パフのこと★02●慰安婦との魂の交感に震え、身軽になった夜
パフォーマンス・アートは「生」がむき出しであるほど面白い。9月8日(土)にPA/F SPACEで行われたイトー・ターリ パフォーマンスワークショップ07発表会を見て、そう思った。
「答え」は観客みずからが感じたい
まずはワークショップ受講者の発表から始まった。演劇家でもある水月モニカさんはピンク色のカツラを被り、ピエロのようなメイクでバーのママとして登場。大きなビンから透明でドロドロの液体を取り出し、ジョッキに注いで行く。テレビモニターには手書きの文字。「あなた色のカクテルを作りませんか?」。観客に向かって絵の具がバラまかれ、思い思いの絵の具を入れたカクテルを作らされることになった。ところがこの液体、やたらドロドロしていて混ぜにくい。思わずジョッキに手を突っ込んで混ぜてみたのだが、絵の具の混ざり具合が思い通りに仕上がらなくてイライラする。観客の各々が悪戦苦闘しながらカクテルを作り終えた後、バーのママは、それらを再び最初の大きなビンの中に戻して行く。すると観客の作ったカクテルはそこでも混ざらず、奇妙で不可思議な模様を現出させるに留まるのだ。そこでママはテレビモニターに再び記す。「混ざらなくってもいいじゃない?ジェンダーカクテル屋。」
なるほど・・・と思いはしたものの、そこまで表現の答えを明確に示されてしまうと正直つまらない。むしろ観客が各々で感じ取れる方が、より豊かな気持ちになれたかもしれない。
ちなみにカクテルの成分として使用されていたのは、いわゆるSEXの際に性の潤滑油として使用される「ラブオイル」だそうで。モニカさんはこのパフォーマンスのためにわざわざ一斗(いっと)缶で購入したのだとか。
ふとした「素」こそが面白い
続いて登場の河村あづささんは、アルミ箔で自らの全身をかたどって分身を作るというパフォーマンス。足先から丁寧に型を取り始めたのだが全身分を終了するまでに時間がかかり、「エッ、このままこれを、ずっと見させられるのか?」という気持ちが正直湧いた。もっと予想外の展開でドキドキさせて欲しかった。
ただ、途中でチラッと観客を見て「あ、すみません時間がかかって。もう少しで終わりますから」と「素」で申し訳なさそうに語り、緊張が解けて笑いが起こった瞬間が素敵だった(笑)。
顔が説明してしまうと損
3番目に登場した吉村恵美子さんも、芝居経験者なんだそう。やはりそうだったか・・・と思ったのが、冒頭の場面。ハサミを喉に突き立てようとする直前で放り投げ、以後、ものすごい形相で空間を七転八倒して見せたのだが、その感情を「顔」で説明してしまっていた。顔というのは表現者の使う道具として、ものすごく強い。だから感情を説明してしまうと、表現が単純になってしまうことが惜しい。
やがて糸や模造紙で自身の身体をぐるぐる巻きにした彼女は、必死の形相で観客のところに歩み寄り、ハサミを提示して救いを求めてきた。しかし心から彼女を「救ってあげたい」という気持ちにはならず、迫力に気圧されて糸を切ってあげたという感じが否めなかった。なぜなんだろう。押しが強すぎて引いてしまったのかな。
ポーカーフェイスという魅力
受講生としてはラストの発表となった永島節子さんは、デジタルカメラを空間の中央に置き、液晶画面に花や路地裏などの風景を映し出しながらのパフォーマンス。そして彼女は綿をバッグから取り出し、カメラの周りに置いて行く。無機質だった空間が、一気に花畑になったかのような視覚効果をもたらしていた。さらにシーツを取り出して切り裂き、身体に巻きつけて行く彼女。
彼女の持ち味は飄々としてポーカーフェイスなところ。無駄に感情表現をしないため、観客の意識としては行為の一つ一つに集中できる。多様なイマジネーションを掻き立ててくれるという点では、最も優れていたように思う。
慰安婦の魂を生きる
最後には、主宰者のイトー・ターリさんによる「慰安婦」をテーマにしたパフォーマンス。これには文句なしに圧倒された。プロジェクターから背景のスクリーンに映されているのは、日本軍の従軍慰安婦として働かされたハルモ二たちが描いた絵。素朴でシンプルなタッチであるからこそ、思いがダイレクトに伝わってくる傑作だ。ターリさんはその絵を背景にしながら、呼吸を激しくしたり鎮めたりすることで彼女らの「生」を舞台上に表出した。緑色の衣裳は彼女の息を含みながら、乳房やお腹、腰のあたりが膨らんで行く。男たちに陵辱された痛みが体内に蓄積し、重くのしかかって身動きが取れなくなって行く過程を見ているかのようだ。それでも彼女は必死に呼吸を続け、生き続ける。
ついに膨らみきった乳房やお腹は破裂する。疲れ果て、倒れる彼女。やがて蘇生した彼女は観客のところへ歩み寄り、一人ひとりの目を見据え、そっと柔らかく手を出し握手する。力強く握りながら微笑みを浮かべるが、やがて哀しげな表情を浮かべて手を離す。僕の手には彼女の握った感覚が、痛みとして残される。ものすごく濃密な魂の交歓が起こり、身震いがした。
その後彼女は、ただひたすらにタマネギを剥く。涙を流しながら、がむしゃらにタマネギを剥き続ける。生き続ける為に繰り返される労働の日々。重い記憶を背負ったままで生き続けなければならない、ある女性の生き様が、たった数十分のパフォーマンスの中に濃縮され、たしかに浮かび上がって感じられた。
すべての演目終了後、お茶を飲みながら車座になって座り、皆で感想を語り合った。たくさん笑い合った。日常で降り積もっているストレスが飛んで行き、身軽になることの出来た夜だった。パフォーマンスとは、セラピーの効果ももたらすらしいことを知った。→FC2 同性愛Blog Ranking

まずはワークショップ受講者の発表から始まった。演劇家でもある水月モニカさんはピンク色のカツラを被り、ピエロのようなメイクでバーのママとして登場。大きなビンから透明でドロドロの液体を取り出し、ジョッキに注いで行く。テレビモニターには手書きの文字。「あなた色のカクテルを作りませんか?」。観客に向かって絵の具がバラまかれ、思い思いの絵の具を入れたカクテルを作らされることになった。ところがこの液体、やたらドロドロしていて混ぜにくい。思わずジョッキに手を突っ込んで混ぜてみたのだが、絵の具の混ざり具合が思い通りに仕上がらなくてイライラする。観客の各々が悪戦苦闘しながらカクテルを作り終えた後、バーのママは、それらを再び最初の大きなビンの中に戻して行く。すると観客の作ったカクテルはそこでも混ざらず、奇妙で不可思議な模様を現出させるに留まるのだ。そこでママはテレビモニターに再び記す。「混ざらなくってもいいじゃない?ジェンダーカクテル屋。」
なるほど・・・と思いはしたものの、そこまで表現の答えを明確に示されてしまうと正直つまらない。むしろ観客が各々で感じ取れる方が、より豊かな気持ちになれたかもしれない。
ちなみにカクテルの成分として使用されていたのは、いわゆるSEXの際に性の潤滑油として使用される「ラブオイル」だそうで。モニカさんはこのパフォーマンスのためにわざわざ一斗(いっと)缶で購入したのだとか。

続いて登場の河村あづささんは、アルミ箔で自らの全身をかたどって分身を作るというパフォーマンス。足先から丁寧に型を取り始めたのだが全身分を終了するまでに時間がかかり、「エッ、このままこれを、ずっと見させられるのか?」という気持ちが正直湧いた。もっと予想外の展開でドキドキさせて欲しかった。
ただ、途中でチラッと観客を見て「あ、すみません時間がかかって。もう少しで終わりますから」と「素」で申し訳なさそうに語り、緊張が解けて笑いが起こった瞬間が素敵だった(笑)。
顔が説明してしまうと損
3番目に登場した吉村恵美子さんも、芝居経験者なんだそう。やはりそうだったか・・・と思ったのが、冒頭の場面。ハサミを喉に突き立てようとする直前で放り投げ、以後、ものすごい形相で空間を七転八倒して見せたのだが、その感情を「顔」で説明してしまっていた。顔というのは表現者の使う道具として、ものすごく強い。だから感情を説明してしまうと、表現が単純になってしまうことが惜しい。
やがて糸や模造紙で自身の身体をぐるぐる巻きにした彼女は、必死の形相で観客のところに歩み寄り、ハサミを提示して救いを求めてきた。しかし心から彼女を「救ってあげたい」という気持ちにはならず、迫力に気圧されて糸を切ってあげたという感じが否めなかった。なぜなんだろう。押しが強すぎて引いてしまったのかな。
ポーカーフェイスという魅力
受講生としてはラストの発表となった永島節子さんは、デジタルカメラを空間の中央に置き、液晶画面に花や路地裏などの風景を映し出しながらのパフォーマンス。そして彼女は綿をバッグから取り出し、カメラの周りに置いて行く。無機質だった空間が、一気に花畑になったかのような視覚効果をもたらしていた。さらにシーツを取り出して切り裂き、身体に巻きつけて行く彼女。
彼女の持ち味は飄々としてポーカーフェイスなところ。無駄に感情表現をしないため、観客の意識としては行為の一つ一つに集中できる。多様なイマジネーションを掻き立ててくれるという点では、最も優れていたように思う。

最後には、主宰者のイトー・ターリさんによる「慰安婦」をテーマにしたパフォーマンス。これには文句なしに圧倒された。プロジェクターから背景のスクリーンに映されているのは、日本軍の従軍慰安婦として働かされたハルモ二たちが描いた絵。素朴でシンプルなタッチであるからこそ、思いがダイレクトに伝わってくる傑作だ。ターリさんはその絵を背景にしながら、呼吸を激しくしたり鎮めたりすることで彼女らの「生」を舞台上に表出した。緑色の衣裳は彼女の息を含みながら、乳房やお腹、腰のあたりが膨らんで行く。男たちに陵辱された痛みが体内に蓄積し、重くのしかかって身動きが取れなくなって行く過程を見ているかのようだ。それでも彼女は必死に呼吸を続け、生き続ける。
ついに膨らみきった乳房やお腹は破裂する。疲れ果て、倒れる彼女。やがて蘇生した彼女は観客のところへ歩み寄り、一人ひとりの目を見据え、そっと柔らかく手を出し握手する。力強く握りながら微笑みを浮かべるが、やがて哀しげな表情を浮かべて手を離す。僕の手には彼女の握った感覚が、痛みとして残される。ものすごく濃密な魂の交歓が起こり、身震いがした。
その後彼女は、ただひたすらにタマネギを剥く。涙を流しながら、がむしゃらにタマネギを剥き続ける。生き続ける為に繰り返される労働の日々。重い記憶を背負ったままで生き続けなければならない、ある女性の生き様が、たった数十分のパフォーマンスの中に濃縮され、たしかに浮かび上がって感じられた。
すべての演目終了後、お茶を飲みながら車座になって座り、皆で感想を語り合った。たくさん笑い合った。日常で降り積もっているストレスが飛んで行き、身軽になることの出来た夜だった。パフォーマンスとは、セラピーの効果ももたらすらしいことを知った。→FC2 同性愛Blog Ranking
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