工藤静香リスペクト014●新曲「Clavis―鍵―」試聴開始

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はじめて聴いたのですが、「こう来たかっ!」という感じです。数々の中島みゆき提供曲のどれとも似つかない、まったく新しいタイプの楽曲であり、正直、意表を突かれました。 歌詞は独特の抽象性を帯びた世界観のようですし、アレンジもグッとダークな感じで、穏やかな曲調が続いていた最近のシングル曲とは一線を画しています。最近の彼女は「中低音」が野太く出せるようになって来たのですが、その特色を生かした曲調だと言えるでしょう。いつも新曲を最初に聴く時にはドキドキするのですが、今回は久しぶりに、いい意味で裏切られたのでインパクトは充分。早く全体を通して聴いてみたいです。
また、カップリング曲の「Powder snow」は本人の作詞ですが、「Clavis」とはガラッと違う歌い方が印象的です。楽曲のイメージによって声の表情を柔軟に変える彼女の多面性が味わえるシングルとして期待できそうですね。こちらの作曲にクレジットされているJin Nalamuraさんは、昨年発売されたアルバム『月影』で「replay」 「月夜の砂漠」 「BREAK OF STILL」 「深海魚」 の4曲を担当していた人。どれもリズム展開が少し複雑でメロディーの起伏も激しいのが特徴。今度の場合はバラード調のようですね。
さあ~いよいよ28日(月)はフジテレビ系「HEY!HEY!HEY!」に出演ですよ。サビ以外の部分が聴けるのが、とにかく楽しみです。→FC2 同性愛Blog Ranking
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KANリスペクト003●アルバム「遥かなるまわり道の向こうで」30日発売

KANさんにとってアルバムのリリースは5年ぶり。この間、フランスに移住して歌手活動を停止していたので「もしかして引退かも・・・」とハラハラしていました。彼の「小心者でおっちょこちょいだけどユーモラスな歌世界」はやはり唯一無二のものであり、もう聴けなくなるなんて信じられないと思っていました。それはまるで、自分の大切な一部分がもぎ取られてしまったかのような感覚でした。だから今回の本格復活は本当に嬉しいし、彼の周囲に「彼の音楽のファン」がたくさんいて、ちゃんと待っていて支え続けているという事実には感謝です。
一時期は「歌い続けること」の壁にぶつかり、「遥かなるまわり道」をしてしまったKANさんだけど、ちゃんとこうして帰ってきた。そんな今の彼だからこそきっと、力が抜けた「本当に豊かな歌」が歌えるのかもしれません。普通の言葉で、普通の視線で、小さなことを大切に歌う彼のセンスとユーモアが、僕は大好きです。
●KAN公式サイト14thアルバム「遥かなるまわり道の向こうで」→試聴はこちら。
1.世界でいちばん好きな人
2.キリギリス
3.彼女はきっとまた
4.小さき花のテレジア
5.エンドレス
6.おしえておくれ
7.遥かなるまわり道の向こうで
8.カレーライス
9.RED FLAG(一般道路速度超過)
10.アイ・ラブ・ユー(version:CJP)
●KAN「遥かなるまわり道の向こうで」
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キム・キョンムク「顔のないものたち」●MOVIEレビュー②

第一のパートのラスト。部屋に一人取り残された若い男は、しばしの沈黙の後、ビデオカメラをおもむろに取り出す。そして窓の外らしき場所にカメラを向け、覗き込む。
覗き込んだ「先」という設定にされているらしい部屋の中にも、どうやらゲイの男同士がいる。一人は袋を頭からすっぽりと被っている。もう一人は普段着のまま。なにが始まるというのだろう。

つまり袋の男が普段着の男に要求していたことというのは、「自分の口に向かって放尿してくれ」ということだったのだ。明かりが煌々と点されたなんの変哲もない一室で、突然繰り広げられようとしている放尿の光景・・・。普段着の男は監督自身なのだろうか・・・三脚に据えたカメラを、自分たちの行為がもっともリアルに移る場所への動かし調整しながら、自らの放尿場面を執拗に撮影しようとする。しかし、さすがにベッドの上では勝手が悪く、なかなか事が実行出来ない。
「こんな体勢だと無理だよ。」
普段着の男が言うと、袋の男はベッドの下の床に寝転がる。そして、普段着の男はベッドの上で力みながら、下にいる袋の男の口にめがけて脱糞することになるのだ。次第に興奮し、裸になる袋の男。カメラはその一部始終を至近距離から撮影し続け、ボカシが入ることもない。「えっ、マジで見ることになってしまうの・・・!?」というスリルと好奇心を喚起されながら、観客は目の前に提示される映像を「見る」しかない。

放尿シーンをうっすらと画面上に残しながら展開されるそのアニメは、とても暴力的で過激な内容。漫画でよく描かれる通称「巻きグソ」があちこちに落とされる光景だ。生きているものの上だったり、日本やアメリカの上だったり・・・。さらにはエイズ感染の広がりを髣髴とさせるイメージなどが、強烈なスピードで次から次へと展開される。密室で行われている放尿という行為が、アニメーションの挿入によって一気に「広がり」を持ち「別次元のもの」として立ち上がり、観客のイメージや思考を刺激する。そしてアニメが終わったと思いきや、ついに観客は放尿の場面を見てしまうことになるのだ・・・!
放たれたものを口に含む袋の男。興奮している。自らの身体や性器の周りに糞を塗りたくり、さらに興奮して自らの性器を弄び始める。放尿の終わった普段着の男はカメラを持ち、その姿をアップでカメラに記録する。つい先刻まで自分の身体の中にあった糞。それが今、目の前で袋を被った男の肉体に塗りたくられ、性的興奮の道具と化している。
あまりにも衒いがなくストレートにアップで映される「糞」の映像。最初はやはり嫌悪感を抱いた。「なんでこんなのアップで見せられるんだ・・・。頼むからズームのスイッチを押さないでくれ。」
しかし願いは空しくカメラは容赦なく、この世で最も「汚物」とされがちなものの姿をリアルに目の前に映像化する。

糞といっても、この世の中に当たり前に存在している物質であり、生々流転の一段階に過ぎない。人が口に入れた食べ物が、体内で消化された結果できるただの物体じゃないか。僕はなぜ、これを「汚物」として嫌悪し、「見つめる」ことすら拒否してしまうのだろう。
袋の男は「汚物」にまみれながらも興奮し、ついに射精する。カメラは、射精された男の白い液体までをも丁寧にアップで映し出す。その頃にはすでに観客は「汚物」を見慣れている。もう、なにが起こっても受け入れられるような感覚世界を漂っている。自らの判断する「清濁」の基準がグラグラと揺さぶられるような大地震が僕の内面世界で続いていた。その揺れは激しく、あちこちに傷をつけながら破壊を続け、いろんなものを粉砕してくれた。
第三のパートは、もう一度「第一のパート」のホテルの一室に戻る。ビデオカメラを覗き込んでいる男のが映し出される。つまり、今見た光景は、このビデオの男も見ていたものであるかのように思わされるカットつなぎである。

「この映画の最初のパートは、監視カメラにより撮影された映像である。」
・・・「えっ!?、まさか・・・」と驚かされるが、租借する暇もなく次の衝撃が。
ビデオカメラを覗き込んでいた男がファインダーから目を外すと、そこにいるのは他でもない「監督自身=キム・キョンムク」なのだ。第一のパートで中年男に身体を売っていた男娼の男とは、まったくの別人。つまり、全てが実写映像であるかのような捉えどころのなさとリアリティーを作品の柱にしておきながら、最後の最後に「作者が顔を出す」ことできっちりと映画全体を「フィクション化」して、この作品は終わるのだ。
キム・キョンムク・・・。どこまで人を翻弄すれば気が済むのか。
どこまで人として、ゲイとして、映画としての新たな領域を開拓しようとしているのか。
彼がこの作品に込めた社会風刺は、映画風刺、芸術風刺でもある。
つまり、自分も含めた「全てのもの」に対して、ナイフを突きつけてしまっているのだ。
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(FACELESS THINGS)
2005/video/65min
監督・製作・脚本・編集・録音
:キム・キョンムク
(KIM Kyong-Mook)
音楽:イ・ミンヒ
出演:キム・ジンフ キム・ジョンチョル
配給:キム・キョンムク
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★次回は、同時上映されたキム・キョンムク監督の「僕と人形遊び」について。