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フツーに生きてるGAYの日常

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ブロークバック・マウンテンで見る世界011●祭りのあと

 たかがアカデミー賞。されどアカデミー賞。

 やはり「オスカー受賞」という冠が付くと、世界中に報道されることで映画の知名度がグンと上がり、確実に観客動員が増えるし映画史に刻まれるわけですから、その意味は長い目で見ても非常に重要です。だからこそ「最優秀作品賞」を獲得するために、配給会社は様々な政治的な駆け引きを行い、PR合戦を仕掛けるのです。


 「クラッシュ」がオスカーを取るためにアカデミー会員にDVDを大量配布したこともその一つ。そして「ブロークバック・マウンテン」も「クラッシュ」も共に、早いうちから世界中のありとあらゆる映画祭に出品し、受賞を重ねて来たこともオスカー狙いのPRの一環だったと言えるでしょう。そもそも映画祭というのは、ほとんどにおいて、配給会社が自ら出品しなければ審査されることもないわけですから。

 発表から一週間が経ち、僕の中でメラメラと燃えていた「ブロークバック落選」の悔しさも落ち着いて来ました(笑)。そろそろ冷静になって、今回のアカデミー賞にまつわる出来事から見えてきた多くのことを、見つめ返してみたいと思います。

 岡田敏一という個性派記者の存在

 フジサンケイビジネスアイという新聞があります。数年前までは日本工業新聞という名前でしたが、今は産経新聞系列のビジネス情報新聞として発行されています。一般紙とは違って発行部数はそれほど多くはないのですが、岡田敏一記者の書くアメリカのエンターテインメント系の記事が面白いので、僕はチェックすることにしています。

 主に日曜日に、アメリカの最新のエンタメレポートが掲載されています。岡田記者はアメリカの様々なサブカルチャーに精通しているようで、かなりの博識家であるようです。その知識を元にして「いいものはいい。悪いものは悪い」と批判も辞さない姿勢で記事を書いているので好感が持てます。僕が映画「トランスアメリカ」の情報を早いうちから知ることが出来たのも彼の記事からだったし、けっこうLGBT絡みの事柄も積極的に報じてくれるので、ありがたい存在です。保守的だというイメージを持たれがちな産経新聞系列としては、異例の存在だとも言えるでしょう。

 そんな岡田記者は、アカデミー賞の取材でもロサンゼルスの最前線にいたようです。授賞式直前の日曜日には「大胆予測」の記事を掲載し、結果を「ほぼ的中」させた彼ですが、授賞式の翌日からさっそく、充実した検証記事をいち早く掲載していました。
今回のアカデミー賞の結果を彼なりに分析すると「黒人文化の台頭」を象徴しているということになるようです。ちょっと長いですが紹介します。(引用記事中の「~」は中略を意味します。)

●3/7(火)フジサンケイビジネスアイ・「検証i」
アカデミー賞 「黒人文化」が大きく台頭
ゲイ作品不発 保守性は不変

 スターたちが集まった華やかな式典のクライマックス。
「オスカー・ゴーズ・トゥ・・・クラッシュ!」
 ~作品賞プレゼンターの男優ジャック・ニコルソンが叫ぶと、会場となったコダック劇場の近くのホテルに掲げられた世界中の記者約300人が詰める取材室で結果を見守っていた黒人の記者たちから大歓声が上がった。

■リアルな米描く
 ~今回はクラッシュに限らずアカデミー賞全体を通じて、黒人社会が題材の作品が多くの賞を獲得した。音楽の世界に続き、映画の世界でも黒人文化が力を発揮しつつあるいまの米の娯楽産業の兆候を示しているようだ。
 「アカデミー会員には、ゴールデン・グローブ賞で作品賞を取った作品をわざと外す傾向がある」(業界筋)うえ、「高齢でひねくれ者で保守的なアカデミー会員がゲイの作品を推すとは考えにくい。マスコミの事前の大絶賛を疎ましく思い、あえて別の作品に投票するのでは」(関係者)との予想は本当だったようだ。
というより、アカデミー会員は「カウボーイがゲイだった」という絵空事に近い物語より、リアルな米を描いた作品を選んだと言った方がいいだろう。

 「クラッシュ」は「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」でハリウッドがお祭り騒ぎだった昨春に公開された。だが、聞くに堪えない差別用語のせりふの応酬に、当初は映画ファンや関係者から「米ではこんなひどい差別はない。この映画はフィクションだ」と反発の声が聞かれた。
 しかしこうした声にロス在住のハギス氏は「この映画はすべて私が実際にロスで見聞きした差別事例を元に作っている。私は昔、ビデオレンタル屋でカージャックに逢ったこともあるんだ」と猛然と反論した。そのリアルな米社会をアカデミー会員は高く評価したのだ。

■ 独自のPRも奏功
 しかし今回のアカデミー賞の結果は、取材陣の間でも予想外と受け止める人が少なくなかったようだ。
 イタリアのテレビ局の女性記者ジャダ・アルバニーズさん(30)も「作品賞が『クラッシュ』と聞いたとき、本当に驚いた。やはり『ブロークバック・マウンテン』は同性愛を扱い、さまざまな論争を呼んだことが嫌気されたのでしょう」と話す。

 ~「クラッシュ」が土壇場で大逆転し、オスカーに輝いた大きな理由として「事前のDVDの大量無料配布キャンペーンが当たった」(事情通)との見方も多い。
 作品の製作元で独立系の映画会社ライオンズゲート・フィルムは、オスカーを前にした今年初旬、ハリウッドの業界関係者に計約13万本ものDVDを無料配布し、大きな話題を集めた。

 普通、この手のPR作戦で配るDVDの数は多くても約2万枚。ライオンズゲートのトム・オーテンバーグ社長は「昨夏公開の作品が忘れられないよう、大規模なPR作戦を展開した」と話し「経費の面でも、テレビや新聞で派手に広告を打つよりずっと安上がり」と打ち明けさらに注目を浴びた。
こうしたほかの映画会社との差別化戦略も結実の一因となったようだ。

 今回のアカデミー賞全体を眺めてみると、クラッシュでは有名テレビプロデューサーとして富と権力を得た黒人夫婦が白人警官に言いがかりをつけられ、執拗な取り調べと耐え難い屈辱を味わう場面がある。

 またポン引き(ピンプ)の貧乏な黒人が苦労の末、ラップ歌手として成功を収める物語「ハッスル&フロウ」(クレイグ・ブリュワー監督)の主題歌で過激なヒップ・ポップ曲「イッツ・ハード・アウト・ヒア・フォア・ア・ピンプ」が歌曲賞を受賞。アカデミー賞の歴史始まって以来、ヒップホップの楽曲がオスカーに輝いた。
外国語映画賞も、南アフリカの作品で、貧困地域の黒人青年によるカージャックを題材にした「ツォツィ」(ゲビン・フード監督)が獲得した。

 音楽の世界では、ニューヨークの黒人が生み出したラップ音楽に代表されるヒップ・ポップがロック音楽を追い越して米の大衆音楽の主流を走っている。
 米スミソニアン博物館がヒップ・ホップ文化の展示を決めるなど、大きな力を誇示している。古くから音楽と映画は密接につながっている。今回の結果は、これから黒人文化が映画にも大きな影響を及ぼす兆候といって間違いない。
(ロサンゼルス=岡田敏一)

 マイナー紙だからこそ掲載できた検証記事
(しかも翌日に!)


 「黒人記者たちから大歓声が上がった」というディテールを見逃さないところが、さすがは岡田記者。そしてこんな風に、取材現場のリアルな状景を捉えた記者の主観を伝えられるのは「フジサンケイビジネスアイ」というマイナー新聞だからこそ。だって、はじめから他紙の何倍もの潤沢な掲載スペースを与えられているわけですから。
 先日紹介したとおり日本の大手新聞社はせいぜい、記者の主観を排して大勢を窺いながら「公正中立」を気取った事実の伝達が精いっぱい。大してスペースも貰えず、記者たちにとっても腕の振るいようがなかったのではないでしょうか。

 差別問題に新たな視点

 このレポートからも察せられるのは、僕らLGBTにとって「ブロークバック・マウンテン」のオスカーが悲願だったのと同じように、多くの黒人記者たちにとっては「クラッシュ」の受賞が悲願だったらしいということです。
 人種差別問題を「マイノリティーの解放運動」と直結させる旧来の単純なステレオタイプから解放し、新たな視点から多面的に複雑に抉り出したこの映画は、やはり2006年の今、オスカーに値する「見るべき映画」だと僕は思います。(でもやっぱり「ブロークバック・マウンテン」と同じ年に重なってしまったことは悔しいけど・・・笑)。

 物語が暗示するのは、これからの世界

 僕が「クラッシュ」を観て特に印象に残ったのは、「白人がメジャーであり、有色人種がマイノリティーである」という従来のアメリカ社会のヒエラルキー観に大きな変化が生じていることに注視していること。

 特にこの映画では、黒人の台頭を前にして立場が逆転し、焦燥感に駆られはじめた「白人たち」が醜い姿を晒しはじめた様子を、批判も込めながら冷徹な視線で描き出しています。
(しかも監督は、カナダ生まれのバリバリの「白人」です。)
 そしてコンプレックスを抱えた白人たちは、黒人以外のアジア系や南米系、アラブ系に対して鬱憤を歪んだ形で晴らすもんだから、そこから更に、「やられたら、別の弱い奴らにやりかえせ」という風に様々な人種による様々な差別構造の連鎖が始まってしまうのです。

 すでに差別の構造に「上」も「下」もなくなっているようです。誰もが「状況」や「組み合わせ」によって差別者にもなれば被差別者にもなるということの怖さ。善人は悪人でもあり、悪人は善人でもある。そんな連鎖の繰り返される状況を告発するとともに、どうしたら人間同士として共生出来るのかを物語そのものの展開によって「探り続ける」映画です。明確な答えは出さないまでも、観客に鋭く問題提起することに成功していると思います。

 ただ、登場人物が多く出来事も多いため全体的にテンポが速く、センセーショナルな印象を観客に与えてしまうという映画的な欠点はあります。ロサンゼルスの市民からも「現実の暗部を誇張しすぎだ」という声が少なからず上がっているようで、チュチュ姫さんのブログ「姫のお楽しみ袋」に掲載された「クラッシュ」のレビューを読むと、アメリカに住む市民の日常感覚と、映画とのズレを感じた感想に触れることが出来ます。この映画を語る上で、大事な指摘だと思います。

どこの国でも言えること

 わが国でも最近、様々な国の人々が移住してくるにつれて「メジャー」であったはずの「日本人という幻想に囚われている方々」が醜さを曝け出しはじめています。国技である相撲で活躍する「外国人力士」たちに不要なコンプレックスを抱いたり、「嫌韓流」という本がベストセラーになったり。自己完結のモノローグに終始する「日本病」は、インターネットの一部の世界でも相変わらず蔓延し続けています。この映画で描かれた出来事は、ロサンゼルスの一都市の出来事には留まらず、わが国はもちろん世界のあらゆる所で起きている複雑な出来事に通じていると思いますし、今後の混迷を予言しているのかもしれないとも思います。

 たしかにDVDの大量配布など、「クラッシュ」制作会社によるキャンペーンには露骨な派手さがあったようですが、公開が昨年の5月だったことを考えると当然なのではないかとも思います。オスカーを狙う映画は、アカデミー会員が投票する時期に合わせて年末に公開するのが通例だそうですから、なにもしなければ、半年も前に地味に公開されて大してヒットもせずに終った作品のことなど、多くの人にとっては記憶の彼方の出来事でしょうから。

 真の評価はこれから

「ブロークバック・マウンテン」が同性愛を描いていることに嫌悪感を持って劇場に観に行かなかったり、保守的な感覚で忌避してしまったアカデミー会員もいたことでしょう。その票が「クラッシュ」や他の作品に流れ、結果的に票が分散された可能性は否定できません。偏見によって映画作品が然るべき評価をされなかったとしたら、そのことは問題にされるべきです。

 しかし、そのことと「クラッシュ」の作品評価とは別物なのではないでしょうか。
 そもそもどちらの作品の配給会社もオスカーを目指して政治的に立ち回ったことには変わりないのですから「同じ穴のムジナ」です。
 その結果、これだけの話題を提供し、作品としての知名度が上がり、多くの人々が劇場に足を運ぶきっかけ作りになったのですから、見込んでいたPR効果は両作品ともに、充分に達成されたことでしょう。

 「アカデミー賞」というお祭り騒ぎが終わり、やっとこれから純粋に「作品としての力」が問われることになります。どうか映画を観る時だけでも、いろんな予備知識から解放されて純粋に映画と向き合ってください。どちらの作品も、それだけの力を持った「強い映画」だと僕は思いました。そして、多くの人に観られるべき資格を持った作品だと思います。

 10年後、そして100年後まで「名画」として語り継がれるかどうかは観客が決めること。
 作品の真価が問われるのは、アカデミー賞効果で多くの人の目に触れる、これからのことなのです。

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