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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-10
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田中千世子「みやび 三島由紀夫」●MOVIEレビュー

「三島さんてね、仮面的な人だよね」

昨年44歳で亡くなった狂言師・野村万之丞氏の言葉。この映画の中でもっとも印象的なものだった。
彼は三島由紀夫と同じ学習院の出身。しかも三島氏の長女と同級生だったという。
かつての学び舎を訪れ、生き生きと語っていた彼は撮影の三ヵ月後に急死する。
彼は、こうも言っている。

「私は仮面が大好きなんですね。仮面ほど正直なものはなく、人間の顔ほど嘘つきなものはないと思っています。」

仮面とは人工物。
すなわち「フィクション」のこと。
仮面そのものは表情を変えることはない。だからこそ見る者が、いかようにもその内面を想像することが出来る。そして、けっして裏切ることはない。

一方、人間の顔は時に演技をする。なぜなら人というものは基本的に、相手や環境によってコロコロと表情を変える演劇的な存在だからだ。刻々と変わり行く表情から、その人物の内面が読み取れると思ったら大間違い。それは本人が意識的にせよ無意識的にせよ演じてしまっている「仮面」かもしれないからだ。・・・なんという逆説だろう。

人が生きるということは、本質的に「嘘をつくこと(演技をすること)」である。それを欺瞞と言ってしまうのなら、そうなのかもしれない。
一方、仮面そのものは「生きてはいない」。死んでいる。だからこそ「嘘をつかない」のである。
ああ・・・。なんだか妙な観念の世界にハマッて行きそうで、身震いがしてきてしまうではないかっ!。でもこれは紛れもなく、三島由紀夫を考える上で本質的な問題なのである。

三島由紀夫ファンが、好きな「文化人」に頼み、三島を語らせた映画

「キネマ旬報」などでおなじみの映画批評家・田中千世子さんが監督。
なんでも彼女は高校時代からの熱心な三島ファンで、三島由紀夫が自決した1970年11月は御茶の水女子大学の3年生。
ちょうどその数週間前に文化祭で「近代能楽集」の「班女」を演出したばかりだったという。しかも上演許可を求める際に、三島由紀夫本人から返事があり、とても印象的な言葉を投げかけられてしまう。

「芸術家と芸術作品の一致の夢がありました。」

・・・手紙に書いてあったこの言葉。自決の直前に、なんとも意味深ではないかっ!。
こんな言葉を本人から貰ったのなら・・・彼女がこういう映画を創りたくなるのはあたりまえ(笑)。彼女の人生にとっては創る必然性があったのだ。
仕事を通じてのいろんな人脈を駆使し、彼女が奔走した情熱でこの映画は満ちている。正直、映像表現としてはもう少し煮詰める必要がありそうだが、その「止むに止まれぬ表現欲求」は伝わってきた。
そして、インタビュー出演者の人選が変わっている。いわゆる「三島由紀夫を語らせるならこの人」という常連さんは出てこない。あくまでも、彼女のアンテナに引っかかった彼女の好みの人たちに限定されているのだ。

監督自身が見たくなる

結果的に、とてもふわふわと浮遊感のある映画になった。肝心の三島由紀夫が「見えそうで見えない」もどかしさが全編を支配する。
それは、死後35年という時間の刻印であるとも言えるのだが、出演者の大半が三島由紀夫から「距離をとっている」「遠い」タイプの人たちであるため、人間としての彼がなかなか浮かび上がって来ない。

現代における三島由紀夫の受容のされ方、影響の伝わり方を掬い取りたかったのかもしれない。その心意気は素晴らしいのだが・・・ある意味、想像どおりのタイプの人々が登場し、想像どおりの言葉が引き出されたという印象に留まってしまったのが残念。

この映画の出演者で、三島由紀夫にいちばん思い入れが強いのは、実は監督本人なのではなかろうか。だったら、もう少し監督自身が映画の構成の中に絡んできても良かったのではなかろうか。

確かに、インタビューの人選をし、対話をし、編集するという行為自体に監督の視点は込められてはいる。でもそれは、こうしたインタビュー映画では当たり前のことである。
問題はその先にある。
彼らと話した結果、監督がなにを描こうとするのか。そこで監督の意志や世界観、哲学が問われてくるのだ。上映されている作品自体から、その肝心な部分が見えにくくなっていることは、損である。

観客としては、この映画作りで監督が何を発見し、何に迷い、何に衝撃を得たのか、そのプロセスを知りたくなるのだ。しかし、そういう現象が撮影中に起こったようには感じられない。映画を撮る前にすでに全ては予定されていて、その通りに作ってしまったという感じが漂ってしまっているのだ。これは本人にとっても不本意な事ではないだろうか。残念なことである。

映像表現の難しさ

ドキュメンタリーの醍醐味は「発見」にある。制作者が「発見」し、映画作りを通して「自己変革」する姿を通して、観客も何かを得る。観客は「発見したい」から映画館に足を運ぶのである。

この映画に出てくる言葉は、確かに面白い。しかし、文化人と三島について語り合った言葉を集めるのならば、出版を前提とした「聞き書き」で充分だったのではないだろうか。
能や演劇、日本舞踊、ヨットでの航海など・・・出演者の表現活動を紹介するために苦心して撮影した映像も散りばめられてはいる。しかしそれらはあくまでも登場人物たちの補足説明としての機能しか果たしていない。もっと踏み込んだ部分が欲しい。お行儀の良い語らいだけではなく、なぜ三島に彼らがこだわっているのか・・・その裏に隠された「狂気」の片鱗が見たいのである。そのためには、監督自らの内に潜む「狂気」の開示が、もっと必要だったのではなかろうか。監督が開示すれば、もっと出演者たちも開示できたはず。人間関係というのはそういうものではないだろうか。

こうしたタイプの作品を、どう「映像表現」として定着させ得るのか。
非常に難しい課題ではあるが、図らずもその難しさを知らしめてくれる作品ではあった。


★僕の印象に残った出演者たちの言葉を、ほんの一部だけ御紹介

●平野啓一郎(小説家)
「『金閣寺』っていうのは、一般的には美について語っている小説という風に読まれますが、美というのはそこではひとつの媒介にすぎなくて、実は三島の言う『絶対者』について語っていると思うんですよね」

●柳幸典(美術家)
「芸術は解釈、その後の解釈・・・。芸術家はいずれ死者でしかなくなる。解釈と芸術家は逆に乖離していくんじゃないかと僕は思います」

●ラウラ・テスタヴェルデ(イタリア人・日本文学研究者)
「1970年11月25日、(中略)強い衝撃を受けました。世界的な作家、三島由紀夫が伝統にのっとり切腹をした。東京にある自衛隊駐屯地で、日本がアメリカの支配的影響下にある状態から自らを解放することを呼びかけて。」

●坂手洋二(劇作家・劇団燐光群主宰)
「楯の会自体は演劇的な観点では見られないですね。自意識が強すぎて・・・。芝居にかぎらないんですが、ものをつくるということは、自分の自意識との戦いだと思うんですが、楯の会は自分を見ている人が楯の会のチームの中にもいて、それを周りも見ている、と。あるいは別の時代からも見られるだろう、と。何段階もの自己演出があると思うんですね。」

いや~、しかし三島由紀夫はやはり巨大な怪人だ。そして壮大なる「知の塊」だ。
その全てを知り尽くすことなど到底不可能。逆に言えば、そうしようとすると足を掬われるのではないだろうか。ハナから「かなうわけがない」のだから。
三島を基に新たな表現を開拓したいのならば、研究者的な視点は捨てるべきである。
怖れることはない。すでに三島は「死者」という本物の仮面になってしまったのだから。
裏切ることはないのだから。

「みやび 三島由紀夫」
監督:田中千世子/2005年/74分
プロデューサー:鈴木隆一・すずきじゅんいち

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工藤静香「嵐の素顔」②●名曲レビュー003

空車の赤いサイン 流れる街角
どこをどう歩いていたのか 海が見えてきたわ

見知らぬ人でもかまわないから
ふるえるこの肩どうぞ 抱きしめて欲しいの
ふいに頭上かすめ ジェットが飛ぶ
心細さを集めて 波にほうり投げた
海が割れればいいの・・・

嵐を起こして すべてを壊すの
嵐を起こして 素顔を見せるわ

「嵐の素顔」
words:三浦徳子
music,arrangement:後藤次利


●REVIEW●
前回に引き続き「嵐の素顔」。
この曲は2番の歌詞も面白い。

不意に頭上かすめ、ジェットが飛ぶ

・・・突然挿入される風景描写。
飛び去るジェットの残響音は、目の前に広がる海の大きさを強調し、主人公の孤独をさらに際立たせる。

孤独と対峙し、自らの素顔を悟った彼女は、新しい恋に向かうのだろうか。
それとも、もう一度素顔で彼と向き合うのだろうか。

ジェットの飛び去った彼方に思いを馳せる彼女には、広大な未来が拓けている。



●工藤静香さんと三浦徳子さんについて●
この二人の組み合わせは、デビュー当時から始まっています。1988年に発売された2ndシングル「Again」のカップリング曲「If」が最初です。
その後、1stアルバム「ミステリアス」では、タイトルチューンの「ミステリアス」と「パッセージ」の2曲を担当。秋元康、松井五郎、田口俊らと共にデビュー当時の彼女を支え、「歌手・工藤静香」というブランドを形成するために重要な役割を果たしました。
作詞家・三浦徳子の名は、歌謡曲に興味のある人ならばよく目にすることと思います。他にどういう曲を手がけて来た人なのか。「パノラマ歌謡曲」というサイトからピックアップしてみました。

●作詞家・三浦徳子の業績(1987年までの主なシングル)●

1978年
石川ひとみ「右向け右」
石川ひとみ「くるみ割り人形」
八神純子「みずいろの雨」

1979年
八神純子「想い出のスクリーン」
榊原郁恵「青春気流」
庄野真代「ジャングル・コング」
岩崎宏美「万華鏡」

1980年
岩崎宏美「スローな愛がいいわ」
八神純子「甘い生活」
松田聖子「裸足の季節」
河合奈保子「大きな森の小さなお家」
松田聖子「青い珊瑚礁」
多岐川裕美「酸っぱい経験」
野口五郎「愁雷」
ピンク・レディー「うたかた」
松田聖子「風は秋色」
パティ「明日…咲く」
沢田研二「おまえがパラダイス」

1981年
松田聖子「チェリーブラッサム」
松田聖子「夏の扉」
郷ひろみ「お嫁サンバ」
沢田研二「渚のラブレター」
榊原郁恵「太陽のバカンス」
郷ひろみ「もういちど思春期」
三原順子「真っすぐララバイ」
沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」
郷ひろみ「哀愁ヒーロー」

1982年
三原順子「氷河期」
田原俊彦「君に薔薇薔薇・・・という感じ」
郷ひろみ「純情」
柏原よしえ「恋人たちのカフェテラス」
早見優「Love Light」
小泉今日子「ひとり街角」
沢田研ニ「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
八神純子「Touch you, tonight」
シブがき隊「ZlGZAGセプンティーン」
田原俊彦「ラブ・シュプール」

1983年
シプがき隊「処女的衝撃!」
早見優「夏色のナンシー」
田原俊彦「シャワーな気分」
中村雅俊「瞬間の愛」
早見優「渚のライオン」
杏里「CAT’S EYE」
早見優「ラッキー・リップス」

1984年
吉川晃司「モニカ」
沢田研二「渡り鳥はぐれ鳥」
杏里「気ままにREFLECTION」
高田みづえ「原宿メモリー」
堀ちえみ「東京SugarTown」
早見優「ミスターセーラーマン」
田原俊彦「顔に書いた恋愛小説[ロマンス]」
刀根麻理子「デリンジャー」
堀ちえみ「クレイジーラプ」
荻野目洋子「ディセンバー・メモリー」

1985年
MIO「Good-bye, Lonely Blue」
堀ちえみ「リ・ボ・ン」
杏里「16BEAT」
渡辺典子「野バラのレクイエム」
TUBE「ベストセラー・サマー」
富田靖子「スウィート」
志村香「星のシンフォニー」
志村香「秋風はあなた」
富田靖子「君はシンデレラ」

1986年
渡辺典子「ここちE」
堀ちえみ「夏咲き娘」
湯江健幸「思い出のアニー・ローリー」

1987年
酒井法子「男のコになりたい」
真弓倫子「片想いグラフィティ」
石田ひかり「く・ち・び・る・ハート・ツー」

●こうして見てみると、各時代の「アイドル」と呼ばれた歌手を中心に幅広いタイプの楽曲を手がけてきたことがわかります。意外だったのは松田聖子のデビューから5曲目までのシングルを全て手がけていたということ。まさか「嵐の素顔」と同じ人が「♪あ~~、わたっしぃのぉぉ、こぉいわぁぁぁ~」を作っていたとは・・・守備範囲広いですね~(笑)。

●郷ひろみ「お嫁サンバ」、杏里「CAT’S EYE」、シブガキ隊「ZlGZAGセプンティーン」、吉川晃司「モニカ」など、他にもスゴイ曲がたくさんありますね。全体的に「強い・激しい・尖った・濃い」イメージの歌詞を得意としているようです。

●80年代に活躍したアイドルは職業作家に曲を依頼していたので、ヒットチャートは限られた売れっ子作家達が席捲していました。三浦徳子さんも間違いなくその一人。傾向としては、デビュー当時で路線を模索中のアイドルを手がけることが多かったようです。「嵐の素顔」もそうした流れの一つではありますが、80年代後半に不調気味だった三浦徳子さんにとっては、久々に「ヒット曲」として成功した作品であるようです。

●その後、工藤静香への楽曲提供は1993年まで続きますが、シングルとしては1991年の「Please」のみ。しかしアルバムの中で、その独特の激しい世界観は強烈なスパイスになっています。松井五郎氏と並び、セルフ・プロデュース開始までの初期の時代を支え続けた大切なブレーンであったと言えるでしょう。

7thシングル「嵐の素顔」 (1989年5月3日発売)
c/w「永遠の防波堤」
☆収録アルバム
「HARVEST」 「Unlimited」 「intimate」
「スーパーベスト」
「She Best of Best」 「Millennium Best」
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