メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇014●ギンレイホールで再上映中
3回以上の鑑賞にも堪える映画
昨日から飯田橋ギンレイホールでの上映が始まった「メゾン・ド・ヒミコ」。さっそく見に行って来たのですが、昨年度の映画賞を多数受賞した影響でしょうか、立ち見が出るほどの大盛況。場内では笑い声もよく起こり、映画館ならではの一体感のもとで堪能できました。
ちなみに僕が見たのはこれで3回目なのですが、まだまだ新鮮な感覚で楽しめたことに驚きました。
僕は、自分にとっていい映画かどうかを判断する時に「3回以上の鑑賞に堪えられるかどうか」というのを基準にしています。2回見たくなる映画ならばよくあるし、実際に見ることも多いのですが、大体はそれで作品を消化してしまい、それ以上見ようとは思いません。しかしこの映画はまだまだ・・・あと4、5回は見られる位に、僕にとっては新鮮であり続けることでしょう。
吟味され、凝縮された台詞たち
その一番の理由はきっと、一言一言の台詞が選び抜かれて洗練されているからだと思います。物語を説明するための説明的な台詞が極度に抑えられていて、なによりも言葉選びが「素直じゃない」ところがいいのです。
人というのは日常において、なかなか「本音」を口には出さないものです。強がってしまったり、わざと遠回しに牽制して言ってしまったり、思っていることとは逆のことを口走ってしまったり・・・。それが人間の滑稽さでもあり哀れさでもあります。
この映画の登場人物たちは、多くの場面においてそうした「本音とはうらはら」の言葉を発し、自分の内面に秘められた「本音」とのギャップに苦しみます。だからこそリアルだし、台詞ですべてを語らないからこそ、見るたびに観客が新しい意味を発見できるのです。
口から発せられる言葉なんてものは所詮は、心の中の複雑な思いを表現するための「氷山の一角」。この映画の脚本家や監督、出演者達はそのことにとても意識的であり、表現者として撮影現場でちゃんと苦しんだからこそ、これだけのレベルに表現が昇華しているのだと思います。
父娘対決の凄み
特に後半の、沙織(柴咲コウ)とヒミコ(田中泯)の父娘対決の場面などは絶品です。ヒリヒリとした緊張感のもとで、互いに譲れないプライドを抱えながら、ぶつかりあう二人。娘のキツイ質問に対して、ついには父親から「あまりにも無防備な本音」が投げかけられます。この時ばかりは不意を突かれ、娘は戸惑いのあまり固まってしまいます。
ここの柴咲コウさんの演技は本物です。小賢しい計算からは解放された、本当に役を生きている奇跡的な瞬間がフィルムに定着されていました。しばらく固まった後、「・・・なによそれ。」としか言い返すことの出来ない彼女の思い。
・・・何度も見ているはずなのに、僕は今回ここでホロっときました(笑)。
安易な情緒に流れない冷徹な「映画的センス」
この映画には一人も「善人」はいません。皆、どこかが欠けていて飢えています。
しかし「悪人」もいません。他者と繋がりあおうとして無意識のうちにもがいている人ばかりです。
そしてどの場面でも常に「善」と「悪」が同居し合っています。
こんな冷徹なセンスで物語を紡ぎながら、エンターテインメントとしてもちゃんと成立させられる監督さんは、なかなかいないんじゃないでしょうか。複雑な人間存在そのものを虚飾で飾らずにちゃんと見つめ、甘ったるい情緒で安っぽくごまかそうとしない表現者としての姿勢は、見事だと思います。
汚れて生きるのが人間さっ!
そして、ここがいちばん大事なところ。
「男」だとか「女」だとか「ゲイ」だとか「老人」だとか「若者」だとか・・・そんなアホらしいカテゴライズの窮屈さに捉われながら生きる我々の滑稽さを冷徹に笑いとばし、次第にそれらが混ざり合って混沌としはじめる「武装解除の空間」を一瞬だけでも実現させているこの映画は、やはりタダモノではないでしょう。かといってそこで安易な理想主義や啓蒙主義にも走らずに落とすところは落とし、現実の冷たさの中で汚れながら生きて行くことこそ人間であるということをちゃんと描き出す。これぞ、本当の意味での人間賛歌だと思います。
やはり・・・僕の人生にとってこの映画は、とても大きな出会いの一つでありました。
☆飯田橋ギンレイホールでは
1/27日(金)まで
11:25/3:45/8:05~の上映です。
(同時上映「八月のクリスマス」←見たけど・・・「メゾン・ド・ヒミコ」とは対極にある、甘ったる~い映画。比較の意味では楽しめるかも。)
・・・ちなみに僕はここの年間パスポート(\10,000でフリーパス)を持っているので、まだ何度も見に行く予定(笑)
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ちなみに僕が見たのはこれで3回目なのですが、まだまだ新鮮な感覚で楽しめたことに驚きました。
僕は、自分にとっていい映画かどうかを判断する時に「3回以上の鑑賞に堪えられるかどうか」というのを基準にしています。2回見たくなる映画ならばよくあるし、実際に見ることも多いのですが、大体はそれで作品を消化してしまい、それ以上見ようとは思いません。しかしこの映画はまだまだ・・・あと4、5回は見られる位に、僕にとっては新鮮であり続けることでしょう。
吟味され、凝縮された台詞たち
その一番の理由はきっと、一言一言の台詞が選び抜かれて洗練されているからだと思います。物語を説明するための説明的な台詞が極度に抑えられていて、なによりも言葉選びが「素直じゃない」ところがいいのです。

この映画の登場人物たちは、多くの場面においてそうした「本音とはうらはら」の言葉を発し、自分の内面に秘められた「本音」とのギャップに苦しみます。だからこそリアルだし、台詞ですべてを語らないからこそ、見るたびに観客が新しい意味を発見できるのです。
口から発せられる言葉なんてものは所詮は、心の中の複雑な思いを表現するための「氷山の一角」。この映画の脚本家や監督、出演者達はそのことにとても意識的であり、表現者として撮影現場でちゃんと苦しんだからこそ、これだけのレベルに表現が昇華しているのだと思います。
父娘対決の凄み
特に後半の、沙織(柴咲コウ)とヒミコ(田中泯)の父娘対決の場面などは絶品です。ヒリヒリとした緊張感のもとで、互いに譲れないプライドを抱えながら、ぶつかりあう二人。娘のキツイ質問に対して、ついには父親から「あまりにも無防備な本音」が投げかけられます。この時ばかりは不意を突かれ、娘は戸惑いのあまり固まってしまいます。
ここの柴咲コウさんの演技は本物です。小賢しい計算からは解放された、本当に役を生きている奇跡的な瞬間がフィルムに定着されていました。しばらく固まった後、「・・・なによそれ。」としか言い返すことの出来ない彼女の思い。
・・・何度も見ているはずなのに、僕は今回ここでホロっときました(笑)。
安易な情緒に流れない冷徹な「映画的センス」

しかし「悪人」もいません。他者と繋がりあおうとして無意識のうちにもがいている人ばかりです。
そしてどの場面でも常に「善」と「悪」が同居し合っています。
こんな冷徹なセンスで物語を紡ぎながら、エンターテインメントとしてもちゃんと成立させられる監督さんは、なかなかいないんじゃないでしょうか。複雑な人間存在そのものを虚飾で飾らずにちゃんと見つめ、甘ったるい情緒で安っぽくごまかそうとしない表現者としての姿勢は、見事だと思います。
汚れて生きるのが人間さっ!
そして、ここがいちばん大事なところ。
「男」だとか「女」だとか「ゲイ」だとか「老人」だとか「若者」だとか・・・そんなアホらしいカテゴライズの窮屈さに捉われながら生きる我々の滑稽さを冷徹に笑いとばし、次第にそれらが混ざり合って混沌としはじめる「武装解除の空間」を一瞬だけでも実現させているこの映画は、やはりタダモノではないでしょう。かといってそこで安易な理想主義や啓蒙主義にも走らずに落とすところは落とし、現実の冷たさの中で汚れながら生きて行くことこそ人間であるということをちゃんと描き出す。これぞ、本当の意味での人間賛歌だと思います。
やはり・・・僕の人生にとってこの映画は、とても大きな出会いの一つでありました。

1/27日(金)まで
11:25/3:45/8:05~の上映です。
(同時上映「八月のクリスマス」←見たけど・・・「メゾン・ド・ヒミコ」とは対極にある、甘ったる~い映画。比較の意味では楽しめるかも。)
・・・ちなみに僕はここの年間パスポート(\10,000でフリーパス)を持っているので、まだ何度も見に行く予定(笑)
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