性的マイノリティーの当事者が語る「生きづらさ」とは03●斉藤幸太さん01●小学生時代、同じ感覚の人がいなかった

まめた君に続いては、立教大学学生の斉藤幸太さんのスピーチです。小・中・高・大学と進むに連れて、その時々に特有の「生きづらさ」があったという斉藤さん。その経過をわかりやすく、ディテールにこだわりながら語ってくれました。まず今回は小学生の時のエピソードから。
斉藤幸太さん01●小学生時代、同じ感覚の人がいなかった
「楽しかったから、友人として」女の子と一緒に遊んでいたのに、高学年になるにつれて「女ったらし」と呼ばれるようになったという斉藤さん。
小さい頃は性別なんて関係なく、男女が混ざり合って遊ぶことが多かったはずなのに…。成長するにつれて否応なく区別されて行きますし、そのことに違和を感じても、そういう意見を表明することへの抑圧が強くなります。そして「男の子らしく」「女の子らしく」というジェンダーを素直に受け入れることの出来ない子どもは「自分がおかしいのではないか」と自分を責めるようになってしまうのです。
斉藤さんの話を聞きながら、「あぁ、そう言えば僕もかつて、そういうことを疑問に思ったことがあったっけ」と、忘れていた感覚が蘇ってくる気がしました…というよりも、忘れていた自分に気付いてショックだったというのが本当のところ(爆)。大人になるって嫌だね~感受性が鈍ってしまうだけのような気がします(涙)。
斉藤さんの話は5回に分割してお届けします。次回は中学生時代のエピソードです。→FC2 同性愛Blog Ranking
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