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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-12
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チャールズ・ダンス「ラヴェンダーの咲く庭で」●MOVIEレビュー

大戦前夜の静けさの中で

今年いちばん好きになった映画「ベルリン、僕らの革命」に出ていたダニエル・ブリュールが出演しているので、楽しみに見に行った。
オーソドックスな物語映画ながらも、老人と若者の出会いから別れまでの細かい心理描写が巧みであり、とても丁寧に作られている好感の持てる映画だった。

突然現われた若い男。華やぐ老女二人

1936年。イギリスの海辺の田舎町で、ひっそり暮らす老女二人が主人公。
嵐の翌朝。いつものように浜辺を見下ろすと男が打ち上げられていた。見るとなかなかいい男。二人は必死に看病し、言葉の違いも乗り越えながら次第に彼の魅力の虜になって行く。

彼を巡って老女二人が嫉妬の火花をバチバチと燃やすのだが、これが生々しくておもしろい。演じるのはジュディ・デンチとマギー・スミス。演技者として素晴らしい仕事ぶりだ。そして、そんな二人の心理をわかりながらも、純真さと無垢さを武器にして世話になり続ける若い男のしたたかなこと(笑)。

若さに翻弄される喜びと切なさと

それまで沈んだ日常を送っていた老女二人にとって、彼の出現はまさに夢のよう。浮き足立った心の動揺を隠すことは出来ない。次第に彼の面倒を見ることが日々の生きがいになって行く。

生活を彼の好みに合わせたり、彼のちょっとした言葉に翻弄されてナーバスになったり・・・。いくつになっても人には「性(さが)」がある。好きな者に気持ちが高ぶり動揺する感情は、いくら経験を積んでも抑えられないどうしようもないものなのだ。

この映画のいいところは、そういう「老人の性」について啓蒙的に一面的に賛美するのではなく「当たり前のフツーのこと」として描き出しているバランス感覚だ。
「性(さが)」がもたらす華やぎと、同時に芽生える嫉妬や苦悩。
一生懸命な人間というものは喜劇的で滑稽なもの。奔放に振る舞う若者とは対照的に、ただただ翻弄される老いた女たちの可愛さがいとおしい。
大人であろうとすることは子どもである。子どもは実は大人なのである。

しかし、華やいだ日常もいつかは終わりが来る。元気になればいずれ、彼は出て行くのだ。「終わりの予感」は観客を惹き付ける特効薬。
どんな別れが来てしまうのか・・・。見たくないけど見てみたい。観客心理はこちょこちょとくすぐられながら惹き込まれて行く。

若い女が現われたっ!

ある日、若い男はひょんなことからバイオリンを弾きだし、実は相当な名手であることがわかる。村の集まりでも腕前を披露して一躍、有名人になった。
そこへ、若くて美人な放浪画家が現われ、彼の演奏に着目する。実は彼女は有名な音楽家の妹であり、彼を都会のオーケストラにスカウトしようと画策をはじめ、彼に接近してくる。

猛烈に接近してくる若い女の出現に嫉妬の炎メラメラの老女たち。
「あいつは悪魔よ。」「信用のおけない女だわ。」
二人がいくら悪態をつこうが惹かれあう若い二人を止める事は出来ない。この時ばかりは「老い」という現実に残酷なまでに向き合わされてしまうのだ。

「アメリカに行って自由になりたい」

若さと美貌と才能で老女達を虜にするという、この役。俳優ダニエル・ブリュールとしてはまさにハマリ役。彼の俳優としての持ち味は「透明さ」「アクのなさ」にあるからだ。
ちなみに、この男がどんな過去の持ち主なのかについて、映画で具体的には描かれない。ポーランド人であること。アメリカに行きたがっているということ。この二つの情報が与えられるのみである。

時代は1936年。おそらくドイツの侵攻してきたポーランドから命からがら逃げ出したユダヤ系の人物なのだろう。新天地アメリカに希望を抱いて渡る途中、船が遭難してしまったらしい。
「アメリカに行って自由になりたい。」水平線を見ながら彼は言う。
それを聞いて老女は言い返す。「アメリカは欧州のおちこぼれのたまり場よ。」

そして時は過ぎてゆく。時代は暗くなってゆく。

この映画の舞台であるイギリスの片田舎では、段々とキナ臭くなりつつある世界情勢など何処吹く風の、ただただ牧歌的な日常が繰り広げられている。
老人達はそれがどれほど幸福なことか、人生経験から知っている。
しかし、若者は旅立ってしまう。これから嵐が巻き起こるであろう大都会へ。

残されるのは、老いた老女二人を確実に輝かせた、あの夢のような日々の記憶のみである。
時は残酷に移ろい行く。そして人は老いて行く。記憶を咀嚼し、食べ続けながら。

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三島由紀夫とつきあってみる。011●霊に導かれた死・・・!?<後>

「どう死を乗り越え、志を継いだらいいのか」

本多さんは三島由紀夫の亡き後、悩みながらも半年後には就職。翌年には結婚をし、サラリーマン生活をしながら楯の会の活動も継続しました。他のメンバーも皆、サラリーマンになったそうです。

真面目な人柄である本多さんにとって「元・楯の会ナンバー2」という過去は、その後の人生において良くも悪くも、ずっと肩にのしかかり続けたことでしょう。そして、どうして自分が決起のメンバーに選ばれなかったのかという疑問も、くすぶり続けたことでしょう。



三島氏の自決から22年目にしてようやく彼は自分のやりたいことを見つけます。それは現在の仕事。非営利団体「グリーンプラネット」という団体の理事として活躍する姿が紹介されます。

飲料水を変え、排水を清め、河川や海を浄化することを市民活動として進める仕事に没頭する本多さん。
「緑の惑星に、元に戻そうということですね」
「楯の会は外からの敵に対して戦っていたわけですが、今は、敵は私たちの内側に潜んでいると気が付きました。」



ここでイメージショットとして街を歩く本多さんの姿と共に、三島由紀夫の小説『英霊の聲』から次の部分が、三島氏自身が朗読したレコードの音声で紹介されます。


大ビルは建てども 大義は崩壊し
その窓々は 欲求不満の蛍光灯に輝き渡り
朝な朝な上る陽は スモッグに曇り
感情は鈍磨し 鋭覚は摩滅し
激しきもの 雄々しき魂は地を払う





楯の会の素顔

三島氏は「楯の会」の活動の大義として「昭和維新」を掲げていました。ニ・ニ六事件をモデルに「維新草案」と名づけた憲法草案を作成し、天皇を中心にして日本の伝統・歴史・文化がしっかりと守られることを目指したものだったそうです。
テレビの前に初公開されたその草案は原稿用紙に手書きであり、「憲法論議よりも訓練の方が楽しい」などという冗談も書き込まれていました。本多さんは言います。



「これがそのまま実現できるだろうなぁとは誰も考えなかったでしょうし、まあ、最初の議論が始まった時でもね、私どもは別に、法律について格別勉強した人間ではない者ばっかりが集まってますから、まあ、議論は最初の一回か二回かな・・・先生も参加されてて・・・まあ、頭を抱えてたと(笑)。この程度のレベルかと(笑)。」

「私たちにとっては、憲法草案も、楯の会の制服も、今となってはただ懐かしいばかりの青春の思い出です。それ以上でも、それ以下でもありません。」


三島由紀夫研究者やファンの中には、楯の会の活動や憲法草案について必要以上に「神聖視」し、自らの政治的主張を補完することに利用する人も少なくないのですが、本多さんのこのコメントからは、そうした余計な意味付けを払拭してしまうかのような痛快さを感じます。


なぜか霊媒師のもとへ・・・。

今年の11月25日。
三島氏の35回目の命日「憂国忌」。
本多さんは一人で霊媒師のところへ行き、霊媒師の口を通じて語られた三島氏の声をカセットテープに録音してきました。(本多さんが自ら望んで行ったのか、番組スタッフにやらされたのかは定かではありません。)

カメラの前でテープを再生してみせる本多さん。神妙な顔つきで聴いているようですが・・・


特に心を揺さぶられることも無さそうに、無表情に聴き入る本多さんの顔は正直でした。彼の表情の変化を劇的に撮ろうとアップで待ち構えていたカメラマンのもくろみは、見事にスカされてしまったのではないでしょうか。

テープから聴こえてくる(インチキ臭い)霊媒師の声・・・。

「すまなかった。私の分まで生きて、日本を支えて欲しい。」



ラストシーンとしては、
テープを胸に、長い廊下を歩き去る本多さんの後姿がイメージショットとして撮影されていました。
???
・・・なんだかな~。
どうやら制作者達は、番組をドラマティックに盛り上げるべく様々な仕掛けを施したようですが、後半の展開はその「わざとらしさ」が前面に立ってしまい、はっきりいって興ざめしてしまいました。前半がミステリアスな展開でグイグイと引き込まれる展開だった分、番組としての最後の着地点があまりにも凡庸であるように感じられ、もったいなかったと思います。
しかし、主人公である本多さんの飄々とした真っ直ぐなキャラクターが、そんなテレビ的な仕掛けをものともせず、まるで「付き合ってあげている」かのよう(笑)。
番組スタッフの注文に色々と応えつつも、見事に「枠」からはみ出すエネルギーを発していて、人間的にとても魅力的でした。

次回は、この番組を通して考えた「三島由紀夫の死」について、現在の僕の見解を書こうと思います。(つづく)
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