【緊急公開】『しみじみと歩いてる』出演者の綾さんが会社に辞表を提出し受理されました。事情と心境を聞きました #zkdf

2月19日(土)から21日(月)まで、かなり強行軍ではありますが関西に撮影に出かけてきました。
最近、かなりの時間を費やし関わっている「石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会」のミーティングが無かったというのも理由ですが、もう一つ。先週の初頭に、『しみじみと歩いてる』の出演者としてお馴染みMtFトランスジェンダーの綾さんから電話があり、かねてより懸念されていた「会社で『男』として働き続けなければならないこと」へのフラストレーションがかなり溜まっていることを、(口調は明るいものの)伝えてきたのです。
僕が忙しいことを配慮しつつも、その明るい声の裏には「無理してでも来て欲しい」という叫びが含まれているように僕には感じられました。そこで、行ってきました。
綾さんは既に会社に18日(金)の時点で辞表を提出していました。その当日は上司に留め置かれたとのことですが、「月曜にまた改めて話す」ということになっているとのこと。そのタイミングで行ったインタビューを緊急に公開します。綾さんから「お願いだから今、公開して私のことを知らせて」と言われたということもありますし、僕も今、このブログを通して綾さんのことを知っている方に、どうしても知らせたいことなので、映画にするつもりで撮影している素材映像ではありますが、公開させていただきます。
●綾さんインタビュー「会社に辞表提出の理由」(前)
●綾さんインタビュー「会社に辞表提出の理由」(後)
この直後に開催したトランスカフェAYAでは『しみじみと歩いてる』の上映後に、急遽綾さんと僕のトークを開催させてもらいました。このことをお客さんに向かって語ることで、いろんな人の意見を聞いて欲しいなぁと思ったからです。
そしてこのインタビュー収録の翌日である2月21日(月)。綾さんの辞表は会社側に受理されました。就業規則があるため数ヶ月働いたのちの退職ということになるようですが、次の職はまったく決まっていません。
体力的にも精神的にも限界を感じたという綾さんは、「次」の道を本気で探ることを選択しました。映像を御覧になり、もし綾さんにアドバイス等がありましたら、お送りくださると幸いです。
◆綾さんのTwitter
◆綾さんに直接、情報提供お願いします:メールを以下アドレスまで。
dpakt423@kawachi.zaq.ne.jp
◆綾さんのブログでの心境告白
→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
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石坂わたるさん中野区政へのチャレンジ045●事務所開きで2011年の活動本格化

1月14日に開催されたイベント「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」ではズバリ都知事の問題点を指摘し会場から大きな拍手を受けていた石坂わたるさん。いよいよ4月に向けて中野区政への挑戦が始まります。
2月19日(土)、「石坂わたると多様性のある中野をつくる会」が事務所開きを行いました。場所は中野区にある「カサデオリーバ」の1階。カサデオリーバと言えば当ブログでは2009年の「やっぱ愛ダホ!」において「社会の中で、つながるということ」のトーク会場として使用させていただいた場所として憶えていらっしゃる方もいるかと思います。障害者の就労・自立支援の作業場として使われている場所なのですが、その下の階が、この春、石坂わたるさんが中野区政に挑戦する際の事務所になります。
当日13時からは、支援者に囲まれる中、事務所前で「第一声」を行った石坂わたるさん。厳しい寒さの中だったにも関わらず、堂々と自身の抱負を語る姿を撮りながら、4年前と大きく変わった石坂さんの姿に圧倒されました。
●石坂わたるさん事務所開き「中野区政挑戦に向けて」(前)
●石坂わたるさん事務所開き「中野区政挑戦に向けて」(後)
僕は2007年に石坂さんが初めて中野区政に挑戦したときにも、数多くの撮影をさせていただきYouTubeに公開したということもあり、どうしても当時の記憶と比較しながら見てしまうわけですが、本当に「いい意味で」石坂さんが変わったことに気付きました。
まず、語る言葉に具体性があり「何をやって行きたいのか」が見えるし、着実に一つ一つ、地道に石坂さんはやって行くのだろうと思えるのです。
おそらく石坂わたるさんの言葉に説得力を持たせているものは、この4年間地域に密着した福祉等の現場で、社会的な弱者とされてしまう人たちや少数者に寄り添い共に生きるための活動を積み重ねてきた毎日にあるのだろうと思われます。しかも、それが本人にとっての「喜び」なのだということが伝わってくるスピーチ。その「本物ぶり」に圧倒されました。
言葉に「言霊が宿る」とは、こういうことを言うのかと学ばせてもらった気分です。こういう人にこそ、行政の現場で大活躍してほしいと心から思いました。東京近郊の皆さんはぜひ一度、石坂わたるさんの話すことを直接、聴きにでかけてみてください。→FC2 同性愛 Blog Ranking
【石坂わたるさんニュース】
◆最新情報はご本人のTwitterで。
◆ボランティア随時募集中。連絡先TEL・FAX:03-6304-8758
◆E-mail:09wishizaka@mbr.nifty.com
【トークイベント開催】
福祉トーク「安心して暮らすための福祉のしくみ」
3月9日(水)14:00~16:00 中野勤労福祉会館3階会議室2
3月12日(土)10:00~12:00 スマイルなかの3階A・B会議室
3月15日(火)10:00~12;00 沼袋地域センター洋室1号
話し手;石坂わたる(行政書士・専門学校講師)、佐藤ひろこ(中野区議・厚生委員)

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
歌川たいじさん新宿区政への挑戦01●初インタビュー映像公開。「挑戦の動機」を中心に伺いました。

すでにご存知の方も多いと思いますが、歌川たいじさんがこの春、新宿区政にチャレンジします。そこで初挑戦にあたっての抱負を伺いたく思いまして、21日(月)に新宿区にあるパフスペースにて、インタビューを収録しました。
「ALL ABOUT同性愛」ガイドを8年間務めた後、漫画作家に転進してブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」を大人気ブログに成長させ、『じりラブ』を発売して大ヒット。昨年末には自主出版で『ツレちゃんに逢いたい』を発売し増刷を繰り返すなど、数々の実績を持つ歌川さん。1月14日には「石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会」主催のイベントでゲイの近代史を語ってくださったことも記憶に新しいところです。
その歌川さんがこの春、なぜ新宿区政に挑戦するのか。詳しく質問させていただきました。
●歌川たいじさんインタビュー●新宿区政への挑戦について(前)
●歌川たいじさんインタビュー●新宿区政への挑戦について(後)
僕、なにを隠そう新宿区民なので(笑)自分の票を誰に投じるべきか、じっくりゆっくり考えていこうと思っています。歌川さんはもちろん有力候補の一人ということで、今後も素人目線からいろいろ質問しながら、自分が住んでいる地域に、もっと目を向けて詳しくなる機会にしたいとも思います。→FC2 同性愛 Blog Ranking
◆歌川たいじ・新宿から明日を拓くネットワーク
◆君のままでいい.jp
◆歌川たいじさんTwitter

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
石原都知事の同性愛者差別発言を受けて27●歌川泰司さんによる「ゲイの近代史」(文字起こし付き) #ishihara_kougi

1月14日(金)開催「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」の映像公開第9弾。
第二部の冒頭では、歌川泰司さんが「ゲイの近代史」を画像スライド付きで語りました。性的マイノリティのことを全く知らない方でもわかるようにと言葉を噛み砕いて語られていたのが印象的でした。
なおこの「ゲイの近代史」は、歌川さんがブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」を通じて自主出版・販売している『ツレちゃんに逢いたい』にも同様の内容のものが掲載されています。映像の中のトークでも語っていますが、『ツレちゃんに逢いたい』は本当にオススメです。同書を読みながら僕は、いつの間にか嗚咽していました。そして、こうした本が今、増刷を繰り返すほどに自主出版で売れているという事実に希望を感じます。
★文字起こし作業協力 Very Thanks!:石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会メンバー
●ゲイの近代史1 歌川泰司さん
●ゲイの近代史2 歌川泰司さん
■YOUTUBE「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」PLAYLIST
島田暁(司会)
はい。それでは、ただ今より第二部、男のペア女のペアという石原都知事の発言にかけまして、そういうタイトルつけてしまったんですけれども、「同居生活喜怒哀楽」と申しまして、ゲイカップル、レズビアンカップルとしての同居生活で感じる喜怒哀楽を、それぞれの人生経験や仕事をからめながら語り合う、クロストークを行っていただきます。
それではまず最初に、ゲストの歌川泰司さんのほうから、ちょっと映写しながらお話ししたいということがありますので、ぜひお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
歌川泰司

男同士、女同士、の同居カップルのクロストークというテーマで、同居カップルを実際にお呼びしてクロストークを行いたいと思っておりますが、その前にちょっと。
わたくし実はマンガを描いているんですが、この前発売致しましたマンガで、ゲイのパートナーシップみたいなことが、昭和60年代からどんなふうに全然育たなくて、あるきっかけでどんなふうに育つようになって、今どんな位置にいるのかな?みたいなことを、さらっとプレゼンテーションさせていただいてからですね、クロストークのほうに移ってまいりたいと思います。大丈夫です、すぐ終わります。
1●ミュージカル ゲイの近代史
ここに『ミュージカル ゲイの近代史』と書いておりますが、なぜミュージカルかというと、わたくしがマンガ誌上でミュージカルをやりたかったからなんですね。バカでしょ?

2●60年代 夢の高度成長期
1960年代。私が生まれたのは1960年代ですが、それよりも年下の方もいらっしゃれば年上の方もいらっしゃると思うんですけれども、約40年から50年前ですね、日本は高度成長期の中にあって、「おぅモウレツー!」とかですね、スースースーダララッタ♪とか、そんな夢いっぱいの、「これからどんどん成長していくんだぞ」みたいな、「隣のお宅がカラーテレビを買ったからうちも買いましょう!」みたいな、「カラーテレビがあったらうちは幸せよー!みたいな」、そんな夢いっぱいの時代でしたが、ゲイの人たちは・・・ゲイという概念が当時あったかどうかはちょっとわからないんですけれども、ゲイの人たちは、「なにも自分たちにとってプラスの情報がない」という、そういった状況でした。
親に「男が好き」なんてことがバレたら、母は泣く、父は吼える、本人はちょっと「もう死のうかな」とか考えちゃう、そんなような状況で、もちろん当時はネットもありません。ゲイ雑誌すらありません。聞こえてくるのはネガティブな情報ばっかりですよね。そんな中で自分を受け入れられるはずもなく、つらい日々を過ごしていたということですね。

3●人目を忍んで出会う
だいたい当時は、わりと似たような苦労というか、経済的にも日本国民総体がですね、あまり格差がなくて、似たような苦労をしていましたが、ゲイピープルも似たような苦労をしていました。親に「結婚しないのか?」と迫られる、「家督を継ぐおまえが何やってんだ!」みたいな。そんなようなことでして、しょぼしょぼと、「どうしても自分は女性とは…」という人は、なんとかのらりくらりと逃げなきゃいけなかった。ちょっとは大丈夫なんじゃないかなみたいな人は、無理くり結婚してですね、無理くり子ども作って、そういった人たちがたくさんいたわけですね。
メディア的なもので何も繋がれない人たちが、何をしたかというと、「公園のトイレ」というメディアを発明します。これ申し合わせたようにですね、世界中にあるんですね。日本だけじゃないんです。私いろんな国に行くと、ゲイが出没しそうなところに行くんですけれども、必ずトイレには、「あ、昔ココで事が起こったな」という、そんなような痕跡だのなんだのを発見しますので、コレ世界中にあります。どれだけ世界中でゲイの人たちが、大手を振って恋ができなかったか、相手が見つからなかったか、それを如実に物語っているんじゃないかなと思っております。

4●出会いの場は夜中のトイレ
公園のトイレというものを発見した人はですね、「ここに来たら仲間に会えるしエッチもできるんだ!」と、「夢に見たエッチ」・・・、そんなことで公園に夜な夜な集まってですね、それしか道がなかったんですね。

当時はゲイバーなんていうのも恐ろしくていけないようなところだったし、身近な近所の公園だったり「そういった人たちが来るよ」という噂も耳にした公園だったり、そういったものに集まって、とりあえずセックスの問題だけは解消していたというところですね。

5●初のメジャー社交場は日比谷公園のトイレ
これが一番有名な、日本の「そういった」トイレです。どこでしょう?日比谷公園のトイレですね。現物を見せちゃってすみません。このトイレですね、今もうありません。一昨年前に撤去されました。それまではその当時ここで出会いを重ねてきた人たちがまだ現役で頑張っていました。それが今もうありません。別にやりなさいといっているわけじゃないんですけれども、とりあえず今はありません。

ここに「用便以外の利用・立ち入りを禁ずる」とわざわざ書いてあります。わざわざ書かなきゃいけないくらいに、それ以外の理由で使われていたんでしょうね。

落書きなんかも残っております。ホモ(男)大好きな26才までの・・・ほげほげ・・・167cm、85k・・・。ちょっとガチムチですね。当時はですね、電話番号なんかぺろーなんて教えちゃうと、こんなところに書かれちゃったりするみたいな、そういった関係性みたいなことっていうのがとてもじゃないけど作れなかった。そういった状況にみんながいたということですね。それは強く、忘れちゃいけないかなというふうに思っておりますけれども。

6●関係性を育てるのは難しかった
「また会いたい。連絡先を教えてくれない?」っていわれても、「後で恐喝する気か?」みたいなことで、関係性みたいなものはとてもじゃないけど作れない。こういった場面が当時、僕は当時子どもだったんであれなんですけれども、当時ご活躍になっていた人の話では、そういった感じですね。

7●それでもつながりたい
「それでもつながりたい!」「それでもなんとか仲間とつながりたい!」「男の子が好きだーという気持ちを誰かと共有したい!」そんな気持ちから作った、本当にアングラなんですけれども、こういった同人誌を作って発行している人もいました。このタイトルの明朝体なんかもたぶん手書きだと思うし、この絵や文字なんかもテンプレートかなんか使って手書きでやって、ガリ版で刷ったんだと思うんですけれども、この絵なんかもね、ちょっと細かいところはみ出したりなんかしてますが、これを見たときやっぱり私、「いとおしい」と思いましたね。自分が普段ね、twitterでも何でも今ゲイバナしようと思えばできちゃうんだけれども、当時はできなかった。それをなんとかしてやりたいという気持ちがここからすべてに表れている。絵なんかうまくないんだけど、技術なんかないんだけど、とにかくやりたいんだという気持ちがここに表れているんじゃないかと思っています。

8●アメリカの状況はもっと難しかった
アメリカはもっと大変でした。アメリカはゲイ同士で集まったり、ゲイバーが政治家の点数稼ぎとかで摘発されちゃうと、みんな逮捕されちゃうんですよね。逮捕されそうになって、「お願いです。見逃してください」ってお巡りさんに言って、「ケツを蹴っ飛ばさせたら見逃してやるよ」とかいって、「はい。蹴っ飛ばしてください」みたいな。プライドもへったくれもありませんね。圧政といってもいいんじゃないかと思うんですけれども、アメリカはそういう目にあっていました。
1969年。有名なストーンウォール事件。ある時ですね、摘発に対して、最初に反発したのはレズビアン。女性は勇敢ですね。ふざけんな!といい始めた、と。蹴っ飛ばし始めた、と。そこから、捨て身のレズビアンの一人から、一派が万波となり、ちょっと暴動になったんですけれども、これ本物の当時の写真です。そして、世界中のニュースになったわけですね。初めて自分たちの権利を主張しようとしてLGBTが立ち上がった、そういった瞬間でした。

9●70年代 新宿2丁目
そして70年代に入ります。70年代に入りますと新宿2丁目というものがゲイタウンとしてだんだん定着していきますね。この人たちの衣装なんですけれど、これミュージカルだから着てるんですけど、当時本当にこういう格好した人たちがけっこういたんです。今の2丁目歩いてる人とはまったくちょっと違う感じで、すごいギラギラしたお姉さんがいっぱいいましたですね。そして行儀作法にとてもうるさかった。そんな印象の新宿2丁目でした。

10●70年代の男アイコン
当時アイコンとなった男の子たち。これは三浦友和くんですけれども、頭七三ですね。そしてママチャリに乗ってますね。それでも、ゲイからはとっても人気があったんです。そして、ノンケ女子から人気があったのはジュリー!みたいな。そういう人たちが活躍してた時代ですね。

11●ゲイ自身のゲイフォビアを垣間見る場所
新宿2丁目ができた。バンザーイ。「これからもう僕ら大手を振って新宿2丁目で青春を謳歌してやる!」、そんなふうになったか?なりませんでした。とにかく、自分を受け入れるということがまだ当時はできていなかった。ゲイ自身がね。ということは、一緒に2丁目に来ているゲイのこともやっぱり受け入れられない。「なんだとこのオカマ!」「アンタこそオカマじゃないの!」みたいな、そんなゲイフォビアにすごく色濃く影響されたやりとりが、繰り広げられることが多かったということですね。
それでも、無いよりはマシなんですよ。無いよりはマシなんですけれども、まだまだゲイたちが「関係性」みたいなものを作り上げていこうじゃないか、そういったところに辿り着くまで、個人個人は違いますよ、全体から見たらそういった印象をよく受けがちだった。「2丁目に来てるのがバレたら、やっぱり、自殺ものよ」みたいな、そんなこんなで、過ごしてきたわけですね。

12●ハッテン旅館
これ真偽のほどが定かじゃないんですけれども、当時のハッテン旅館の第1号の建物がこれだという説があるんですが、要は、公園でしてたこととそう変わらずですね、ゲイがゲイに対して、期待できるものっていうのは、セックス以外その当時は期待ができなかった、関係性を作っていくっていう素地がなかった。世間にもなかったし、自分の中にもなかった。世間と自分が関連しあって、やっぱり持てないという、そういった状況だったわけなんですね。

13●つきまとう「暗い現実」イメージ
『新宿2丁目曲がり角』という歌が出てました。牧陽子さん。カップリングは陽子の辛み節。歌詞がスゴイんです。
何があったの!?。この陽子という名前はなぜついてるの!?みたいな。そんなイメージで、やっぱり2丁目は、暗い場末だなっていうイメージがあったわけなんですよね。ツキを落とした女には 野良犬ばっかりつきまとう
新宿2丁目暗い路地 私はいつも曲がり角

14●薔薇族が創刊
そしてストーンウォール事件の3年後、『薔薇族』が創刊されます。これ創刊号です。初めてゲイのメディアっていうのがこの世の中に登場しました。これは全国誌としてゲイの人たちに買われていきまして、ゲイメディアとして、ゲイがつながりあうっていうひとつのきっかけとなったものですね。

15●アメリカではゲイリブが成長
そして70年代はハーヴィ・ミルク氏の暗殺事件がありました。さきほど、石川大我さんがハーヴィ・ミルクのことをご紹介していらっしゃいましたけれども、ハーヴィ・ミルクがゲイのリベレーションのために闘って、市議となって、そして暗殺されたという事件がありましたね。ここから、アメリカのゲイリベレーション運動が急速に進んでいきます。世界各地でパレードが行われるようになった。そしてデモ行進も行われるようになった。権利を主張し始めたわけですね。そんなこんなで、アメリカは急激に姿を変えて行った。

16●80年代 ゲイが注目を集める
そして80年代。私にとって80年代といえば聖子ちゃんですが、この当時メディアで、日本でもゲイが大変に注目を浴び始めた年代でしたね。映画『モーリス』なんかもやりました。見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
あと『同窓会』ですね。日本のテレビドラマでもゲイが登場して、ゲイがノンケのことをおかす、という。どう考えてもムリだろそれ!?みたいな、そんなドラマが作られたりもしました。ゲイっていうものが、世間の中で認識され始めたんだなという印象をゲイたちも抱いたんだと思います。
ただですね、残念なことに、両方とも展開がすごく「やおい」っぽいんですね。なのでゲイ本人が自分の生活とか、自分の立ち位置みたいなものに照らし合わせて、希望を持っていく、関係性を作っていこうじゃないかっていう、そういった希望を持っていくっていうところには至らなかった。80年代、特に前半に関しては、そういう感じじゃないかなと思います。
この当時からですね、伝言ダイヤルというものが登場しましてですね、ゲイたちは2丁目に行かなくても、電話線で繋がれるというところになりまして。伝言ダイアルを通して、出会いが盛んに行われたんですけれども、あと他に、薔薇族なんかで通信欄というものがありまして。今なんかね、ネットで、メールでもtwitterでも、Grinderでも、すぐにぱっとその場で、「どこにいるのー?」なんていって繋がれますけれども、その当時は、薔薇族にまず募集投稿をしてですね、そして掲載されるまで待って、そこにお手紙が来るまで待って、回送されてくるまで待って、そして手紙のやり取りをしてから会っていた、という感じなんですけれども。
その投稿には、いろんな自分の希望、年上がいいとか、年下がいいとか、いろいろ書いてあったんですけれども、そこに書いてあるのが、けっこう「2丁目×」「2丁目の方はご遠慮ください」「おネエっぽい方は勘弁」とか。「何がおネエは勘弁よ。アンタもおネエのくせにー」とかみんな読んで言ってたんですけれども、その中にもちょっとゲイフォビアみたいなものが色濃く反映されていたんじゃないかなと思っています。

20●80年代 なんだかんだいって主役はハッテンバ
でもなんだかんだ言って、主流はハッテンバだったんですね。ゲイたちがどこで出会ってるかというと。やっぱりこの当時になってもまだ、セックスというもの以外にはあまり期待が持てなかった。期待を持つだけの情報もなかったし、そういった時期がきていなかったということですかね。

21●90年代 パートナーシップへの希望を持ち始める
そして、90年代に入ります。90年代になると、アメリカで急速に進んだゲイスタディがですね、日本にも輸入されてきました。そこで、ここに伏見憲明さん、ここに大塚隆史さん、ちょっとここに嫌がらせのようにバカみたいな写真を載せてみましたけれども。そして、伊藤悟さんですね。こういった方々が、初めて僕たちに対して、「キミたちそのままでいいんですよ。OKなんですよ。男同士でもいいじゃないですか。付き合っていきましょうよ」そういうメッセージを初めて発信してくれ始めた。
僕なんかもそうでしたけれども、それまで「ゲイフォビアのフォビ子」みたいな感じでしたけれども、初めて「あ!なんかこういうのいいんだって言ってくれる人がいる」っていうことで、そこから自分自身が急速に変わっていけたんじゃないかなと思っています。そして90年代から今に至るまで、パートナーシップっていうものをやってみようじゃないかという、ゲイや、レズビアンもそうですけれども、たくさん出て来てですね、初めてここで現実的な問題にぶち当たり始めたんじゃないかなと思っています。

22●00年代 現実的な問題と向き合う
これはクィア・ジャパン・リターンズ(QJr)ですけれども。雑誌もようやくスタートラインについたんじゃないかなというような、老後の問題だったり、生活の問題だったり、また恋の問題だったり、それから、私もいろいろゲイカップルの友達はいっぱいいますけれども、どこまでが浮気のラインかお互い全然違うとかね、今まで話し合ってもこなかったようなところでぶつかって別れたり、長続きさせるのはそれなりに大変ということをお互いかみしめながらですね、なんとか二人というのを続けていこうじゃないか、そういったようなところに、今、フェーズにいるんじゃないかなと思っています。なので、どんどんどんどん、「自分の場合はこうで」というものを、発信できる人が発信していって、いろんな情報を共有できたらいいんじゃないかなと思って、わたくしも、私は同居が11年目ですが、私も発信する1人となっているという次第です。
ということで、以上でわたくしのプレゼンテーションが終わりました。ありがとうございました。

はい。歌川さんありがとうございました。歌川泰司さんはですね、マンガ作家でして、元「All About 同性愛」のガイドをなさっていまして、現在はブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」というブログからマンガ化された『じりラブ』
歌川泰司
島田さん、『ツレちゃんに逢いたい』読んで泣いたんだって?
島田暁
ホントに、ちょっとビックリしました。いきなり…。
歌川泰司
なんだコイツ(笑)

そうですね、同性カップルで暮らしている歌川さんの生活上ぶつかったいろいろな問題が描かれていて、読んでいて思わず嗚咽してしまいました。ぜひみなさんもお読みください。
歌川泰司
帰りに受付で売っていますので、よろしくお願いします。
島田暁
はい、それでは第二部のトークゲストをお迎えします。じゃあどうぞ、出てきてください。→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。
セクマイ系★紙媒体掲載チェック057●『Happie nuts』でモデルのHIROMIさんがカミングアウト。恋人のモデルAURAさんと誌面に登場!

●『Happie nuts 2011年 04月号』
誌面にはHIROMIさんの恋人であるというモデルのAURA(アウラ)さんもグラビアに登場。HIROMIさんから読者へのメッセージも、自身が経験した葛藤を赤裸々に語る形で掲載されており、この雑誌がターゲットとする10代~20代の、同じ葛藤を経験している人たちに、大いなる勇気を与えることでしょう。
僕はインターネットサイトでこの件を知り、コンビニで「立ち読みするつもり」でページをめくってみたのですが、72ページに書かれていたメッセージの言葉の力にジーンと来まして、「これは買わねば!」とレジに持っていくとき、(僕の風体では)やはり抵抗があるので一瞬躊躇しましたが、その気持ちを振り払ってでも買い求めたくなる力強いメッセージなので買いました。まだ御覧になっていない方はぜひ、読んでみてください。
日本の芸能界では昔から、男性の同性愛/両性愛者、そしてMtFトランスジェンダーは比較的著名な人がいてカミングアウトも行われて来ており、「おネエタレント」という枠で大雑把にくくられがちではありますが、一種のブームになっているのは御存知のとおり。
しかし女性の同性愛/両性愛者、FtMトランスジェンダーのカミングアウトは、ごく少数。あまり認知されているとは言えない不均衡が続いています。その観点からも、これは画期的な出来事です。HIROMIさんは1990年3月21日生まれということで現在20歳。今後の活躍に注目しようと思います。
以下、冒頭の部分を抜粋紹介させていただきます。
●『Happie nuts (ハピー ナッツ) 2011年 04月号』 [雑誌]『アタシの恋人は女の子。
男とか女とか関係なく、彼女のことが好きなだけなの。』
今つきあってる人、実は女の子なんだ。読んで驚いた人もたくさんいると思う。今までの恋愛では男の子とつき合った経験もある。でも、自分らしくない恋愛ばっかりしてた。愛に年齢なんてないってみんなが言うように、私にとっては愛に性別なんて関係ない。
今、こうやって堂々とみんなに伝えられるけど、はじめは隠してた。まわりが恋愛の話をしている中で、自分はどう話せばいいのかわからなくて、女の子と遊んだことを、男の子に言い換えて話をしてた。正直ものすごく苦しかったし、哀しかった。なんで隠さなきゃいけないんだろう?なんで言えないんだろう?って葛藤してた。でも、だんだんそんなことがバカらしく思えるようになったんだ。
(まだまだ続きます。続きは誌面をぜひ御覧ください。)
→FC2 同性愛 Blog Ranking

『しみじみと歩いてる』
★3月に東京で自主上映会を開催します。
3月21日(祝)13:20/15:20(2回上映入替制/1200円)
会場:なかのZERO視聴覚ホール
監督:島田暁/2010年制作 77分■制作:akaboshi企画
2006年10月から、大阪の御堂筋を性的マイノリティとその友人たちが歩く『関西レインボーパレード』に通いながら出会ったレズビアン、ゲイ、MtFトランスジェンダー、FtMトランスジェンダーそれぞれの日常生活、それぞれの違い、家族へのカミングアウト、仕事場や人間関係における葛藤、苦しみ、そして喜びを描いたドキュメンタリー。ゲイである監督の視点からまとめました。