関西クィア映画祭の映画が、東京で6月に連続上映!

特に、トランス系・バイセクシュアル系の映画が観られるのは、実は東京ではなかなか無い、貴重な機会だったりして。
僕は3年前より自分の作っている映画の撮影が主な目的で関西のコミュニティ活動の場と、東京のコミュニティ活動の場を行ったり来たりする機会が多かったのですが。傾向として、関西ではトランス系の人たちが、ごく自然にゲイやレズビアンらと溶け込んで一緒にいる姿が「当たり前のこと」になっているのに対し、東京では・・・(お寒い状況)。
「も・・・もしかして、東京って遅れてる?」。ぶっちゃけ、そう感じていましたですよ、ええ(笑)。だから今回のような上映が今後も東京で頻繁に行われることで、そうした傾向を少しでも打破する方向に繋がればいいなぁと思い、今回の上映企画、おもいっきり賛同してますし、出来得る限り観にいきますっ!
この企画、日にちが分散されているのもいいですね~。関西クィア映画祭系の映画って内容が尖ってて、観るのに結構エネルギーが必要とされる場合が多いので、同じ日に何本も続けて観るのは内容を咀嚼するのに大変な思いをするんですよ(笑)。一つ一つをじっくり味わうことができそうで、そういった意味でもこの企画、ナイスです♪→FC2 同性愛 Blog Ranking●6/21(日)15:30~
パフナイト「男子であること 胸があること」
映画『男子であること』上映
パフスペース(早稲田) 1000円
※上映後、トーク(フレイザー真実+遠藤まめた)
→詳細はこちらの記事をご参照ください。
●6/24(水)19:30~
コミュニティーって誰のもの?(映画2作品)+交流会
映画「フェンスで囲われ追い出され」
映画「商業主義をぶっとばせ!ー「ゲイ同化」へのクィアな応答ー」
Cafe★Lavanderia(新宿2丁目)300円+1ドリンク
→詳細はこちらのサイトをご覧ください。
●6/26(金)18:30~
トランスジェンダーとバイセクシュアル
映画「トイレのレッスン」「何でも聞いてみよう」
MediR(高田馬場) 1000円
※上映後、フリートーク
→詳細はこちらのサイトをご覧ください。
●6/27(土)19:30~
「パレスチナではレズビアンが殺されている」にどう答えるか
~イスラエルによる占領にも、ホモフォビア(同性関係嫌悪)にも、反対するために
映画「0メートルの隔たり」
MediR(高田馬場) 1000円
※上映後、トーク(ひびのまこと)
→詳細はこちらのサイトをご覧ください。
●6/28(日)20:00~
インターセックスとバイセクシュアル
映画「BOTH」
Latitude☆P(四谷三丁目) 1000円
※上映後、フリートーク
→詳細はこちらのサイトをご覧ください。
LGBTの紙媒体★掲載チェック36●テレビの中の性的マイノリティ

「おすぎとはるな愛の違い」
「椿姫彩菜がいじられない理由」
「レズビアン・タレントはなぜいないのか」
・・・以上3つのテーマについて、性的マイノリティのことを詳しく知らない読者に向けて、わかりやすく説明がなされています。昨今のテレビに露出されている性的マイノリティのメジャータレントは、トランスジェンダーや同性愛者などの違いを無視して「おネエ系タレント」として一くくりにされがちで、実はかなり「違う側面がある」ことについては、なかなか視聴者の関心を喚起できていない側面があります。そこらへんの知識を補完するのに最適です。特に次の記述が印象的でした。
実は僕、これを読むまでは「べつにいいんじゃない?テレビ視聴者には、ザックリと『男女の規範から飛び出す人も居るんだ』ってことさえ印象付けば。」な~んて思っていたのですが、考えを改めようと思います(笑)。この説明はわかりやすいし説得力がありますね。これからは、こういう言葉をいかに発明できるのかが問われてくるような気がします。『少数派の中の差異を無視して、多数派の基準から外れた者を一緒くたにして済ますような考え方が、いかに横暴かは、民族問題に置き換えてみるとよくわかります。たとえば、もし米国で「東アジアの人たちは、皆似ているように見えるから、日本人も、中国人も、韓国人もみな同類で一緒くたにしてかまわない」と言われたら、多くの日本人、中国人、韓国人は怒るでしょう。それは、民族のアイデンティティを踏みにじる考え方だからです。
それと、まったく同じで、おすぎさんにはゲイとしての、はるなさんにはMtF(Male to Female)トランスジェンダーであるニューハーフとしてのアイデンティティがあるわけで、それらは尊重されるべきものだと思います。』
あ、あと。三橋順子さんの『女装と日本人 (講談社現代新書)』
たかがテレビ069●NHKスゴかったっす。

スゴかったっす。「報道」の枠内で、ついにここまで出来るようになったかNHK!と、かつて90年代に佐藤安南さんが悔し涙を流した話を聴き、NHK内に巣食っていたホモフォビアによって一人の有能なディレクターの活躍の場が奪われてしまったという事実を知った者としては、まるで子どもの成長を見守るような気持で見てしまいました。(←何様。爆)
NHKの報道ってのは基本的に「公平・中立」というタテマエを守り、「両論併記」を原則として踏襲せねばならないわけですが・・・(←絶対に真似できねぇ~!っつ~か、しようとも思わないし。そんな神様のような所業。)
今日の報道では、きちんとそのルール通りに、お行儀よく「賛成側」「反対側」双方を取材しながらも、キャスターの最後のコメントで、作り手の「主観」がさりげなく盛り込まれており、ゾゾゾッと感動するものがありました。制約の中で、制作者たちも闘っているんだなぁと思いましたよ。
ただ、これがもし同性婚に「反対する側」に賛同する形での主観が、さりげなく込められていた場合には、別の意味での「ゾゾゾッ」を感じたのでしょうけど・・・。そこが、NHK的なテレビ報道の「危険な面」なわけですが・・・。正味15分ほど。それほど長いわけではなかったので、そのうち文字起こしをブログに載せようかと思います。
それにしても。
表現が為される際には必ず「主観」による情報の取捨選択が行われており、つまり何にカメラを向け、どう編集するかというその行為自体がバリバリに「主観的な行為」であるにも関わらず、「これは客観報道です」という体裁を取らざるを得ない矛盾。そして、それを「客観的な報道であるに違いない」と信じて見てしまう視聴者の存在。
「テレビ報道」が築き上げてしまっている、この「大いなる欺瞞」は、一体どうやったら突き崩すことができるんだろう。本当に誠実な報道とは「これは主観的表現です。作ったのは人間ですから、公平・中立なバランスなんて取れる筈もありません」と明示した上で行われるべきだと思うんですよね。
インターネットの普及によって「個人発信」の主観的表現が日常的に「ありふれたもの」になった現代。そういったテレビ報道の「欺瞞性」とか「嘘臭さ」は、ますます際立って感じられますし、視聴者の多くにも本能的に感じとられやすくなってきているように思います。
いい加減、そこらへんのことから逃げずに向き合わないと、本当の意味で「マス・メディア」に未来は無いんじゃないかと思うんですけどね。→FC2 同性愛 Blog Ranking