akaboshiコラム038●じゃあお前も、私に傷付けられてた?
このひとつ前の記事に書いた内容と同じことをほぼそのまま、夕食を食べた後に母と二人きりになった時に喋ってしまいました(笑)。
そしたら母に言われました。「じゃあお前も、私に傷つけられてた?」と。
その時に、ふと気付きました。僕は・・・母からはあまり傷付けられていなかったのではないかと。だから、自分がゲイであると気付いてからも、根本の部分では疎外感を感じずに済んでいたのではないかと。
うちの母は若い頃、つまり僕が幼い頃に共働きをしながら「0歳児保育」の実現を、行政に対して働き掛けて実現させた人でした。だから僕は、その町の「0歳児保育第一号」として0歳の時から保育に出され、モデルケースのように扱われました。(もちろん自分の記憶にはほとんど残っていませんがね。) しかも他の園児たちが15時で帰るところを僕だけは、母が仕事を終えて迎えに来る18時頃まで保育園に残り、保育士さんたちが反省会をやっている場で一人で遊んでいたりしたのです。母が保育園に掛け合って、実現させていたことでした。
つまり母は「女性も男性と対等に働ける環境を築く」ために、つまり自分のような共働き家庭の母親の待遇改善のために奮闘していました。その根底には、「男性と女性が性別によって待遇差を設けられるのはおかしい」という思想があったわけです。
一方、父親は母よりも8歳年上であり、バリバリの戦中派。「男尊女卑」的な価値観を色濃く内面に抱えている世代です。子どもを叱るときにもよく「男なのに泣くな!」だの「女の癖に生意気な!」と、口癖のように発言する人でした。
しかしそこで母はすかさず「なんてこというの!男でも泣いていいじゃない」とか「女が生意気で何が悪いの!」と、反発するタイプの人でした。父と母がそうやって言い合っている姿を見ていると、子ども心に考えますよね。「父と母、どちらの言っていることに共感できるのか」を。 僕は圧倒的に、母の言っていることの方が正しく思えたし格好いいと思えた。それは姉も同じだったようで、姉と僕は精神的には「母の持っている思想・信条」に共感しながら育ちました。
それから30年以上の月日が経った今でも、父と母は同じように「男女観」についての言い争いをしています。よくよく考えると、そこまで思想が擦れ違っている二人がよくもまあ、夫婦で居続けられたなぁと思うのですが・・・この二人の場合は「思想」よりも、もっと深い部分で繋がりあっているのでしょう。表面上は言い争ってはいるものの、実はとても楽しそうなのです。人と人との結ばれ合いというのは、理論や理屈では語りきれない面白さがあるなぁと、両親を見ていて感じます。
母が植え付けてくれた「男・女のフィルターで人を選別して見ない」という価値観は、今の僕の選んでいる活動に多大なる影響を与えていることを感じます。そして、自分がゲイだと気付いた時にも「ゲイ=女らしく見られる可能性」に対しては、なんとも思わずに済みました。 そのことに関しては今更ながら、ものすごく感謝しています。
「男」「女」という性別二元論に関しては、父という「反面教師」と母という「リスペクト教師」を僕は持っているわけで、両者が揃っているからこそ学ばせてもらっていることの多さに気付かされた、家族旅行のひとときでした。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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akaboshiコラム037●未来に蓄積されるかもしれない「毒」を生み出す無邪気な「刃」
akaboshiコラム039●「わかってもらえなくてもいい」から始まるもの
akaboshiコラム040●言い出しにくい子どもたちのために
そしたら母に言われました。「じゃあお前も、私に傷つけられてた?」と。
その時に、ふと気付きました。僕は・・・母からはあまり傷付けられていなかったのではないかと。だから、自分がゲイであると気付いてからも、根本の部分では疎外感を感じずに済んでいたのではないかと。
うちの母は若い頃、つまり僕が幼い頃に共働きをしながら「0歳児保育」の実現を、行政に対して働き掛けて実現させた人でした。だから僕は、その町の「0歳児保育第一号」として0歳の時から保育に出され、モデルケースのように扱われました。(もちろん自分の記憶にはほとんど残っていませんがね。) しかも他の園児たちが15時で帰るところを僕だけは、母が仕事を終えて迎えに来る18時頃まで保育園に残り、保育士さんたちが反省会をやっている場で一人で遊んでいたりしたのです。母が保育園に掛け合って、実現させていたことでした。
つまり母は「女性も男性と対等に働ける環境を築く」ために、つまり自分のような共働き家庭の母親の待遇改善のために奮闘していました。その根底には、「男性と女性が性別によって待遇差を設けられるのはおかしい」という思想があったわけです。
一方、父親は母よりも8歳年上であり、バリバリの戦中派。「男尊女卑」的な価値観を色濃く内面に抱えている世代です。子どもを叱るときにもよく「男なのに泣くな!」だの「女の癖に生意気な!」と、口癖のように発言する人でした。
しかしそこで母はすかさず「なんてこというの!男でも泣いていいじゃない」とか「女が生意気で何が悪いの!」と、反発するタイプの人でした。父と母がそうやって言い合っている姿を見ていると、子ども心に考えますよね。「父と母、どちらの言っていることに共感できるのか」を。 僕は圧倒的に、母の言っていることの方が正しく思えたし格好いいと思えた。それは姉も同じだったようで、姉と僕は精神的には「母の持っている思想・信条」に共感しながら育ちました。
それから30年以上の月日が経った今でも、父と母は同じように「男女観」についての言い争いをしています。よくよく考えると、そこまで思想が擦れ違っている二人がよくもまあ、夫婦で居続けられたなぁと思うのですが・・・この二人の場合は「思想」よりも、もっと深い部分で繋がりあっているのでしょう。表面上は言い争ってはいるものの、実はとても楽しそうなのです。人と人との結ばれ合いというのは、理論や理屈では語りきれない面白さがあるなぁと、両親を見ていて感じます。
母が植え付けてくれた「男・女のフィルターで人を選別して見ない」という価値観は、今の僕の選んでいる活動に多大なる影響を与えていることを感じます。そして、自分がゲイだと気付いた時にも「ゲイ=女らしく見られる可能性」に対しては、なんとも思わずに済みました。 そのことに関しては今更ながら、ものすごく感謝しています。
「男」「女」という性別二元論に関しては、父という「反面教師」と母という「リスペクト教師」を僕は持っているわけで、両者が揃っているからこそ学ばせてもらっていることの多さに気付かされた、家族旅行のひとときでした。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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akaboshiコラム037●未来に蓄積されるかもしれない「毒」を生み出す無邪気な「刃」
福島県に来ています。というのは姉の嫁ぎ先がここだからなのですが。
今年の1月に姉が子どもを産みまして、生後50日を祝うために親戚らが集められるというので、親から誘われて出てみることにしました。
姉が福島に嫁いでからは、なかなか会う機会がなかったということもあり、「久しぶりに会う機会になるからいいか」と軽い気持ちで出席を決めたのですが…。行く前日になって親から「出産祝を包んでね」と電話で言われ、正直、かなり驚きました。東京から福島に行くだけでもかなりの出費なのに、それに加えて「出産祝」を包め?しかも数万円も?
ものすごく「納得できない」思いが湧きました。つまり僕は自分がゲイだと気づいて以降は、こういった昔ながらの親戚同士の互助会システムのようなものに自分が組み込まれることなんて、まったく想像したことがなかったからです。こういうのって要は「持ちつ持たれつ」で成り立っているわけでしょ?しかし、自分がこのシステムに組み込まれた場合には、払う一方になる可能性が非常に高いわけです。これって、すごく不公平だなぁと。
家族のうち母親だけには自分がゲイであることを伝えているので、この気持ちを正直に伝えてみました。そしたら「あなたは家族を捨ててるからよ」と嫌味も言われたのですが、「こっちにしてみたら、こういうことがある度に疎外感を味合わされるんだから、自分を我慢してまでそんなところに居たくはないでしょう。だから僕のような人たちの中には、家族と疎遠になって都会に住んでる人が多いんだよね。わかる?」と言い返してしまいました。
そのまま言葉を交わし合ううちに母親が「そっか。そういえばそうだよね。わかった。じゃあ、お祝い金は家族からの一括という形で包むことにするね」と、折衷案を編み出してくれたので、多額の出費は免れることになりました。
そして今日。
両親とともに姉が住む雪深い福島県に来ています。子どもの「生誕50日を祝う会」とは、この会津の土地では常識的に行われているものらしく、タクシーの運転手の話によると、特に「男子の初孫」が誕生した場合には必ず行うものなのだそうです。
姉は再婚であり、前の旦那との娘が居るのですが嫁ぎ先にしてみたら、今回生まれた子どもは「めでたい(正式な)男子の初孫」となるわけで、先方の「家」としては行うのが当たり前の行事ではあるわけですね。
そう考えるとちょっと複雑な気持ちもあるわけですが、そういった「ほろ苦い気持ち」を両親と分かち合いながら、この会に出てみるというのも微力ながら親孝行になるのかなぁと思いながら会場である温泉宿に着き、親戚たちと挨拶をし、15人程度で食事をし、生後50日目の「男児」の成長ぶりを囃し立てながら、午後のひとときを過ごしました。そして、幼い子どもたちに対して大人たちが無意識のうちに投げかけている言葉が、いちいち気になって仕方がありませんでした。
この数年。
自分が「ゲイ」なのだと気づいてそれを受け入れ、現在は男性のパートナーと同居したり、レズビアンやトランスの友達がたくさん居る中で都会暮らしをしている僕からしてみると…。たとえ「男の身体」で生まれたからといって、その子がこのまま(いわゆる)「ストレートな男」として育つという保証はないことを、数多くの実例を見て知っているわけです。今は「男の子」として振舞っているとしても、自意識が生まれ、第二次性徴を経るころに性別違和を感じるかもしれないし、同性を好きになるかもしれない。それは現時点では、誰にもわからないわけです。
しかし、大人たちはそのことに全く無頓着で、やれ「眼光が鋭くて男らしくて凛々しい」だの、「足をよく動かして活発で、やっぱり男の子は元気なのがいい」だのと、なんの疑いもなく子どもを「男」として扱っています。
また、姉がこの家に「連れてきた子」である娘は小学1年生になっており、常に走り回っているなど元気な盛り。お爺ちゃんやお婆ちゃん、親戚たちに囲まれて有頂天になり、宴会場のステージを一人占めにして歌を歌ったり、友達のモノマネを披露するなどの「オン・ステージ」を開催しています。
この日はスカートを履いてきていたということもあり、たとえば「でんぐり返し」をしてスカートがまくれた場合などには「こらっ!女の子なんだからそんな格好しちゃだめっ!」とか「女の子なのに活発ねぇ」という言葉が投げかけられているのです。更に、うちの父親などは「そのうち好きな男の子が出来ればおとなしくなりますよ。」と、わかったようなことを言っていたりするのです。
…そんなことは誰にも保障できないはず。
この子も将来、性別違和を感じるかもしれない。あるいは女性を好きになるかもしれない。誰にもわからないのです。
そんな思いが常に胸に去来してしまい、僕は自分の中に芽吹く「もやもやした思い」を罪悪感と共に押し隠し、表向きは「和やかにその場を過ごしている自分」を演じていることに、ものすごく疲れてしまいました。
あまり関係が深くもない人たちに対して、いちいち場を白けさせながら口に出して一人で説明するなんてのは大変なこと。だからと言って、言わなきゃ言わないでこうした思いは、ただただ自分の中に鬱積していくばかりなのです。
セクマイ当事者の多くが家族と疎遠になり、都会に出て暮らしている確率が非常に高い原因の一端を、こうしてまざまざと体験したのでした。
そしてなによりも恐ろしいと思うのは、大人たちの誰ひとりとして、この子たちの未来にとって自分の行為や言葉が「刃」になり、子どもたちの内面に「毒」となって蓄積されるのかもしれないことを、考えてもいないだろうということ。
今回、もっとも強く感じたのはそのことでした。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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姉が福島に嫁いでからは、なかなか会う機会がなかったということもあり、「久しぶりに会う機会になるからいいか」と軽い気持ちで出席を決めたのですが…。行く前日になって親から「出産祝を包んでね」と電話で言われ、正直、かなり驚きました。東京から福島に行くだけでもかなりの出費なのに、それに加えて「出産祝」を包め?しかも数万円も?
ものすごく「納得できない」思いが湧きました。つまり僕は自分がゲイだと気づいて以降は、こういった昔ながらの親戚同士の互助会システムのようなものに自分が組み込まれることなんて、まったく想像したことがなかったからです。こういうのって要は「持ちつ持たれつ」で成り立っているわけでしょ?しかし、自分がこのシステムに組み込まれた場合には、払う一方になる可能性が非常に高いわけです。これって、すごく不公平だなぁと。
家族のうち母親だけには自分がゲイであることを伝えているので、この気持ちを正直に伝えてみました。そしたら「あなたは家族を捨ててるからよ」と嫌味も言われたのですが、「こっちにしてみたら、こういうことがある度に疎外感を味合わされるんだから、自分を我慢してまでそんなところに居たくはないでしょう。だから僕のような人たちの中には、家族と疎遠になって都会に住んでる人が多いんだよね。わかる?」と言い返してしまいました。
そのまま言葉を交わし合ううちに母親が「そっか。そういえばそうだよね。わかった。じゃあ、お祝い金は家族からの一括という形で包むことにするね」と、折衷案を編み出してくれたので、多額の出費は免れることになりました。
そして今日。
両親とともに姉が住む雪深い福島県に来ています。子どもの「生誕50日を祝う会」とは、この会津の土地では常識的に行われているものらしく、タクシーの運転手の話によると、特に「男子の初孫」が誕生した場合には必ず行うものなのだそうです。
姉は再婚であり、前の旦那との娘が居るのですが嫁ぎ先にしてみたら、今回生まれた子どもは「めでたい(正式な)男子の初孫」となるわけで、先方の「家」としては行うのが当たり前の行事ではあるわけですね。
そう考えるとちょっと複雑な気持ちもあるわけですが、そういった「ほろ苦い気持ち」を両親と分かち合いながら、この会に出てみるというのも微力ながら親孝行になるのかなぁと思いながら会場である温泉宿に着き、親戚たちと挨拶をし、15人程度で食事をし、生後50日目の「男児」の成長ぶりを囃し立てながら、午後のひとときを過ごしました。そして、幼い子どもたちに対して大人たちが無意識のうちに投げかけている言葉が、いちいち気になって仕方がありませんでした。
この数年。
自分が「ゲイ」なのだと気づいてそれを受け入れ、現在は男性のパートナーと同居したり、レズビアンやトランスの友達がたくさん居る中で都会暮らしをしている僕からしてみると…。たとえ「男の身体」で生まれたからといって、その子がこのまま(いわゆる)「ストレートな男」として育つという保証はないことを、数多くの実例を見て知っているわけです。今は「男の子」として振舞っているとしても、自意識が生まれ、第二次性徴を経るころに性別違和を感じるかもしれないし、同性を好きになるかもしれない。それは現時点では、誰にもわからないわけです。
しかし、大人たちはそのことに全く無頓着で、やれ「眼光が鋭くて男らしくて凛々しい」だの、「足をよく動かして活発で、やっぱり男の子は元気なのがいい」だのと、なんの疑いもなく子どもを「男」として扱っています。
また、姉がこの家に「連れてきた子」である娘は小学1年生になっており、常に走り回っているなど元気な盛り。お爺ちゃんやお婆ちゃん、親戚たちに囲まれて有頂天になり、宴会場のステージを一人占めにして歌を歌ったり、友達のモノマネを披露するなどの「オン・ステージ」を開催しています。
この日はスカートを履いてきていたということもあり、たとえば「でんぐり返し」をしてスカートがまくれた場合などには「こらっ!女の子なんだからそんな格好しちゃだめっ!」とか「女の子なのに活発ねぇ」という言葉が投げかけられているのです。更に、うちの父親などは「そのうち好きな男の子が出来ればおとなしくなりますよ。」と、わかったようなことを言っていたりするのです。
…そんなことは誰にも保障できないはず。
この子も将来、性別違和を感じるかもしれない。あるいは女性を好きになるかもしれない。誰にもわからないのです。
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あまり関係が深くもない人たちに対して、いちいち場を白けさせながら口に出して一人で説明するなんてのは大変なこと。だからと言って、言わなきゃ言わないでこうした思いは、ただただ自分の中に鬱積していくばかりなのです。
セクマイ当事者の多くが家族と疎遠になり、都会に出て暮らしている確率が非常に高い原因の一端を、こうしてまざまざと体験したのでした。
そしてなによりも恐ろしいと思うのは、大人たちの誰ひとりとして、この子たちの未来にとって自分の行為や言葉が「刃」になり、子どもたちの内面に「毒」となって蓄積されるのかもしれないことを、考えてもいないだろうということ。
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木下惠介を辿る旅001●「日本メジャー映画初のゲイ・フィルム」と言われる木下恵介監督『惜春鳥』、神保町シアターで上映

その作品とは、木下恵介監督の『惜春鳥』。神保町シアターで開催中の『オールスター映画 夢の祭典』の中で上映されるという情報をキャッチしました。
木下監督と言えば1950年代の日本映画全盛期に、小津安二郎や黒沢明と並び称されるほどの大監督として松竹大船に君臨し、『二十四の瞳』や『日本の悲劇』『喜びも悲しみも幾歳月』『楢山節考』などの大ヒット作品を量産した人であり、日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』の監督としても知られる方なのですが、生涯を独身で通され、「女嫌いで男好きだったらしい」というエピソードが、数々の俳優や関係者の口から陰に陽に語られ続けている人でもあります。
そんな木下監督。「やっぱりゲイ・フィルムを創っていたんですね!」と生きていたら真意を訊いてみたくなるような作品が、1959年に制作された『惜春鳥』であるようで、石原郁子著『異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に』
実は僕、20代の前半に木下恵介監督作品は特集上映で全作品制覇しているので、この作品も観ているはずなのですが・・・当時はまだ自分を「ゲイ」だと認識していなかったからでしょうか、まったくそのような印象は持ちませんでした。というより、きらびやかな名作の影に隠れてしまい、あまり印象に残らなかった作品です。しかし上記の本に出会ってからは見返してみたくて堪らなかったので、この上映機会は本当に楽しみです。時代の制約の中で監督が「闘っていたもの」の姿も浮かび上がるかもしれません。日本映画史の本を見る限り、この時代にゲイ・フィルムとして評価されている作品は、一つもない。(中略)だが『惜春鳥』は違う。木下はこの映画で一種捨身のカムアウトとすら思えるほどに、はっきりとゲイの青年の心情を浮き彫りにする。邦画メジャーの中で、初めてゲイの青年が<可視>のものとなった、と言ってもいい。
『惜春鳥』 S34('59) 松竹大船
上映日時:
3月1日(月)17:00、2日(火)18:45、3日(水)12:00、4日(木)14:00、5日(金)16:30
監督:木下惠介(1時間42分)
脚本:木下惠介、撮影:楠田浩之、音楽:木下忠司、美術:梅田千代夫
出演:有馬稲子、佐田啓二、川津祐介、津川雅彦、小坂一也、石浜朗、中村豊三、十朱幸代、笠智衆
・・・会津若松を舞台にした松竹若手オールスターの青春群像劇を、佐田と有馬の悲恋を交えて描く木下惠介の秀作。青春のはかなさを見事に謳い上げる演出手腕に酔う。(神保町シアター公式ページより)

★木下惠介 DVD-BOX 第4集(『惜春鳥』収録)
木下恵介監督は、同時代の黒沢明が「マッチョな男性像」や「男たちの社会」を描き出すのを得意としたのと対照的に、「女性の強さや生命力」あるいは「社会の一線から脱落している弱い男たち」を描くことを得意とした人。日本映画史の中ではよく、「男性映画の黒沢」、「女性映画の木下」と対照的に語られたりします。
そのせいか、国際的な評価という点からすると、作品においても監督としての対外的パフォーマンスにおいても「男性原理」を前面に押し出して果敢に攻めた黒沢明は高く評価され、木下恵介は同時代においては「女性的」で「感傷的」だという言い方で、マイナスの評価を男性映画評論家たちから下されるケースが多かったようです。
現在における「歴史上の名声」にもそのことが影響しており、木下監督について記された本は、大監督だった割には全然出版されていませんし、驚くことに全作品のDVD化もされていません。
泣く男や弱い男などが頻繁に登場し、高度経済成長の時代に「強くなければならないと思わされている男たち」の視点からすると見たくないものを描き出して突き付けたりする木下映画。つまり、真の意味で時代に反逆していたのかもしれません。そして、そうした映画を創れたのはやはり、監督が「単純な(ストレートな)男性ではなかった」ということも影響しているのではないかということが、公式の場でも言われ始めています。
石原郁子さんは『異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に』