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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-10
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三島由紀夫とつきあってみる。006●小説「音楽」の魔①

「性の不毛地帯に鋭利なメスを入れた問題長篇」

新文芸座のATG映画特集で見た増村保造監督の「音楽」 。衝撃的だった。
そして三島由紀夫の原作を読んでみた。そこには映画よりもさらに細かく濃密な、三島由紀夫独特の世界が繰り広げられていた。
なんでこの人はこんな言葉が書けてしまうんだろうと、驚嘆させられるばかりの読書体験だった。
ちなみにこの小説は1964年に書かれた。この年は東京オリンピックが開催され、高度経済成長の成熟期。雑誌「婦人公論」に連載され、翌年の1965年に単行本として出版された。
当時彼は39歳。すでにボディービルによる肉体改造は完成し、細江英公写真集『薔薇刑』が海外でも出版されていた頃。文壇のトップスターとして君臨し、最も脂が乗っていた時期である。

実は古本屋でこの本の「初版本」(1965年発行・中央公論社刊)を見つけた。帯に書いてあった売り文句が面白い。

「性の不毛地帯に鋭利なメスを入れた問題長篇」

「精神分析医の眼をとおして美しい弓川麗子の性行動と赤裸々な告白を描き人間性の深奥に迫る最新作」


なんと艶かしい表現だろう・・・。
説明書きの通り、この小説は精神分析医の「手記」という体裁をとっている。
つまり書き手である「私」は、汐見和順という名の精神分析医という設定なのだ。

「精神科医の手記」という仕掛けがもたらす表現の自由

その構造を説明するために、初版本では手の込んだ仕掛けが施されていた。まず表紙をめくると「音楽・三島由紀夫」という中表紙。その次に「刊行者・序」という三島由紀夫氏からの注意書きが2ページに渡り書いてある。そしてさらにめくると、今度は手記の表紙が出てきて、やっと小説が始まるのだ。(これです→)

「汐見和順・述 音楽~精神分析における女性の冷感症の一症例」
・・・これが、小説『音楽』の本当の(?)タイトルなのである。
「刊行者・序」で三島由紀夫は、この本のプロデューサーであるかのような立場から、読者に対して二つの注意書きをしている。
(以下、その一部を引用)

「一つは、氏の手記における、女性の性の問題に関する、徹底的に無遠慮な、科学的な取扱いの態度が、殊に女性読者に反感を催さしめるのではないかということであった。もしこれが文学作品であったら、性はこれほど即物的な扱いをうける惧れはなく、良きにつけ悪しきにつけ修飾のヴェールをかけられるのが常であって、それが読者の想像力を刺戟することになる筈であるが、氏の手記にはこうした配慮が一切欠けており、文中、性の象徴的神話的修飾が出てくれば、それはすべて患者の妄想から発して、あるいは記述者に影響したものなのである。

第二には、氏の手記の内容があまりにも常軌を逸しており、正常な女性の生活感情からあまりにもかけ離れているので、手記全体が荒唐無稽の創作と見做される惧れがあることである。しかしわれわれは、これらがすべて事実に基づいていることを、いやいやながらでも承認せねばならないし、一旦承認した上は、人間性というものの底知れない広さと深さに直面せざるをえぬ。それはいつも快い眺めであるとは限らないが、どんな怪物が出没してもふしぎはない神話の森なのであって、それを蔵しているのは、ひとり作中の麗子のみではなく、正に読者諸姉の一人一人なのである。」

・・・そもそも小説というものはフィクションであるにも関わらず、もう一つのフィクションでくるんでしまう周到さ。これだけ言い訳を作っておけば、もう怖いものはない。あからさまな性描写だろうが女性蔑視的な表現だろうが思う存分、好きなように書けてしまう。三島由紀夫、なかなかのしたたか者である。
1964年という時代にはすでに女性の社会進出が活発になり、旧来の女性蔑視的な表現や性描写に対する抗議も盛んに起こっていただろう。しかも「女性自身」と言えば女性週刊誌のトップ。下手すると不買運動でも起きかねない。
広範な女性読者をターゲットにしたこの雑誌で、限界ギリギリの描写を試みながら、三島由紀夫はなにをしたかったのだろう。

小説『音楽』の魔の世界を覗きながら、彼について考えてみたい。

三島由紀夫「音楽」(新潮文庫)

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アキバのヨドバシに行ってみた

今日は仕事帰りに、新しく秋葉原に出来たヨドバシカメラに出かけてみました。つくばエクスプレスの開業で、東口の光景はガラッと様変わり。新しく洒落た空間が出来ていて、とても秋葉原とは思えない美しさ(笑)。
従来の電気街は反対側なので、極端に二面性のある街になってしまいました。
ヨドバシの店内は噂どおり、ものすご~く広い。しかも量販店らしからぬ「高級感」が漂っていて不思議。あのコマーシャルソングのメロディーさえかかっていなければ高級デパートかと勘違いします。(←いやホントに。)

僕は電気スタンドが欲しかったので電器売り場へ。種類が多すぎて迷った挙句、結局はシンプルで安い750円のクリップ付ライトにしました(←庶民ですから。笑)その後、店内を廻ってみたら楽しい楽しい(笑)。本屋は有隣堂の大きな店舗が入っているし、レストラン街も店がたくさん。今まで秋葉原での買い物って何軒も廻らなければならないから不便だったけど、今後はこの一軒で満ち足りてしまうのかも・・・従来の電気街は大丈夫?と余計な心配をしてしまうけど、あっちはあっちでマニアックだから大丈夫なのかな?FC2 同性愛Blog Ranking

メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇012●犬童一心監督・田中泯さんのトークショー

トークではいくつか、面白いやりとりがあった。
犬童監督によれば、キャスティングは卑弥呼役が最後まで決まらず難航したという。スタッフ達といろんな候補者を挙げてはみるものの、どうしても「違う」ということで延び延びになっていたらしい。

そんな時、犬堂監督は「黄泉がえり」という映画のシナリオを書いた縁で日本アカデミー賞の授賞式に出席し、田中泯さんを見かけることになる。華やかな授賞式の会場の片隅に、ポツンと一人で所在無げに座っている泯さんを見かけて監督は「格好いい~」と一目惚れしたそうだ。しかも、当初はそれが泯さんだとは知らず、舞台上にプレゼンターとして現れた彼を見てはじめて、それが誰だったのかがわかったらしい。

その後、キャスティングのスタッフに交渉を頼み、泯さんに台本が送られた。
台本を受け取った泯さんは、「これを俺にやらせようだなんて・・・タダ者ではないな」と、突飛なオファーをする犬童監督に興味を持ったという。
実は「たそがれ清兵衛」に出演して以降いくつも出演依頼はあったけれども、踊りのスケジュール等もあって断っていたという。しかし、この不思議な役へのオファーは、彼の心に強烈な引っかかりを作ったらしい。

かくして、山梨にある泯さんのスタジオに犬童監督が直接訪問し、出演交渉が行なわれた。
泯さんとしては実は乗り気だったようだが、そういう態度を見せなかったため犬童監督に不安を与えていたらしい。トークの時に、はじめてその事実を知った犬童監督は、「あの時、やる気でいたんですかぁ?」と驚いていたのがおかしかった。泯さんは映画の中だけでなく、普段から感情を「表」に表さないタイプのようである。

犬童監督の泯さんへの思い込みは強烈なものだったらしく、アカデミー賞の会場で一目惚れをした瞬間から、「この人は絶対に受けてくれるだろう」「断るはずがない」と確信を抱いていたという。
その熱意は撮影が始まった現場でも持続し続け、泯さんに演技指導をすることはほとんど無かったそうだ。

犬童監督はどんな現場においても必ず「この人は勝手に泳がせよう」と、軸になる人を決めることにしているらしい。そう決めた人に対しては一切口出しせず尊重する。すると、監督個人の発想からは決して出てこないような「意外なもの」が発揮され、作品が予想もしなかった方向に飛躍することを経験で学んだという。(このやり方自体、すごく犬堂監督らしいと思った。)

この映画の場合は、衣裳の北村道子さんと泯さんの二人が「勝手に泳ぐ」特権を与えられた。衣裳プランに関しては、多少奇抜だったり派手だと思っても、あえて口出しせずに全て尊重したという。結果として、全体の雰囲気作りに、衣裳の果した役割はとても大きなものになった。

泯さんの演技についても、そうした態度が徹底された。
田中泯さんは舞踊家である。表現活動において台詞を使う経験は、ほとんどない。すなわち役者としての技術の蓄積がないのだ。
だから声も小さくマイクで拾うのが大変。顔の表情も乏しい。
しかし監督はそれを否定するのではなく逆に面白がり、そのまま生かそうと企んだ。

周囲の技術スタッフからは、泯さんの演技について何度も「あれでいいのか」と意見があったという。

映画界の常識の中で仕事をしているベテラン・スタッフ達にとっては、泯さんの演技はさぞや素人臭く思えたことだろう。しかし監督は泯さんを擁護し続けたのだ。
「この映画で、泯さんについての私の役割は、なにもしないことでした。そして周囲からも、泯さんについては何もさせないことでした。」
監督はトークショーではサラッと口にしてはいたが、それを徹底するのは、実は「戦い」だったのではないかと思う。

映画を思い返してみると、監督のこの企みは見事に成功だったことがわかる。
泯さんの、決してリキまずに無理をしない穏やかな存在の仕方が、繊細に丁寧にフィルムに定着されていたからだ。泯さんの醸し出す雰囲気自体が、映画全体の雰囲気を象徴するものになっていることがわかる。
撮影現場でも、泯さんの存在が、監督には常に面白くあり続けたという。・・・演技というものの不思議について考えさせてくれるエピソードだと思う。

しかし、いつも思うが映画監督というものはしたたかだ。そうでなければ務まらない。
一見すると「人あたりが良さそう」に振るまっているが、その裏では、もの凄くしたたかに周囲の環境を鋭く観察し、周到にコントロールするべく計算している。そういう生き物である。

トークショーの進行も途中からほぼ監督が進めていたのだが、その言葉選び、相手への気遣いといった優しさの中で時折見せる鋭い眼差しは、監督の内面に潜んでいる底知れぬ冷酷さを感じさせた。そして、とても強い人なのだとも感じた。一度話し始めたら、たとえ周囲がその話に飽きて来ていても構わず最後まで話し続ける。自分の欲求に忠実であり、マイペースなのだ。

その横で語る田中泯さんは、とても謙虚で男っぽい感じの人だった。卑弥呼を演じた時は自分の母親になったつもりだったという。しかも自然に、気がついたらそうなっていたらしい。
静かな口調で語りつつも、やっぱり彼も監督と同じように鋭い眼差しを持っていた。この映画では一介の役者としての参加に過ぎないが、普段は自らが信ずる舞踊の道を切り拓くパイオニアでもある。

二人とも、自分のフィールドを持って表現を追及している第一線の者同士。
独自の体臭を感じさせる強烈な個性のぶつかり合いは、それだけでも充分、見応えがあった。

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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇011●トークショー開始までのミョーな光景

映画のトークショーって、あまり好きではない。できればそのまま帰りたい。
よく、ドキュメンタリー映画の小さな上映会でも、映画が終ったらすぐに司会者が出てきて、監督との質疑応答が始まったりするが、聞いた後で後悔することが多い。
せっかく映画から受けたいろんなものが自分の中でグツグツと発酵しはじめているのに、他人の言葉でぶち壊されるような気がするのだ。出来れば、観終えたばかりの作品との対話の時間をじっくり一人で楽しみたいのに、他者の言葉が侵入してくると、大切なものが消えてしまうような気がする。(←だったらさっさと帰ればいいのだが、やはり誘惑に負けて聞いてしまう場合が多い。そして後悔する・・・笑)。

妙にテンションの高い司会者だったりすると、その暴力性はさらに高まる。
「なにか質問はありませんか?」と、無邪気な笑顔で客席に振られたりすると、いたたまれなくなる。しかも誰からも質問がない場合の「シーン」とした間が怖ろしい。気の利いた質問が思い付かない自分が、まるで罪人であるかのような気持ちになってしまう。
映画を観た直後の高揚した頭で出来る質問なんて、たかが知れているではないか。ああいう時にスラスラと質問できる人って、すごいとは思うけど僕はあまり信用できない。

しかし今回は矛盾するようだが(笑)、田中泯さんのトークショーがあるというので出かけてみた。ま、観るのは2回目でもあるし。
それにしてもこの映画での田中泯さんの存在感はやっぱりすごい。彼の存在がなければあり得ない映画だと言ってしまってもいいだろう。いったい普段はどんな喋り方をする人なんだろう・・・どんな歩き方をする人なんだろう・・・。普通の姿が見られるということに、とても興味があったのだ。

客席はトークショーがあるにも関わらず、半分も埋まっていなかったのではなかろうか。すでに公開当初の熱気は冷めてしまっているらしい。いわゆる「すっきりさわやかに楽しめる娯楽作品」ではないので、しょうがないといえばしょうがない。・・・これが日本の映画界の現実だろうとも思う。今回のトークショーはきっと、そんな客入りに危惧を抱いた配給会社が急遽設定したのだろうが、告知が徹底できずに当日を迎えてしまったようだ。

映画はやはり心に沁みた。
しかし映画の終わりで、ミョーな光景を目撃して嫌な気持ちを味わった。今回はこのことを書こうと思う。

僕は1階のいちばん後ろの席で観ていたのだが、エンドロールが流れ始めた時、後ろの扉からこっそり若い男が入って来るのを目にした。彼はそっと前の方に行き、通路際の席に座った。そして映画の終了と同時に不自然な拍手をしたのだ。

誰も一緒に拍手する者はいなかった。彼の乾いた拍手のみが空しく響いてすぐ消えた。
おそらく配給会社のスタッフが、監督が来ている事に配慮して行なった行動なのだろうが、なおさら場をシラけさせてしまったように思う。

「準備があるのでしばらくお待ちください。」
明るくなった場内で、若い女性司会者が客席に語りかけた。
舞台の下には照明とビデオカメラが運び込まれ、両脇にセットされる。スタッフが脚立に乗って灯り合わせをしている。・・・僕は、たかだかトークショーで照明が焚かれるのをはじめて見た。

けっこう待たされるもんだから帰ろうかと思ってしまう。案の定、ただでさえ少ない観客がさらにパラパラと減って行く。その代わり、映画の上映時にはいなかった人たちが客席に増えて行く。この人たちは誰?(たぶん配給会社の関係者)。

そして、ある程度客席が埋まっている感じになってから、やっと監督と田中泯さんが登場。
ステージ上に設けられた椅子に座った二人は、至近距離から照明に照らされて、かなりまぶしそうだった。

配給会社のスタッフのこの日の対応は、監督への配慮を最優先し、観客への配慮を欠いているのではないかと感じた。拍手の強要なんて愚の骨頂だ。映画館はテレビのバラエティー番組の収録スタジオではないのだから。

次回は、それなりに面白かったトークショーの内容について書きます。

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工藤静香「深紅の花」●名曲レビュー004

永遠なんていらないから 
今はただ
透き通るまで 愛を染めて 
赤い血で

Nothing Lasts Forever
壊れて行く時間を止めて
終わりのない愛を信じた
そんな夜

でも時は流れる 
いつか砂に帰る
いつか又 
深紅の花咲くまで

その時まで 
I say Good-bye



「深紅の花」
words:橘朋実
music,arrangement:YOSHIKI




●工藤静香、独身時代最後のシングル。前作から一年半のブランクを経て発売。
ピアノとストリングスに乗せて、繊細で息の詰まるような世界観を聴かせてくれます。

●リリースに間隔が開いたのは、デビューからずっと所属しつづけたレコード会社「PONY CANYON」との契約が切れ、なかなか次の会社が決定しなかったことが理由のようです。

●せっかく歌手として充実の時を迎えようとしていた彼女にとって、やりきれない日々だったと思います。その間も芸能活動を休んでいたわけではなく、連続ドラマに出演したり、音楽バラエティーの司会をしたりもしていました。
肝心の歌手活動は?。ファンとしては不安な気持ちで彼女の動向を見守っていました。

●そんな最中、木村拓哉氏との種子島デートが芸能マスコミを大々的に賑わせます。
この数年前から彼女はサーフィンにはまっていたので驚きはしませんでしたが「歌はどうしたの?」と、やっぱり思ってしまうのでした。

●一年半ぶりのリリース決定の情報が流れた時の方が、僕としては驚かされました。なんと「元カレ」であるYOSHIKI氏の経営するレコード会社から、YOSHIKI氏のプロデュースで発売するというのですから。

●しかし、それはとても彼女らしいやり方だと思いました。
「歌手としての人生で、一度はYOSHIKIの曲を歌いたかった。時期は今しかないと思った」
・・・この言葉を聞いて、僕はホッとしました。周囲がどう思おうが、彼女が歌手としての自分の必然を貫けているのなら、それでいいんです。

●こうしたことは、表現者としてお互いをリスペクトしているからこそ出来ることだと思います。
そして発売されたこの曲は、YOSHIKI氏のプロデュースに全面的に身を委ね、
「ボーカリスト」に徹しきったピュアな歌い方を楽しむ彼女でした。
澄み切った歌声からは、音楽を心から楽しんでいる様子が伝わってきます。

35thシングル「深紅の花」 (2000年11月8日発売)
C/W②足下を飾る太陽
③PRAY
収録アルバム「Jewelry Box」
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