東京国際レズビアン&ゲイ映画祭25●「同性愛とテレビジョン」は16時35分から上映。佐藤安南さん、竜超さんがトークに出演します。

19日(日)の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭は、活動弁士の澤登翠さんによる無声映画「福寿草」など目玉企画が大盛況。最終上映の「パトリックは1.5歳」ではチケットが完売したりして立ち見席の行列もでき、ロビーは映画談議に華を咲かせる人びとで一日中、賑わっていました。

薄田歩美監督『SEX CANDY』、宍戸幸次郎監督『童貞かわいや』、吹田祐一監督『a teenager in love』、アントニオ・デ・オリヴェイラ監督『僕の彼氏と』と一緒に、『竜超の現代狂養講座 同性愛とテレビジョン』の上映があります。
なお上映後には各作品の監督や出演者によるトークの時間も設けられ、ドラァグ・クイーンのマーガレットさんとレイチェル・ダムールさんが司会を担当。『同性愛とテレビジョン』からは、インタビューに出演してくださったテレビ・ディレクターの佐藤安南さん、「薔薇族」副編集長の竜超さん、akaboshiが出席します。司会のマーガレットさんといえば、かつて佐藤さんが制作した番組への出演歴もあるため、個人的には両者のやりとりがすごく楽しみです。

上映はトップバッターなので16時35分から。お時間とご興味がございましたら、ぜひ足をお運びください。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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東京国際レズビアン&ゲイ映画祭24●活動弁士付き上映「福寿草」は、けっこうドロドロ&笑えます

スパイラルホールに15時前に着いたときには映画はまだ上映中。トーク前で待機中の尾辻さんがロビーにいたので軽く雑談。ひょんなことから、今後自分が撮ろうと思う映画の企画をしゃべる場になり、口に出して整理できてよかった。不思議なもので、こうして誰かに「告げる」ことによって初めて、実現に向けて歩みだせるような気持が本格的に湧いてくる。絶対に作ろうと今日、心に決めた。
15時10分から始まった大塚隆史さんと尾辻さんのトークは、タックさんのリアルトークがたくさん引き出されて、僕としては本当に面白かった。特に印象的だったのは「歳を重ねても、中身が変わっているという実感がない。たとえて言うならば、運転手はなにも変わっていないのに、車がどんどん古くなって、さびて動作が鈍くなっていくという感じ」という発言だった。
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とかく年少者は年長者に対して「ロールモデルを示すこと」とか「年長者らしさ」を求めたりしがちだ。そして、年長者自身もそういった「枠」とか「型」にハマっていくことを、美徳だと考える人が多いのではないかと思ってしまうのだが。
そういうような、「世間が勝手に押し付ける余計なもの」を省いて考えたならば、人間が年齢によって「年相応になる」というのは幻想にすぎないのだろうし、「○○らしさ」を身につけていくことを、他人に勝手に求めるというのは他人の生の有り様を不自由にする発想なのだろうと思う。
ただ、映画で描かれていたように、ある程度の年齢に達して身体のあちこちに本格的にガタが来はじめ、日常生活が覚束なくなった時にはいよいよ、内面の自分までもが「不自由になったなぁ」という感覚が襲い来るのだろう。身体と精神は直結しているものだから。

アメリカはどうやら、福祉の面において「国」が担う役割が、かなり低いようだ。だから、LGBT系のコミュニティのみならず、様々な自助的なコミュニティが発達する「必然性」があるのだ。
翻って日本では?。はたして、映画で描かれていたように「LGBT」という枠で寄り集まるコミューンを造ることに、どれほどの人びとが必然性を感じるのか?。疑問符が大きく付くところだと思う。もっと緩やかに様々な人々と連携する道すじを模索することの方が、日本社会では現実的だし実現可能性も高まるのではなかろうか。

アメリカ社会という「強固な反対勢力」が攻撃的に、常に拮抗する形で存在している状況では、映画作家としてはきっと、こういうものを作りたくなるんだろうなぁとは思う。ただ、あまりにも「クローゼット」という言葉に負の意味を付けて糾弾しすぎのような気がするし、同性と性的接触を持つ議員=ゲイという単純なレッテル貼りには、気持ち悪さを感じた。なぜ「バイセクシュアルの可能性」には、全く触れられていないのだろうか。
僕の予想では、そういう情報を入れることによって、映画の中に監督が含めたいメッセージが「弱められてしまう」ことを恐れるからなのだろうと思う。攻撃的にメッセージを発したい場合には、できるだけ「単純に簡潔に」した方が、訴求力が増すからだ。

こういう映像を「ドキュメンタリー映画」とは呼ばないでほしい。ヒットラーたちが大量生産していた「プロパガンダ映像」と、根本的な質はなにも変わらない。そして、そういう思想性を持って制作された映像に対して、上映後に熱狂的な拍手が起きてしまう状況には、薄ら寒さを覚える。これは僕が感じた真実なので、誰になんといわれようが言及しておくべきことだと思う。こういうことにこだわり続けるのが、僕のスタンスなのだ。
上映後のロビーでは、双子の姉やパートナーさん、エディさんたちの前で、この怒りをぶちまけてしまったのだが、こういう気持ちを吐き出しても、とりあえず聞いてくれる仲間ができていることが嬉しかった。意見はいろいろ違ってもいい。素直に言い合えるかどうかが大事なんだと思うから。

論理的に突き詰めて考えると、よくわからない描写も多々出てくるし、超現実的な場面もいっぱいある。でも、世界とはそもそも論理で説明など付けようがない不条理に満ちているし、超現実的なものなのだ。物事を深く掘り下げて鋭く見つめる能力のある映画作家は、「論理」の世界からは卒業してこのように映像によって自身の「世界観」を創造して観客に提示する。
教え諭すのではなく、提示さえすればいいのだと思う。映画というものは。

なにより、客席が沸いていた。カットが切り換わるだけで爆笑が起こったり、驚嘆の声があがったり。実の兄のお嫁さんを好きになってしまう女の子が主人公なのだが、兄に対する嫉妬の眼差しが本当に恐ろしく、まるで昼メロで浮気をされた奥さんが、浮気相手をにらみつけるかのような、とんでもない目つきが出てきたりする。
映画は理屈じゃない。かといって、理屈を捨ててもなりたたない。その絶妙なバランスを模索しつつ、観客を飽きさせないための娯楽性も追及する。そんな、当時のクリエイター達の真剣な制作姿勢が伝わってくる、素敵な映像だった。

19日(日)の上映ではいよいよ、活動弁士界の第一人者、澤登翠さんが登場するというので、これは見逃せない。また違った生命を映画に吹き込んでくれるのだろうから、すごく楽しみだ。→FC2 同性愛 Blog Ranking