fc2ブログ

フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

芦原伸「西部劇を見て男を学んだ」●BOOKレビュー

 「ブロークバックマウンテン」が挑んだもの

 「男臭くてギラギラしているもの」に本能的な嫌悪感を抱いてしまうため、僕は今まで西部劇を見た記憶がほとんどない。かつて淀川長治氏がテレビで「名作だから『駅馬車』を見なさいネ」と言っていたので見たことはあるものの、「つまんね~」と感じてしまい、ますます遠ざかって今日に至っている。

 映画史上の名作とされる『駅馬車』を面白がれるかどうかは、世代によっても違いがあるようだ。そもそも僕の同世代で「西部劇ファン」だという人に、今まで出会ったことがない。しかし父親の世代になると結構いるらしい。年配の方から『駅馬車』のすばらしさを滔滔と語られたことがあるが、やっぱり僕にはわからなかった。

 それは僕の気質も影響しているのだろうと思う。僕は西部劇の銃撃戦や乗馬シーンに限らず時代劇のチャンバラ場面などの「血湧き肉躍る」活劇シーンを見ても、血も湧かなければ肉も躍ることがない。テレビのスポーツ中継も見ないし、サッカーを見ながら雄叫びを上げることもない。スポーツやアクションを見て興奮することを「男性的な感性」というのなら、僕にはその感性は、まったくもって欠如している。

 しかし本屋でこの本が気になったのは間違いなく「ブロークバックマウンテン」の影響だろう。あの映画は「伝統的な西部劇へのアンチテーゼ」としても語られることが多い。あの映画が何に対して噛み付いたのかを、ちゃんと知ってみたい。そんな欲求に応えてくれそうだから、読んでみたくなったのだ。

 この本の著者はどうやら「男らしい男」にシンパシーを感じ、自らを「男として」強く意識しながら生きてきたようだ。それは書き出しの文章から伝わってくる。

戦後のベビーブームに生まれた「団塊の世代」は、そろそろ定年を迎える。
<中略>
男としては、淋しくもあるが、「一所懸命働いてきたのだから・・・」という満足感もある。「そろそろ自分を自由にさせてくれないか」という願望もある。

男は引き際が大切である。
思えば仕事は戦争で、職場は戦場だった。男たちは昭和二十年代の前半に生まれ、物資のない戦後復興時代に少年期を過ごし、そのまま高度経済成長期に育っている。就職の頃は、すでに経済戦争に突入しており、「先進国に追いつけ、追い越せ」がスローガンであった。<中略>

団塊のオヤジたちの果敢でエネルギッシュな行動力は、ハングリーな時代に育ち、絶えず競争社会の中でライバルと戦ってきたからだろう。
それは、西部劇のヒーローたちの「人生哲学」にも似ている。
振り返れば、団塊の世代は、少年時代に西部劇を見ながら育ったのだ。

 西部劇があふれていた頃

 なるほど。
 日本社会をこれまで引っ張ってきた「団塊の世代」が子どもだった時代は、ちょうどテレビが普及し始めた頃。草創期の日本のテレビ局は番組制作能力が低く、アメリカのテレビドラマや映画を大量に購入し、放送時間を埋めていた。だから「西部劇」がたくさん放送されていたのだ。やがて皇太子成婚パレードをきっかけにテレビが爆発的に普及して大衆化するにつれ、そうしたアメリカの映像は大量に庶民の日常生活に溢れ出して行く。現在のアメリカナイズされた生活環境は、テレビから流される「イメージとしてのアメリカ」への憧れがもたらしたのだ。

 人々の思想にも、テレビから流れる「アメリカ的な価値観」は少なからず影響を与えてきたことだろう。特に少年時代に西部劇のヒーローに憧れ夢中になった世代の男性が「男は強く逞しく生きて、女・子どもを守ってやらなければならない」という人生哲学を持ったとしても、なんら不思議はない。むしろ、とても素直な反応だ。

 西部劇に代表されるような男たちの「ダンディズム」は、日本という国が高度経済成長を遂げる際には「企業戦士が戦うために機能的な家庭」を作り上げる原動力となった。そして、日本が経済的な覇者として世界に君臨する力ともなったのだが、やがてはバブル崩壊によって「経済至上主義」が人々の精神にもたらした「ひずみ」に直面し、現在ではそうした「高度経済成長型」の生活スタイルは見直されて来ている。男女雇用機会均等法も施行され、少しずつ「男が男であること」の必然性は失われつつある。

 そんな現代という時代は「ダンディズム」信奉者たちにとって、ますます肩身の狭い社会になっている。だからこそノスタルジーを感じるのだろう。それが「素晴らしいもの」として称えられていた過去を見直したくもなるのだろう。

 こういう父親とゲイは相性が悪いのだ。

 この本の全篇から漂う「失われた西部劇的価値観」にノスタルジーを感じるセンスは、70年代に生まれた僕にとっては過去の遺物。これは完全に「父親たちの世代の」価値観である。しかし父親というものは、自らの世代の価値観を息子にあてはめたがるものらしい。それは我が家も例外ではなかった。

 しかし残念ながら、僕にとってそれは無理な注文だった。父親のセンスには、どうしても馴染めなかった。今から思えばそれは当たり前。なにしろ僕はゲイであり、男にも女にも距離を感じるセンスを持って生きているのだから。

 かつての僕は、男らしくて暴君のように振舞う父が大嫌いだった。しかし今はもう、頑固だった父を恨んではいない。父と衝突することによって「自分はいったい何者なのか」を考える機会を与えられたんだと思うし、どのみち父と息子というものは衝突するものだ。それはきっと、息子が自己を確立するために必要なことでもあるのだ。

 「ブロークバックマウンテン」のジャックも、実の父親や義理の父親の要求する「ダンディズム」に、どうしても馴染めなかったようである。やはり彼もゲイとしての感覚を持って生きていたからだろう。ゲイに「男の中の男になれ」と要求されたって、それは無理な注文なのである。ジャックは、実家が農場であるにも関わらず家を継がずに、あの農場に働きに出た。それは父親との軋轢が原因であるらしい。そして結婚後イニスに再会しに出かけたのも、妻の父親と相性が合わなかったことが大きく影響しているのだと思う。

 ジャックが何に馴染めなかったのか。その「壁」の姿を知るには格好の本である。ちなみにこの本の中身は、目次を見れば一目瞭然である↓

<目次>
第一部 男の引き際
 1 男は去りゆくものである・・・「シェーン」の場合
 2 あの世であおう!・・・「昼下がりの決闘」の場合
 3 老兵は去らず・・・「黄色いリボン」の場合
[西部ひとくち話]  友好から、追放、虐殺へ~先住民族の歴史

第二部 男の矜持
 4 男は逃げてはならない・・・「真昼の決闘」の場合
 5 男だって疲れる時がある・・・「拳銃王」の場合
 6 男はプライドを忘れない・・・「荒野の七人」の場合
 7 馬鹿息子ほどかわいい・・・「大いなる西部」の場合
[西部ひとくち話]  西部を征服した「コルト45」と「ウィンチェスター73」

第三部 男の友情
 8 孤独は背中が物語る・・・「ガンヒルの決闘」の場合
 9 相棒への侮辱は許せない・・・「許されざる者」の場合
 10 旅は道連れ、世は無常・・・「明日に向かって撃て!」の場合
[西部ひとくち話]  カントリーミュージックを歌おう

第四部 男の決断
 11 男が酒をやめる時・・・「リオ・ブラボー」の場合
 12 後輩に地位(ポスト)を譲る時・・・「ワーロック」の場合
 13 死に場所を探す旅もある・・・「ワイルドパンチ」の場合
[西部ひとくち話]  酒はストレートで、キュッと飲む

第五部 男の優しさ
 14 男はいつも女に優しい・・・「駅馬車」の場合
 15 不倫にも年齢制限がある・・・「ウィル・ペニー」の場合
 16 男と女、つれづれの愛もあった・・・「OK牧場の決闘」の場合
[西部ひとくち話]  アメリカ西部開拓史~コロンブスの発見からフロンティアの消滅まで

 「男の中の男」って・・・
 実は自己陶酔型のナルシスト!?


 この本には、著者が「男であることに酔いしれている」かのような記述もあり、正直言って最初は寒気がしたし抵抗感が強かった。

 しかし「こういう人ってよくいるよなぁ~」と受け入れて読み進めるうちに、著者の並々ならぬ西部劇への思い入れと、自らを支えてきた人生哲学への自信に引き込まれて行く。共感はできないけれども、なんとなく気持ちがわかる部分も出てくる。

 よく考えてみたらこの本は貴重である。なぜなら「男らしい男」というのは普段、自分の内面をあまり言語化したりはしない。それが男だと思い込んでいる節がある。従って、表立ってこのような本心が語られる機会は、極端に少ないのである。

 「男」がどうして「ダンディズム」という鎧を身に纏い、ちょっとナルシスト気味になってしまうのか。その理由や理屈が、西部劇の中の男たちを説明することで非常にわかりやすく見えてくる。

 次第に、苦手だった西部劇を、たまには見てみようかなぁとも思えてくる。「ダンディズムを分析してやろう」と思えば、なかなか面白そうではある。まずは「ブロークバックマウンテン」と同じワイオミング州を舞台にした「シェーン」あたりから見てみようかな。FC2 同性愛Blog Ranking


芦原伸「西部劇を見て男を学んだ」(祥伝社新書)

ジョージ・スティーブンス監督「シェーン」(1953年)
スポンサーサイト



HOME |

無料ホームページ ブログ(blog)