たかがテレビ033●「テレビ国民時代」よ、さようなら

僕、本当に酷いと自分でも思ってしまうのですが・・・W杯の日本チームの試合が昨夜あったということを、今朝の新聞を見てはじめて気が付きました。「あれっ、もう試合やって負けたんだ。」・・・こんな感じ(笑)。昨夜の試合時間中には、そのことに全く気付かずブログの記事を更新していましたし(笑)。
この情報吸収の偏りの原因はきっと、僕が普段からスポーツ・ニュースに全く興味がなく新聞も飛ばし読みをしていることともう一つ、テレビを普段、よっぽど見たいものがない限り点けなくなっているということが原因しているのだと思います。「W杯狂騒曲」とは無縁の生活を送れてしまうのです。テレビを点けないという、だたそれだけのことで。
僕は最近、テレビをパソコンの画面でしか見ません。選んだ番組を録画して、ハードディスクに蓄積されたものでしか、ほぼ見ることはありません。帰宅してとりあえずテレビを点けるとか、BGM代わりに点けっぱなしにしておくという習慣は自分の生活スタイルから完全に無くなりました。これは以前も書きましたが、一人暮らしをはじめた当初、「テレビを持たない生活」を数年間経験した時に定着した生活スタイルです。
→たかがテレビ。002●テレビを見なかった2年間
そういう生活をしていると、自分が「日本国民」でなくなったかのような気分になることがあります。特にこういうW杯など「皆がテレビを通して注目する」トピックがあった時、そのことに何の興奮も感じなければ感情的な一体感も持つことがない自分に気付いた時に、感じます。逆に言えば、いかにテレビというものが「日本国民である」という一体感を人々に持たせることに貢献しているのかということも感じます。4年前のW杯の時にも言われたのですが、今年もW杯に全く興味を示さない僕に向かって冗談で「非国民!」と言う人が実際にいましたから(笑)。

ネットとかパソコンの画面と言うものは、自分で「選択」しなければ求める情報にたどり着きません。そこが従来の「点けっぱなしテレビ」と大きく違うところ。だから情報吸収に偏りが生じますし、興味のある情報以外には触れにくいという面もありますが、意識して活用すれば情報を意識的に選び取る「主体性」を持つことには繋がるのではないかと思います。
テレビがパソコンに吸収されたことの意味は、かなり大きいと思います。ですから旧来のように「テレビ国民」として一体感を持たされていた国民統合の時代も、そろそろ終焉の時を迎えるのではないかと感じます。テレビはあくまでも「国」に属しているという感覚に人々の発想を閉じ込めますが、ネットは、私という個人が「世界」に属しているという感覚を持つことの出来るメディア。このことが、いよいよ日常のレベルで確実に実感出来るようになってきました。
時代は大きな変革期にあります。きっと今年は僕のように「W杯」に興奮しなくても疎外感も感じなければ「非国民」だと言われても後ろめたさも感じないような人が、けっこう増えてきているのではないかと思います。昨今のメディアの状況からして、この流れは止めようがないのではないかとも、思います。→FC2 同性愛Blog Ranking
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