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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2007-10
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「クイア」ってなんなのさ012●学会設立シンポ01●トイレでドキッ。沢部さんにハラハラ。

 嵐の東大

 台風が接近する暴風雨の中、10月27日(土)に東大駒場キャンパスで行われたクィア学会の設立記念シンポジウムには、おそらく300名ほどが押しかけたようで文字通りの大盛況。立ち見の人もいて、会場に入れない人々は別室のテレビモニターで鑑賞していたようです。

 雨風にさらされながら会場に着き、体が冷えたのでトイレに行きたくなったのですが驚きました。ドアの上の「男用」「女用」を示す看板に紙が貼られて表示が隠されているのです。「あぁなるほど、『クイア学会』だからトランスジェンダーの人に配慮してるんだろうなぁ」とピンと来たものの、とにもかくにも、尿意をもよおしている「男子」としては、まず知りたい情報は「小の便器がどちらにあるのか」!。おかげで扉を開けるとき、かなりドキドキしてしまいました。用を足しながらも「女性が入ってきたらどうしよう」と気もそぞろ。男子の小便器って性器を半分露出してるようなもんだから…ねぇ(爆)。まぁでも、普段も「お掃除のおばちゃん」はズカズカと入ってきますけどもね、男子トイレでもお構い無しに。(セクハラだの何だの言われてる現代においてもなお。あれって不思議)。

 あと、(余計なお世話ですが)この試み、もしも意味がわからない人がいた場合にはどう説明するつもりだったんだろう。会場には「性的マイノリティー」のことについて基礎知識を持っている人のみが訪れるという「暗黙の了解」が主催者側にあるからこそ、出来てしまえる試みなんだろうなぁと感じました。

 大きな節目なんだとか。

 とりあえずスッキリして会場に入ると10分前なのに満席に近く、なんともいえない高揚感で熱い熱い(←温度じゃなくって漂う「気」が)。ステージ脇には大きな造花が飾られ、フォーマルでゴージャスな雰囲気が醸し出されています。定刻になり、まずは総合司会の風間孝さんがスポットライトに照らされながら「非常に緊張しています」と本当に緊張気味に語り、「大きな節目を迎えました」と厳粛に語りかけました。

 続いてクレア・マリイさんが「開会の辞」を30分間にわたって朗読することになるのですが…堅苦しい論文調の言葉を少しでもわかりやすく聴いてもらえるようにとの配慮なのでしょう。朗読に合わせてスクリーンに要点が文字で映し出されていたので、とりあえず意識が飛ぶことなく、無事に最後まで聴き入ることが出来たのでホッとしました。でもこういう学術用語って「話し言葉」とは違うものだから、アレルギーの強い人とか、独特の文体に親しんでいない人には通じないんですよね。一緒に見に行った僕の隣に座ってたゲイの人は、不謹慎にも大口開けて寝てました(←なんて奴ッ!。さすがにイビキはかいてませんでしたが。爆)。う~ん。同じ内容のことをもし「話し言葉」でわかりやすく語ることは出来るんだろうか。出来るとしたら、どんな感じになるんだろうなぁと夢想しながら聴いていました。

 その中で僕の印象に残ったのは、
「なぜ設立を呼びかけたのか→合意を形成するためではない」という表現。そして興味を持ったのは「批評的想像力を持って歴史を振り返る」ということ。さらに大事だなと思ったのは「知見や経験の蓄積、アーカイブ化」。

 30分間、なんとか聴き通した時、「要するにこういうことが言いたかったんだろうなぁ」と脳の中で言葉が生まれていたので、急いでノートに書き留めてみました。(当日のノートより)
「てんでバラバラで結び合わず、過去をきちんと振り返らないなんて幼いことはそろそろやめて、もっと幅広く交流しあって刺激しあって行きましょ。っつーことね。」
(↑…単純化しすぎだし、ほぼ自分の主張を投影させた解釈じゃないかぁ~。爆)

 続いて「日本におけるクィア・スタディーズの可能性」という、3時間の長大なシンポジウムが始まったわけですが、いつもパフスペースでワイワイやらせてもらっている沢部ひとみさんがパネラーとして舞台に上がっている姿が不思議に思えました(笑)。煌々とライトに照らされて250人の観衆に向き合うという舞台設定そのものが、パネリストを「スゴくて遠い人」というイメージに演出してしまうんですね。実際、沢部さんの文筆家・活動家としての経歴はスゴいんですけど、ふだん接していると「権威」とか「偉ぶる態度」を微塵も感じさせない「友だちキャラ」の出来る素敵な方なので、「沢部さん、あんなところに座っちゃっていったい、どういう風に振舞うんだろうなぁ~」と、まるで授業参観に来た母親のようなハラハラした気持ちで見守りました。(←なんか表現、おかしくないか?爆)

 司会の堀江有里さんと河口和也さんは一生懸命、進行を考えてきていたようです。基本的には、用意された質問事項に対してパネラーの5人が順繰りに応えるというスタイルで進行したのですが、こういうイベントの司会って大変だし難しそうだなぁと、見ていて思いました。パネラー5人がそれぞれに「自分の言語(領域)」を強固に持っている人たちだからか、なかなか絡み合わないし対話として発展しにくかったようなんです。それに、用意された質問は「執筆について」「資本について」「世代間の違いについて」など抽象的で大きなものが多く、一人一人がそれについて話し始めたら「独演会」を始めてもいいくらいに止まらなくなりそうなトピックばかり。

 しかしパネリストの方々は、さすがに常識をわきまえているので自分の持ち時間を考えて「サワリをちょろっと」語るに留めてしまうから、トークがイマイチ盛り上がらないんです。いっそのこと用意してきた質問事項を消化することよりも、「話の流れの中で出てきたトピック」について更に突っ込んだりして柔軟に、対話を弾ませても良かったのではないかと思ったりしました。(←スミマセン。傍から見てる分にはなんでも言えるんですけどね。)

 ほかにも書き留めておきたいことが結構あったので、次回にも続きます。FC2 同性愛Blog Ranking
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関西レインボーパレード応援記033●大成功!事故も無く開催できて良かった!

 …でも僕は行かなかった!(爆)

 このところ、以前のようなエネルギーが自分の内面から全然湧いてこなくてフニャフニャしてるもんだから、関西レインボーパレードに行くのはやめておきました。日曜はいつも勤務日なので、フツーに働きながら過ごした10月28日でした。今年に入ってから、やれ名古屋だ大阪だ鹿児島だ中野だ二丁目だと撮影に飛び廻ってばかりで有給休暇をだいぶ消化してしまったし、そのたびに代理出勤してもらっている同僚に、あまり迷惑はかけられないので。実行委員会から公式記録を依頼されて一旦は引き受けたのですが、今年の規約によると撮った映像素材は実行委員会の所有物になってしまうということを知り、それは承服しかねるので断りました。そしたら大阪に行こうというモチベーションが、ものすごく下がってしまった。

 これまで参加したパレードは常にビデオカメラ持参だったため、撮影せずに隊列を「歩く」ということがどういうことなのか、イメージが湧かないんです。どうやら僕は「活動」としての興味よりも「撮影対象」としての興味の方が強いようなんですよ、コミュニティーの活動に対して。

 カメラって不思議。廻している時がいちばん落ち着く。なるべくだったら自分の気配を消したままで現実世界をこっそりと覗いていたいという根暗な僕にはちょうどいい道具。カメラを廻している間はとりあえず「カメラマン」という強固な「役」を引き受けて演じていればいいわけで、アイデンティティーは揺るがない。撮影行為を通して自己が開放できるんです。つまりドラァグ・クイーンにとってのメイクとか衣裳のようなものなのかも、僕にとってのカメラって。

 さて。今後しばらくの間はオタクになって、これまで貯めこんだ映像を飲み込んで咀嚼することを優先し、新たな発見を生み出すべく苦闘する作業に没頭しようと思います。FC2 同性愛Blog Ranking

パフナイト★39●知ってたつもり!?「ゲイ」「ビアン」09●おネエ言葉は普通乗車券!?



 レズビアンのみなさまにとって、「おネエ言葉」はとても不可解なものなんだそうで。影坂狩人氏の「おネエ言葉論」への食いつき方は半端じゃなかったですねぇ。そういえば僕も自分が「ゲイなのかもなぁ」と気づき始めた時、「ところでおネエ言葉って一体なんなの?自分は使わねぇぞ。っつ~ことは自分はゲイでは無いのか?」と思ってネットや雑誌で調べた覚えが(爆)。

11●おネエ言葉は普通乗車券!?  
  

 僕の場合は…「ゲイっぽい髪型やファッション」を身に着ける資金力はありませんし興味もありません(ってゆ~か単にファッションに無頓着なだけだけど。爆)。二丁目やゲイバーで飲んだりクラブで遊ぶことにも興味が無いので「おネエ言葉を使わなければならない環境」に身を置いたことがありません。日常生活で多くの時間を過ごす会社の中には、他にゲイらしき人だとかおネエ言葉の人は見当たりませんし。だからでしょうね。ちっとも身に付いていません。それに、「コミュニティー活動」に接触し始めたきっかけは2006年5月のIDAHOですから(爆)。つまり僕にとっての「クラブ」とか「ゲイバー」の役割を果たしたのは、いわゆる「活動」と呼ばれるような場だったというわけで…(←そんな人もいるんですねぇ~)

 一口に「ゲイ」と言ってもいろんな人がいるわけで、現在テレビで大ブームを起こしている「おネエMANS」のタレントの方々だってそれぞれに、あの「おネエ言葉」はネイティブなのかもしれないし、わざわざ習得したのかもしれません。本当は日常生活では使っていない人もいるのかもしれません。そこらへんを掘り下げてみると、人生の歴史が更に面白く浮かび上がって来そうですね。

Information
●パフスクール・影坂狩人講座
「ノンケ女性に『消費』されたゲイ~検証・90年代ゲイブーム」 
11月9日(金)開講。申し込み〆切迫る!

詳細はこちら。
スケジュール(全3回)
■11月9日(金)19:30~21:30
ポルノ? 人間愛讃歌? 伝説のゲイドラマ『同窓会』
■11月23日(金)19:30~21:30
ドラマ・ワールドの「同性愛者」に未来はあるのか?
■12月7日(金)19:30~21:30
ドキュメンタリー&バラエティに見る「90年代ゲイ」

講座で扱われる『同窓会』ってどんなドラマかと言うと・・・Wikipedia「同窓会(テレビドラマ)」より

 『同窓会(どうそうかい)は、1993年10月20日~12月22日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマで、恩師の上京をきっかけに行われた、同窓会のメンバーの人間模様を描いたドラマ。同性愛を真っ向から捕らえ、なおかつ描写が過激ではあったが、その描写の真の目的は「人間愛」であった。タブーに真っ向から挑戦して、放送当時、多方面に大きな波紋を呼んだ。それまでは陰の存在であった同性愛者の共感を呼び、連続ドラマという時代性のあるものにも係わらず現在でも語り継がれる稀有な存在である。全10回の平均視聴率は17.0%。』
『同窓会』 DVD-BOX

 このドラマ、初回からいきなり斉藤由貴が股間をポリポリ掻きながら登場してド肝を抜かれました。そしてミスチルの主題歌「CROSS ROAD」に乗せて流された西村和彦の全裸シャワーシーン…。大学生当時、一瞬だけその場面を見かけた僕は「イケナイっ!これは見てはイケナイものだっ!」と咄嗟に判断し、すぐテレビを消したものの脳裏に焼きついた映像は消えず、長いこと苦しみ(楽しみ?)ましたっけ(爆)。その頃はまさか自分が「ゲイ」なんだと後に認めることになるとは夢にも思わず、でも男性に惹かれる心は確実にあるわけで。自分から逃げることでとりあえずごまかし続けてましたね~(←小心者っつ~かモノグサっつ~か。しょ~もな。)FC2 同性愛Blog Ranking

パフナイト★38●知ってたつもり!?「ゲイ」「ビアン」08●彼女が料理してんの見てるとヘコむ!?


 前回に続いてモニカさんの熱弁から。な…なんか今回はわけのわからない言葉が連発しまくり~(泣)。「ハイフェム」「ストーンブッチ」ってなんじゃそりゃ。まるで女子高に迷い込んだ男子のような気持ちを「ノンケ女子」の皆様も味わうことになるでしょう…(ごめんなさいねぇ)。

専門用語の説明(僕、ゲイだから一部わかんなくって調べました。)
「ノンケ」「ストレート」「ヘテロ」→すべて「異性愛者」をあらわしております。
「フェム」→女の子っぽい(フェミニン)という意味で使われているようです。
「ブッチ」→「タチ」(攻め)すなわち「男の子っぽい」という意味で使われているようです。
★参考サイト…Wikipedia「レズビアン用語」

08●彼女が料理してんの見てるとヘコむ!?
  

 「ヘテロシャワー」ってのはすなわち「異性愛者であることが前提とされている世間の価値観を浴びている」という意味のようです(←はじめて聞きました。笑)。パネリストの遠藤まめた君は自らの性的アイデンティティに「激しい揺らぎ」を感じることが多いようで、日常生活で自分がいわゆる「男性的な性役割」を担っていると感じた途端に、居心地の悪さを抱くようです。

 まめた君も、こういう場では自らの内面の「揺らぎ」について口に出来るのですが、いわゆる「ヘテロシャワー」がおもいっきり降り注ぐ環境ではなかなか出来ないとのこと。「揺らぎ」をそのまま受け入れて楽しむことの出来るパフナイトのような環境のありがたさは、日常生活の息苦しさを感じることで実感できたりなんかします。

 さて次回は影坂狩人氏による「おネエ言葉論」が登場します。ゲイであるにも関わらずゲイのことをかなり突き放した視点から観察している彼ならではの冷静な(冷淡な?笑)分析をどうぞお楽しみに。FC2 同性愛Blog Ranking

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