Happy Hunting Ground「冬のサボテン」●PLAYレビュー

ゲイを描いたこんな脚本があるなんて知らなかった。劇団文学座の若手による「Happy Hunting Ground」公演『冬のサボテン』は、ゲイ4人が主人公。高校時代に同じ野球部仲間として青春時代を過ごし、ゲイであるという悩みも共有しながら生きてきた彼らが、20代・30代・40代になった時に再会し合う「同窓会」を時系列で追いながら、カップル2人の恋愛関係が軸として描かれている。
1995年に初演された作品。描かれる場面が主に「80年代」であるため、現代のゲイ事情とはだいぶ違う描写が目に付いて面白かった。まず本人達が自分のことを「おかま」と呼んでいる。そして、インターネットの「イ」の字も出てこない。出会いを求めて雑誌の文通欄でパートナーを探す描写もある。ハッテン場のことを「淫乱旅館」と呼んでいる・・・などなど。
新宿2丁目に飲みに出かける「ゲイライフ」も謳歌している彼らだが、この時代は今よりももっと「ゲイとして生活するライフスタイル」が見出しにくかった時代。7年も付き合ったカップルは浮気が元で別れてしまい、その1人は偽装結婚だとわかったうえで結婚してしまったりもする。家業を継ぎ、家族を安心させるには仕方のない選択なのだ。こうした「80年代のゲイ」に多かった生き方とか苦悩が「ドラマ」としてしっかりと記録されている。

つまりその人物はまず「在日」として差別され、「おかま」としても差別され、さらに「おかまたちからは女装(おネエ)」で差別される役柄として設定してあるのだ。ウィットに富んだ毒舌を吐きながら場を明るくし、ハイテンションで動き回る愛くるしい「女装おかま」役を演じた櫻井章喜さんは、大柄な体格を生かして見事に役を造形し、おもいっきり笑わせてくれた。そして、笑いの中から滲み出る哀しみとか、人としての本当の強さを感じさせてくれた。本当に名演技だったと思う。
彼以外のゲイを演じる役者達も必要以上にナヨナヨせずに自然体であり、当事者として見ていても不自然に感じたり不快に思うような描写が全くなかった。時代は違えどもゲイが生きる上で直面しなければならない問題は共通であり、程度の差はあれど同じような悩みを通過する。それを高みから評価するでもなく「そのままに」描き出し、観客に提示することに成功した脚本家の手腕に驚かされる作品だった。こちらの記事でも触れたが、やはりLGBTと「在日」は差別に対しての感受性が非常に似通っているのだと思う。

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●公演情報はこちら。
作:鄭 義信
演出:高橋 正徳
出演:石橋 徹郎・浅野 雅博・沢田 冬樹・櫻井 章喜
●上演脚本「COUPLES 冬のサボテン」
●鄭 義信脚本映画「血と骨」
●鄭 義信脚本映画「月はどっちに出ている」
「冗談で聞いたのにぃ~!」

先日の就活フェアでの「就活を終えた学生さんの自己防衛策」はある意味当たっているようで、女性の比率が高い会社だからか、そういう空気が薄い会社なんです。僕の場合、誘われたら誘われたで面白そうだからワクワクしながらついて行って「自分がどこまでノンケらしく振舞えるのか」という演技力を試してみようかとも思っているのですが、なかなかそういうチャンスは訪れません。でも、もし毎回誘われて接待しなきゃなんないような状況が続いたりしたら、きっと逃げ出したくなるだろうなぁ。お店の子を「可愛い」と言ったり、デレデレしなきゃなんないんでしょ。辛そう・・・。
さて、うちの会社の忘年会は、お上品なお店でお上品に執り行われたので、いつも仲良く過ごさしてもらっている女性社員の傍で、僕もお上品に過ごしました。実はこの人、会社の中で僕が「ゲイであること」を唯一知っている人なんです。半年前位に書いたこちらとこちらの詩は、実は彼女にカミングアウトした時のことを書いたものだったんです(今読むと、かなりこっぱすかしいですが。笑)。

ある日、裏で「そういう噂」が面白おかしく語られていることを知った彼女が「もう少し警戒してください」と遠回しに僕に言ってきたのですが、そう言われても何を警戒すべきなのか僕にはピンと来ませんでした。
「二人が付き合ってると思われてるみたい」
彼女が言ったこの言葉にも、
「二人ってどの二人?」と返してしまったほどですから(爆)。
「私たちですよっ!」
業を煮やして彼女がそう言った瞬間、僕は・・・爆笑していました(爆)。だってそんなことまったくもって僕にとっては寝耳に水。微塵たりとも想像した事がないし、まずもってあり得ない。
「うわっ、なにその噂、あり得ねぇ~っ!」
僕はそう言ってかなり長い間、腹を抱えて笑い続けていました。それを見た彼女がどう思うのかもわからずに。

次に会社で二人きりになる機会があった時、いきなり彼女が言ってきました。
「もしかして、ゲイなんですか?」
・・・スゴイっすよね単刀直入。でも僕はこの時、即答していたんです。「そうだよ」と。
彼女は一瞬凍り付いていましたが、しばらく経ってから笑い出しました。
「えぇ~っ!、本当にそうなんですかぁ~?冗談で聞いたのにぃ~!」
「ホントだよ。いつか言おうと思ってたし、もし聞かれたら嘘を付かずに言おうと思ってたところだから丁度良かった。ありがとね~聞いてくれて」
「・・・そうなんだぁ~(笑)」
かなり長い間、二人で笑い呆けてしまいました。
この瞬間から僕と彼女が、それまで以上に仲良くなったことは言うまでもありません。いろいろLGBTに関する基礎知識も話しましたが、彼女は興味を持って聞いてくれました。

「付き合ってると思われるのって、仕事の場ではマイナスになる」
彼女としてはそう思っているらしいので「そうではない」という逆の噂を懸命に流し、今ではだいぶ浸透している様子。だんだんそういう目で見られなくなりつつあるのが僕としてはちょっと残念(←ってオイっ!笑)
それでも違う部署の人にまでは彼女の「噂モミ消し作戦」は浸透していなかったらしく、忘年会の席で、ある女性から「二人はいつも、いい雰囲気ねぇ・・・」と言われた時、一瞬凍っている彼女の表情を久々に見ました(笑)。
僕としては・・・思う奴には思わしとけっ!という感じなんですが。仕事場ってやっぱりルーティン・ワークだから、そういう「艶っぽい」話題には皆さん、食いつきがいいらしいんです。おいおい。いつか僕が「大ドンデン返し」をした時には、いったいどんな話題が花咲く事になるやら。楽しみでもあり不安でもある今日この頃です。→FC2 同性愛Blog Ranking
ありがとね

→FC2 同性愛Blog Rankingありがとね
このまんまのキャラクターを受け入れてくれて
ありがとね
なんにも取り繕うことなく
幼い自分をそのままぶつけてるのに
それをむしろ喜びと感じ
一緒にわくわくしてくれる柔らかな感性
ありがとね
君の戦いぶりを聴かせてくれて
この世に偶然はなく全ては必然
そう受けとめれば前に進めることを
教えてくれた かけがえのない君
ありがとね
これからの多様な性&家族&ライフ・スタイル16●ネットメディアの影響力、匿名の功罪~石坂わたるさん/顔の出せる当事者から動こう~赤杉康伸さん
続いて東京メトロポリタンゲイフォーラムの石坂わたるさんと赤杉康伸さんに、こちらの発言に対する質問がありました。
「ゲイの団体や支援団体の中で足の引っ張り合いがあるという点なのですが、例えば国際平和とか環境問題でも、ソロバン勘定では一緒に協調した方がいいとはわかっていても、それが出来ないという現状が多々あると思うんですね。今の状況を鑑みて、ゲイの団体が有機的につながり、社会的につながるにはどうすればいいと思っていますか。」
石坂さんと赤杉さんからの返答です↓
■これからの多様な性・家族・ライフスタイル PLAYLIST
僕が「ネット」から「リアル」へ出てみて思ったこと
僕も「匿名」で個人ブログというネット・メディアを持っているLGBT当事者の一人です。最近、ここで使っている「akaboshi」という名前を名乗りながら、実際にLGBT絡みの活動やイベントに参加しはじめています。リアルな場に出始めてみて思いました。やはり、以前までの「完全に顔が見えない状態」というのは、周囲にかなり警戒心を抱かせていたんだなぁということを。
自分は自分のことを知っているけれど、顔の見えない僕に書かれる人たちは「ネット上の文章でしか」僕のことを知らない状態だったわけで。そういう状態と言うのは、やはりどこかしら「不安」を相手に与えます。それは当然のこと。
会ってしまえばなんでもないし、直接言葉を交わし合ってしまえば過剰な疑心暗鬼は氷解するものです。しかし、引き篭もっている側がその「ハードル」を越えるには、やっぱり勇気が必要なんです。だって「LGBT当事者です」と名乗っている状態で昼間っから人と会うわけですから、そりゃ~最初は怖いですよ、やっぱり。
僕の場合は、このブログのコメント欄で誘ってくれたり、何気なく勇気付けたりしてくださった人がいたから「引き篭もり気味なゲイ」から脱出できたようなものです(笑)。読んでくださっている人に「僕はこうしますっ!」と宣言することで自分を奮い立たせながら出かけて行き、「ブログに書いちゃったからなぁ~」ということで、後戻り出来ない状況に自分を誘導しました。(おそらく僕のターニング・ポイントであるこの日も、この記事を書かなければ途中で引き返していたことでしょう。笑)
結果的にいろんな人たちに出会い始めましたし、自分の世界がすごく広がりましたから、声をかけてくださった方には本当に感謝しています。次は僕が、もしネット上でかつての僕のような人を見かけた場合には、積極的に「リアルな場」へと誘い出そうかなと思ってます。
なんか来年の政治の動き、ワクワクするんですけど(笑)
赤杉康伸さんの発言にある通り、LGBTを取り巻く政治の状況は、上川あやさんと尾辻かな子さんの活躍でここ数年、確実に変化してきています。さらにこの動きを加速させるには、来年の春に任期が切れる上川さんと尾辻さんの政治家としての今後の展開を応援したり、LGBT当事者の新たなチャレンジを積極的にサポートすることが必要ですね。
●東京メトロポリタンゲイフォーラム
●尾辻かな子さんホームページ
●上川あやさんホームページ
来年の一斉選挙に向けての東京メトロポリタンゲイフォーラムの動向や、LGBT当事者議員たちの活動には要注目!。僕は結構、今からワクワクしています。なんだか楽しそうじゃないですか変化のある時って(←軽っ!笑)。LGBTの更なる可視化に向けて実りある変化になるよう、出来る限りのことをするつもりです。→FC2 同性愛Blog Ranking
「ゲイの団体や支援団体の中で足の引っ張り合いがあるという点なのですが、例えば国際平和とか環境問題でも、ソロバン勘定では一緒に協調した方がいいとはわかっていても、それが出来ないという現状が多々あると思うんですね。今の状況を鑑みて、ゲイの団体が有機的につながり、社会的につながるにはどうすればいいと思っていますか。」
石坂さんと赤杉さんからの返答です↓
■これからの多様な性・家族・ライフスタイル PLAYLIST
僕が「ネット」から「リアル」へ出てみて思ったこと
僕も「匿名」で個人ブログというネット・メディアを持っているLGBT当事者の一人です。最近、ここで使っている「akaboshi」という名前を名乗りながら、実際にLGBT絡みの活動やイベントに参加しはじめています。リアルな場に出始めてみて思いました。やはり、以前までの「完全に顔が見えない状態」というのは、周囲にかなり警戒心を抱かせていたんだなぁということを。

会ってしまえばなんでもないし、直接言葉を交わし合ってしまえば過剰な疑心暗鬼は氷解するものです。しかし、引き篭もっている側がその「ハードル」を越えるには、やっぱり勇気が必要なんです。だって「LGBT当事者です」と名乗っている状態で昼間っから人と会うわけですから、そりゃ~最初は怖いですよ、やっぱり。
僕の場合は、このブログのコメント欄で誘ってくれたり、何気なく勇気付けたりしてくださった人がいたから「引き篭もり気味なゲイ」から脱出できたようなものです(笑)。読んでくださっている人に「僕はこうしますっ!」と宣言することで自分を奮い立たせながら出かけて行き、「ブログに書いちゃったからなぁ~」ということで、後戻り出来ない状況に自分を誘導しました。(おそらく僕のターニング・ポイントであるこの日も、この記事を書かなければ途中で引き返していたことでしょう。笑)
結果的にいろんな人たちに出会い始めましたし、自分の世界がすごく広がりましたから、声をかけてくださった方には本当に感謝しています。次は僕が、もしネット上でかつての僕のような人を見かけた場合には、積極的に「リアルな場」へと誘い出そうかなと思ってます。
なんか来年の政治の動き、ワクワクするんですけど(笑)

●東京メトロポリタンゲイフォーラム
●尾辻かな子さんホームページ
●上川あやさんホームページ
来年の一斉選挙に向けての東京メトロポリタンゲイフォーラムの動向や、LGBT当事者議員たちの活動には要注目!。僕は結構、今からワクワクしています。なんだか楽しそうじゃないですか変化のある時って(←軽っ!笑)。LGBTの更なる可視化に向けて実りある変化になるよう、出来る限りのことをするつもりです。→FC2 同性愛Blog Ranking
王の男ブームを追う009●僕がこの映画を見ない理由

特に僕がおかしいと思っているのは「同性愛と言われるのは自分にとって負担」とか、 「この作品は同性愛よりも、人間関係におけるもっと大きい愛を描いています。」と、わざわざ監督や出演者が公の場で言ってしまっている態度についてです。
だったら『王の男』という思わせぶりなタイトルを最初から付けないでもらいたい。これがもし『王の女』というタイトルだったら何を思いますか?・・・王が好きな女について描いた映画なんだろうなぁというイメージを、多くの人が持つのではないでしょうか。つまり、『王の男』というタイトルで、多くの人が「王が好きな男について描かれた映画なんだろうなぁ」とイメージすることを誘導して話題を集めておきながら、そのイメージをわざわざ打ち消そうとする心理の裏には何があるのですかと問いたいわけです。
もう一つ。「それより奥は、見てはならない」というキャッチコピーが公式サイトやポスター・チラシで使われていますが、いわゆる「同性愛=禁断」の香りを匂わせて関心を引き、観客動員を図ろうとする「同性愛映画にありがちな宣伝手法」だと僕には思えます。『王の男』というタイトルとセットで見ると、そのイメージ戦略は明らかです。こういうあざとい宣伝手法を使っておきながら、一方ではそのイメージを払拭しようとする態度って不思議。
「男が男に感情的に惹かれること」って、単純に「同性愛」でしょ?。たとえ相手がゲイであるという確証がなかったとしても。相手が同性であり自分が「好きだな」と感じていればそれは「同性愛」。ゲイやレズビアン、バイセクシュアルやトランスジェンダーの同性愛者が日常よく感じている感情です。

だったら「歴史映画」「韓国映画」「恋愛映画」「娯楽映画」「人間愛映画」(笑)と言い表すのと同じレベルで「同性愛映画」と言うことの、何がおかしいというのでしょうか?
これを「おかしい」と感じたり、そのイメージを払拭しようと躍起になる人は、これまで「同性愛」という言葉に塗り込められてきた様々な汚れた(=汚された)イメージを自分の中に抱えてしまっている人。あるいは同性愛という言葉から、すぐに「セックス」とか「性行為」とか「いやらしさ」というイメージを結び付けて連想してしまう短絡思考の持ち主。すなわち「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」を抱えている人なんではないでしょうか。
僕は「同性愛に関する表現がある」ということで、この映画に興味を持ったんですけど、違うと言うんなら興味がないので観ませんね。少なくとも僕にとっては「マイナス・キャンペーン」が続いたし、どうでもよくなってきちゃったんだも~ん♪→FC2 同性愛Blog Ranking