ブロークバック・マウンテンで見る世界027●おすぎさんのブロークバック評

タイトルの通り、ゲイの映画評論家として有名なおすぎさんが毎月「幸せになる」映画を紹介するわけですが、この映画の場合は例外。「幸せな気分になれるとは思えません」という但し書きを付け、コーナーのタイトルを裏切ってまで、率直な意見を掲載していました。
ほかの女性向けファッション誌での紹介記事は「男同士の純愛の美しさ」を強調する軽い内容のものが多い中、こうした言説をシビアに載せることは異例のことです。また、「ヘテロ(異性愛者)向け一般メディア」において、LGBT当事者からの発言が掲載されることも、極めて異例のことです。
●「Style」2006年4月号P296「おすぎの映画を観ればこんなに幸せ」
同性愛を真摯に描く『ブロークバック・マウンテン』
愛することは美しい。
だがその影で涙するものがいることは知るべき
今月も、また、"幸せな気分”になれるとは思えません、映画を紹介します。
でも、観て本当によかったと思えるとは思うのであります。
男が男を愛してしまう、ということ、それを異常としていた時代がありました。別に現在だって、それを両手をあげて歓迎などしているとは思えませんが、でも1960年代から80年代にかけては“同性愛”は"薄汚いもの”だったのです。それが最も忌み嫌われた時代、20年にわたって男を愛した男のラブ・ストーリーを綴った映画が『ブロークバック・マウンテン』であります。
<中略(物語前半説明)>
イニスとジャックの再会は、あのブロークバック・マウンテンの出会いから4年後だった。きっかけはジャックがイニスに出した絵葉書だった。イニスの家に来るという。その日イニスはビールを飲みながら待った。時は過ぎていく。ウトウトしていると車の音が・・・。妻のアルマには古い釣り友だちと言っておいたイニス。ドアを開け、飛び出し、熱い抱擁を交わすふたり。想いをこらえきれないイニスは物陰にジャックを誘い、唇を交わすのだった。それをアルマが偶然、目にしてしまうなんて思いもしないで・・・。それから20年、一年のうちに何回かジャックがイニスのもとを訪れ、決まったようにふたりはブロークバック・マウンテンに出かけた。アルマの不幸も、ラリーンの無頓着も道づれにしながら・・・。
アメリカでエイズが発症した年の次の年に、ふたりの関係は意外なかたちで終わります。アン・リーの端正な風景の映像をバックにして繰り広げられるから情緒としてスーッと入ってくるラブ・ストーリーだけど、本来は大きな問題を抱えています。人間が人間を愛すること、それ自体は美しいことだけど、その影で涙を流したり、自分の心を見ないようにしている者もいることを知るべきです。

あれは「アメリカでエイズが発症した年の次の年」なんですね。つまりエイズ騒動の渦中に巻き起こった強烈なゲイ・バッシングによるものではないかと、おすぎさんはこの文章でさらに暗示しているのです。なるほど鋭いですね。
おすぎさんの言うように映画「ブロークバックマウンテン」では、自分の心を見ないようにした者の涙、生活を破壊された者の涙、そしてさらに付け加えるならば、自分の心に向き合ったが故に彷徨った者の涙が重層低音として流れています。アン・リー監督は、あざといドラマティックな演出を嫌う監督なので割とあっさりと描写されますが、そうした行間に想像を巡らすと、さらに色んなことが感じられる映画ですよね。
僕は今まで、おすぎさんのことをテレビのバラエティー番組で「おかまキャラ」を誇張している人だという認識しかなかったので、正直「嫌悪」しがちだったのですが、このレビューに触れたことで彼への見方が変わりました。メジャーな場所に身を置いているが故の制約もたくさんあるのでしょうが、言うべき時には言うべきことを、ちゃんと言っているんですね。

●おすぎ著「バカバカバカ!」(ぺんぎん書房)
ゲイ雑誌「薔薇族」に連載されていたコラムをまとめたものらしいです。僕がゲイを自覚した頃には既に「薔薇族」の全盛期は終わっていたので、彼が連載を持っていたことすら知りませんでした。けっこう、僕が普段感じているのと同じようなことも書かれているので、親近感が湧きました。
彼が「ゲイ」として発言しているこういう側面は、もっと知られてもいいのではないかと思います。「ブロークバック・マウンテン」がもたらしてくれた、思わぬ発見です。
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●アン・リー「ブロークバック・マウンテン」●MOVIEレビュー
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●DVD「ブロークバック・マウンテン」
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ゲイ映画「ぼくを葬る」公開中

前作「ふたりの5つの分かれ道」では、物語の重要な要素としてゲイ・カップルが登場し、そのライフスタイルがヘテロ・カップルとは対照的なものとして提示されていました。初期の作品「ホームドラマ」「クリミナル・ラヴァーズ」「サマードレス」などでも、ゲイやバイ・セクシャルを登場させて、その心理を鋭く描写しています。
卓越した映像テクニックや、俳優の演技への細かい演出力、鋭いブラックユーモアで観客を惹きつけて止まないオゾン監督。監督自身がかなりイケメンであることも影響してか(笑)日本では圧倒的に女性ファンが多いようです。その独特の鋭い毒や棘を含んだ表現は、彼の映画でしか味わえない感覚です。
ペドロ・アルモドバルにしてもフランソワ・オゾンにしても、ゲイ監督やゲイ作家のファンは女性が多いようですね。三島由紀夫も生前は、女性から圧倒的に支持を集めていたそうです。やはりセンスや視点が似ているのでしょうね。
シリアスドラマでは隠蔽され、コメディでは利用される「ゲイ」という言葉
「ブロークバックマウンテン」の時と同じように、この映画においても日本公開時の宣伝戦略として「ゲイ」「同性愛」の言葉は、配給会社が管理しているチラシやホームページ等の公式メディアでは外されました。「ゲイ」絡みの言葉をチラシに入れることは、ある一定の観客を減らすリスクに繋がるものだと相変わらず判断されているようですね。その一方で、公開中の映画『プロデューサーズ』では、コメディーだからなのでしょうが、ゲイが登場することがチラシにデカデカと告知されています。
シリアスドラマでは細心の注意を払って隠蔽され、コメディーの場合は「客寄せ」に使われるのが、今日の日本における「ゲイ」という言葉の使用法の実情。そんなに「ゲイ」という言葉はイメージが汚れているのでしょうか。ただし、いくつかの映画マニア向け雑誌では、この映画の主人公がゲイであることに言及していました。このような事態も「ブロークバックマウンテン」の時と非常によく似ています。
言葉ではなくビジュアルで暗示される「ゲイ」

「僕を葬る」の場合、死を宣告されたことで恋人の青年と別れたり、父親との葛藤を抱えていたり、監督自身がモデルになっていたりと、主人公がゲイであることは作品の重要テーマです。しかしチラシでは、主人公を説明する部分は「31歳、気鋭の美しきフォトグラファー」と書いてあるだけ。監督がゲイであることにも触れていないので、気付かない人は全く気付かないかもしれません。隠すことによって、この作品がゲイ映画であることにゲイ当事者たちが気付く機会を減らしているのだとしたら、もったいないですね・・・って、このチラシで気付かないゲイはいないか(笑)。→FC2 同性愛Blog Ranking

●フランソワ・オゾン監督「ふたりの5つの分かれ路」DVD
●フランソワ・オゾン監督「ホームドラマ」DVD
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●フランソワ・オゾン監督フィルモグラフィー
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●フランソワ・オゾン「ぼくを葬る」●MOVIEレビュー
たかがテレビ020●ニューハーフという生き方に興味をもったよ。ありがとう。

「ニューハーフ」というのは、「ゲイ」の中でも自分を女性化することに関心を持ち、さらにそれを職業上のキャラクターとして受け入れている人のことを言うようです。僕は今まで「ニューハーフ」の人たちが働いているお店には入ったことがないし、実際に話したことがないので知らなかったのですが、「ニューハーフ」のショーを見せるお店は今でもたくさんあるようで、お客さんとしては、ゲイというよりは「女装ショーを観に行く一般客」で賑わっているようです。
今回、番組で取り上げられたニューハーフさんは、細身で綺麗で、見た目は完全に「女性」に見える格好をしていました。性格も明るくサバサバしていて親しみやすく好感を持てるような感じの人でした。
彼女は普段、横浜にあるニューハーフのお店で働いているらしいのですが、仕事帰りに立ち寄るカラオケショップの男性店員のことが好きになり、なんとか告白したいと思っていたとのこと。その男性店員は男っぽくて明るくノリがいい人で、ニューハーフさんのことを「女性として」ちゃんと扱ってくれるから好きなんだそうです。
「なかなかデキた男なのよ~」と嵐のメンバーに嬉しそうに語る彼女はすごく生き生きとしています。カラオケに行く度に自分から積極的に話しかけているので、もしかしたら自分の思いに気付いているかもしれないということを嬉しそうに語っていました。

その後、大野さんと前回成功したニューハーフさんが「カップル」を装いカラオケボックスに潜入。男性店員にさりげなく話しかけ、彼女がいないかどうか、ニューハーフに偏見がないかどうかを調査します。結果はどちらも○。これは脈がありそうです。
もしかしたら、本当に思いが叶うのかもしれない。そんな期待を抱いた彼女は精一杯のおしゃれをして、番組が用意した告白場所である横浜・大桟橋で花束を持って彼を待ちます。彼は、誰が待っているのかわからないまま、呼び出された場所に現れます。そして対面。
彼は驚いたものの、すぐに親しげに会話が交わされ、話の流れでさりげなく告白が始まります。
「なんか・・・私は割と会ったときからすごく好きだったので・・・」
「はい分かってます。」
「分かってたの!?」
「全然分かってますから!(笑)」
「(笑)。この場を借りて告白しようかなって思って。」
「ハイ。」
「してみてもいい?」
「あ、全然いいです。」
「えっと・・・もし良ければ、つ・・・。つ・・・。」
「・・・つ?(笑)。」
「・・・付き合ってください」
「・・・えーっと。じゃあ・・・よろしくおねがいします」
(大声で)「マジー!?」
「マジです。よろしくお願いします!」
「一時の気の迷いとかそういうのじゃない?」
「いやいや違います、違いますから。」
この展開に驚いた嵐の二人が駆け寄り、こっそり彼にインタビューします。
大野「・・・マジでOKなの?」
彼「OKです、」
大野「勢いとかじゃなくて?」
彼「全然」
大野「彼女のどういうところがいいの?」
彼「元気なところ。」
桜井「へんな話、やっぱ・・・男性なわけじゃないですか。それに関しては・・・」
彼「一応抵抗はありますけど、でも別に、なにがあるんだろうみたいな。」
桜井「一緒にいて気が合ったり、楽しいお付き合いが出来たらいいなぁっていうことですか」
彼「人それぞれ考え方があると思うんで、別に、女だと思ったら女なんじゃないですか?」
桜井「女性として見てるわけですね」
彼「うん」
戸惑う嵐の二人と、あっけらかんとした彼の態度の対比が面白かったです。
この番組は深夜番組という自由さもあってか、素直で自然体な編集がなされていたので、番組を見ていれば「男性が女性化している」ことについての偏見はなくなり、むしろ人として好感を持つ人が多いのではないかと思いました。番組制作スタッフや嵐の二人も素直な目で彼らを見つめ、応援していることが伝わってきました。公式サイトの「嵐応援団活動日誌」のところに、大野さんと桜井さんのコメントも出てますよ。
ショーパブで働くニューハーフの方というのは、仕事として自分のキャラクターを逞しく「活用している」わけで、そんな自分を受け入れるまでの葛藤を乗りこえてる分、明るく逞しくもなれるのかもしれない。僕は今まで「女装」をする人たちのことに関心を持っていなかったのですが、人として興味を持つきっかけをくれたことに感謝します。この番組、見てよかったです。→FC2 同性愛Blog Ranking
たかがテレビ019●「愛を語ろうニューハーフ禁断の恋男性に告白(秘)本気のガチンコ勝負」って、なんぞや?

今夜0:50~日本テレビ系列の深夜番組「Gの嵐!」に「ニューハーフ」が出演するそうです。●番組公式サイトはこちら。(地方によって放送日時が違います)
・・・っていうか、ニューハーフっていう言葉自体、久しぶりに聞きました。どういう時に使われるんだっけと思ってネット検索してみたら、Hatena Diaryではこのように定義されています。
どっちみち、最近はあまり使われていないような気が・・・(僕だけの気のせい?。笑)「女装した男性や、男性から女性に性転換した人を指す。その中でも、接客業(ホステス)、性風俗産業、ショービジネス等に従事している人達に用いられることが多い。これは和製英語で、男性と女性の「ハーフ」の意。元は松原留美子(MtF/TGの女優)に対してマスコミが名付けた呼称。」
この番組は見たことないんですけど、ジャニーズの嵐が出演していて、いろんな人の恋路を応援するらしい。今夜はどうやら「ニューハーフ」が出演し、「男性」に告白することを応援する企画らしいです(そんな無謀な・・・笑)。興味のある方はぜひどうぞ。僕は録画しますので、感想の掲載は数日後になりま~す。→FC2 同性愛Blog Ranking
トニー・ガトリフ「愛より強い旅」●MOVIEレビュー

パリでの都会生活に安住することが出来ず、飛び出すように旅に出た若い男女のカップル。それぞれに捨ててしまいたい過去がある。これから見据えようとする未来がある。だからこそ、旅に出る。
旅というのは日常のしがらみから解放され、裸の心で全てと向き合える至福の時。しかし本当の旅は至福のままでいられるほど生易しいものではない。新たな文化や、新たな人々と本当に出会ってしまった時、裸の自分に直接突き刺さってくるさまざまな棘。ぱっくりと口を開ける傷。そのマゾヒスティクな快感。
時に反発し、時に共感もし、時には投げやりになり、時には狂いもする直情垂れ流しの濃密な瞬間の積み重ね。濃密に飽きたら怠惰にもなれる。自分で自分の時間をコントロールできる旅とは、なんと自由で甘美で厳しいものなんだろう。
流行りの「パック・ツアー」でパックされたままの旅では味わえない、危険と隣り合わせの旅。不安もある。先が見えない不安定な状態が日常になる。だからこそ、乗り越えられたときには自らの生命力を発見し、強さを発見できる。本当の意味での自信が獲得できるのだ。
滑らかに生きるより、ザラザラと尖ったままで生きようよ。そんなロック魂にあふれた映画である。
トランスしてみたっていいじゃない
奔放な性。
旅路のあちこちで主人公の女性は、男に対して開けっぴろげに性的な欲求をする。品がないだとか、女らしくないだとかいうプレッシャーでがんじがらめの、堅苦しい都会生活で封じ込められていた欲望が解放され、爆発しまくっている。そんな野性的な姿はものすごく可愛らしくて人間っぽい。いいじゃない、つまらないプライドや、つまらない枠組みなんか捨てて、そのまんまの自分で大声あげて泣き叫んだって。それを受けとめてあげる男の寛容さがまた、たまらなくセクシー。
旅の終着地では異質な文化に適応できず、ふさぎ込んでしまう彼女。しかし、ある酒場で民族音楽に誘われて踊ってみたらさあ大変。みるみるうちにハイ・テンションになりやがてはトランス状態に。毒がどんどん発散し、そこらに散らばり消えて行く。観てるこちらにも彼女のトランスが転移してきて吸い込まれるかのような感覚。これぞ映画的マジックであり音楽の魅惑。ハッと我に返った僕は、映画館でただ座ってそれを見ているだけの自分に気が付いた。つまんね~。今すぐにでも全てを投げ打って旅に出てしまいたい。マジでそう思ってしまったかなりキケンな映画。→FC2 同性愛Blog Ranking

2004/フランス
第57回カンヌ国際映画祭 最優秀監督賞受賞
監督:トニー・ガトリフ
出演:ロマン・デュリス、ルブナ・アザバル、レイラ・マクルフ
●「愛より強い旅 サウンド・トラック」
●トニー・ガトリフ監督フィルモグラフィー