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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2007-01
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LGBT可視化に向けて048●13日と20日の土曜は「多様な生き方を考える」へGO!

 昨年12月に行われたシンポジウム「これからの多様な性・家族・ライフスタイル」 でもお馴染みの東京メトロポリタンゲイフォーラムの石坂わたるさんと赤杉康伸さんが2回シリーズで学習会を開催しますよ~。
 
 13日は「同性パートナーシップと暮らし」ということで、公正証書によるパートナーシップ契約を結んでいる石坂さんと赤杉さんの、同性パートナーとしての暮らし方についてのお話がいろいろと聞けそうです。

 20日は「同性愛者と家族 カミングアウトについて考える」ということで、なんと石坂さんのお母さんが登場し、息子からカミングアウトされた母親の気持ちなど、興味深い話が聞けそうです。

 石坂さんのお母さまである石坂モモさんを、僕はaktaでお見受けしたことがあるのですが、穏やかで優しそうな方でした。積極的にLGBT関連の学習会などにも出かけておられるようで、このようなお母さんがいるというだけでも、すごく勇気付けられます。どんなお話が聞けるのでしょうか、楽しみですね。
★学習会『多様な生き方を考える』
1月13日(土)、20日(土)各々18時30分開場、18時45分開始

主催:石坂わたる&赤杉康伸(東京メトロポリタン ゲイフォーラム)
会場:なかのZERO(学習室1)/入場料:無料
●第1回目(1月13日)「同性パートナーシップと暮らし」(スピーカー:石坂わたる&赤杉康伸)
●第2回目(1月20日)
「同性愛者と家族 カミングアウトについて考える」(スピーカー:石坂わたる&石坂モモ(わたるの母))
問合せ先メールアドレス
tmgf2001@mbk.nifty.com
(東京メトロポリタン ゲイフォーラム)
 LGBT当事者の方はもちろん、LGBT問題に関心のある方にも「入りやすい」学習会だと思いますよ。
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KIRA'S CABARET「カルテット」●PLAYレビュー

 ゲイをオープンにして活動している俳優、青山吉良氏。

 映画『メゾン・ド・ヒミコ』で柴咲コウ演じる沙織と一緒に楽しそうに女装をしながらはしゃいでいた「あの方」。女装でディスコに出かけ、かつての会社の後輩に見つかって失神して倒れる演技をしていた「あの方」。

 「あの」青山吉良さんが立ち上げた演劇プロデュース企画「KIRA’S CABARET」の第一回公演は、ハイナー・ミュラーの『カルテット』を果敢にも取り上げた。

 ミュラーといえば旧東ベルリンで50年代から劇作活動を開始し、「ベルリンの壁」が崩壊する前後までの激動の社会を鋭く風刺し、先鋭的な戯曲として結実させ世界の演劇界に多大なる衝撃を与えた劇作家。特に『ハムレットマシーン』という戯曲は既成の演劇システムを根幹から疑わせる衝撃的なスタイルのテキストとして、今でも繰り返し世界中で上演され続けている。(本人は1995年に死去)。

 僕はかつて、ミュラーの『ハムレットマシーン』に衝撃を受け、彼の自伝を読み漁ったことがある。大国に翻弄される小国の運命や、権力者に翻弄される国民の運命を、男性に陵辱される女性に置き換えて表現することの多いミュラーの演劇作品は、「東ベルリン」という特異な環境で冷戦時代を生きざるを得なかった作家の、屈折した冷ややかな視点に満ち、とにかく尖っていて刺激的だ。

ハイナー・ミュラー著「闘いなき戦い―ドイツにおける二つの独裁下での早すぎる自伝」
ハイナー・ミュラー著「悪こそは未来」

 『カルテット』は二人で4役を演じるスキャンダラスな内容の愛憎劇。真っ赤なドレスに白い大きなかつらを被り、まるで「白髪のドラァグクイーン」であるかのような扮装で登場した青山氏は、女役と男役を何度も往還しながらミュラーのテクストと格闘した。青山氏独特のアンニュイな雰囲気が漂う風貌は、退廃的で死臭が漂うミュラーの劇世界にマッチする。

 なにより青山氏の演技は、とかく難解だとされがちであるミュラーのテクストをきちんと肉体化し、シュークスピアのように「格言の数珠つながり」のような台詞に「魂」を吹き込むことに成功していた。彼の俳優としての経験の蓄積の分厚さが、如実に滲み出ていて圧倒される演技だった。ただ、もう少し演者二人の間での演技上のコミュニケートが上手く成立していれば、さらに魅力の増す舞台に昇華したことだろうと思う。

 これだけ「文学的」で暗喩と隠喩に満ちたテキストを90分間の二人芝居で見せるのには、相当な覚悟と集中力が必要だ。しかし演出も手掛けた青山氏は、派手な演出的な技巧には走らず「演者の存在の魅力」で勝負するという賭けに出た。

 結果、観客の集中力が最後まで持続するには、なかなか厳しい舞台成果ではあった。しかし、「男」や「女」というジェンダーを次々と往還してみせる演技的な仕掛けの面白さは感じられたし、青山氏の存在そのものから伝わってくる並々ならぬ意気込みと「表現者としての魂の叫び」は伝わってきた。そして今後も「彼が出るなら」舞台に足を運ぼうと、決意する僕がいた。

 まずはプロジェクトの船出を祝福したい。今回の公演での経験を生かし、今後はさらにエキサイティングに「エンターテインメント性」も加味しながら、他ジャンルのクリエイターとも融合し、さらなる発展と積極的な活動が展開されることを期待する。

<公演は14日(日)まで>
KIRA'S CABARET公式ホームページ


●青山吉良氏のプロフィール(HPより)
 21世紀に入り50代を迎え、ゲイとして表現を発信していきたいとカミングアウト。ドラァグショーへの出演、ゲイのアクティビストとして活躍している大塚隆史と演劇ユニット「D.O.G.」(Dangerous Old Gays)の旗揚げ、映画「メゾン・ド・ヒミコ」(監督:犬童一心、2005年公開)への出演等、新しい挑戦が始まっている。主な出演作品としては岩波ホール「トロイアの女」、冥の会「メディア」、横浜ボートシアター「マハーバーラタ・王サルヨの誓約」、t.p.t.「あわれ彼女は娼婦」、シアターX「女中たち」、新国立劇場「野望と夏草」、空中庭園「悲劇フェードル」、フライング・ステージ「トリック」、D.O.G.「違う太鼓」など。

●菅原顕一氏プロフィール (HPより)
 幼児期に結核を患い、小学校は養護学級で過ごす。アングラ劇にあこがれ上京脳腫瘍が判明し、家族のいる仙台に戻る。回復後、NHKの仙台放送劇団に入り、数々のラジオやテレビドラマに出演。代表作に芸術最優秀賞受賞の『塚本次郎の夏』(1977)がある。また、当時の仙台で新風を吹き込んだ劇団「演劇工房」に参加。舞台でも活躍するが、またも体調不良で入退院を繰り返し、さらに交通事故で左の手足に麻痺が出るようになり、演劇を断念する。50代になり演出家・笛田宇一郎の「障害のある身体だからできる演劇もある」との言葉に刺激を受け、ベケットの一人芝居の上演を始め演劇活動を再開する。

●青山吉良氏のメッセージ(パンフレットより)
「多様性のある社会。それを支えていくのは想像力です。自分と違う存在とどう向き合うか・・・。今ほど想像力の危機を感じる時はありません。ささやかな場ですが、KIRA’S PROJECTが演じる側、観る側双方の想像力が出会い、よりしなやかに力強く生まれ変わる磁場となることを願ってやみません。よろしくご支援のほどを!FC2 同性愛Blog Ranking

尾辻かな子さん国政へ向けて002●身内とつながる。家族とつながる。

 「LGBTの家族と友人をつなぐ会」という組織があるのを御存知ですか?。大阪で2006年の4月22日に設立準備会のミーティングが行われ、月に一度程度のミーティングを重ね、パレードに参加して存在をアピールするなどの活動を重ねて来ている団体です。

 依然としてホモフォビア(同性愛嫌悪)が蔓延している日本社会において、LGBT当事者達は「自分のことを受け入れる」のにまずは苦しみます。それは家族にしても同じこと。たとえば娘や息子にLGBTであることをカミングアウトされた時に、親も同じようにホモフォビア(同性愛嫌悪)を抱えている可能性が高いわけですから、やはり衝撃を受けるだろうし受け入れるのに時間がかかることでしょう。そして、LGBT当事者達と同じような孤立感に苛まれ、周囲に相談できずに苦しむ人も多いだろうと思います。そういう人たちの負担を少しでも軽減し、LGBTの家族であることを積極的に捉えるサポートをしたい。この会の活動目的は、そういうことなのでしょう。

 僕がこの団体の人たちを最初に見たのは昨年、2006年9月17日のレインボーマーチ札幌の時。とても目立つ横断幕を掲げながら行進している姿を見て、「へぇ~」と、ちょっと嬉しくなりながら撮影したのを憶えています。

 僕もまだ家族にはカミングアウトしていませんし、いちばん近しい関係にある「身内」に自分の大事なことを知らせていない後ろめたさを抱えています。いずれなんとか克服したいと思いつつ、なかなか越えられないのが「身内の壁」です。だから、「家族と友人をつなぐ会」のような組織が発足しているということ自体、すごく心強く感じるんです。

 そんな「つなぐ会」のブログに、新年から本当の意味で「おめでたい」と感じられるエピソードが掲載されていました。尾辻かな子さんがついに「身内の壁」を突破し、今年のお正月にパートナーの方と実家でゆっくりと過ごされたそうなのです。
お正月と家族とLGBT

 バリバリと活動している明るいイメージからは想像できませんが、あの尾辻さんでさえ最近まで「身内の壁」の存在に悩んでいたのですね。

 今年、パートナーの方と実家に帰る車中。ハンドルを握りながら涙が出てきたというエピソードが印象的です。そういえば、11月のYOUTH TALKの会場でも尾辻さんは「身内の壁」について語っていましたっけ。(2つの映像ファイルの「境目」のあたりに、関連する発言がありました。)

●YOUTH TALK 02 尾辻かな子さん挨拶(前)議員の中にもLGBTは多数いるはず
  

●YOUTH TALK 03 尾辻かな子さん挨拶(後)あとは政治の問題
  

 「正月にパートナーと一緒に家族と過ごす」。
 異性愛のカップルが自然に行えていることを、LGBTも自然に出来る日が早く来ますように。

 「LGBTの家族と友人をつなぐ会」の次回ミーティングは1/ 13(土)13:30~16:30、大阪府堺市の「尾辻かな子事務所」で行われます。FC2 同性愛Blog Ranking


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LGBT可視化に向けて050●LGBTの家族と友人をつなぐ会・初参加

イ・ジュンイク「王の男」●MOVIEレビュー① 底なしの孤独地獄

 王になることを運命付けられて生まれた者は不幸である。王になる「しか」生きる道が無いのだから。

 周りの人間は打算と政治的思惑を胸に、王という権力に寄生する。心にもない褒め言葉や虚飾に満ちた笑顔で崇め奉る。「嘘」に塗り固められた表面的な人間関係の中で生きること。それが王として生きるものに宿命付けられてしまう不幸な「日常」の正体なのだ。

 芸人になることしか道がなかった者は、幸か?不幸か?

 あちらの土地からこちらの土地へと渡り歩き、客や興行主に「求められる芸」を見せながら生計を立てる。客のニーズに合わなければ、すぐにでも食いっぱぐれる危険といつも隣り合わせ。「綱渡り」の曲芸師のように、自分のバランス感覚のみが命をつなげる生命線。しかし身軽である。自由である。自分の気持ちに正直であり続けることが出来る。

 まったく正反対の境遇を生きる「王」と「芸人」が、出会ってしまった所から、この物語の本題は始まる。目と目が合った瞬間。王は「芸人の男」の虜になった。

 人が人に惹かれる感情=愛に「理由」などは無い。そもそも理由がある愛なんて「愛」ではないだろう。気になって放っておけなくなって傍にいたくなる。いつも一緒にいたいと切実に願うようになる。それが「愛した者」の感じる初期衝動。ましてや王様だもの。望むものは何でも手に入れ、好き放題に振る舞ってきた王様だもの。いつものように簡単に手に入れられると思ったことだろう、「愛する者」の全存在を。

 王に「愛された者」は戸惑った。裸の心を見せられ戸惑った。そして、いつもそうしているように、とりあえず「求められる姿」を見せることで、王の冷え切った魂を暖めようとした。なぜなら彼は根っからの「芸人」だったから。自分を愛する者に対しては「芸」で応える。それこそが彼が長年身につけてきた、芸人としての保身術だった。

 王は、ますます「芸人の男」に魅了された。男の「芸」だけではなく「全存在」に魅了された。人を疑うことを知らない純朴な生き様と、何よりその人間的な輝きに魅了された。しかし王は、やがて知ることになる。自分にも「手に入れられないもの」があることを。

 「権力」は、人の心を本当の意味では惹き付けない。

 「愛する者」を囲い込むために「権力」を行使するしかなかった王は不幸である。王は裸になることが出来ない。「自分であること」が出来ない。常に王でなければならないのだ。
 この映画では、そんな不幸な一人の王の、底なしの孤独地獄の有様が、おそろしいほどリアルに描き出されている。FC2 同性愛Blog Ranking

岸恵子リスペクト007●「名優」とは、子どものように無防備な自分を、さらけ出せる人を言う

 こういうドラマとか映画って、物語の細かい筋なんて、はっきり言ってどうでもいいんですよね(笑)。たしかに見ている最中は論理的な展開にドキドキしても、終わってしまえばすぐに忘れてしまうもの。本当に長く記憶に残るのは、演じていた役者さんの「生き様」が役の人物とシンクロして浮き上がり、しっかりと表現されていた場面のザラザラした感覚。それに尽きるのではないかと僕は思います。

 9日(火)に日本テレビ「火曜ドラマゴールド」で放送された『大女優殺人事件』。数々出演していた役者さんたちの中で圧倒的に存在感があり、「生き様」を堂々と曝してカメラの前に立っていたのは岸恵子さんと浅丘ルリ子さん、この二人だと思いました。彼女らのどちらかが画面に映っているだけで画面に緊張感が生まれ、なんとも言えない「華」があるために目が離せなくなり、期待せずに見た僕の思いは良い意味で裏切られ最後まで楽しみながら見ることができました。いったい、彼女達の持っている吸引力は、なんなのでしょうか。

 それはきっと彼女らが、「安定しきっていない存在のあり方」を楽しんでいるからなんだと思います。小賢しい「演技の技術」を身につけた凡庸な役者たちが繰り出す優等生的な演技ほど、見ていて退屈で眠くなるものはありません。器用な台詞回しと器用な表情を作り、「映像演技のお手本」のようなマニュアルどおりの立ち回りを見せられても、スリルがないんです。

 よく、「子どもと動物には敵わない」という喩えがありますが、それは本当だと思います。子どもと動物は「次に何をするのか」予測がつかないから見ていて面白いし目が離せない。児童劇団で大人に飼いならされて死んだ目をしている子役たちを別にして、子どもというのは基本的に「打算」とか「計算」を身に付ける必要がない存在ですから、自分の内面に忠実に、天真爛漫に振る舞うことが出来ますよね。

 岸恵子さんと浅丘ルリ子さんの「演技者としての存在のあり方」も、まるで子どものような無防備さとスリルを感じさせてくれるものでした。演技技術というマニュアルに則った「安定」に寄りかからず、不器用さも醜さも含めた内面の多様性を隠さずに表現し、他者に開いてぶつかっている潔さ。ベテラン女優であるはずなのに、他の誰よりも演技が「素人っぽい」んです。だから目が離せない。「次の行動」や「次の表情」が読めないし、どんどん裏切ってくれるから退屈せずに見ていることができるし、常に驚かされ続けるんです。

 「単純なもの=一面的なもの」って、ちょっと見ればすぐに理解できてしまいますよね。しかし彼女たちの演技は単純さとは対極にある「複雑性」を常に帯び、周囲の単純な演技者たちに埋没しない「強さ」があるから、面白くて見続けることが出来るんです。

 「無防備な自分」をさらけだすこと。それは自分に自信がなければ出来ることではありません。そういった意味で、岸惠子さんと浅丘ルリ子さんは本当に、自分をさらけ出すことを厭わない自信に満ち溢れていますし、「自分の人生」に対して強固な自信を持っているのだと思います。

 「自信」を間違った方向に積み重ねて自己が肥大化し、他人におせっかいな説教をしたりして、年を重ねるほどに「傲慢」になって行く人は世の中にゴロゴロと転がっていますが、本当に自信のある人はわざわざ他人を配下に置こうとしなくても、自然と尊敬される存在になるものです。

 岸恵子さんと浅丘ルリ子さんが今回のドラマで曝してくれた「演技者として、人間としての生き様」を、僕は心から尊敬します。彼女達のように、年を重ねるということを「素敵なことだ」と感じさせてくれる素敵な大人がたくさんいれば、若者はけっして自殺になど走らず、未来に希望を抱いて生きて行けることでしょう。FC2 同性愛Blog Ranking

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