新日曜美術館「画家 小山田二郎 鳥女の肖像」を見て

一年前の展覧会ではじめて見たのですが、一気に世界に引き込まれたのです。改造前の古めかしい赤レンガで覆われた薄暗い東京ステーションギャラリーの雰囲気と、グロテスクな彼の絵は見事にマッチしていました。
彼の描く絵の中では、繊細かつ大胆な線と色彩によって描き出された幽霊のような異形の者たちが、額縁の中で静止しているのではなく、見ている者のイメージの中で息づき自由自在に動き回るのです。その生命力の強さには圧倒されましたし、心の中に鋭くダイレクトに浸透して来るものを感じました。
「異形」を糧にする精神
今日、NHK教育テレビ「新日曜美術館」では彼の生涯を紹介していましたが、印象的なエピソードがいくつかありました。彼は病気によってグロテスクになってしまった「自分の顔」を否定せず、むしろ芸術家として受け入れていたのです。なんと絵を制作するときには、自分の顔を鏡に映しながら描いていたそうです。彼の絵はすべて、自画像だとも言えるのですね。
コメンテーターのねじめ正一さんも語っていましたが、彼の顔は他者からしてみれば「怖い顔」だし、本人も「人から怖がられる顔」だという自覚は充分すぎるほどにあったことでしょう。でも、そういう顔をしていたからこそ感じられることがある。他者からそう見られることによって、自らの内面に蓄積する様々な毒や棘がある。彼はそれを否定するのではなく芸術表現の養分として生かし、自身の内面を掘り下げて抉り出すことで作品に昇華した。「障害」と語られがちな「異形」である肉体を、決して「障害」だとは見做さずに芸術表現の「糧」にして活用した。その精神力の強さには驚きました。
それに、彼が描いた「舞踏」という絵が描かれた背景には、戦争の暗い影があったということも見逃せません。東京大空襲でこの世の地獄を見てしまったこと。その後の世の中の急激な変化をも体験してしまったこと。取り残された感覚。孤独。そうした記憶の堆積が、彼の中には積もっていた。彼は自己の内面を見つめてばかりいたという印象があったのですが、実はそれを極めることは社会性のある表現の獲得に繋がることでもあるわけですね。
いや~それにしても・・・。
まさか奥さんの小山田チカエさんと、失踪時に生活を共にされた小掘令子さんの姿を同じ番組内で見ることが出来るとは思いませんでした。両人とも、とても生き生きと嬉しそうに亡き画家のことを語っていましたし、芸術を愛する人に独特の「精神の若さ」が滲み出ている人柄で素敵だと思いました。
東京の八重洲にある「文京アート」では、6月30日まで「小山田二郎 油彩・水彩展-1950年代~'70年代-」が開催されています。テレビというものはどうしても、おせっかいにも一つ一つの絵について「解説」をして「意味付け」をしてしまいます。それは本来、芸術作品に対する接し方としては邪道です。また、実際の絵の質感とか大きさ、彼の絵に特有の「引っかき傷」の生々しさや繊細な色彩を映像で映し出すことはできません。
小山田二郎さんの絵は実際に見ると、一つ一つがまるで宇宙のような広がりのある世界を確立しています。わかりやすい言葉では簡単に解釈できない、多様な印象をもたらしてくれる豊かな作品です。もし機会がある時には、ぜひ見てみてください。
今回の放送がきっかけとなって、再び大規模な展覧会が開かれないかと期待しています。個人美術館が作られてもいい位の素晴らしい芸術家だと思います。画集や伝記すら出版されていないという事実が不思議です。→FC2 同性愛Blog Ranking
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画家・小山田二郎特集をNHK「新・日曜美術館」が放送

●NHK教育テレビ公式サイト
僕は以前、彼の展覧会を見て衝撃を受けました。そのときの記事はこちらです。
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放送は朝8時からと、夜8時からの2回です。興味のある方はぜひ。→FC2 同性愛Blog Ranking