わたるさんの選挙の直後の4月30日にaktaで行われた「おつかれさま!石坂わたる君」の際に、スタジオ・スタッグからビールの差し入れがあったりしました。尾辻かな子さんの選挙の際にも、事務所で出会う人との会話に、春日さんの名前が何度も出てきたりしました。
僕個人とは、そんな感じで間接的なつながりしかなかったのですが…なぜでしょう。今回の訃報は他人事とは思えず、悲しみを覚えるのです。だからこうして記事を書いています。「コミュニティー」とは実体として目に見える形であるものなのではなく「感情共同体」としてあるものなのかもしれない。強固な形で固定しているわけではない分だけ、意識的に繋がりあって行かなければ育まれるものではない。そんなことを感じました。
今はもうネット上にはなくなってしまった尾辻かな子さんのサポーターサイト「OK!」に、春日亮二さんはコメントを寄せていました。キャッシュでかろうじて残っていたので、ここに掲載させていただきます。
「行動者」ならではの経験に裏打ちされたコメントだな、と思いました。この言葉、後に続く者たちの多くを、励まし続けるものだと思います。→FC2 同性愛Blog Ranking国政へのチャレンジ、気持の上ではとても応援しています。なにかアクション、お手伝いができればいいのですが、鬱病のため療養しているので、HP製作以外はなかなか難しいのですが、ぜひ国会にLBGTの声を届けて欲しいと思います。
LBGTが目立つと、辛いのが、LBGT以外の方からの誹謗中傷よりも、LBGTの中からの誹謗中傷であると僕も実感していました。ぜひ、応援している人の顔を思い浮かべながら頑張って下さい。
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ガンヘッドBBSやラヴィンの元会員です。
十数年のひきこもりから復帰しようとあがきつつ、ゲイ関係のサイトを見て回り始めたら、がんすけさん亡くなられたというこの記事を見つけました…。
12年前に2丁目で飲んでたときに見かけたあの姿が最後になってしまいました。
当時、がんすけさんが作ったネットのおかげで知り合いができたり、人の繋がりが広がっていったことは忘れられないし感謝しきれません。
今更だけど…がんすけさん、ありがとう。
十数年のひきこもりから復帰しようとあがきつつ、ゲイ関係のサイトを見て回り始めたら、がんすけさん亡くなられたというこの記事を見つけました…。
12年前に2丁目で飲んでたときに見かけたあの姿が最後になってしまいました。
当時、がんすけさんが作ったネットのおかげで知り合いができたり、人の繋がりが広がっていったことは忘れられないし感謝しきれません。
今更だけど…がんすけさん、ありがとう。
●JOKERさん。
僕は、パレードとかに行きはじめたのが2006年からなので春日亮二さんが活躍されていた頃のこととか「ガンヘッドBBS」のこととか、あまり知らないんです。面識もありません。でも、ネット普及の初期段階から、かなり先駆的な活動を行っていたという話は、耳にすることが多かったです。
春日さんに関する資料は、いくつか残っていたりするので今となってはそういうものを見て「記録」の中から知ることしか出来ません。
春日さんに関する資料は、いくつか残っていたりするので今となってはそういうものを見て「記録」の中から知ることしか出来ません。
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夜明けまえ~追悼:春日亮二(1969-2007)
春日亮二さん〔1969-2007〕「夜明けまえ」~追悼文~(Take) ―――ゲイの企業家であった春日亮二さん(1969-2007)は、1990年代初頭から、同性愛者向けのインターネット・サービスや音楽の分野で活躍される一方で、常にコミュニティ活動にも共感を抱いていました。2000年