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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

パフナイト★47●ようこそ、まめたのパフタヌーン~最新学生事情03●周りと自分が違うかも、と気付いたのは?



 みかんの皮トークで盛り上がった後、まめた君はさっさと話題を変えました(笑)。「自分って、なんだか違うのかも」と気付いたときの捉え方も、皆さんそれぞれにバラバラで面白いですね。

03●周りと自分が違うかも、と気付いたのは?
  

 「マイウェイ貫いちゃってるんでぇ~」って、なんかカッコいい言い廻しですね、どっかで使おっと(笑)。さて、司会なのにマイウェイ貫き気味な、まめた君が仕切りのハラハラトークは、この後どんな展開になってしまうのでしょ~か!?同性愛 Blog Ranking
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薔薇族は生きている055●ゲイ向けアダルトビデオ事始め

 『薔薇族』昭和56年9月号に掲載された「ゲイ向けアダルトビデオ」の発売を告げる広告です。「ホントにアダルトビデオの広告なの?」と思ってしまうほど素朴だし、エロさに欠けますね~(爆)。


 「結婚と100号とアダルトビデオ」と題して1981(昭和56)年当時の『薔薇族』を現在の視点から振り返っている薔薇族394号には、「ゲイビデオという『黒船』が、『薔薇族』にもたらしたもの、およぼした罪」という特集を5ページにわたって掲載しています。当時の誌面からグラビアも多数紹介しつつ、ゲイビデオの発売によって以後の『薔薇族』がいかに変容してしまったのかを、文志奇狩都氏がシビアに検証しています。かなり辛らつな批判も書かれていますので、ぜひお読みください。

 さて、伊藤文学さんがはじめて制作に関わったゲイ・ビデオは『青春体験シリーズ 少年・純の夏』と題され、製作=アポロン企画、原案=木村べん、脚本・監督=三好洋一、制作=伊藤文学という布陣で1981年8月22日に売り出されました。発売元は(株)フェスタ・エンタープライズ。薔薇族を発行していた第二書房の中に設けられたグッズ販売会社でした。では、当時を回想する伊藤文学さんのコメントを御覧ください。

伊藤文学さん、薔薇族394号発売記念トーク04●ゲイ向けアダルトビデオ事始め
  

 文学さんの話に出てくる『薔薇と海と太陽と』や『愛の処刑』(三島由紀夫原作)を公開する際に使用された「薔薇族映画」という呼称は、今でもレンタルビデオ屋などでゲイビデオを分類する際に使用されたりしていますね。

 日本でビデオが発売されたのは1975年であり、その6年後である1981年当時は一般にはまだそれほど普及していなかったわけですが、雑誌『薔薇族』とタイアップして制作された薔薇族映画のビデオ化は、ものすごく大きな反響を呼び起こしたそうです。

 なにせ『少年・純の夏』なんかは収録時間が30分しかないのに18000円という、今からするとべラボーな値段が付けられているにも関わらず(笑)、かなり売れたらしいですよ。ダビング担当だった間宮浩さんは大量のビデオをヨドバシカメラでやたらと買い込むため、店員から「お得意さん」として一目置かれていたそうです。

 きっと「薔薇族映画」をビデオで見たいがために、当時まだ高価だったビデオデッキを購入した読者がたくさんいたことでしょう。ビデオデッキの普及に陰ながら貢献したのは、薔薇族の読者だったのかもしれませんね。

 薔薇族が切り拓いた「ゲイ向けアダルトビデオ市場」には、やがてポルノショップ等が続々と参入し、活況を呈します。次第に、当初はおとなしかったエロスの描写がどんどん過激な方向にエスカレートし、性器の「モロ出し」が横行するようになるわけですが、そうなると警察が黙ってはいなくなるわけで。経営者の多くが検挙されてしまう事態になってしまうわけですが、文学さんはそうなる前に「これは危ない」と察知して、アダルトビデオ市場からは早々に手を引いていたそうです。

 1971年から雑誌『薔薇族』を発行し続けてきて、何度も発売禁止を食らったり始末書を書かされたことで培われた嗅覚が働いたのでしょう。う~ん・・・ああ見えて、なかなかの「したたか者」なんですねぇ(笑)FC2 同性愛Blog Ranking

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