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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2009-07
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akaboshiコラム021●テレビのセクマイ表現に革命が起こった日


 「今週のセクマイ的★テレビチェック」で注目していた、7月13日(月)に放送されたNHK総合『アレ 今 どうなった?』での性同一性障害特集は、観終わった後に感動的なくらい、いろんな要素を過不足無く詰め込んで、現在の日本におけるセクシュアル・マイノリティの置かれている状況を丁寧に描くことに成功した番組だと思いました。

同番組は7月23日まで、ネットから購入視聴できます。

 近年の『ハートをつなごう』でセクマイが描かれているものを観た後に、僕が毎回のように必ず感じる「ムズ痒さ」を、まったく感じることがなかったんです。つまり、演出スタイルが洗練されていて、視聴者を信頼しているんだと思うんです。映像としての表現のセンスが、抜群に優れていたのです。

 スタジオはシンプルに、背景がなにもない真っ白な状態。もしかしたら制作資金を抑えるためなのかもしれませんが(笑)、なんらかの思想性を視聴者に押し付けるような「カラー」を付けないようにと、あえて封じる狙いもあるのかなと感じました。

 登場人物たちを「持ち上げる」わけでもなく、「卑下する」わけでもなく、その人の感じた真実を積み上げて視聴者に提示する。なんらかの感情的な反応を喚起させる種類のBGMが、あまり目立った形では使われていない。演出が抑制されているんですね。「引き算の美学」とでもいいましょうか。隙間がたくさん設けてある。だからこそ、その映像に対して視聴者が受け身ではなく能動的になることができ、自ら積極的に関与して行けるんです。

 つまり、制作者たちが視聴者に対して「こう思ってほしい」という押し付けが、最小限に抑えられている。スタジオでのコメンテーターたちのコメントも、VTRの内容をきちんと発展させる形で述べられており、その先は視聴者に考えさせることに成功している。

 視聴者を啓蒙対象あるいは救済対象として想定するのではなく、対等な「対話相手」として想定する。テレビ表現で、ここまで「視聴者を信頼した形」での番組が作れるのかと驚きました。毎週、さまざまなテーマの「忘れ去られようとしているニュース」を取り上げ、丁寧に検証しているというこの番組。いい番組を発見しました。

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サイモン・チュン「この愛の果てに」●MOVIEレビュー

 綺麗ごとでは捉えられないのが「心」

 家に男を連れ込み、男同士でセックスをしていたら、帰宅した母親に目撃される。「なんと汚らわしことを!」と嘆いた母親は、窓から飛び降り自殺する。そんな凄まじく劇的な場面から始まるこの映画は、ひたすら主人公が「堕ちて行く様」を描き出す。セックス依存、ドラッグ依存…。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月20日(月)にも上映あり。

 人生への不安をかき消すかのように、刹那的で享楽的な「ゲイ・ライフ」を謳歌する主人公。「一緒に幸せな家庭を築こう」と新居まで用意してくれる相手がいるにもかかわらず、なかなか夜の快楽から抜け出せない。やがて相手の通報により警察に補導され、更生施設に収容される。

 更生施設では「ゲイ」であることは封印せざるを得ない中、ヘロイン中毒だったという優しいノンケ男と仲良くなる。やがて施設を出た二人は、ノンケ男の彼女と3人での共同生活を始める。しかし現実の社会生活は、なかなか思うようには進まない・・・。

 「これでもか」「これでもか」というばかりに、とにかく堕ちる。ズブズブと地の底まで。堕ち切ったことによって初めて見える光のまぶしさというものはあるのだが、だからといって安易に主人公に光の恩恵を享受させないのがこの映画のテーマなのだろう。

 「ヒューマニズム」のような綺麗ごとでは人間存在は捉え切れない。「上がる」ためには時間もかかれば様々な積み重ねが必要になる。しかし「堕ちる」時には一瞬でまっさかさま。誰もがその恐怖や不安と隣り合わせであるにも関わらず、とりあえずは臭いものには蓋をしながら気を紛らせて日常を過ごしている。それが人間存在というものの宿命なのだということを、描き出したかったようだ。

 中盤から後半の展開があまりにも重く暗く、観終わった後にはとてつもない疲労感に襲われた。ずっしりと心の中に、鋼鉄の錘を入れ込まれた気分。「休日に映画祭で明るく楽しい映画を見よう」というニーズには応えないだろうが、地獄の底の闇の中からこの世を瞠るかしてみたいという欲望には、ある程度は呼応してくれる映画。堕ちるとこまで堕ち、漆黒の闇を経験した「心」には、もう怖いものなどない。FC2 同性愛 Blog Ranking

ユン・スー「分断の街で」●MOVIEレビュー

 映像は「分断」を氷解させ得るか

 深刻な題材を描いているはずなのに、全体的にカラフルで明るく逞しい生命力にあふれた映像で満ちている。

 事実としては「分断」を描いているのだが、映像が見事にそれを裏切り、言葉ではない映像ならではの表現で「連帯」とか「つながり」を浮かび上がらせているのだ。ドキュメンタリー映画というものが持つ「真の力」を感じることのできる、文句なしの名作だ。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月19日(日)にも上映あり。

 先日、関西クィア映画祭の東京上映会で観ることができた「0メートルの隔たり」と同じく、イスラエルとパレスチナの境界線に生きるLGBTたちの葛藤を描いた作品。

 なんと、同じ登場人物も出てきた。パレスチナ側に住むレズビアンである彼女は、『0メートルの隔たり』の時とは別の人物と付き合っているようなのだが、なんと、またしてもそのパートナーがイスラエル側のレズビアンなのだ。彼女はそういう状況に自らを追い込むことに、もしかしたら使命のようなものを感じているのかもしれない。

 彼女のことが好きだけど、親密な時間を過ごしている最中に、ふと、相手がイスラエル側の人間だということに気がつく。理性ではわかっていても、身体に染みついてしまっている「怒り」がこみ上げてくる。

 『0メートルの隔たり』で語っていた同じ気持ちを再び同じようにカメラに向かって語る彼女を見ていたら、生粋の活動家に独特の「したたかさ」を感じたのだが・・・それは「うがった見方」すぎるのだろうか?。

 映画にはイスラエルで唯一のゲイ・バーも登場した。ゲイだけではなく様々なセクシュアル・マイノリティが集い、ドラァグ・クイーンによるショーなどのクラブイベントが開催されている。まるで映画『MILK』で描かれた、70年代アメリカのLGBTクラブカルチャー黎明期の光景を見ているかのようだ。

 しかしその光景も、すでに過去形になってしまった。映画では、現地で唯一の貴重なそのゲイバーが、閉鎖される光景も映し出す。どうやら政治的な介入があってのことらしい。現地の状況は一進一退。世界中のセクシュアル・マイノリティに共通の課題である「自己受容のために交流する場所づくり」を希求する意志と行動は、イスラエルとパレスチナ情勢という大きな政治的事情を前にして、ただただ翻弄されるばかりなのだ。

 抗いようのない大きな力を前にしながらも、確実に着実に「つながり」を築き上げようともがいている現地のセクシュアル・マイノリティたち。深刻な状況であればあるほど、人は真に強くなるのだということを、映像が雄弁に語っていた。FC2 同性愛 Blog Ranking

エラ・レムハーゲン「パトリックは1.5歳」●MOVIEレビュー

 人は「孤独」で結ばれ合う

 さまざまな偏見やホモフォビア(同性愛嫌悪)を乗り越えて、やっと養子をとれることになったゲイ・カップル。スウェーデン郊外の住宅地でこれから、幼い息子との新たな家庭を築けるかと思いきや、役所の手違いで15歳の少年パトリックが養子として送り込まれる。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月19日(日)にも上映あり。

 少年のかつての家庭環境は荒み、犯罪歴も多数。過去には同性愛者へのヘイトクライム(憎悪犯罪)もやったことがあるらしい。こんな少年を引き取らざるを得なくなったゲイ・カップルは、パトリックとウマが合う/合わないということで亀裂が生じ、ついには別居生活が始まってしまう。

 このように「ゲイ・カップルの予期しない非行少年との生活」という物珍しい設定から始まるわけだが、次第に少年の抱えてしまった心の傷や孤独が見えてくる。そして、少年と心を通わせはじめたゲイにも、ホモフォビアと戦う日々という「孤独」があり、一緒にいることでその理不尽さを少年が理解しはじめる。

 互いに互いの「孤独」を理解して感じ始めたことが、両者の心の壁を突き崩すきっかけを作る。コメディタッチな展開の中で、鋭く深く心理描写が的確に行われており、ハートウォーミングなエンターテインメントとして、文句なしに楽しめる作品だった。

 日本で一般ロードショー公開しても十分に通じるのではないだろうかと思うほど、広く多くの人に観てほしい映画。FC2 同性愛 Blog Ranking

リチャード・ラクストン「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」●MOVIEレビュー

 イギリスの美輪明宏+東郷健

 予備知識を全く持たずに観たので、この映画のタイトルがスティングの大ヒット曲『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』と同名なのだということに、エンドロールで主題歌として使用されている時点で気付いてしまった(←無知なままで見過ぎだろうが。笑)。

 この大ヒット曲は、この映画の主人公である実在の人物、イギリスの作家であるクェンティン・クリスプのことを歌ったものなのだそうだ。

第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて上映。
作品紹介ページ・・・7月17日(金)にも上映あり。
Quentin Crispアーカイブページ

 1908年生まれで、今でいうところの「おネェ系」の走りとして1930年代のイギリスでブイブイ言わせていたクリスプは戦後、テレビ出演してその半生を語り「同性愛カミングアウト」を行ったことから有名人になる。しかし当時のイギリス社会の風当たりは強く、強烈なバッシングに遭う。

 このあたりはもしかして、日本でいうところの美輪明宏さんに置き換えて考えるとわかりやすいのかもしれない。美輪さんも戦後、早い時期から銀座の街頭を「オカマ」と後ろ指を刺されながらも歩き回ったり、バーで歌い踊っている姿がメディアに取材されて注目され、結果として数々のバッシングの嵐に見舞われた過去がある。

 イギリスを追われるようにして飛び出したクリスプは、ニューヨークでメディアやゲイコミュニティの人気者になる。70年代のニューヨークはストーンウォール以後ということもあって、ゲイ・コミュニティの活動も盛ん。なにより、クリスプの歯に衣着せぬユニークな「直言」が、カリスマ的な人気を博するようになる。

 ちょっと「時代遅れ」と思われがちな道徳観念や教訓を、若者に教え諭すように語りかけて人気を博すという点も、現在の美輪明宏さんと似通っているように思う。

 しかしクリスプは80年代のエイズ危機の時期に、お得意の毒舌調で「エイズは流行(はやり)病です」と言ったことから、主に同性愛者のコミュニティから大バッシングを受けることになる。

 当時、大きな社会問題となっていたエイズは社会の中で「ホモの病気」という烙印が付与され、ホモフォビア(同性愛嫌悪)と結びついて多くの同性愛者を苦しめていた。周囲で仲間が次々と死に行くゲイたちにとって、クリスプの言葉は乱暴すぎた。結果として、クリスプ本人の意思の及びつかぬ速度で言葉の暴力性が独り歩きをしてしまい、総スカンになる。周囲から仲間が次々と去って行き、社会的な地位も失う。

 90年代。再びクリスプは再評価される。クリスプに対して「トラウマ」を抱いていた世代がLGBTコミュニティの一線から退いたことで、若者たちが純粋に、「パイオニア」として再評価するようになったのだ。

 こうして晩年に再評価されたところは、日本で置き換えるのならば東郷健さんの最近のサブカルチャー・シーンでの再評価と共通しているのかもしれない。

 先行きの見えない現実の中で、時代の荒波を潜り抜け、時には隠遁しながらも91歳まで生き抜いた。この映画では、そんなクリスプの生涯を年代を追って描き出しながら、「アメリカのLGBTコミュニティ」の光と影をも描き出した。一つ一つのエピソードが淡々と飄々と描かれているように感じたのは、クリスプのキャラクターとも共通しているのだろう。

 「えっ!もう終わったの?」と感じるくらい、怒涛のような人生絵巻と歴史のうねりが、サーッと目の前を通り過ぎて行った75分間だった。FC2 同性愛 Blog Ranking

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