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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

パフナイト159●心と体のオモロイ関係~MtFレズビアン綾さんの人生“トラ”の巻04●生きたかった



  トランス3名と、シスジェンダー1名で語ったパフナイト。

 「生きる」「死ぬ」に関わることを、自分の肉体に関して本気で考えた経験を、今の時点から明るく語る3名。そして、それを「我がこと」としては共感できない僕。その間には確実に「河」が流れていることを感じました。

05●生きたかった
 
パフナイト★MtFレズビアン綾さんの人生“トラ”の巻 PLAYLIST

 その河は(僕には)決して渡ることは出来ないけれど、岸と岸とで話すことはできる。実際問題、そんな感じが「リアル」なのかなぁと思います。FC2 同性愛 Blog Ranking
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タブー視される同性愛~教育・医療・福祉が裁判から学べること~/新木場殺人事件10ケ年を考える集い「出るゲイは打たれる」~コミュニティ内のホモフォビアを考える~



 かながわレインボーセンターSHIP主催のシンポジウムとイベントが2月19日・20日に開催されます。僕は昨日知りまして、「す・・・すごいタイトルだ・・・」と圧倒されると共に、久々にこういう観点からの話もじっくりと聴いてみたいと感じました。

 そして「〆切が12日に迫ってる~っ!!」と気付きまして、焦ってメールで申込みをしたところ、どちらもまだ申込み可能だそうです。御興味がお有りの方は下記の告知を御参照ください。(SHIPのホームページからの転載です。)




 タブー視される同性愛~教育・医療・福祉が裁判から学べること~

 日本において、メディアによるさまざまなセクシュアルマイノリティの可視化により、以前よりその存在が認知されるようになってきたといえます。しかしながら、それは同性愛や性同一性障害に対する偏見が減り、語りやすくなったことを意味していません。たとえば存在の認知ひとつをとっても、依然として偏向的であるといえます。

 また、同性愛については性同一性障害に比べ、可視化の機会すら失いかけ、もう十分知られているがごとく避けられたまま再び忘れさられようとしています。

 そのような危機的な状況にもかかわらず、なぜ同性愛は話題として避けられ続けるままなのか。日本で初めて「同性愛者の権利」が裁判で議論された「府中青年の家裁判」から約20年の間に、同性愛に対するイメージは何が変わり、何が変わらなかったのか。今、まさに同性愛をどのように扱っていけばいいのか。社会・教育・医療・福祉が裁判から学べること、また悩んでいるかもしれない人を救うためにできることは何かを考えたいと思います。

日時:2010年2月19日(金)18:00~20:30
会場:横浜市健康福祉総合センター8階 大会議室
(横浜市中区桜木町1-1 JR・市営地下鉄桜木町駅 徒歩3分)
定員:100名
対象者:教育、医療、福祉関係者、一般市民
申込み:FAXまたはe-mailで申込みください。
申し込みに関してはこちらをご覧ください。
入場料:無料
シンポジスト:
風間孝氏(中京大学国際教養学部准教授)
河口和也氏(広島修道大学人文学部教授)

主催:かながわレインボーセンターSHIP、横浜Cruiseネットワーク
後援:神奈川県教育委員会、横浜市教育委員会、川崎市教育委員会
連絡先:かながわレインボーセンターSHIP 045-306-6769




新木場殺人事件10ケ年を考える集い
「出るゲイは打たれる」 ~コミュニティ内のホモフォビアを考える~


★日時: 2月20日(土)16:00-18:00
★会場: かながわレインボーセンターSHIP
★シンポジスト: 風間孝さん(中京大学)、河口和也さん(広島修道大学)
★司会: シンジ(横浜Cruiseネットワーク)

 今から10年前の2000年2月11日、東京夢の島緑道公園で33歳のゲイ男性が4人のノンケから殴る蹴るの暴力を受けて殺されるという事件が起きました。この事件はテレビ・新聞など各種メディアでも大きく報じられ、1週間後には犯人グループも逮捕されました。コミュニティ内でもホームページ上で事件現場への献花を呼びかけられる動きもある一方で、「ハッテン場に行く奴が悪い」と言ったような声も聞かれ、ゲイコミュニティ内が二分されました。そして、その6年後にも同公園で再び同じようなゲイバッシングが起きました。

 その痛ましい2000年の事件から早くも10年が過ぎようとしています。10年前に起きた痛ましく、悲しい事件を忘れ去られることのないように、もう一度この事件について考えてみたいと思います。

 また、ますます多様化するセクシュアルマイノリティの人々のライフスタイル形成の中で、性別二元論/異性愛規範に対抗するための文化政治的カテゴリー使用と、多様性を持つ現実の個人との矛盾とどう向き合っていくべきなのでしょうか。打たれても語り、行動するのがいいのか。それを避けて徹底的に住み分けるのがいいのか。はたまたほかの道があるのかを新木場事件を再考しながら探りたいと思います。

★☆ 交流会のご案内 ☆★
 集いの後で、SHIPおなじみの鍋で舌ずつみを打ちながら交流会を行いたいとおもいます。20年前の府中の青年の家事件や、10年前の新木場殺人事件を知る人、知らない新世代と交流を深め、思いを共有することができればと思っています。

★日 時:2010年2月20日(土)18:30~20:30
★会 場:かながわレインボーセンターSHIP
★会 費:2,000円(料理・飲み物代)
準備の都合上、参加される方は19日までにメールでお申し込み下さい。
→ ship★y-cru.com (★印を@に変更して下さい。)

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燐光群「アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ」●PLAYレビュー

 消えていった東独の
 セクマイたちへの鎮魂歌


 MtFトランスジェンダーとして20世紀初頭の東ドイツに生まれ、波乱の生涯を過ごしたシャーロッテ・マールスドルフが主人公。

 もともとは一人芝居として、ニューヨークのアングラ派劇団シティカンパニーが初演し、トニー賞やピュリッツァー賞を受賞した世界的に有名な戯曲を、燐光群が16名の出演者で翻訳上演。吉祥寺シアターの剥き出しの裸舞台を生かし、退廃的な場末のキャバレー風の客席を創り上げ、あとは生身の俳優の肉体で勝負。さまざまに自らの想像力を喚起させられ、演劇ならではの魅力を存分に味わうことが出来た。

2月16日まで上演中。

 この戯曲を書いたのは、ゲイ当事者であるアメリカの脚本家ダグ・ライト。彼がシャーロッテと実際に面会し、インタビュー取材を重ねる光景を劇中に頻繁に登場させながら、「シャーロッテが語る自身の生涯を、若き作家のダグ・ライトがどのように受け止めたのか」が観客に提示される構成。

 役者全員の衣装は同じ。黒を基調とし、上半身はスーツのようなワンピースのような不思議なデザインで、下半身はスカートで靴はスニーカー。男性性と女性性が入り混じった印象を換気させる。そして俳優達はそれぞれに、シャーロッテを演じたり、別の役を演じたり、次から次へと役目を変えて行く。つまり一人の俳優に、シャーロッテのイメージを集約させないのだ。一人の俳優が男になったり女になったり、子どもになったり老人になったり。こうした変化を自在に瞬時に出来るのは、演劇ならではの特性だろう。

 この演出によって結果として浮かび上がるのは、人間存在というものの流動性。そして儚さ。性的にも人格的にもアイデンティティを固定させずに越境しながら時代の変化の荒波を生き抜いた、シャーロッテのしたたかさ。劇のテーマを理屈ではなく、まさに「肌感覚」として感じることができた。

 それにしてもシャーロッテの生涯というものは凄まじい。

 「男性」としての身体で生まれたものの、幼い頃に性別違和を憶え、女性の服を身につけることで「しっくりくる自分」を発見する。20世紀のベルリンにおいて、セクシュアル・マイノリティが「ありのままで生きる」ことは、すなわち「異端」のレッテルを容赦なく貼られることに繋がる。しかし、彼女は可能な限り「ありのまま」の自分を通そうとする。その後押しをしたのは、レズビアンである、彼女のおばさんだった。なんと心強かったことだろう。

 劇中では20世紀初頭のベルリンにおける、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーたちがどのような生き方を強いられていたのか、どのように出会いの場を求めていたのかについても丹念に描かれていて興味深かった。この辺りの細部にこだわったのは、やはり作家がゲイ当事者だからだろう。東独でのその時代ごとのLGBTたちの「生活」や「思い」が丁寧に描写されていて、やはり当事者として観ていると胸に迫るものがあった。

 伯母がレズビアンであったものの、シャーロッテの父親はなんとナチス党員。「男性性」を振りかざし、理不尽なくらいまでの凶暴さで家族を圧迫する。しかも息子がいわゆる「異性装者」であるわけだから、家族の関係は一筋縄ではいかなくなる。こうしたドラマチックな展開が、シャーロッテの人生には頻発する。

 戦後を生き延びたものの、東西冷戦の時代における東ベルリンの共産主義体制下では、秘密主義がまたしても、セクシュアル・マイノリティたちの生き方を圧迫した。そんな中、シャーロッテはゲイのレコード収集家と恋をするが、やはり国家体制の犠牲となり悲劇的に引き裂かれたりする。それでもシャーロッテは、秘密警察(シュタージ)を何度も出し抜きながら、持ち前の「したたかさ」でベルリンの壁崩壊・冷戦時代の終焉まで生き延びる。そして、こうしてかつて「西側」だったアメリカの若きゲイ作家の訪問によって生涯を脚本化され、上演されるに至るのだ。

 その強さには圧倒され、リスペクトをいくらしてもしたり無い気持ちになった。そして同時に、彼女の強さを育んだのは様々な別れや哀しみだったこと。その裏にはたくさんの、生きたくても生きられなかった人たちが居たことを、忘れてはならないと思った。

 まさに、「生きた歴史」が心に刻み込まれた。しかもそれが、よくあるハリウッド映画のように暴力的に一方的に押し付けられるわけではなく、あくまでも、観ている自分自身の「想像力」によって、自らが心の中に刻み込む。そんな体験が出来る豊かな舞台だった。FC2 同性愛 Blog Ranking

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