LGBT可視化に向けて017●STN学習会④ 逆にアイデンティティ・クライシス

ILGA報告とDVD紹介のあと尾辻かな子さんは、今年の6月のアメリカ視察の話を、写真を紹介しながら話してくれましたよ。6月25日にはサンフランシスコでプライド・パレードを見に行き、パレードやイベント会場の盛況ぶりを見て、思わずこんなことを思ったそうです。
「あまりにもLGBTがたくさんいすぎて、私は今まで何に悩んで来たのかと、逆にアイデンティティ・クライシスになるくらいでした。」
うわ~。それってどんな感覚なんだろう・・・そういえば日本ではまだ「万単位」のイベントは実現できてませんから、海外に行かないとそのような光景は見ることが出来ないんですよね。僕もそんなクライシスを経験したいなぁと夢見てしまいました。もちろん国内で。
ちなみに、この時に見た写真と同じものは尾辻さんのブログに掲載されているので、リンクを貼らせていただきます。
あちらのパレードには多くの錚々たる企業がスポンサーとして名を連ね、企業広告のフロートもたくさん参加しているそうです。LGBTマーケットが有望市場として認知されて注目されている証ですね。沿道で見物する人の数も半端ではなかったようで、パレードを見るために尾辻さんは思わず、ゴミ箱の上に乗って、これらの写真を撮影したらしいですよ(笑)。●Happy Pride! サンフランシスコ・プライド・パレード
●プライド・パレード詳細 その1
●プライド・パレード その2
●プライド・パレード その3
●プライド・パレード その4

また、Capital Pride Street Festivalの会場では、ゲイやレズビアンらのカップルが子どもを引き連れている姿をたくさん見かけたそうです。こちらの記事の一番下の写真では、ゲイのパパが子どものオムツを換えている瞬間が見事に捉えられています(笑)。
そういえば映画「トランスアメリカ」の監督であるダンカン・タッカーさんも「子持ちのゲイ」らしいですよ。 北丸雄二さんの隔数日刊 | Daily Bullshit「トランスアメリカ」でインタビューが掲載されています。
それにしても、こうやってサバサバと語られると、細かいことでウジウジ悩んでるのがアホらしくなりますね~。自分の信念貫いて、好きな通りに生きている人ってやっぱり素敵です。「ゲイっていうか、ぼくはぼくに優しくしてくれる人とだったらだれとでも寝るよ(笑)。区別しないようにしてるのさ。」
「いろんな肌の色がある。セクシュアリティとかジェンダーってのも同じ数だけいろんな色があるんだってこと。」
尾辻さんは他にも、アメリカでの様々な経験を話してくれましたが、尾辻さんのブログにたくさん掲載されていますので、そちらをぜひ。写真があるから雰囲気が伝わってきますし、読み応えありますよ~。
さて次回は、会の最後に行われた質疑応答でのやりとりを紹介します。→FC2 同性愛Blog Ranking●PRIDE GUIDE 公式ガイドブック
●第2日目(13日)
●3日目(14日)
●ワシントン最終日
●テキサス。オースティンその2
●イクオリティ・プロジェクト・モントレーカウンティ
●サンフランシスコ、結婚証明書をめぐって
●トランスマーチ
●トランスマーチ2
●ダイクマーチ(DYKE MARCH)
●シアトル(6月28日)
●シアトル(6月29日)
●シアトル(6月30日)
★一枚目の画像は、尾辻かな子著「カミングアウト―自分らしさを見つける旅」
キム・キョンムク「顔のないものたち」●MOVIEレビュー①

おそるべき鋭利なナイフを持ち、隠すことなく堂々と表現者として駆使しているゲイの映像作家が韓国にいる。知性にあふれ、度胸もあり、ゲイである自分を開示することに躊躇せず、傷つくことを厭わない。世間の様々な既成概念に対して「映像」という道具で挑戦状を叩きつけ、観る者を揺さぶり翻弄し挑発している本物の芸術家。
『韓国インディペンデント映画2006』で上映された「顔のないものたち」の監督キム・キョンムクは、20代前半の無鉄砲さとそれを統制する知性を併せ持った・・・つまり若さと老成を併せ持った稀有な人物だ。これから彼は何に反旗を翻し何に挑戦し続けるのだろう。彼のような「鬼っ子」がいる韓国のゲイ・シーンは真の意味で幸運だ。
<注:このレビューの中には、性に関する直截な描写があります。>

「顔のないものたち」は、3つのパートに別れている。そのどれもが衝撃的かつ挑発的な内容なのだが、一つ目のパートは撮影方法も挑発的。「ワンカット撮影」なのだ。しかもカメラを部屋の片隅に固定し、まったく動かすことなく廻し続けてカットも区切らない。まるで監視カメラで「隠し撮り」した映像を覗き見しているかのような感覚に、観客を陥らせる撮影方法。
ありふれたホテルの一室に、小太り気味の中年男性がやってくる。煙草をくゆらし、何かを待っている様子。やがてその部屋に制服を着た若い男が入ってくる。二人は旧知の仲であるらしく親しげに会話を交わす。やがて若い男が中年男の背後から抱きつき、二人はこれから「そういう行為」をする関係なのだということがわかる。
肉体の接近から衝動的に始まるソファの上での性戯。しかし潔癖な中年男は若い男にシャワーを浴びさせる。その間、これから行う行為を思い浮かべてベッドの上で一人、自らをもてあそぶ中年男。

いよいよという時。いきなり黒いマスクを取り出して被る中年男。
「なにそれ、おかしいよ。」と突っ込む若い男。
「いいだろ、レイプしてるみたいで。」
顔を隠して行う「犯罪性」を演出し、自分の性的幻想を一方的に追求して興奮しようとする中年男。ただ従いながら全身を捧げ、好きなように弄ばれるしかない若い男。意志は肉体に従属する。でも、あながち嫌というわけでもなさそうだ。強引に奪われながらも若者の肉体は悦んでいる。そして精神も悦びの渦中にあるようだ。すべての意識は行為に集中され、2人で奏でる協奏曲は激しく昇り詰めて行く。ベッドを飛び出し様々な体位で、興奮の絶頂を迎える。

「君のこと全て好きだよ。」
「・・・どうでもいいってことか。」
若い男がつぶやく。
彼はなかなかクールに、自己と他者の心理を分析できる人物のようだ。
「今後も会いたい」と言いながら中年男は服を着始め、行為の代償である金銭を支払う。そう、これは売春の光景だったのだ。中年男には家庭があり、中学生の息子がいるらしい。つまり若い男とほぼ同年代の息子がいるのだ。
そのことに若い男が意地悪く突っかかる。
「息子さんもゲイかもね。性的嗜好は遺伝するらしいから。」
「ばか言うな。うちの息子は普通だ。」
「普通って何?。じゃあ僕は普通じゃないの?。」
「・・・。」
「奥さんもレズビアンかもよ。」
「何を言う。妻がどれだけ私のことを愛してくれているか・・・。」
むなしくなるだけの若い男。

一人、部屋に残された若い男はベッドにうつぶせになり、死んだように凝固する。そんな彼の姿まですべて、残酷なまでに冷徹にカメラは撮影し続けているものだから、観客もただ、映画館の暗闇から凝視し続けているしかない。
どの瞬間が真実なのか/嘘なのか。
どの言葉が真実なのか/嘘なのか。
どの行動が真実なのか/嘘なのか。
どの快楽が真実なのか/嘘なのか。
ノーカット映像から零れ落ちる様々な「隙間」から真実と嘘は混ざり合い、混淆し続けながら解釈不可能な時間として提示され続ける。それにしても、なんて豊かな感覚刺激なんだろう。
ちなみに、彼ら二人の「演技」を収録するためにキム・キョンムク監督は2週間かけて、綿密なリハーサルを行ったそうだ。プロの役者ではない素人の彼らを使い、30分以上のノーカット場面を完璧な演出で実現してしまう力量は、只者ではない。
次回はいよいよ2番目のパートについて。
・・・これがまた、さらにエキサイティングかつ、ショッキングなのだ。彼の映画について一気に語れてしまうほどの精神的体力を、僕は持ち合わせていない。

「顔のないものたち」
(FACELESS THINGS)
2005/video/65min
監督・製作・脚本・編集・録音
:キム・キョンモク
(KIM Kyong-Mook)
音楽:イ・ミンヒ
出演:キム・ジンフ キム・ジョンチョル
配給:キム・キョンムク
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