八柏龍紀『「感動」禁止!~「涙」を消費する人びと』●BOOKレビュー

映画『おくりびと』を観たからなのだろうと思うが(笑)、家の本棚の中で、まだ読んでいなかったこの本が、やたらと目に付くようになったので読んでみた。
『「感動」禁止!―「涙」を消費する人びと』
昨今のWBCでの一時的な大熱狂や『おくりびと』ブームなどでも顕著なことだけど、「感動をありがとう!」だの「勇気をもらいました!」だの「必ず泣けます!」だのといった文句が、時にはナショナリズムと結びついたりしてメディアから宣伝文句として垂れ流されることは、とても多い。そして、実際に多くの人々が「泣くため」「感動するため」、あるいは「勇気をもらうため」に、チャンネルを合わせたり映画館に足を運んでお金を払ったりしている。
しかし、そういう方法で得られる予定調和な「感動」とは、果たして本当に、自らの内面から感じているものなのか?。
本来、自らの内面が自発的に生み出すべき「感動」を、約束どおりの方法でおせっかいな位に「きっかけ」を与えられないと感じられないような受け身の態度を身につけてしまっていることに、大して疑問を感じなくなってしまったのはなぜなのか?。要するに「一時的な癒し」さえ得られればいいというのだろうか?つまり、自分が快楽を得たいだけであって、単なる「エゴ」なんじゃないのか?。
そんな問いかけが、戦後から現代に至る、この国の社会や時代の状況分析とともになされていて、時に暴論や毒舌がすぎるような箇所も多々あり、意見を異にする記述も多いけれども、全般的には面白く読むことができた。
僕が特に面白いなぁと思ったのが、そんな「感動病」が増加する時流に乗って次第に増えてきている(と著者の指摘する)「自らのエゴ」に無自覚な人=「イノセントな人」について言い表わされていた次の表現。
これは、アグネス論争について論じている箇所で書かれていたものであり、著者の言う「誰もがあたりまえのように感じていること」とは、いわゆる「善良な市民ならこう考えて当然でしょッ!」という物言いで、大多数の者が思っている(とされる)「モラル」のこと。ま、つまりは「あんたにいちいち言われなくてもわかってるよそんなこと」という種類のものを指しているのだが。「イノセント」であることほど、周りの者にとって不愉快なことはない。「イノセント」であるのは、誰もが思っていることを、自分のものであるかのように独占することであるからだ。
誰もがあたりまえのように感じていることを、あたかも自分だけが特権的に感じとったかのようにふるまう。そして、それを相手に押しつける。周りの者には不快でしかないが、本人だけは、その独占や特権にまったく無自覚なのである。
何かを主張する時に、そういう「錦の御旗」を持ち出されると、言われた方は、「ぐうの音」も出なくなり議論が成立しないことがあるものだ。しかし、この世の中に「絶対的な正義」など無いということを前提とするならば、「モラル」どおりにすべての事柄を整備すれば「すべてが上手くいく」わけではない。現実とはそれほどに、複雑で難しい諸問題を抱えているのが常であり、そこを「どう調整し合うのか」が常に問い返され続けるものなのだ。しかし「イノセント」な思考に心酔している者には、その「複雑さ」への想像力がなく、「流動性」への耐度も低い。
この指摘。少なからず、自分にも当てはまる場合があったかもしれないと思って「アイタタタ・・・」と思った。そして、周囲を見渡してみても、こういう「イノセントの罠」にはまりこんでしまっているのに気付かずになされている言動が、まかり通っていたりすることにも気付く。自分がなぜ、「ある種類の物言い」に対して嫌悪感を抱くのか。この言葉によって整理されたような感じがする。
自らの「エゴ」が肥大して無自覚のうちに、「ピュア」で「イノセント」な物言いを高みから行うことってきっと、油断すると、誰もがすぐに陥りやすい「罠」のようなものではないかと思う。なぜならそれって、とっても気持のいいことだから。

大切なのは、その事実を素直に見つめ、「エゴイスト」である自分を徹底的に自覚しておくこと。自覚さえしていれば、コントロールできるわけだから。
最もタチが悪いのは「無自覚なイノセント」。つまり、自分のことを「善」だと思いこみ、「悪」の側面が「自分だけにはない」と思い込んで疑わず、特権的な位置から発言しているのに気付かないような輩。それがこの世で最も恐ろしいものだと思う。
その罠に陥らないために。
まずは、自らの内面の声に素直に耳を傾ける癖を付けることが必要だ。お仕着せの「感動」に慣らされて、宣伝文句に踊らされて「皆が思う普遍的なこと」があるかのように錯覚し、流される自分ばかりを肥大化させると、繊細な感性は失われる。その鈍感さは、知らず知らずのうちに一見「善」的に思える「イノセント」な言葉に、簡単に共鳴しはじめてしまう。
そのことだけには、気をつけたいものだ。「きれい」なものほど「汚い」ものは、ないのかもしれないからね。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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