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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2007-10
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「クイア」ってなんなのさ011●学会設立プレ・トーク。もっと「開く」のかと思ってたのに

 今日、「クイア学会」のプレ・トーク 『クイアって何?~学会立ち上げプレトーク』に参加してきた。早稲田のパフスペースは60名を超える入場者であふれかえって席が足りず、立ち見の方もいるほどの大盛況。いったいどういう人々が集まったのかと思いきや、どうやらほとんどは「クイア学会」の立ち上げに関わっている関係者や、その友人たちだったらしい。

 なぜそれがわかったのかと言うと、僕のような「学会」とか「大学」というものとは無関係な者にはわからない空気感というか、ある種独特の「仲間内だけに通じる不文律」を共有する者たちの発するオーラで満たされていたからだ。学術的な専門用語も端々で使われ「えっ、今のわかりにくい」と思ってしまう僕のような者は、話の流れからしょっちゅう意識が逸脱してしまった。周りを見渡すと、ちゃんと付いて行っている人たちが多いようなのだ。大学関係者にしかわからない内部事情で笑いが起こったりする。しかし、それの「なにが笑うべきことなのか」が僕にはわからない。トークの端々に、そういった「閉鎖性」を感じた。

 その一因は、司会とパネリストが全員「大学で教職に就いている人たちのみ」だったことにあるのだろう。そして、ふだん顔をつき合わせている仲間たちが観客として取り囲んでいたことも、そうした空気を増幅させていたのだろう。しかし、これでは「大学」だとか「学会」の内部事情だとか空気感に馴染みのない門外漢との対話が、生まれにくくはないだろうか?

 従来、孤立しがちだったり色眼鏡で見られがちだった研究者たちのために、ネットワークを作ること。それはとても意義のあることだ。しかし今のところ「ある特殊な職場内の互助組合が出来る」という程度のビジョンしか見えていないのではないかと思う。

 「場」を作るのは結構。しかし立ち上げ人たちの思い描いている「場」の広さは今のところ、「大学」という柵の内に留まっているのではないか?。柵の外の広大で複雑怪奇な現実世界で、毎日労働に汗を流して日常を生きている大多数の人々の生活実感の中に届く言葉は、その程度のビジョンで生み出されるのだろうか?

 10月27日に行われるという「設立総会」では是非、趣意書に謳っている次の一文について再考した上での議論が交わされることを期待したい。

「学術研究者にとどまらず多様な社会・文化活動に従事する人びとが広く知見の共有や意見の交換をおこなう場を提供する。」

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