あれっ・・・もう風化しちゃったの?~アメリカで原発再評価

アメリカでは1979年のスリーマイル島事故や1986年のチェルノブイリ原発事故の影響から、27年間にわたり新しい原発が作られることはありませんでした。80年代から90年代にかけては原油価格が低下していたということもあり、火力発電のコストがかからなかったという理由もあるようです。ところが今年の「エネルギー政策法」で急に、原発の建設支援策が盛り込まれたのです。
原発の運営や放射性廃棄物の処理に関する問題点は、まだまだ解消されていません。ほんの些細な人為的ミスが、とり返しのつかない大事故を引き起こすことは歴史的事実が証明しています。
日本国内で言えば東海村の臨海事故が起こったのは1999年。2002年の8月にはトラブル隠しが問題となり福島第一原発一号機に停止命令。昨年の夏には美浜原発蒸気漏れ事故がありました。いずれも初歩的なミスが引き起こしたことであり、死者が出た事例もあります。まかり間違えば大事故に至るところだったのです。

今までの原発事故の時もそうでしたが、メディアは事故直後には大騒ぎして世論を喚起しますが、別のニューストピックが出来るとサーッと潮が引くかのごとく扱わなくなります。そして今ではすっかり風化してしまいました。その後も相変わらず小さな事故や設備の老朽化による故障は起こり続けているのですが、社会面の隅っこに小さく掲載されるだけです。もし事故の直後だったらその一つ一つのトラブルはもっと大きく報じられ、我々の危機意識を高めていることでしょう。
アメリカのこの流れを受け、イギリスでも推進政策に転換することが最近発表されました。アメリカ→イギリスと来れば、次はまぎれもなく日本。政策転換するのは確実でしょう。現に12月になってから、各新聞には元総理の中曽根康弘氏をキャンペーンキャラクターにした、日本原子力文化振興財団による「原発推進PR広告」が全面広告として順繰りに掲載されています。世論を刺激しないように様子を窺いながら、ジワリジワリとPRが始まっています。

このように、わざわざリスクを背負ってまで推進される政策には必ず「利権構造」が絡んでいます。本来、ジャーナリズムというものはそうした権力の暴走を監視し、批判的な立場を保ちながら我々に考えさせるのが役割であるはずなのですが・・・残念ながらその構造に取り込まれているかのように、大手マスメディアは骨抜きになっているのが現状のようです。
原発でのトラブル隠しの実態が次々と発覚した夏を憶えていますか?全国で原発が一斉に停止されたけれども、政府やメディアが「節電」を呼びかけて真夏の電力不足を乗り切ったではありませんか。やれば出来るはずなんです。
人間が人間である以上、ミスや不正や間違いを犯すのは防ぎようのないことです。だからこそ原発でそれが起こったら計り知れない被害をもたらすということを、もっと認識すべきです。
原発は「神」ではありません。管理しているのはあくまでも生身の人間です。しかも国による管理・検査体制がいかに杜撰でいいかげんなものかということは、マンション設計偽造問題等でも明らかではありませんか。

目先の利権にしがみつく体制は、もういいかげんにして欲しい。人類の未来がかかってるんですから。
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