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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2006-05
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三島由紀夫とつきあってみる015●三島由紀夫のブロークバック・マウンテン

 三島由紀夫から強烈に漂う「ゲイ性」を
 掘り返す


 ごくたまに、三島由紀夫のホモセクシュアリティーを「パフォーマンスだったんだ」という言い方で否定する言説も見かけるのですが、まったくもってナンセンス。むしろ彼の作品を読んだり彼の生涯について語る際には、彼のセクシュアリティーを抜きにしては語り得ないと思います。

 人は「身体性」からは決して自由になれるものではありません。特に彼の書いた文学作品には、本人の「同性愛」と「極度のマゾヒズムとサディズム」「歪んだ性的嗜好」が非常に色濃く影を落としていることは明らかです。そしてそれらはある程度、僕が把握している「ゲイに共通の性質=典型」と、似通っている部分があるということに注目しています。
 
 「仮面」と「自意識過剰」はゲイの必然

 まず、三島由紀夫のあの「仮面性」は、カミングアウトしていないゲイにとっての「日常的な性質」だと言えます。まるで異性愛者であるかのように振る舞うのは、今日でも多くのゲイが社会生活を行う際に実行していることです。

 生前の三島由紀夫という人についての証言を読むと、どうやら彼は日常生活で、常に自意識過剰気味だったようです。虚勢を張って常に繕っているかのような姿を見ていると、かえってその内面の「弱さ」が浮き立って感じられたようです。

 こうした一面も、悲しいかなゲイの持つ性質の典型と言えます。「異性愛者の仮面」をかぶって日常を生きていると、ばれることを恐れて「他者の視線」に敏感にならざるを得ないため、結果的に自意識過剰になってしまうのです。三島由紀夫はゲイとしてのこの二つの気質を人並みはずれて強烈に併せ持っていたから、あれだけ鋭い感性で世の中を捉えることが出来たのでしょう。「マジョリティー」ではなく「異端」だからこそ見えるものを書いた人。それが三島由紀夫という作家なんだと僕は思うし、そうした視点から読み直されるべきだと思っています。

 ゲイの歴史上、貴重な存在

 彼は女性と結婚し、子どもの父親にもなりました。こうした歩みは、映画「ブロークバック・マウンテン」の主人公が選んだ生き方と重なります。
 時代的にも、ほぼ同時代です。1950~60年代と言えば、まだ「ゲイ解放運動」がアメリカで起こる前。日本では戦後の混乱期から回復し、生活が安定すると同時に社会に「道徳」や「秩序」を取り戻そうという動きが強まった頃でもあります。同性愛というのは「道徳」「秩序」に反するものだとされがちです。実はこの時代は、世界史上でも稀に見る「ホモフォビア」の風潮が高まった時期でもあったようです。

 そんな時代状況では、ゲイだということをカミングアウトして生きることなど至難の業。ゲイだという自覚があるのに女性と結婚することは、珍しくなかったようです。三島由紀夫は実の母が大好きで、とても大切にしていたらしいですから、結婚して家庭を持ち子供をつくることは、「母親を安心させるため」でもあったのかもしれません。
 しかし結婚後も彼は「実生活」と「ゲイとしての生活」を二重に続けていたようです。三島瑤子夫人が1995年に亡くなって以降、次第にそうした面も暴露されるようになってきました。作家のプライバシーを云々するのは下世話なようではありますが、彼ほど自分の性的嗜好と作品を直結させていた人はいませんから、作家研究として学問的にも見逃せない重要な部分でしょう。

 さらに考えてみたら、ゲイの歴史を語る上でも重要な存在です。彼ほど鋭い感性であの時代の「ゲイとして感じたこと」を作品化した人は、日本にはいないのですから。「ゲイ作家としての三島由紀夫」は、まだまだ発見され尽くしてはいないし語られて来ているとも言えないでしょう。

 三島由紀夫の希求した「ブロークバックマウンテン」

 彼は晩年には、若者たちを集めて「楯の会」を結成。いわばホモ・ソーシャルな集団を作り、男だらけの精神的な絆づくりを強烈に求めて実践します。それは「軍服フェチ」という性的嗜好と「自分に従順に従う若い男好き」の趣味を同時に満たすことでもあったようです。

 僕は思います。「楯の会」という組織を作り、男らしい自分作りに没頭し始めた頃の三島由紀夫は、いわば「ブロークバックマウンテン」(本来の自分の解放区)をこの世に実現するための準備に取り掛かっていたのではないかと。「楯の会」では、後に割腹自殺を共にする若い男とも出会います。死をも共有してしまえる人間に、やっと出会える場だったのです。

 「肉体改造」はゲイだから

 彼は30代になった頃からジムに通い、ボディービルダーのような筋肉を付けて自らの肉体を改造しはじめるのですが、それは「ゲイから、もっとモテるような男になるため」だったのかもしれません。現代でも、その目的のためにジムで筋肉を鍛えるゲイはたくさんいます。ゲイは恋人や他のゲイ達から「鑑賞される肉体」「興奮される肉体」が欲しいからジムで鍛えるのです。それは同時に「自分をもっと好きになるため」でもあります。

 三島由紀夫のジム通いや肉体改造については当時、本人がやたらと理屈をこねて周囲を煙に巻いていたようですから、その影響からか難しい哲学的な理由を付けて論じている「三島研究本」もたくさんあります。しかし、それは「ゲイだったから」の一言で済ませてもいいのではないかと僕は思います。ゲイがゲイからモテるために身体を鍛えることは、女性がエステに通うのと同じようなもの。「モテたい」・・・これは人間として、ごく当たり前の感情であって、そこに理屈などいらないのではないかと思います。

 わざと追い詰められたかった

 1970年の自決の時。三島由紀夫は「楯の会」の中で最も従順だった魅力的な若者を道連れに、切腹して一緒に果てました。その死に様はまるで、愛する者との心中のようでもあり、考えようによっては最高にドラマチックな最期です。

 したがって、自衛隊で彼が叫んだ言葉と「檄文」は、彼の「マゾヒズム」を補強するための道具だったのではないかと思います。もし本当に世間に主義主張を訴えたいのだったら、もっとわかりやすい言葉で端的に語っていたはずです。彼は作家なのですから、それ位のことはわかっていたことでしょう。檄文のあの「わかりにくさ」と「やたらに長い文章」では、決起を呼びかけられた自衛隊員たちも困ってしまいます。バルコニーからの演説も要領を得ず、三島由紀夫本人に「主義主張を伝えよう」という意志があったとは僕には思えません。

 檄文は最初から「伝わらないように」書かれた。それは、決起を呼び掛けても誰も賛同してくれないという「追い詰められたマゾヒスティックな感情」に浸るためだった。絶望に打ちひしがれ、自決という悲劇的状況に自らを追い込んで興奮するための方法だった。映画「憂国」の主人公と同じような究極的に悲劇的な状況を、あの日の彼は自らが作り出したのです。

 最高のエクスタシーのための、死

 「世間の矛盾に追い詰められた悲劇のヒーローが、格好いい軍服を着て、愛する男と共に割腹心中自殺をする」
・・・これが三島由紀夫が長年夢見て、ついには実現した最高の「性的欲求」であり「エクスタシー」だったのでしょう。

 晩年の三島氏は作家として「筆力が落ちた」という言われ方をされることが多いようですが、それはきっと、もう自らの本性を言葉を使って探し求める必要がなくなったからなのかもしれません。すなわち「見つけてしまった」から。芸術家は、自らの正体を見つけてしまった時に死ぬのかもしれません。

 あれほど博識で勉強家で、あれほど破綻を恐れる論理的構成力で文学作品を生み出した知識人である三島氏が、ついには自らの「エクスタシー」を味わうために死んだという事実。そのことを我々はもっと素直に見つめ、重要視するべきではないでしょうか。人を突き動かす最大の原動力とはなにか。理論でも理屈でも思想でもなく、人が追い求める本当の幸せとは何か。社会性とはなにか。道徳とはなにか。彼の生き様と、死に様が教えてくれているように思います。

 彼の生き方は奇矯なようではあります。あの死に方も反社会的で反道徳的です。しかし決して「頭のおかしい狂人が犯した他人事」として片付けてはならないと思います。

 人間、生まれたからにはきっと誰もが、「自らの本性を探り、抉り出してみたい」というグロテスクな欲望を持っているのではないでしょうか。三島由紀夫の作品と生き方は、その欲望の在り処を抉ることの知的興奮を与えてくれます。そして、それに触れる我々に、自分だけの「ブロークバックマウンテン」(本来の自分の解放区)の存在を意識させ、辿り着いて解放される快楽を求めてもいいんじゃないかと鼓舞するのです。

 快楽としての死

 彼にとっての「ブロークバックマウンテン」は、「市ヶ谷の自衛隊の総監室」の中で、自決の直前にやっと現実のものとなりました。仮面をかぶる必要の無い「生まれたての自分」に戻るため、愛する者と共に最高の興奮と快楽に酔いしれながら彼は死にました。そこではじめて彼は「生きている」ことを実感し、謳歌できたのかもしれません。しかし、それはあまりにも身勝手で自己完結的な行動でもありました。羽交い絞めにされてその一部始終を目撃させられた総監をはじめ、多くの人々に迷惑をかけてしまったわけですから。

 彼が生涯かけて追い求め、様々な知識を動員して分析し、ついには突きとめてしまった「自分の本性」。その分析が本物なのかどうか、自らの肉体で感じてみたかったんでしょうね、きっと。
・・・なんという人でしょう、三島由紀夫という人は。FC2 同性愛Blog Ranking


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