ちょっとちょっとぉ~。いーじゃん今年のレインボーアーツ!

今日は13時からパフナイトの企画会議を高円寺NOHOHONで行ったのですが、あそこは危険!時間が経つのを忘れてしまい、気づいたら5時間も飽きずに喋り続けてました。(爆)
従来、パフナイトの企画会議はファミレスとかコーヒーショップで行うことが多かったのですが、そういうところでは話に集中できませんし、さすがに5時間も居座る度胸はありません。そういった意味でも、床に座りながら親密な距離感で、時間を気にせず好き勝手に喋ることができる場所が出来たのは嬉しいなぁと感じました。

参加者が増えたらしく展示スペースが一部屋分増えていたということもあって、スペースがゆったりと使われており、展示作品がお互いの世界観を相殺し合わずに共存しており、一つ一つに集中して見入ることが出来ました。

今日は日曜の夕方ということもあってか会場には作家さんたちも多数いたので、昨年から知り合った作家さんたちのお話も伺えたのですが、さらに深く面白く「進化」していたので刺激をたくさん受けました。感謝です!
さてそんな中、今回は「bluezlee」さんの作品をピックアップ!。彼は昨年が初参加で、写真と詩を組み合わせたパネルを組み合わせたコラージュを発表していたのですが、ネガティブな感情も含めて剥き出しのことばが溢れている感じがして、すごく印象的だったんですよ。

今年の彼の作品は、この記事の冒頭に載せさせてもらった画像でわかるとおり、コルクボードにポストカードを貼るスタイルで展示されていたのですが、近付いてじっくり見てみると印象的な表現がたくさんあり、またしてもドキッと胸に突き刺さるものがありました。

HIV陽性者として、この薬を飲み続けている彼の日常。その視点から見える世界。気取らずに、「裸のままのことば」がそのまま並んでいる感じが僕は好きなんです。

展覧会を一通り見て印象的だったのは、「セクマイであることっ!」という感じに、肩肘を張ってセクシュアリティの「独自性」のようなものを提示するタイプのものが、数点を除いては見かけられなかったことでしょうか。つまり、自分の内面を掘り下げる際に、「セクシュアリティを表現しよう」という目的意識からは解放されている人が多い。たとえ作品に「セクシュアリティ」が色濃く出ていたとしても、あくまでも「結果として」自然に浮かび上がっているようなものが多いような印象を受けましたし、そこに「今」の空気感が如実に表れているような気がしました。
ただ、そのことによって逆に「ザ・セクマイっ!」的なテーマにこだわった作品の持つ独自性も他から浮き立つことでスパイスのように効いていましたし、とにかく全体的なバランスがすごく良かったです。

今日の時点では1つ、ピラミッドのような形でくまたちが連なりあっていたのですが、その作品の傍に置かれた机には・・・。

きっと今年も実行委員長の激務で自分の作品が後回しになってしまったのでしょう。やっと開催に漕ぎ着けたことで、これから会期中にどんどん制作は進むのでしょうから、このくまたちがこれからどこまで増殖していくのかも、最終日に向けた見どころの一つ。

これは社会人になってみると実感することなのかもしれませんが、「いいんだよやりたいことを自由にやれば!」っていう、こうした「ゆるさ」の中で遊べることって実は最高の贅沢なのではないかと感じますし、そういう環境を持てることって本当にいいなぁと心から思う最近の僕です。この会場、実はけっこう気軽に行ける場所にあるので、また遊びに行ってレポートするかもです~。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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新宿でRainbow Artsはじまる

今年は開催が例年よりちょっと早め。7月25日(土)から新宿駅西口の全労済ホール・SPACE ZEROにてRainbow Arts Exhibition2009が開催されています。(会期は8月1日まで。)
先日の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に通いながら思ったのですが、「アート表現」の域に達している映画と、単なる「プロパガンダ」に堕している映画には、作品の出来として雲泥の差があることに気がつきました。Rainbow Arts 10th Exhibition 2009
2009年7月25日(土)~8月1日(土)
25日:16:00~20:00 (Opening Party)
26日~31日:10:00~20:00
1日:10:00~17:00 (14:00~ Closing Party)
場所:新宿全労済ホール スペース・ゼロ
東京都渋谷区代々木2-12-10 全労済会館B1
他者になにかの主義や主張を伝えたいとき。「言葉(論理)を中心にして」行うとどうしても、なにかを否定したり仮想敵を作ったり、白か黒かを分けたりと、メッセージが単純で攻撃的になってしまったりします。もちろん、そのことによって伝わったり変えられることというものもあるわけですが・・・その目的達成のためには、大事な「なにか」が切り捨てられてしまっているのかもしれないという警戒心は、常に持っておく必要があるでしょう。
アート表現には、「言葉では切り捨てられてしまうもの」を拾い上げ、別の形に転嫁して表現できる可能性があります。真の意味での「多様性のある社会」とは、「LGBTの権利をLGBT以外の人達と対等にすること」のみによって実現できるわけではありません。それは単なる通過点の一つに過ぎないのです。
LGBTであろうがなかろうが、一人ひとり違う感性を持つ人々が、互いの違いを面白がることのできる世の中に、少しでも近づけばいいなぁと思いつつ。今年も「アートの可能性」を発見できたらと思い、会期中、楽しみに観に行ってみようと思います。→FC2 同性愛 Blog Ranking