工藤静香リスペクト038●YOSHIKIさんの告白。そして「深紅の花」
3月19日に放送された日本テレビ「NEWS ZERO」。X JAPANのYOSHIKIさんが登場し、かつて父親を自殺で亡くしていたことを初めて告白しました。
●YouTubeより引用~X JAPAN YOSHIKI特集@ZERO
YOSHIKIさんが音楽で表現してきた世界観は、一言で言うならば「孤独という凶器の影と光」ではないでしょうか。独特の厭世感と結びつき、多くの人々に共鳴し続けてきました。それが生みだされてきた原点の一端に触れられたという意味で、感銘を受ける映像でしたし、本人が淡々と語っているからこそ逆に、内面の様々な苦しみや葛藤が浮かび上がっているように思いました。
さて。
こういうとき。工藤静香ファン(&研究家)としてはどうしても、YOSHIKIさんのことを「かつて付き合っていた人」として見てしまいます。どうやっても、その感覚だけは拭えません。YOSHIKIさんのファンの方、どうかご了承ください。1994年当時、互いにわりとオープンにしていたようですし、『Blue Rose』でNHK紅白歌合戦に出場した時にも、X JAPANと工藤静香が曲順で「対決」させられたりと、(NHK紅白ってたまに、こういうあざといことするんですよね~)半ば「皆が知ってる公認の仲」として扱われていた時期もありました。
デビューから6年間。93年の『あなたしかいないでしょ』までのシングルはすべて後藤次利作曲で統一されていた「工藤静香の音楽世界」ですが、94年の『Blue Rose』からはガラッと一新。セルフ・プロデュース期に突入します。ちょうどその時期にYOSHIKIさんと深く付き合っていたわけですし、楽曲の世界観の面でも多大なる影響を与えあっていたようですから、「表現者・工藤静香」の軌跡を語る際には絶対に外せない人なんです、彼は。
しかし1995年のアルバム『Purple』
(名盤!)には早くも「virgin flight -1996-」という曲でYOSHIKIさんとの別離をほのめかすような詩を書いているので、付き合いはそれほど長かったわけではないようなのですが。その後、2人は「作曲家」と「歌手」として再びタッグを組むことになります。
2000年11月8日に発売された35枚目のシングル『深紅の花』
。当時、PONY CANYONとの契約が切れ、歌手活動が事実上停止してしまっており、木村拓哉さんとのサーフィンデートや交際ぶりばかりがマスメディアを賑わせていた頃。「歌手・工藤静香」に継続的な活躍の場を提供したのは、なんとYOSHIKIさんだったのです。
EXTASY RECORDSというYOSHIKIさん主宰のレーベルから発売されたこの曲は、YOSHIKIさんのプロデュースに全てを委ねて「ボーカリスト」に徹しているからこそ出せたのであろう、素直で透き通ったまっすぐな歌声が全編に渡って冴えわたっており、これぞ「作品」と呼ぶにふさわしい出来だと僕は思っています。
●YouTubeより引用~深紅の花
絶え間なく崩壊していく世の無常に対し、屹立する個。やさしく包み込む母性。闇の中から一条の光を見つけ、歩きだす。
YOSHIKIさんの表現衝動の根幹には、肉親の自殺という辛い記憶があり、孤独との戦いがあった。そして、「工藤静香」の楽曲世界にも色濃く、同じような孤独が、時として影を落としています。実は彼女、中学生の時にお兄さんを交通事故で亡くしているのです。(幼いころから「お兄ちゃん子」だったと、よく発言しています。)上記で紹介した『Purple』
というアルバムには、「Tomorrow's river」という曲が収録されているのですが、どうやらお兄さんに向けて歌われているようです(本人の自作詩)。
2人にあった共通点。そのことに気付かされた、YOSHIKIさんの告白でした。
ところで。番組で触れられていましたが、自殺者の遺族というのは、自らが「永久に答えの出ない苦しみ」を抱え込むだけではなく、周囲からのさまざまな偏見や誤解にも悩まされ、そのことを口には出せなかったり、人知れず内面に抱え込まなくてはならなかったりするのですね。
この長い年月、YOSHIKIさんがこの事実を、表立っては全く「語れなかった」ということ。表現として世の中にぶつけ続けざるを得なかったということ。その重みは想像を絶するものです。また、彼はそういう「吐き出し口」を見つけられたから良かったものの、そうでない人は、いったい・・・。潜在的な「精神的マイノリティ」の存在を発見し、視野が拓かれたように思います。→FC2 同性愛 Blog Ranking
●YouTubeより引用~X JAPAN YOSHIKI特集@ZERO
YOSHIKIさんが音楽で表現してきた世界観は、一言で言うならば「孤独という凶器の影と光」ではないでしょうか。独特の厭世感と結びつき、多くの人々に共鳴し続けてきました。それが生みだされてきた原点の一端に触れられたという意味で、感銘を受ける映像でしたし、本人が淡々と語っているからこそ逆に、内面の様々な苦しみや葛藤が浮かび上がっているように思いました。
さて。
こういうとき。工藤静香ファン(&研究家)としてはどうしても、YOSHIKIさんのことを「かつて付き合っていた人」として見てしまいます。どうやっても、その感覚だけは拭えません。YOSHIKIさんのファンの方、どうかご了承ください。1994年当時、互いにわりとオープンにしていたようですし、『Blue Rose』でNHK紅白歌合戦に出場した時にも、X JAPANと工藤静香が曲順で「対決」させられたりと、(NHK紅白ってたまに、こういうあざといことするんですよね~)半ば「皆が知ってる公認の仲」として扱われていた時期もありました。



EXTASY RECORDSというYOSHIKIさん主宰のレーベルから発売されたこの曲は、YOSHIKIさんのプロデュースに全てを委ねて「ボーカリスト」に徹しているからこそ出せたのであろう、素直で透き通ったまっすぐな歌声が全編に渡って冴えわたっており、これぞ「作品」と呼ぶにふさわしい出来だと僕は思っています。
●YouTubeより引用~深紅の花
絶え間なく崩壊していく世の無常に対し、屹立する個。やさしく包み込む母性。闇の中から一条の光を見つけ、歩きだす。
YOSHIKIさんの表現衝動の根幹には、肉親の自殺という辛い記憶があり、孤独との戦いがあった。そして、「工藤静香」の楽曲世界にも色濃く、同じような孤独が、時として影を落としています。実は彼女、中学生の時にお兄さんを交通事故で亡くしているのです。(幼いころから「お兄ちゃん子」だったと、よく発言しています。)上記で紹介した『Purple』
2人にあった共通点。そのことに気付かされた、YOSHIKIさんの告白でした。
ところで。番組で触れられていましたが、自殺者の遺族というのは、自らが「永久に答えの出ない苦しみ」を抱え込むだけではなく、周囲からのさまざまな偏見や誤解にも悩まされ、そのことを口には出せなかったり、人知れず内面に抱え込まなくてはならなかったりするのですね。
この長い年月、YOSHIKIさんがこの事実を、表立っては全く「語れなかった」ということ。表現として世の中にぶつけ続けざるを得なかったということ。その重みは想像を絶するものです。また、彼はそういう「吐き出し口」を見つけられたから良かったものの、そうでない人は、いったい・・・。潜在的な「精神的マイノリティ」の存在を発見し、視野が拓かれたように思います。→FC2 同性愛 Blog Ranking
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