akaboshiコラム005●まめたの名言

10月1日(水)に放送された「LGBTシリーズ」第一夜は、僕が『ハートをつなごう』を見るといつも感じる「むず痒さ」を感じることなく、むしろ「学びながら見た」という感じだった。描かれたテーマが、あまり自分に引き付けては感じられないものだったので、思い入れが深くなかったからかもしれないが。
今回はRainbow Collegeというセクシュアル・マイノリティ・インカレ・ネットワーク(2006年5月の尾辻かな子講演会をきっかけに発足)がフィーチャーされていた。彼らのエピソードを聞いていて自分で驚いたのは、「僕には思春期の気持ちがわからない」ということだった。
僕は思春期には恋愛感情を誰かに抱くことが、ほぼ無かったに等しい。だからと言って不幸でも孤独だったわけでもなく、部活動や生徒会活動を掛け持ちして忙しく熱中していたので、気持ちは充実していた。つまり自分のことをゲイだと認識するような暇がなかったのだと思う。たぶん当時は「オカマ」という言葉は知っていただろうが「ゲイ」という言葉は知らなかったような気がする。「オカマ」だとからかわれる人のことを一緒に笑っていた記憶があるし、むしろ、からかわれることを逆手にとって人気者になっている人もいたので「目立っていいなぁ」と羨ましくさえ思っていた。LGBT当事者の端くれとしては、なんて暢気な学生生活だったんだろう。

そのスタイルを模索する上でのポイントはきっと、「泣き」よりも「笑い」 の方にあるような気がする。「泣き」は自己に没頭する形でもたらされるのに対し、「笑い」は自己を突き放して落としてこそ生むことが出来る。つまりプライドに凝り固まっている人にはなかなか体現出来ない芸当である分、難しいのだが。プライドを捨てることは人と深くコミュニケートする上での必須条件ではないかと、よく思ったりする。
また、Rainbow Collegeには「ゲイ」や「レズビアン」など自分に付随するアイデンティティを見つけたこと に喜びを見出すタイプと、そういう境地からすらも解放されること を望むタイプがいるのだということが、カラオケボックスでの取材VTRと後半のスタジオトークで、はっきりと対比的に描かれていて面白かった。
このブログでおなじみの遠藤まめた君は後者のタイプ。彼が言った次の発言にすべて集約されている。
「『なりたいもの』になっていいし、『なにもの』にもならなくてもいい。べつに『レズビアン』にならなくてはいけないわけでもないし、『こうやって生きなきゃいけない』ってのがあるわけでもない。自分を、『あぁ、こうやなぁ』ってスーッて持っていける方向に入って行って、それで生きていけるんだということを言いたい。」

もし、ディレクターがこの言葉の深さに気付いた上で構成を組み立てて編集したのだとしたら、その選択眼は鋭かったと言えるだろう。真の「多様性」を理解した上での番組づくりがこれからも期待できそうで、新シリーズの今後の展開がとても楽しみになった。→FC2 同性愛Blog Ranking
スポンサーサイト