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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-10
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たかがテレビ。008●NNNドキュメント「解かれた封印」で語るテレビ報道③

14年間、テレビはなにをしていたの?

この番組、14年ぶりに復元されたテープを公開するということで企画が立てられたみたいですが、肝心な所が抜け落ちたまま、お行儀よくまとめられてしまったという風に僕は感じました。
新聞の番組紹介記事によると、カメラは「匿名の電話」が島原市に寄せられて、市の職員が指定の場所に取りに行ってみて、発見されたそうです。
●番組内容については以前の記事参照↓
たかがテレビ。006たかがテレビ。007


なぜ匿名なのか。なぜ14年も経った今だったのか。

そのエピソードは、島原という土地柄や、「あの事件」が地元に与えた衝撃について考えることが出来る重用な要素だと思うのですが、番組ではその経緯についてまったく触れていません。
なにかが隠されているか、あるいは意図的に言及しなかったのではないかと感じました。

そもそもテープが復元されなかったら、あの出来事を検証することは行なわれなかったのではないでしょうか?43人も犠牲になったというのに。その後、あの出来事を教訓として学び取り、実際にニュース取材の現場で生かされるようになったことは、あるのでしょうか?

いちばん知りたいこれらのことについても、まったく言及がありませんでした。
ということは、なにも生かされていないということでしょう。なにか改善されたことがあるのだったら、番組で積極的に取りあげることが出来たはずです。この番組の制作者たちは、そこの所から逃げたのではないでしょうか。

次への教訓として生かされてこそ、43人の死は「無駄ではなかった」と言えます。しかしこのままでは、彼らの死に意味を見出すことは、残念ながら・・・。


「殺されたんじゃない」と思いたがっている父の哀しみを想像せよ

日本テレビのスタッフとして犠牲になった2人の両親のインタビューが実現出来たということは、評価できることだと思います。
しかし彼らが語った言葉の裏に潜むものが生かされているようには思えません。

エンジニア孤崎氏の父親は「殺されたんじゃない。『死んだんだ』と」思えるようになった」と語っていますが、それはマスコミの体質が改善されたからではなく、島原の無名の市民からの親切な手紙で、そう思おうと自分を鼓舞しているに過ぎません。それは裏を返せば、この14年間テレビ界からのフォローが無かったことを意味しています。彼は今でも本音では「殺された」と思い続けているのではないでしょうか。その重みを受け止めるべきです。

遺族の気持ちを顧みることさえ、テレビはこの14年間して来なかったのです。その事実を認め、厳しく批判し直すことこそが、遺族の苦しみに応えることなのではないでしょうか。
あの事件以降も毎日休むことなく、同じような取材体制で大勢の人間が、あちこちの現場に大挙して押し寄せ、「他社よりもいい画を撮る」ことに精を出して来ました。遺族達はどのような心境で毎日のテレビを見ているのでしょう。
この番組の制作者たちは、そうした問題点に直面したはずです。
だったらもっと真摯に、「あのときの報道合戦には意味があったのかどうか」を鋭く追求する方法を、模索するべきだったのではないでしょうか。

火山の噴火の「少しでもいい画」を撮ることは、命をかけてまでやるべき仕事か?

フリーのジャーナリストは、よく戦場に単身で乗り込み命がけで取材をします。
それは「大手マスコミでは報道されない、現地で実際に起こっていることを伝えたい」という崇高なジャーナリスト魂から「止むに止まれず」行なわれることであり、とても意味のあることです。

しかし、各社が似たり寄ったりの「画」を撮る事しか出来ないような・・・しかも単なる自然現象である噴火の様子を撮影することに「ジャーナリスト魂」はあるのでしょうか。
そこにあったのはむしろ「サラリーマン魂」ではないでしょうか。

彼らは普段の取材で行なっている政治家や芸能人の「出待ち」を撮影するのと同じような意識で、あの場にいたのではないでしょうか。「定点」に大勢の人員が配置されたのは、その時期、普賢岳の噴火が「旬の話題」であり視聴率が取れるから。彼ら自身が望んで行なっていた行動ではありません。

テレビのニュースというのは映像がないと成立しません。たっぷりと新鮮な映像がなければ放送時間を埋められないのです。しかも旬のニュースは各社が同時に注目するわけですから、取材人も集中します。他社では「いい画」を撮れているのに自分の所で撮れなかったら、視聴者はそっぽを向いてしまいます。実際、撮影に失敗したら解雇されるということも行なわれているようですから、現場で働く者たちは必死です。ノルマのように毎日あちこちの現場に派遣され、そうした仕事をこなしていたら、判断力が鈍ってくるのも止むを得ないのかもしれません。

14年前の1991年以降、阪神大震災やオウム真理教事件など、大事件が起こった時には毎回、行過ぎた取材体制が批判されては来ましたが、あいかわらず全く改善されないままです。
阪神大震災の時には、新聞社やテレビ局の取材用ヘリコプターが被災地の上空に集中し、その騒音のせいで、瓦礫の下敷きになっている人々の助けを求める声が聴こえないケースがあったそうです。助かるべき命が犠牲になったのです。そんな理不尽が、あいかわらず繰り返されています。

この番組はせっかく日本テレビ自身が製作するドキュメンタリーなのですから、豊富に保存されているだろう当時のニュース番組の映像などを丹念に検証し、「あれは本当に必要な報道だったのか」を考える契機にするべきだったのではないでしょうか。
やはり、テレビ局自身がテレビを批判することは、困難なことなのでしょうか。

番組のまとめである最後のナレーションを振り返ってみます。
「43人の犠牲者を出した大火砕流。火砕流の危険を理解できなかったことが、自然の脅威を災害に変えました。そして、取材のモラル。取材のために前に出ることが、地元の人たちを巻き込む恐れがあるということも知りました。悲劇を繰り返さないために、努力し続けることが、残された者の責任。14年の時を経て、復元された映像が、問いかけます。」
・・・努力し続けていないじゃないですか。
悲劇は繰り返されているじゃないですか。
14年間の放置状態については無言及ですか?こんな優等生のようなコメントでお茶を濁さないで、もっと浮かび上がらせるべきことがあるんじゃないですか?
僕は不快になりました。
なぜか?
・・・それは、この番組のまとめ方がいかにも「テレビ的」だと感じたからだと思います。
そのことについてはまた後日。
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