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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

ブロークバック・マウンテンで見る世界026●「純」について考えた

●「Soup」2006年4月号 P228
ジェシカの試写会レポート突然!炎のごとく

男同士の切ない純愛に胸が締めつけられる!! 

今回、紹介するのは”ラブストーリー“。
しかも男と女ではなく”男と男”。そう言うと「私には関係ないじゃん」て言われてしまいそうだけど、そんなことはない!!すごく切ない純愛に女のコだって胸が打たれるハズ。<中略(物語説明)>

 この映画で注目すべきは、やっぱり主演の二人!!
 ゲイじゃない彼らが、本当に自然に演じきっているのがスゴイ。でも、そこにちょっと面白い話があるんです。ヒース・レジャーはずっとナオミ・ワットと付き合っていたんだけど、それが、この映画の撮影に入る直前に破局しちゃってるの。そして、この映画の共演者ミシェル・ウィリアムズと付き合って、結婚しちゃったんだよね。私が思うに、本当に魅惑の世界へと、足を一歩踏み入れてしまいそうで、不安だったんじゃないかな(笑)。だから、さほど美人でもない(失礼!)ミシェルと恋に落ちた・・・あくまでも私の想像だけど(笑)。それくらい、男同士の演技が自然だった!!
 純愛ではあるけれど、本当に切なくなってしまった今作。最近では、イギリスとかではゲイ同士の結婚が認められるくらい、オープンになってはいるけど、保守的な日本ではまだまだ苦しんでいる人もいるんじゃないか・・・色々考えさせられる部分も多い作品です。
 そんな今作は、”辛い恋“をしているアナタに、贈ります。どんな恋だって、この2人の恋に比べれば軽いって(笑)。前にすすむ勇気をくれる映画だと思います。

魅惑の世界・・・(笑)

 今回は「女の子雑誌」からのご紹介。
 この人、直言派でおもしろいなぁ~。ジェシカさんという人はモデルさんらしいのですが、ヒース・レジャーの恋路についての分析とか発想が、すごく女の子っぽくて可愛い(笑)。魅惑の世界に足を踏み入れそうな不安を紛らすために付き合ったことにされてるミシェル・ウィリアムズはとんだ災難だけど(笑)、そう感じさせる位に、主人公を演じる俳優二人に、ものすごく濃密な空気が漂っていただろうことは画面からも伝わって来ましたよね。
 考えてみれば役者さんって、特に舞台では性別を超えて演じることもよく行われているし、子どもも演じれば老人も演じられる。想像力をフルに活用してゲイを演じるなんてことも、役に没頭してしまえば出来るんでしょうね。もちろん演じた俳優二人にとっては挑戦だったのでしょうが、「演技」ということの不思議さと可能性についても考えさせてくれる映画でした。

純愛かぁ・・・。

 「純」ってなんだろう。打算もなく、思うがままに求めて行動することを「純」というのなら、「ブロークバック・マウンテン」での二人は本当に「純に」愛し合ったんだろうと思います。しかし人というのはいつまでも「純」ではいられないもの。社会のしがらみの中で生きて行くには、受け入れなければならない現実もたくさんあります。そのために犠牲にしなければならないのは「純」な自分の心の核。

 しかし、本当に「純」であった自分を見つけてしまった「熱い記憶」は、なかなか消し去ることは出来ません。特に、現実が辛ければ辛いほど、輝いた日々の思い出は、より鮮明に心を縛り、現実に浸透してきます。

 「純でいられることの喜び」を味わったことで、確実に変わってしまったなにかがあり、「純」は幸せをもたらすとは限らないのかもしれません。でも、それを知らずに終わる人生は、なんて無味乾燥なものなのかとも思います。
 この映画で最後にイニスが気付いたものは、ジャックのように自らの「純」に素直に向き合えなかった、彼の「不純さ」だったのかもしれない。そんなことを考えました。

 ジェシカさんの記事のプロフィール欄に、おすぎさんと試写室でよく遭遇することが書かれています。「小さな作品から話題作までちゃんとチェックしているんだなって、尊敬しちゃいました」とのこと。そんなおすぎさんの、なかなか骨太な映画評を、ある雑誌から発見しました。「さすがはLGBTっ!」と言いたくなるような視点から、きっちりと発言していたので僕は彼を見直しました。次回紹介します。

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たかがテレビ018●「プリズン・ガール」のレズビアン描写

 かっこいいマフィアの男を恋人にしたばかりに金づるとして利用され、共謀剤で刑務所に送られた日本の女の子。
 4/18に放送されたDRAMA COMPLEX「プリズン・ガール」は、普通の日本の女の子が突然アメリカ連邦刑務所に収監され、様々な「凶悪犯たち」と一緒に過ごした633日を描いていました。

 僕としては新聞のサブタイトルに書かれていた「性転換のオカマ」がどのように描かれるのかに注目したのですが、実際に放送されたドラマでは「性転換者」の説明がなかったことを前回、問題視しました。視聴者を掴むための「ダシ」として言葉の持つインパクトが利用されたのではないかと思ったからです。

 今回は、ドラマの中でどのように「レズビアン」が登場し、あるいは「性転換者」と思われる人物が描かれていたのかを、振り返ってみようと思います。

 裁判所で判決を言い渡された主人公・朋美(安倍なつみ)は、全裸の身体検査等を経て、まずは鉄格子で覆われた独居房に入れられます。周囲の囚人たちの凶暴な怒鳴り声に怯えながら恐怖の時間を過ごす彼女。ハリウッドのサスペンス映画ばりに、おどろおどろしい音楽が常にBGMとして使われており、視聴者としては次第に「どんな凶悪犯がこれから出てくるのか」という期待を膨らまして行きます。いわば「怖いもの見たさ」という感覚が刺激されるのです。

 三日目にやっと独居房から出ることを許され、相部屋をあてがわれた朋美。ルームメイトと挨拶し、一人で部屋を出た時に突然、屈強で大柄な黒人の女性が現れ「ガシッ」と肩をつかまれ身動きが取れなくなります。
「おはよう新米。俺はルピータ。行こうぜ。」
 そのまま力ずくでルピータに刑務所内を連れ廻される朋美。小柄な朋美は抵抗できず、されるがまま。
「ほら見ろよ。みんな女同士で付き合ってんだ。」
 そう言ってルピータが指差した空間ではたしかに、すべての女性がカップルであるかのように親密に寄り添い語り合っています。

 やがて屋外にある、フェンスで囲まれた空間に案内される朋美。ルピータはそこにいる皆に紹介します。
「よお。俺の新しい彼女どうよ。」
 そこにもカップルらしき女性たちがたくさんいて、ルピータを囃したてます。
「よおルピータ。さすがに手が早いねぇ。」
 朋美に馴れ馴れしく顔を近づけるルピータ。
「こいつは俺のもんだ。・・・怖いだろ。ん?」
 朋美は怯えながら、あるカップルに助けを求めます。
「助けてください!」
 しかしそのカップルはしかめっ面で「なんか用かよ」と言ったかと思うと、朋美を見つめながらいきなり見せびらかすかのようにキスをします。驚いた表情の朋美のアップ。ルピータは、フェンスの隅へ朋美を連れて行きます。
「へっへ。おいで、こっちへ。ほ~ら。オレらも楽しもうぜ。」
 壁際に押し付けられる朋美。
「可愛い顔だね。ほ~ら、いいだろ。」
 ルピータは顔を近づけます。ついに朋美の唇が奪われるのかと思ったその時・・・
「おい、ルピータ放しな。」と呼び止める声。のちに友人となる韓国人(ユンソナ)が、危機一髪のところを助けてくれるのです。
「その子は、私のだよ。」
「何だよ、そうなのかよ。ちッ」
 ルピータは去ります。

 このルピータは女性の俳優が演じており、テロップやナレーションでも説明がないのでどう見ても「性転換者」には見えません。しかし、このドラマの中では最もその可能性が高い人物ではあります。男言葉で力まかせに朋美を連れまわし、強引にキスをしようとする「男らしい女」として描かれているわけですから。

 レズビアンらしき人々が描写されるのは、2分足らずのこの場面だけなのですが、ドラマ全体の中でこの場面に課された役割は「うわ~、刑務所ってこわ~い。」ということを視聴者に印象付けて、さらに今後のドロドロした展開への期待を高めることなのでしょう。この場面のバックにも、常に恐怖心を煽る音楽が付けられていましたし、見せびらかすようにキスをする醜悪なカップルなどがいて、主人公が「力ずくで犯されてしまうかもしれない」という恐怖と期待を視聴者に抱かせるための演出が満載だったからです。

 しかもこの場面に辿りつくまでに、すでに視聴者はさんざん恐怖心と好奇心を煽り立てられています。オープニングの番組説明やCM前の繋ぎテロップなどで「30人以上殺した殺人鬼」「子どもを殺した母」「一家全員がギャング」「5人の頭を斧でかち割った凶悪犯」の登場がセンセーショナルな言葉として示されているのですから。そこで満を持して最初に登場するのが、同性愛関係にあることが暗示された鬱屈した女性たち。「女しかいない閉鎖された空間だから、女同士が関係を持っている」という印象で描かれる人たちなのです。ここでは「入所前から、もともとレズビアンだった人たち」の存在はまったくと言っていいほど意識させられません。

 ゲイに比べ、ただでさえ一般メディアで取り上げられることの少ないレズビアンの存在。日本ではレズビアンを「キャラ」にしているタレントすらも見かけることがありません。たま~に取り上げられたと思ったら、このドラマや あのドラマのようにやっぱり旧来のステレオタイプが補強されてばかり。一般マス・メディアのこの状況は、何とかならないものでしょうか。

有村朋美「プリズン・ガール―アメリカ女子刑務所での22か月」

 原作本を、やっと本屋で見つけて買いました。ドラマの反響が大きかったらしく、売り切れが続出していたようです。普通の感覚の女の子が、普通な目でアメリカの「めったに見れない」部分を目撃したという意味では、とても面白い本だと思います。
 日本テレビで放送されたドラマでは、最後に彼女が「刑務所中のスター」になったかのような表現がされていました。彼女の「ある能力」が皆の心を捉えたわけですが、だからといって彼女が出所する際に「お祭り騒ぎのように」皆から満面の笑顔で送り出されるというドラマティックな描写には、うそ臭さを感じます。一人一人違うはずの人間を「その他大勢」として一面的に群集として描いてしまうテレビドラマの安易な描き方は、本質を考えようとする視聴者の知的欲求を「えせヒューマニズム」による安っぽい感動で雲散霧消させてしまうのではないかと思います。なおさら、原作本で本人の書いた文章に触れてみたくなってしまいました。(←これも出版社とのタイアップ作戦か?笑)。
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