工藤静香リスペクト●新曲「Clavis-鍵-」9月6日発売決定!

昨年末の東京でのディナーショーで「4月頃に発売予定」と、本人が曲の一部を披露したらしい静香姉さんの新曲ですが(→こちら参照)、4月を過ぎても一向に音沙汰がなかったので「あっれ~?」とは思っていました。
でも、長年彼女のファンを続けていると1年や2年待たされることには既に慣れっこ(笑)。公式サイトの放置っぷりにも既に慣れっこ。いつものごとく年単位で気長に待とうと思っていたのですが、意外に早く朗報が飛び込んで来ました。いよいよ9月6日に本当に発売されますよ~万歳~!。情報を教えてくれたPurple-roseさんと秋ヲさん、ありがとう~。
新曲発売を「本当に」報じているサイト↓
●PONY CANYON 工藤静香のページ
●スポーツ報知 「工藤静香、中島みゆきと8年ぶりコラボ…1年4か月ぶり新曲で」
●中島みゆき公式サイト「でじなみ」
新曲のタイトルは「Clavis-鍵-」。中島みゆきさんの作詞・作曲で、既に7月から日本テレビ「DRAMA COMPLEX」の挿入歌として使われているそうです。ドラマ・コンプレックスといえば今年はいろいろありましたけれども(→たかがテレビ13・17・18参照)これで本当に全てを水に流しましょう~!(←簡単に流すな~!笑)。
7月から使われているということは…7月4日に放送された「薔薇の微笑 愛すれど心哀しく」(浅野温子主演)でも流れているのでしょうか!?。「主人公が性転換者だった!」というのがサスペンスのオチになっているらしいので録画したものの見ていなかったのですが、静香姉さんの曲をチェックするためならば早速、見てみようと思います~(←盲目的ファン状態)。
9月頃にはテレビ出演等もあるのでしょうか?そういえば、このブログを書き始めてから新曲が発売されるのは初めてのことなんですよね。しばらくは工藤静香ファン・サイト状態になるであろうことを今から予告しておきます。(ファンじゃない人スミマセン。)
このブログで知り合うことの出来た静香ファンの皆さま。子育てに仕事にとパワフルに動き回る彼女の元気な姿と、歌やトークで炸裂する「静香節」が聴けることを楽しみにして、9月を楽しみに待ちましょう。情報提供もよろしくっ! 。→FC2 同性愛Blog Ranking
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ネットを覗いて「ゲイ」になる

ところで。僕がネットを絶っていた間に・・・「ゲイ」にとって、かなり重大な事件が起こり、こんな風に報道されていました。相変わらず「ゲイ」が報道される時って、変なフィルターがかかってるようなかかっていないような微妙な言い回しが目立ちますね。「GAY JAPAN NEWS」を除く全ての媒体は、記事の書き手があくまでも「異性愛者」としての主体で書いているので、しょうがないことなのかもしれませんが。
●同性愛者狙い強盗、少年4人逮捕 東京・夢の島公園(産経新聞 2006.7.27)
●淫夢が悪夢に…「夢の島」ゲイご難!高校生らが裸の男性袋だたき(サンケイスポーツ2006.7.28)
●夢の島は「ゲイの島」(ゲンダイネット 2006.7.28)
●同性愛者の発展場「夢の島」でホモ狩り(スポーツ報知 2006.7.28)
●同性愛者狙い強盗、少年4人逮捕 東京・夢の島公園 (GAY JAPAN NEWS 2006.7.29)
このニュースを知ってまずは「殺されなくて良かった」という安堵の思いと恐怖心が同時に湧きました。なぜならこれは明らかに「ゲイを襲う」ことを最初から想定しての行動であり、それだけでも非常に悪質だからです。被害者は殺されなくて本当に良かったし、6年前には同じ場所で殺人事件が起こっているわけですから、二の舞にならなくて本当によかったです。そして被害者が泣き寝入りせずに通報したことは、いわば「当たり前のこと」だけど、「同性愛者なら警察に届けないと思った」と思われていたことに、無性に腹が立ちました。

屋外をハッテン目的で歩くことは、「ノンケ」に置き換えると渋谷や新宿の街頭で見知らぬ者同志で「ナンパ」をしたり、「ナンパされる」のを目的に肌を露出した格好で歩くのと質的には同じなのではないかと思います。ただ「ゲイ」の場合は表立って街頭ではやれないので深夜の人気のない場所に限定されるし、人気がなく仲間同士しかいない場所なので、行動も少し過激に走りがちな面があるということであって。男同士という気兼ねのなさから、ちょっと走りがちではあるけれども(笑)。
屋外で出会いを求めたり、時にはセックスをすることは、いわゆる「ノンケ」でも行っていることですが、その場を襲撃したからといって「通報しないはずだ」という発想は最初から持たれないでしょう。「ゲイ」という「隠れて生きている人々」だから、襲っても「隠れ続けるに違いない」と、いまだに思っている輩がいるわけですね。
女性がレイプされたり性的暴行をされた時などにも、世間の目や風評を気にして誰にも告げなかったり泣き寝入りするケースが多いと聞いたことがあります。犯す側が、被害者のそうした「できれば隠しておきたい」という心理を想定して計画的に行うこうした種類の犯行は、「驕れる者」の醜さと無神経さを感じさせますし、理不尽なヒエラルキーの存在を感じさせます。こんな前時代的な感覚の持ち主が現に今でもいるということに愕然としますし、同時に「それが現状なのかもなぁ」と追認しそうになる哀しい自分の一面にも気がついてしまいました。

サンケイスポーツの報道では、捜査員の話として「地元の不良少年の間では『同性愛者を狙えば簡単』というのは共通認識のようだ」という記述があります。もしそうなのだとしたら今回の一件は大きな一石を投じたのではないでしょうか。エスカレートしがちだったゲイたちは「屋外でのハッテンは危険と隣り合わせの行為」だという認識を強めるべきだし、それを襲撃しようと狙う者たちには「現代のゲイは黙って泣き寝入りはしない。そんな時代はとっくの昔に終わっている」という認識を広めることにはなったでしょう。
それにしても。
ネットを覗かなければ「ゲイ当事者」にすら、こうした情報が入ってこないという今のメディア状況には、今更ながら愕然としますね。どうやらこの事件、数少ないマス媒体でしか報じられていないようですから、それを直接見るか、ネットやmixiで「ゲイのブログ」や「ゲイの日記」等に触れなければ知り得なかった情報でしょう。おそらく日本社会全体における現在の認知度は10%にも届かないのではないでしょうか。

なんだかんだ言って日常的にネットに接する人ばかりではありませんし、僕らが思っているほどには世間の多くの人たちは「同性愛者」が素顔を隠して生きていることなど歯牙にもかけずに生きています。そして僕は、とりあえずはそのことを表向きには受け入れた形でいまだに社会に属しています。悲しいかな僕の普段の生活空間では、ゲイの「ゲ」の字すら滅多に口にされることはありません。だからこうした事件のことについては話題に上がることすら皆無に等しいのが現状だし、もし記事を目にしたとしても「見ざる言わざる聞かざる」を装った方が無難だという空気が確実にあります。
なにせ『ブロークバック・マウンテン』という映画のタイトルですら「なにそれ?」と言われてしまうのが、LGBTではない大多数の人たちと交わす会話の実際であって・・・(←本当に最近、言われました)。おそらく『トランスアメリカ』の認知度も相当に低いままでしょう。関心が無い人たちには本当に、まったく「引っかかりもしない」ことなのです。我々が関心を持ち、「知っているのが当たり前」な位に親しんでいるような情報については、当事者と非当事者との間には驚くほどの情報格差があります。
この原因はやはり、LGBT当事者たちが送り手となっているマス・メディアが、今の日本には存在していないということにあるのでしょうね。だからいつも語られ方が「異性愛者」的な視点からなのです。油断をしていると、その情報の波の中で自分が「ゲイ」だということすら忘れて行くような感覚に陥ることがあります。
「ゲイである」と意識すること/忘れること
もちろん僕には「ゲイ」として、大好きな「ゲイ」の人と過ごす時間とか電話で話す時間などもありますよ。しかし最近ではそのことを僕が「当たり前のこと」だと感じられるようになったからか、そうした時間においても自分のことをいわゆる「異性愛者」に対しての「同性愛者」なんだと殊更に意識することが無くなって来ているような気がします。要するに自分の生活空間が成り立っている限りにおいては、自分が「ゲイ」と呼ばれる存在だということを「忘れてしまっている」のです。
つまり最近の僕は・・・ネットを覗いて、更にこのブログや「ゲイ」に関しての情報をチェックする時間を自らが積極的に作り出した時にはじめて「あ、そういえば僕って『フツーに生きてるGAY』と名乗ってこのブログを書いている人なんだっけ・・・」と思い出し、「ゲイとしてのアイデンティティー」なるものを確認している、あるいは創作している・・・そんな感じなのです。

でもね。やっぱり哀しいですね。
確実に自分の一部分である「ゲイ」としての側面が、理不尽な理由で陵辱されたかのように感じる出来事が、自分が属している社会で実際に起きたことを知ることって。この件で僕の中に自然に沸き立った感情によって、僕は僕の中の「ゲイ性」を思い出し、こんな社会の実態に対する関心が改めて喚起されたというのが、偽らざる最近の心情です。
「フワフワしたアイデンティティー」だけれど、どんなにフワフワしているようでもいまさら僕が「ゲイ」であることは揺るぎようがないことなんだと思います。たとえ日常の忙しさの中で一時的に忘れることはあっても(笑)、常に戻るべき精神的な「核」のようなものになってきているんだと思います。
今回被害に遭って泣き寝入りしなかった彼も、きっと同じような感覚の持ち主なのではないかと思います。彼は「ゲイであること」を理不尽に攻撃されたことで、自分の中の「ゲイ性」を強く意識し、かえって奮い立ったのではないかと思うのです。
「ゲイであること」はあくまでも僕の一部分であって全体ではありません。
でも、全体は一部分の集積によって成り立っているのです。→FC2 同性愛Blog Ranking