テレビの中の性的マイノリティ11●ドラマ「ラスト・フレンズ」のミスリード

2008年に放送され高視聴率を記録したフジテレビ系連続ドラマ『ラスト・フレンズ』
11●「ラスト・フレンズ」のミスリード
■テレビの中の性的マイノリティ PLAYLIST
■主催:セクシュアルマイノリティと人権を考える会 さらだ ■講師:三橋順子さん
三橋さんの話では、本来レズビアンのアイデンティティを持っていいはずの人が、『ラストフレンズ』の影響で性同一性障害だと思い込む比率が増えているとのこと。僕の周囲でも「あのドラマの影響で若者にFtMトランスジェンダーが増えている」という話は、しょっちゅう聞きますから、実際その通りなんだと思います。(統計的なデータでも実証されているようです。)

脚本家の浅野妙子さんは、「レズビアンではなく性同一性障害として描く選択をした」ことについて、インタビューで告白しています。つまり脚本家やプロデューサーが自覚的に行った、視聴率を稼ぐための戦略だったわけですね。
「マジョリティにいかに受け入れられやすく作るか」を優先すると、そういう選択になるのでしょう。こうして、マジョリティが旧来持っている価値観が更に補強されて行くわけです。ただこの場合、医療に関わることですから笑い話として看過できない問題ではないでしょうか。
三橋順子さんの講演は今回で終了。次回は質疑応答を御紹介します。→FC2 同性愛 Blog Ranking
三島由紀夫とつきあってみる020●三島の「おおっぴらな同性愛」と、パリでの木下惠介との接点

図書館で見つけたパンフレット『愛のかたち~木下恵介の世界』。
これは平成八年度(第51回)芸術祭主催公演・日本映画名作鑑賞会として新橋の虎ノ門ホールで行われた、木下恵介監督の回顧上映会で配られたものであり、実は当時大学生だった僕はこれに通いまして、上映された20本を全て見て木下映画に初めて触れたという、個人的にも思い出深い上映会なのですが。
このパンフレットの見開きに「木下監督へのメッセージ」として作家の山田太一さんの文章が載っており、以下のような記述がありました。(抜粋)
『一九五二年の初夏、パリで木下さんは、同じアパートにいた三島由紀夫氏と深夜盛り場から歩いて帰ったそうである。
その時木下さんは「三島さんは、どうして日本の政治について我関せずなんですか。小説家だって日本の運命の中で生きているんでしょう」と聞いている。
「そんな事はどうだっていいんだ。」と当時の三島氏はこたえたそうである。「国がどうなろうと、小説家が書くのは別の事だからね」
それはそうだろう。しかし、自分はそのようにはなれない、と木下さんは思ったそうである。』

この時期の木下恵介氏は1951年に日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』
そんな華々しさの中にあった両者が1952年の同じ時期に、パリで「海外遊学」の時間を共にして交流し、しかも同じアパートに住んでいたという事実はとても興味深いです。

1952年、28歳だった三島氏はパリ滞在だけではなく5ヶ月間という長期の海外旅行を敢行しています。
ロス、ニューヨーク、サン・パウロ、リオデジャネイロ、ジュネーブ、ロンドン、アテネ、ローマなどなど。そのうち3月3日から4月18日までの間がパリ滞在だったわけですが、なんとこの時、パリに着くなり早々、旅行小切手の盗難に遭ってしまったそうです。持ち金が足りず、予定していたグランドホテルでの宿泊が叶わなくなり困っていたところ、宿を手配したのが木下恵介氏。木下氏が宿として使用していた日本人経営のパンシオン「ぼたんや」に、三島氏は泊まることになります。
それ以降、木下氏との交流に関する記述としては以下の通り。
■4月16日頃。時々、木下恵介、黛敏郎、佐野繁次郎画伯が遊びに来た。
■4月17日夜、木下恵介、黛敏郎とゲイテ・リリック劇場へ。フランツ・レハールのオペレッタ「微笑の国」を観劇。
■4月22日 「パリ二人組対談/木下恵介」(東京新聞)掲載=パリにて。四月上旬対談。

また、『三島由紀夫「日録」』
『しかし、茂木氏の最大の驚きは、三島の「おおっぴらな同性愛」であった。茂木によれば、三島は決まったように昼間のホテルに、「公園でうろついているような種類」の十七歳前後の少年を連れて来ていたのである。三島はそれをあけひろげにしていたので、茂木は三島にどうやってそんな少年たちに近づくのかとたずねてみた。「あの世界」には言葉なしの了解がある。というのが三島の説明だった。 三島は自分に興味があるのは求愛の過程と女性心理であり、「最終的な行為」にはまったく意味がないといった。
その言葉の真実を、三島は或る日の午後、茂木氏を電話で呼び出し、ホテルに来て自分を或る日本女性から救助してくれと懇願したことで説明した。その女性というのはブラジル在住邦人の細君だったが、三島のいうことでは、彼を誘惑しようとしていたのである』(『三島由紀夫―ある評伝』)

ほかにも『三島由紀夫「日録」』
それにしても、1996年に出版されたこうした「かなりちゃんと作られている本」に、三島氏のゲイ的行動の奔放さが客観的に、こ~んなにたくさん載ってるのにも関わらず、なぜいまだに「三島由紀夫同性愛者否定説」が語られたりしてるのか。・・・意味がわかんなぁ~い(←ってのは嘘で、そのカラクリはわかるけど。苦笑)
三島由紀夫をめぐる「同性愛言説」の変容を、きちんとまとめて歴史化してみると面白そう。そう思って資料を集めているところです。→FC2 同性愛 Blog Ranking
大木裕之監督『ウム/オム1』●MOVIEレビュー

ゲイは(あるいは「男」は)子どもを産むことは出来ない。ならば未来に対して何を生み出せるのか。映像の可能性を信じて思索し、生み続ける大木監督の「今」を観た。
★5月3日イメージフォーラムフェスティバル2010にて上映。
こうして大木裕之監督の作品を文章化する時ほど、「映像を言語化する」ことの限界に付き当たることはない。解釈の単純化とは真逆のベクトル=複雑化を促すイメージの断片が、脳髄にダイレクトに流れ込んでくる。
流れ行くイメージが、僕の中に新たなるイメージを喚起し、スクリーンと二重写しになって展開される。この感覚には中毒性があるようで、一瞬たりとも目を離したくない。まばたきをするのが惜しい。スクリーンを観ているようでいて、同時に自分を観ているかのような・・・。いくつもの感覚が同時並行で湧きあがる。
かつて僕は、まだ自分が自分の「ゲイ」である側面に素直に向き合っていない頃に大木監督の『ターチ・トリップ』を観た。そして「なぜ、このイメージ群に心惹かれるのだろう」と驚くほどの衝撃を受けた。当時の僕にとって、ものすごくエロティックだったし根源的な何かを揺さぶられた。

会場に監督が居たが、憧れの人すぎて近寄れず。直視できず。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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