薔薇族は生きている049●伊藤文学さんのところにゲイ雑誌Badi(バディ)の取材がっ!04●断絶の時代に終焉を

ゲイ以外の方、あるいは「ゲイ・コミュニティー」に疎い方には馴染みがないかもしれないのですが、『バディ(Badi)』というゲイ雑誌があります。14年前に創刊され、今やゲイマガジン業界では売り上げNo.1を誇っている(らしい)のですが、編集部の相沢さんという方が伊藤文学さんに取材を申し込んだということを聞きつけ「これは一大事っ!」と思い、10月23日行われた取材の様子をカメラに収めました。
01~03の映像はこちら。
04●断絶の時代に終焉を
なぜ一大事だと思ったかって?。『バディ』と『薔薇族』(伊藤文学さん)は今でも、精神的に敵対関係にあるのではないかと思い込んでいたからです。

90年代に入ってからの日本の同性愛者ムーブメントは、誤解を恐れずに言ってしまえば「先行世代のクローゼット主流な生き方と、偽装結婚を『止む無し』として実行すること」を変え、「カミングアウトを進めて新たなライフスタイルを創造しよう」という空気が強くなった時代だったようです。革命というのは基本的に、先行世代を否定することで遂行されます。それは一部ゲイメディアや言論人によって、いわば「戦略的に」行われたものだと言ってもいいでしょう。
1991年にマス・メディアで起こった「ゲイ・ブーム」の波に乗り、90年代初頭のゲイ出版界は未曾有の好景気を迎えたそうです。1994年には『バディ』が創刊され、当時の編集者・小倉東さんによって「ハッピーゲイライフ」がキャッチフレーズとして打ち出され、それまで『薔薇族』の独壇場だった「若年層」を読者ターゲットとしたキャンペーンが繰り広げられます。その際に、わかりやすい攻撃対象の一つとして設定されたのが「当事者ではないにも関わらず売り上げ第一位のゲイ雑誌を発行している伊藤文学氏」だったのではないかと僕は推察しています。当時の『バディ』を見返すと、「これまで20年間、日本の同性愛事情はなにも変わらなかった」というようなことが書かれたりしているので驚かされます。まぁ、狭い市場の中でシェアを奪い合う「ライバル誌」だったわけですから、よくある話しではあるんですけどね。

きっとその頃の文学さんは、20年間も部数第一位の雑誌を出し続けて来たわけですから、ある意味では「権威」になっていたという面もあるのでしょう。でも、あの性格だから自分が本当に感じることしか言わないし、納得してもいないのに「義務」で動くような人でもない。だから90年代のムーブメントに『薔薇族』はどんどん乗り遅れていったようなんです。そしてますます「編集長が当事者ではないから駄目だよね」と短絡視され、攻撃されたというわけで。
僕は「90年代リブ」の頃は大学生でしたし「ゲイ」であることに向き合う暇もないほど忙しく過ごしている「演劇バカ」だったので、パレードの開催とか「90年代ゲイ・ブーム」がメディアの世界で起こっていたことを全然、知らずに過ごしました。文学さんの過去に対しても自分の経験としての予備知識がないので、何の感情も湧きません。ただ単に「おもしろいおじいちゃん」だと思ってるし、まっすぐに言いたいことを言える性格とか、好奇心が旺盛で少年のような感性をうらやましいと思って尊敬しています。

その一つは、先行世代の人々との構造的な「断絶」がそのままにされ続けていることだと思います。初期の『薔薇族』誌上では読者からの投稿の掲載が中心となっていたのですが、読者同士や編集部との豊かな精神的コミュニティーが、たしかに形成されていました。その人間的で生き生きとした交流や、「隠れていないで表へ出よう」と創刊当初から呼びかけた文学さんのメッセージにより、個別に自らのライフスタイルを創造するための勇気を得た人たちも少なからずいたはずです。
しかし現在の語られ方では「90年代リブ以前の世代=『薔薇族』世代」は自らを偽って偽装結婚をし、クローゼットで悶々と生きていた。それは同性愛者としての生き方ではない」と言う単純な図式に当てはめられてしまったりします。果たして本当にそうなのでしょうか?。そして僕は思うのです。他人が人様の人生に対して「偽りだ」と語る資格など、本当にあるのだろうかと。そういう物言いをする人や文章に出会うたびに「何様のつもりなんだ」と言いたくなります。

この取材は12月20日頃発売の『バディ2008年1月号』に掲載される「日本ゲイメディアの歴史」を扱う特集記事のために行われました。文学さん以外の方にも取材が行われたようです。まずは今回の相沢さんの決断にエールを送り、どのような記事として掲載されるのか、期待して注目しようと思います。→FC2 同性愛Blog Ranking
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