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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2009-01
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アンドレ・シェーファー「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」●MOVIEレビュー

「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ。」

 関西クィア映画祭にて2度目の鑑賞。たぶんこの映画の監督は、あの伝説の同性愛映画史映画『セルロイド・クローゼット』から滲み出ているジメジメ&鬱々とした雰囲気を刷新したかったのだろうと感じた。

 『セルロイド・クローゼット』においては、インタビューに出演している監督や俳優たちの撮影の多くが、暗い室内で照明を横から照らして光と影のコントラストを強調していたのに対し、この映画では照明はほとんど使用せず、野外の自然光を意識的に活用しながら明るめに撮っている場面が多かったからだ。

 もちろん「フィルム」と「デジタル」の撮影機材の違いもあるわけだが、手持ちでラフにインタビューを撮っている場面もあるなど、「アンチ・セルロイド・クローゼット」の気概があちこちで感じられた。こんな風に「アンチ」(あるいは「ポスト」を期した作品)が出るというのはすなわち、それだけ影響力のある映画だったということでもあるわけだが。

 また、『セルロイド・クローゼット』は、「いかにこれまで、ハリウッドで同性愛的・クィア的描写が隠されてきたか」とか、「当事者たちが迫害を恐れながらも、いかに工夫して表現に自らのセンスを忍ばせていたか」を公に露わにするという、一昔前の「活動家チック」な動機が満ち満ちていた映画だったと言える。

 それに対してこの映画は、冒頭からジョン・ウォーターズ監督の「ゲイであることは特色でもなんでもない。要は質の良い映画を作れるか作れないかの問題だ」という発言を使うなど、すでにゲイの存在が表現者の世界では一般化されており、セクシュアリティの特殊性が「表現者としての選民意識」と結びついていた時代が、とっくの昔に終焉している事実を観客に突き付ける。

 そうは言ってもやはり、今日のような表現環境が達成されるまでには先人たちの「戦い」があったことをリスペクトし、主に「セルロイド・クローゼット以降」に活躍した非ハリウッド系出身のゲイ監督たちの仕事を振り返る。ペドロ・アルモドバルやガス・ヴァン・サント、ジョン・ウォーターズ、フランソワ・オゾン、デレク・ジャーマンなどなど。作品のみの引用もあれば、監督インタビューもあり。

 いちばん多く発言が使われていたのはドイツのクィア系映画祭の実行委員の人。クィア系映画の近年の動向について、やたら博識が広いから使いやすかったのだろうが、解説ばかりなので何を言ってたのかはあまり印象に残らなかった。そういうところが「真面目すぎる」映画かなぁとも思う。監督の主観が消され気味なところがNHKっぽい。

 『セルロイド・クローゼット』が作られた時代はある意味では、「なんとか我々の存在を可視化したい」という表現の目的や動機が単純化されやすく、監督の主観もわかりやすい形で作品に載せやすかったのだろう。すなわちベクトルが単純だったから。

 しかしそのベクトルの指示していたビジョンがある程度は達成され、「多様化」が進みつつある世界のクィア映画を「語る」というのは、こんなにも難しく捉えどころがなくなって来ているのかという事実が、如実に表れている映画ではあった。

 そんな中でも具体的に焦点が絞られて印象的だったのが『ブロークバック・マウンテン』にまつわる様々な意見。ゲイ映画としては未曾有の大ヒットを記録したあの映画。本当はガス・ヴァン・サントが監督する予定だったそうだ。本人がインタビューに出演して答えているところによると、ブラッド・ピットなどの大スターを起用した形でないと成功しないと思っていて、思うようなキャスティングが実現しなかったことなどが理由で企画から降りてしまったとのこと。つまり当時、ブラッド・ピットはゲイ役を断ったという事実が暗に語られていた(笑)。

 結果的に、いわゆる「ヘテロ」であるアン・リーが監督をして大ヒットとなったのだが、ガス・ヴァン・サントが言うには「もしも自分が監督していたら、あそこまでヒットはしなかっただろう」とのこと。他のインタビュー出演者たちの多くも「あれは非当事者が制作したから、いわゆるマジョリティ側に受け入れられやすい形になったのだ」と分析していた。

 つまり当事者的視点から見ると、いくつか描写にはリアリティが欠けると感じられるものがあるものの、「保守派をも含めてメイン・ストリームに受け入れられやすい形」で生み出され、結果的に社会現象を巻き起こした点は評価するという意見で、この映画の出演者の多くの人々の意見は一致していた。(こういう風に編集でまとめているということは、監督もそういう意見なのだろう。)

 僕としては、そうとは決めつけずにぜひ今後、ガス・ヴァン・サント監督に『ブロークバック・マウンテン』を作って欲しいなぁと空想した。綺麗に作ることで「メインストリーム受け」を意識することはアン・リーが既にやったので同じことをする必要はもう無いわけで、今度はとことんリアルに泥臭い形で作って欲しい。意外とそういう割り切りで制作されたものがヒットする場合だって無きにしもあらずなわけで。『MILK』での成功を生かしてぜひ!(笑)。

 他にも『L word』の脚本を手掛けているレズビアン監督が「レズビアン映画はまだ量的に少なく、質も高いとは言えない」と苦言を述べたり、『異国の肌』の監督が「必ずしも同性愛映画としての意識では作らなかった。」と述べたりと、百花繚乱のクィア映画界の多様っぷりが示されて映画は終わる。刺激や濃度は高くないけれど、楽しく気軽に、1980年代後半以降のクィア映画を「ざっくりと」振り返るには適した映画ではあった。

 ただ、日本やアジアの動向にまったく触れてなかったのが残念。動きが無いわけではないはずなのだが。たぶん、この映画の根底に流れていて最後のセリフでも使われていた「カミングアウト!」的な前のめりな楽天性からは、はみ出てしまっているだけなのであろう。アジア映画の中のクィア映画の面白さとか、その分析をする映画が、これから出てくるべきだと思った。

 あと、日本版の『セルロイド・クローゼット』も。まずは「いかに隠されてきたのかっ!」っていう、おもいっきり活動家チックな路線でもいいから、作られるべきだと思う。FC2 同性愛 Blog Ranking
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たかがテレビ062●「ハートをつなごう」のLGBT第2弾 今夜放送

 昨年11月には、ETVワイド「LGBT」放送の2日後にパフナイトでの「言いたい放題トーク」にお付き合いくださった『ハートをつなごう』のディレクターご両人。その節はたいへんお世話になりました。

 僕としては現時点で言いたいことも書きたいことも全て出し尽くしましたのでカラカラです(爆)。そして、人の批判をするということは自分のハードルを上げるということでもありますので、結構ビビっております(←自業自得。笑)

 ところで写真では右側に座ってらっしゃる細見明日子ディレクターが担当している「LGBTシリーズ」の第2弾が、早くも放送されますよ。26日(月)と27日(火)の20時からNHK教育テレビにて。小耳に挟んだ情報では、どちらかの日程で札幌の「LGBTの子を持つ親の会」が取り上げられるとか。

 この会は、おそらく日本でいちばん古くから活動している「親の会」なのだそうで、近年のレインボーマーチ札幌では「おにぎり」を作ってブース販売するのが恒例となっています。昨年もおいしくいただきました。そして僕個人の思い出としては、2006年に初めてレインボーマーチに参加した時に聴いた、この挨拶が忘れられません。

第10回レインボーマーチ札幌2006●LGBTの子を持つ親の会のお母さんからのメッセージ
  

 カメラ廻しながらジワーッと涙が出ました(笑)。「家族との関係」って、結構自分にとってはセンシティブな問題なんだなぁと気付かされたんですよ。このお母さんたちの笑顔の裏にある様々な歩みが取材され、番組で見られるとのことなので、ものすごく楽しみです。FC2 同性愛 Blog Ranking

アンジェリーナ・マッカロネ「異国の肌」●MOVIEレビュー

 イランではレズビアンとして生きられない。亡命先で男性として振る舞い女性に恋をする。

 3年前にドイツ映画祭で偶然見かけ、「なんでクィア系映画祭で上映されないんだろう」と不思議だった映画。さすがは関西クィア映画祭。滅多に上映される機会はないだろうから、どんな映画か詳細に記しておきたい。 (注:ネタばれです。)

 イランで既婚女性と恋仲になった女性が、本国には居られなくなって亡命するところから物語は始まる。イランでは同性愛関係が発覚すれば、社会的に抹殺されてしまうのだ。途中で同じ亡命者の男性の自殺を発見したことにより、衣服を借りて身分をすり替えることに成功する。そしてドイツで「その男性」に成りすまして、別人格の労働者として過ごす日々が描かれる。

 胸をつぶすためにサラシを巻いたり、がに股で歩いたり無口を装ったり。工場労働で汗だくになるにもかかわらず男性更衣室ではシャワーが浴びれなかったりと、まるでFtMトランスジェンダーの思春期のライフヒストリーのエピソードのように「女性の身体を隠蔽する」日々が続く。

 当然、そんな様子は周囲から不審に思われるのだが、そういう「周囲の視線」とか「他者の視線におびえつつ、悟られまいとする心情」だとかが、ちょっとした仕草や表情を通して丁寧に繊細に描き出され、息が詰まるような緊張感が持続する。

 やがて同じ工場労働者の既婚女性が、主人公に興味を示して近づいて来る。次第に接近する2人の関係性。既婚女性はどうやら最初は、主人公の醸し出す「謎の佇まい」に惹かれていたようだ。しかし次第に性的に惹かれ始めたらしい。混乱しながらも、その衝動は抑えられなくなって行く。

 主人公としても、その女性が気になり始めていく。表向きは「ヘテロ男性」として。内面は「レズビアン」として。女性と過ごせる時間が待ち遠しくなっていく。

 しかも既婚女性は、主人公が女性であることを早いうちから見抜いていた。手を握って観察したときに華奢であったことから察知していたのだ。それでも周囲には他言しない。秘密は心の中だけに留め、ますます接近し、やがて主人公と肉体的に結ばれる。

 その場面が秀逸。男性を装っている主人公の衣服を脱がし、胸の膨らみを隠すためのサラシを見ても動じずに、そっと、ゆっくりと解いていく。まるで心の武装解除をやさしく解いていくかのように。

 既婚女性は口にする。「私、混乱しているの」と。それでも、身体と心が求める衝動の流れは止められず、さまざまな障壁や謎を無化した上での至福の瞬間が、2人の女性に訪れる。

 しかし。

 主人公はそれから程なくして、本国に強制送還されることになる。成りすましていた男性が政治犯だったため、本国の政治情勢が変化したことにより帰国できることになったのだ。すでに自殺しているが、生きていることになっている別人格の男性としてドイツ国内で振舞ってしまった以上、従わなくてはならないのだ。

 その嘘はおそらく本国に帰ればバレることだろう。せっかく全てを分かち合った女性とも別れなければならない。映画はここで終わる。彼女らを翻弄する「大きなもの」を告発するかのように。

 自分を押し隠して生きることの孤独と空虚。解き放たれる瞬間の輝きと儚さ。常に多義的な感情を喚起させられ続け、細いガラス糸の上を歩いているかのような気分になる映画。それでも強く印象に残ったのは、主人公の生命力と逞しさ。そして、それを結局は踏み潰す「大きなもの」の非情・・・。FC2 同性愛 Blog Ranking

Jules Rosskam「トランスペアレント」●MOVIEレビュー

 親になったFtMトランスジェンダーが次から次へと19人。それぞれの人生模様。

 第4回関西クィア映画祭にて日本初上映。「transparent」というタイトルの通り、「親になったFtMトランスジェンダー」が19人、次から次へと出てくるインタビュー・モザイク構成ドキュメンタリー。

性別違和を感じる

そんな自分を受け入れる(あるいは付き合い方を発明する)

妊娠する(もちろん妊娠しない人もいますが。)

出産という経験

子どもとの関係の作り方。

 だいたいこういう順番で、映画全体が「FtMトランスジェンダー」の人生のプロセスを時系列に描いているようにも思えつつ、その時々の過程を一人ひとりが全然違う方法や気持で、葛藤したりすんなり過ごしたり、悩んだり悩まなかったりという「多様さ」を観客に意識させる形で編集が組み立てられている。

 つまり、画面が切り替わって次の人が出てくるたびに、その前に語っていた人の発言が「裏切られていく」構成。その連続を見ていると自然と、「あぁ、一口にFtMトランスジェンダーと言っても千差万別なんだなぁ」と、観客の感覚がぐるぐると掻きまわされる。

 僕が特に惹きこまれたれたのは、やはり「妊娠→出産」のあたり。なにせFtMの妊娠ということは、心の性が「男性」であるのに「女性」としての身体に、否が応でも向き合わされる体験なわけで。どういうことなのか、当事者としての感覚がとても気になる。

 ある人は、トランスとしての意識が中途半端な時期だからこそ乗り越えられたり。ある人は、ずっとビンタを食らわされているかのような感覚に苦しんだり。ある人は、身体の変化を「神秘」だと感じて楽しむことが出来たり・・・。

 性の多様性はあれど「妊娠が可能な身体」と、「不可能な身体」というのはあるわけで。僕は自分が、どう転んでも「妊娠が不可能な身体」なので、こんな風に妊娠というものを仔細にわたっていろんな角度から語られると、ちょっとばかり嫉妬心さえ湧きあがるくらいだった。

 終了後のトークでも語られていたが、この映画は、いわゆる「ヘテロ女性」にも「妊娠」や「出産」そして「子育て」を、新鮮な切り口から面白く考えなおすきっかけになるのではないかと思う。

 セクマイであることって、自分の身体感覚や主観を丁寧に分析して語ってみることによって、こんなにも「面白く」世界のありようを語り直すことが出来るんだなぁという風に、感じさせてくれる映画だった。「表現の持つ力」を感じた。見れたことが嬉しかった。FC2 同性愛 Blog Ranking

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