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akaboshiコラム023●惚れさす技術

自分のプレゼンのことはさておいて、他人のプレゼンを聴きながら思ったのは、意見を相手に通すにはきっと、「人間心理」というものへの相当に細かな配慮が必要になってくるのだろうということだ。
自らが提案するプロジェクトへの思い入れが強ければ強いほど、人は、肩をイカらせて「力説」しがちだ。そして、相手の心に届けたいがあまりに、手を替え品を替え、いろんな言葉を駆使していつまでも語り続けたりする。

それを聴かされている側としては・・・最初は冷静に「そうかもなぁ」と、相手の意見を新鮮な気持ちで聴いていられるのだが、いつまでも捲くしたてられ続けているとだんだん「押し」の強さに辟易してくる。
なぜなら、攻撃的な口調を一方的に聴かされることほど、人を不快にさせるものはないからだ。自分が屈服されているような気がしてくる。そして次第に、その意見の内容には関係のない「感情」の部分で「いいかげんにしてくれよ」という気持ちが湧いてきてしまう。つまり、生理的な拒否反応が起きてしまうのだ。

プレゼンテーションの終了後には、ただ発言者の「押しの強さ」ばかりが印象に残り、「自分が自分が」と自己中心的なプレゼンだったなぁという、余計な印象が付いてしまう。各方面とのバランスを調整する必要がある案件の場合、特にその印象は強くなる。
そして、「あれだけ強くプレゼンテーションできるのならば、なにも我々がそのプロジェクトを支持しなくても、他の機会に上手く通すことができることだろう。それよりは、ここでしか通らないかもしれない提案者の企画を通すことにしよう」という風に話が進む事だって、有り得るのではなかろうか。

むしろ逆の場合が多いだろう。これは演劇における役者の演技に置き換えても言えることだ。想いを込めて強く激しく演じれば観客や相手役に的確に表現できるかと言えば、そうではないことがほとんどだ。
むしろ冷静な思考を常に同居させ、腹八分目のレベルで感情を抑えてコントロールしながら演じた方が、相手には効果的に伝わることが多い。つまり、役者にとって気持ちのいい自己没入型の演技というものは、その独りよがりな様子が観客にとっては「不快」だと感じられることが多々あるのだ。

この場合、発言者にとっては「想い」が十全に発散できない分、気持ちいいことではないかもしれない。しかし、その方がかえって相手の主体的な関心を呼び起こし、結果的には「心」を掴める可能性も増すことだろう。そのバランス感覚を掴むことこそ、ロビイングや交渉事を担う者に不可欠なセンスなのではなかろうか。
なぜなら人は、ミステリアスなものや未完成なものにこそ、可能性を感じて惹かれるからだ。押し付けがましく自己完結した隙のない振る舞いや発言には「エロス」(色気)がない。つまり、魅了されない。

片思いの相手にアタックするときの心構えと同じなのかもしれない。押しが強すぎると相手は逃げてしまうから、駆け引きできる冷静さが必要。相手を人間として愛おしく尊重しながら、そっと。やさしく。(でも狡猾に。爆)→FC2 同性愛 Blog Ranking
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