フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2017-07
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「クイア」ってなんなのさ011●学会設立プレ・トーク。もっと「開く」のかと思ってたのに

 今日、「クイア学会」のプレ・トーク 『クイアって何?~学会立ち上げプレトーク』に参加してきた。早稲田のパフスペースは60名を超える入場者であふれかえって席が足りず、立ち見の方もいるほどの大盛況。いったいどういう人々が集まったのかと思いきや、どうやらほとんどは「クイア学会」の立ち上げに関わっている関係者や、その友人たちだったらしい。

 なぜそれがわかったのかと言うと、僕のような「学会」とか「大学」というものとは無関係な者にはわからない空気感というか、ある種独特の「仲間内だけに通じる不文律」を共有する者たちの発するオーラで満たされていたからだ。学術的な専門用語も端々で使われ「えっ、今のわかりにくい」と思ってしまう僕のような者は、話の流れからしょっちゅう意識が逸脱してしまった。周りを見渡すと、ちゃんと付いて行っている人たちが多いようなのだ。大学関係者にしかわからない内部事情で笑いが起こったりする。しかし、それの「なにが笑うべきことなのか」が僕にはわからない。トークの端々に、そういった「閉鎖性」を感じた。

 その一因は、司会とパネリストが全員「大学で教職に就いている人たちのみ」だったことにあるのだろう。そして、ふだん顔をつき合わせている仲間たちが観客として取り囲んでいたことも、そうした空気を増幅させていたのだろう。しかし、これでは「大学」だとか「学会」の内部事情だとか空気感に馴染みのない門外漢との対話が、生まれにくくはないだろうか?

 従来、孤立しがちだったり色眼鏡で見られがちだった研究者たちのために、ネットワークを作ること。それはとても意義のあることだ。しかし今のところ「ある特殊な職場内の互助組合が出来る」という程度のビジョンしか見えていないのではないかと思う。

 「場」を作るのは結構。しかし立ち上げ人たちの思い描いている「場」の広さは今のところ、「大学」という柵の内に留まっているのではないか?。柵の外の広大で複雑怪奇な現実世界で、毎日労働に汗を流して日常を生きている大多数の人々の生活実感の中に届く言葉は、その程度のビジョンで生み出されるのだろうか?

 10月27日に行われるという「設立総会」では是非、趣意書に謳っている次の一文について再考した上での議論が交わされることを期待したい。

「学術研究者にとどまらず多様な社会・文化活動に従事する人びとが広く知見の共有や意見の交換をおこなう場を提供する。」

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コメント

この記事へのコメント

ありがとうございます

昨日はどうもありがとうございます。
司会を担当いたしました清水です。

司会をしながら、研究業界の用語が多くなりすぎていないか、研究/教育業界(学生を含め)以外からの参加者の方に参加いただけているのか、気をつけていたつもりではあったのですが、全くもっていたらなかったようです。申し訳ありません。

参加者のほとんどが呼びかけ人の知人だったのかどうかは、私にはわかりません。呼びかけ人の中の誰かとの個人的な知人、という方は確かにいらしたと思いますが、それは、呼びかけ人の中にもそれなりの経験とネットワークとをコミュニティの中で築いてきている人がいる以上、避けがたいことでもあります。
けれども、知人/関係者が多数であるかどうかとは別に、現実にその場で閉鎖的な「仲間内感」が形成されてしまっていたとすれば、それは端的に司会をした私の認識不足であり、力不足であることは、間違いありません。そのために発言や対話のしにくい空気になってしまっていたという御指摘については、お詫び申し上げます。

そのような閉鎖性について、「言ってくれなくちゃわからないよ」と言うのは常に非常に権威的でもあり暴力的でもあるのは事実なのですが、同時に、指摘を受けて遅まきながらようやく問題を認識するという場合があるのもまた、事実です。イベントへの早急なレスポンスと率直な御批判に、感謝申し上げます。

この学会が今後どのような「場」になっていくのか、それを決めるのは私個人ではもちろんなく、呼びかけ人ですらなく、学会に参加して下さる方たちの総意だと、私は考えています。
ただ、私個人としては、呼びかけ人の一人であり、そして研究/教育業界で働く人間の一人として、学会という「場」を実際に「開く」ためにどうすれば良いのか、あらためて考えていきたいと存じます。

●清水晶子さん。

コメントありがとうございます。そして昨日はおつかれさまでした。

僕は今回の学会設立について、並々ならぬ関心を持っています。だから昨日のプレトークに対しても勝手な「期待」を抱きすぎていたのかもしれません(笑)。こういうことは、あの場で言えればよかったのですが、なんとな~く感じたモヤモヤした気持ちを自分の中で言語化できたのが帰宅してからだったので、思わずブログに書いてしまいました。今、読み返すとちょっと感情的だったかもしれません。失礼しました。

実はこのコメント欄に一番最初に「非公開コメント」をくれたのは、このブログの古くからの読者で、たま~に辛口コメントで上手に叱ってくれる人なのですが、僕にとって戒めになったので、その一部を引用紹介させていただきます。(いいよねRさん。僕は公開で書かれても構わなかったよ。爆)

「学会を違うことに置き換えてみて、自分が今までコミットしてきた活動はどうだったかをちょっと振り返ってみる。そういうことの積み重ねがまた新しい地平を拓くんじゃないかな。老婆心ながら、笑」

↑・・・「あちゃ~っ」て感じでした(笑)。

僕もここ最近、自分が学会プレトークに対して批判したのと同じようなことを常に言われやすい活動に関わっているので、すごく気持ちがわかります。自分たちでは「開いている」つもりなのに、なかなか難しい。原因は自分たちに、もちろんある。それと同時に、「あんたら閉じてるよ」と指摘してくる人たちの抱えている先入観とかステレオタイプとの戦いかもしれないわけで。

つまり原因は双方にあるものだと思います。

昨日のトークでも「アクティビズムの人たちは性急に答えをだしたがる」云々といったような言葉が「アカデミズム側」との比較で出されたりしていましたが、「へ~。そういう風に言われるのか、僕が関わっている活動って」と新鮮に感じたりしました。そして、個人的にはそこらへんをもっと突っ込んで考えてみたいと、思ったりしました。

これまでは、そうやって「異分野」だとか「別のフィールド」なんだと思い込み、なかなか真の意味で顔をつき合わせて交流しようだとか場を設けようだとかをして来なかったのでしょうね。

僕はこの「クイア学会設立」という情報を知ったときに、勝手ながら「そこらへんが交われる場になるのかな?」という期待をしたんだと思います。でもこの期待は、期待を抱いた者が主体的に関わって行かなければ現実のものとはならない。

昨日のトークで、そのことを悟りました。

これからもよろしくお願いします。

ありがとうございます。

異なるフィールド間の交流はいつも難しいものだと思います。けれども同時に、大学という制度に所属せずに研究や思考を続けている方や大学に所属すると同時にさまざまな社会的/文化的な活動にかかわりつづけている方が数多くいらっしゃって、いくつもの分野がすでに交錯しているのが、クィア・スタディーズをめぐる状況であるとも、私は思っています。

その「すでに入り交じっている状況」をなるべく丁寧に、なるべく断ち切らないように受け継いでいく努力をしていくことが必要なのかな、と。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。
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