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フツーに生きてるGAYの日常

やわらかくありたいなぁ。

2005-10
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たかがテレビ。009●NNNドキュメント「解かれた封印」で語るテレビ報道④

「テレビ的」ということ

NNNドキュメント「解かれた封印~雲仙・大火砕流 378秒の遺言」をもとに、僕が感じた「テレビ的」ということはどういうことなのか。考えてみようと思います。
<参照記事:
僕はこのドキュメントを見て、とても「後味の悪さ」を感じました。
内容が内容だけに、後味が良いわけはないのですが・・・それにしてもネガティブな後味の悪さなのです。

一言で言うと「生ぬるい」と思いました。
テレビ局に属している人が、自らの属する組織を批判することには限界があるだろうことはわかります。それにしても、あまりにもお行儀よく優等生的に、既存の「テレビドキュメンタリー的な文法」に則ってまとめすぎなのでないかと感じました。
制作者たちが番組作りで発見した「哲学」が提示されていないのです。
いろんな立場の人たちにバランスよく話を聴き、ただ並列して提示しているだけ。制作者達が感じた「主観」は巧妙に隠されています。これが、僕が「テレビ的」だと感じた理由です。

「公正中立」という言葉のまやかし

テレビや新聞などのマスメディアによる報道姿勢が問われる時、よく使われる言葉に「公正中立であれ」と言う言葉が使われます。最近ではNHKのETV特集「従軍慰安婦」の番組改変問題で、中川大臣らが口にしていました。

しかし僕は基本的に「公正中立」という言葉ほど曖昧で実態のない「まやかしの言葉」はないのではないかと考えます。

意見が対立するような問題を取り上げる際に、両方をバランスよく紹介する。
いろんな意見があることを提示し、視聴者に考えさせる。
・・・一見、もっともな態度であるかのように思われますが、そもそも情報を取捨選択する際に「主観」が排除されることなど、絶対にあり得ません。
「いろんな意見」を選んでいるのは、結局は番組制作者たちの「主観」です。しかも、同じ意見を取り上げるのでも「どのような言い方の発言を取り上げるのか」によって、印象はガラッと変わります。いかようにも操作できてしまうのです。

ニュースの制作者達には、それだけの「権力」が与えられています。だから「公正中立に作りました」という言葉は、その重大な事実を隠蔽する「まやかし」でしかありません。

「客観報道」はあり得ない

「客観報道」とは、あり得ない言葉です。
そもそもカメラマンは現場において、自分の周囲360度すべてを撮影できる可能性を持ちながら、ある意図と目的を持って現実の「ほんの一部」を切り取って撮影するのです。

カメラマンが切り取った映像から、編集者はさらに、ある意図と目的を持って必要な部分のみをつなぎ合わせて編集します。
さらに番組の構成者が、ある意図と目的を持ってそれらを並び替え、全体の構成を決定します。

映像というものは必ず、そうした個人の主観を通した「選択」によって成り立っています。
これでどうやって「公正」で「客観的」なものを作れというのでしょう。
人間が人間である限り、それは永遠不朽に無理な話です。

「個人」を隠すテレビ界の構造

しかもテレビは、ニュースにしてもドキュメンタリーにしても、制作する個人の名前に重きを置きません。(映画では監督名というのは大事な要素とされています。表現内容に責任を取る個人の存在が、きっちりと明確に示されます。)テレビは個人よりも、テレビ局という「組織の制作」であるかのような態度を装います。あたかも組織が「合議の上で」「冷静に判断して」「考え抜いて」映像を送り出しているかのように装っています。(そんな手間も暇もかけていないにも関わらず)

それは「報道とは公正中立・客観的でなければならない」という、本来あり得ないことをあたかも実現しているかのごとく、ポーズとして示さなければならないからです。
・・・大嘘つきですね。

バランスなんて取らなくていいんだよ

だからこの番組でも、そんなテレビ界の嘘つき体質に則って、あらゆる立場の人たちをバランスよく出演させ、各々の立場の人たちから発せられた典型的な発言を並列させています。

それらは制作者達の巧妙な計算によって選び抜かれた言葉であるにも関わらず、視聴者にそうは感じさせません。

「ドキュメンタリー」というのは、本来的には「フィクション」です。
なぜなら、制作者達の主観的によって選択された映像の集積で出来上がっているからです。しかし、この番組でも制作者達は傍観者のように姿を消し、責任を回避しました。この番組で抜け落ちてしまっている大事なことは、そういう「現在のテレビ界」の無責任体質への批判ではないでしょうか。

14年間も事件を風化させたままでおきながら、フィルムが復元されたというセンセーショナルを利用して、突然遺族を訪問して映像を見せ、「涙」の撮影を期待する無神経。
そのこと自体は責めません。そのことによって浮かび上がることもあるでしょうし、意味のある行動だとは思います。
でもどうせなら、そんな自らの卑しい体質をもまっすぐに見つめ、自虐的になることを恐れずに番組の中に取り込んで自ら攻撃する位の覚悟を持つべきだったのではないでしょうか。表現としては毒々しくなるかもしれませんが、恐れずにやればいいんです。どうせ日曜深夜で視聴率もたかが知れています。

現に、この番組について言及しているブログを検索しても片手で数えられる位しかありません。深夜は子どもも寝静まっている時間ですし、どうせ見ている人は少ないんですから冒険には適した時間帯です。
テレビがつまらない理由として、表現としての毒や鋭さを回避してしまう「自己規制」が幅を利かせているからだとも言えます。ちょっとした事で苦情の電話をする視聴者にも原因はありますが、もっと伸び伸び表現をするべき。しかもこの場合、批判対象は自分なんだからスポンサーの顔色を気にする必要もない。とことんやってしまうべきなんです。

放置されていた遺族の哀しみに責任をとる方法は、テレビ界の無反省・無責任ぶりをおもいっきり暴露して、きっちりと批判して現状に一石を投じることしかないのではないでしょうか。
「公正中立」という嘘で自分をごまかさないでほしい。表現とは結局、人間個人から発せられるものでしかないのだから。テレビ界に属している人たちは「組織」なんですか?「マシーン」なんですか?・・・一人一人の、思考能力を持った人間でしょ?
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メゾン・ド・ヒミコで未知との遭遇010●ふたたび観に行く

また観に行きました。
そしたら・・・観たはずなのに憶えていない場面や記憶違いなども見つかり、記憶の不思議を改めて感じたのでした(←なんのこっちゃ。笑)
だから以前の記事で書いたディテールは、違うところもあります。あんまり気にしないでくださいね~。

今回思ったのは、この映画、実はすごくシビアだということ。
うっかり無防備のままで観るとちょっとした精神的ダメージを受けてしまうかもしれません。
僕にとっては、前回とはまったく雰囲気が違って感じられました。なぜなのでしょう・・・。

筋を追うことからの解放

はじめて観る時というのはどうしても、物語の筋を追うことに意識が集中します。そのため細かい所に目が行き届きません。
特にこの映画は沙織(柴咲コウ)をストーリーテラーのようにして進行するため、まずは彼女の心理がどう変化するのかに気を取られがちです。

しかし今回の僕は、すでに物語を知っています。だから沙織の心理から解放され、周囲のいろんな人たちのことに目を向けられるようになりました。だから印象がガラッと違って見えたのだと思います。

卑弥呼からの自立

今回いちばん印象に残ったのは、卑弥呼の哀しさ。
老いて死に行く者の哀しさが残酷なまでに感じられ、胸を衝かれました。

卑弥呼が大量に血を吐いた日。
春彦は不安に耐えられず沙織を電話で呼び出します。
そして卑弥呼がベッドで寝ている横で、募る不安を沙織に吐露してしまいます。


「こうやって、この人がちょっとずつ死にかけていくのを見ていながら、オレ、生きていたいとか思えなくなってくんだよ・・・もう、愛とかさ、意味ねーじゃん」

「だから、オレが自分をこっちの世界につなぎとめとくにはさ、欲望なんだよ!
それだけなんだよ!」
実はこの言葉を、卑弥呼はちゃんと聴いていたようです。
後日、春彦に釘を刺すからです。

ドレスを着た山崎を、ホームの皆で連れ出してクラブへ行く夜。出かける前に春彦は、ベッドの卑弥呼に挨拶します。
「じゃ、適当にその辺で遊ばせてくるよ」
すると卑弥呼は突然春彦のTシャツの袖をつかんで険しい顔で言うのです。
「駄目よ・・・駄目。」
恋人への嫉妬心をあらわにした、生々しい場面だと思いました。
もしかしたらこの時点で卑弥呼は、沙織と春彦が惹かれあっていることにも気付いていたのかもしれません。
あるいは、ホームの皆を外界へ連れ出すことを止めたのかもしれません。
そのどれもが含まれているように感じられる、多義的な「駄目」でした。
しかも卑弥呼にしては珍しく、感情的に取り乱しているのだから驚きです。

若さの残酷

しかし春彦は若い。卑弥呼の制止を振り切って、思うがままの行動を実践します。
その夜、春彦は沙織と思いが通じ合ってキスをしてしまいます。そして後日ベッドを共にしてみるところまで、二人の関係は急速に発展します。

これでは、卑弥呼は完全に置き去りです。
死に行く老いた者は、生を謳歌している若者の熱情や衝動を止めることはできないのです。
なんという残酷。
あの、めくるめくようなダンスシーンの裏には、卑弥呼の底知れぬ孤独があったのです。

人間の業

生きている限り常に移ろい行くのが「人の心」というもの。
だからこそ、共鳴し合えると感じた時には、儚さを承知の上でわかち合い、楽しむのです。
しかしその楽しみは必ず終わり、空しさが訪れます。
それが人間の生です。

そんな繰り返しをそのままに、突き放すような態度で提示しているのが、この映画の本質であるかのように、今回は感じられました。

だからこの映画を「ファンタジー」と呼ぶのは、あまりにも表層的な見方ではないでしょうか。
「笑い」や「美しさ」の裏には毒がある。「ファンタジー」的なデコレーションは、その毒を少しでも緩和させ、少しでも開かれた表現にしようという、監督なりのバランス感覚なのでしょう。
◇◇◇
次回は、上映の後に行なわれた犬童一心監督と田中泯さんのトークショーについて書いてみます。実は僕は、これを目当てに出かけました。そして、この映画の持っている体質通りにシニカルな、犬童監督という人格に興味を持ちました。では次回。

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左幸子リスペクト002●人間・左幸子の歩んだ道

左幸子さんのことについて、手始めにネットで調べてみたら2001年に亡くなった際の訃報記事を見つけました。
思ったとおり、相当に「我の強い」「芯の通った」性格の人だったのだと確認できました。
そうした人に特有の、いろんな武勇伝や伝説を残されているようです。

彼女の人柄を想像することの出来る内容だったので、一部を抜粋してご紹介します。
日刊スポーツ「訃報」より抜粋)


●俳優・三国連太郎さん(当時78歳)
「役者としてあれほど正直で、仕事に純粋な方は、ほかに見たことがない。演出や、役についての人間解釈に納得がいかないと、相手が監督でもだれでも、徹底的に自分の意見を主張し議論する人だった。彼女の意見を聞くたびに、その意見も主張する自我の強さも「すごいなあ」と感心したことをよく覚えている。この世界は特に、自分に正直に生きることは難しいのに、彼女は自分を貫き通した。」

●映画監督・今村昌平さん(当時75歳)
「自己主張の強い女優さんで、一時期、映画会社から嫌がられたこともあり、『にっぽん昆虫記』の主役に起用しようとした時、当時の日活の首脳部が嫌がったことを覚えている。強引に、独立独歩で仕事をしてきた人だった。普通、女優というのはなよなよしているものだが、彼女は女優になる以前は陸上の選手だったせいか、目標を定め必死に走る姿がランナーのようで、素晴らしい女優だった。」

続いて、インターネット・フリー百科事典「Wikipedia」を参考に、彼女の経歴を作成してみました。こちらについては、今後新しい情報を発掘するたびに付け足して行こうと思います。
◇◇◇

左 幸子
(ひだりさちこ)
1930年6月29日~- 2001年11月7日。
女優。 富山県下新川郡朝日町出身。本名は額村 幸子(ぬかむら さちこ)
<生い立ち>
●骨董店を営む両親の三男五女の長女として生まれる。五女は女優の左時枝。
●東京女子体育専門学校(現・東京女子体育大学)卒業。
●都立第五商業高校の体育・音楽教師をしながら俳優座の委託生となり演技を学ぶ。

<女優デビュー>
●1951年『家庭よみうり』のカバーガールを務めたことから新東宝の野村浩将の目にとまり、翌年『若き日のあやまち』の主演で映画デビュー。
●映画会社には所属せず、一匹狼の女優として活動。自己主張が強く扱いにくかったのは有名な話。

<女優としての活躍>
●1957年『幕末太陽伝』(監督:川島雄三)では南田洋子と伝説的な喧嘩シーンを演じる。
●1963年『にっぽん昆虫記』では貧しい農村の、職業を転々としながら売春組織の元締めになっていく女を熱演。 日本人では初めてベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得。
●1965年『飢餓海峡』で純朴な娼妓・杉戸八重を演じ、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。

<映画監督>
●1977年『遠い一本の道』(左プロ=国鉄労働組合)の企画・製作・監督・出演。

<テレビ出演>
●1965年1月4日-1965年5月31日まで音楽番組『ミュージックフェア』の司会を担当。
(越路吹雪に次ぐ二代目)。
●1966年、ドラマ『大市民』出演。・・・NHKアーカイブスHP
●1971年頃、ワイドショーの司会を担当。(←番組名不明。ご存知の方いませんか?)
・・・番組中、沖縄返還協定の国会強行採決を批判(採決は1971年11月17日)。
スポンサーから「政治的発言は困る」と非難され、自ら降板した。
●1973年、NHK朝の連続テレビ小説『北の家族』に母親役で出演。
●1977年~1978年、TBS連続ドラマ『赤い絆』(主演・山口百恵)出演。
●1983年、ドラマ『野のきよら山のきよらに光さす』主演。・・・NHKアーカイブスHP

<私生活>
●1959年、映画監督の羽仁進と結婚。
●1964年に長女・未央を出産。
●1973年、羽仁は娘を連れてアフリカに長期撮影旅行に出かけるが、これに同行した彼女の実の妹(四女の額村喜美子)と不倫をしていたためショックを受け、酒浸りの生活を送る。
●1977年、娘の教育問題などを理由に離婚。羽仁はその4ヶ月後、額村喜美子と再婚。
●1985年、胃ガンのため胃の一部を切除。
●1991年、舞台『糸女』でカムバックを果たす。

<晩年>
●胃切除後は体調が思わしくなく、次第にスクリーンから遠ざかっていく。
●晩年はテレビバラエティー『怪傑熟女!心配ご無用』などのパネリストを務めた。
●2001年11月7日、国立がんセンターで肺ガンのため死去。享年71。

また、娘の羽仁未央はエッセイスト。現在はアジアチャンネルのC.E.Oを務める。
◇◇◇
・・・想像以上に波乱万丈でした。僕が観てド胆を抜かれた『曽根崎心中』は1978年の公開ですから、離婚直後のことだったのですね。その後、TBSの連続ドラマ出演やNHKでの仕事などで映画界から身を引くようになるのも、そうした生活面での影響があったのではないかと思われます。

ますます興味深くなってきました。
なお、ここに掲載した情報はまだまだ不完全なので、もしご存知の情報がありましたらコメント欄にお寄せください。TV番組名やその他の活動についてでも結構です。この人の「伝記」のようなものは出版されていないため、なかなか総合的な情報が掴みにくいというのが現状のようです。
噂や個人的な記憶レベルでも結構です。そうしたことを手がかりに、事実の裏付けが取れましたら順次、情報を追加させていただきます。
<関連記事>●女優・左幸子の歩んだ業績
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たかがテレビ。008●NNNドキュメント「解かれた封印」で語るテレビ報道③

14年間、テレビはなにをしていたの?

この番組、14年ぶりに復元されたテープを公開するということで企画が立てられたみたいですが、肝心な所が抜け落ちたまま、お行儀よくまとめられてしまったという風に僕は感じました。
新聞の番組紹介記事によると、カメラは「匿名の電話」が島原市に寄せられて、市の職員が指定の場所に取りに行ってみて、発見されたそうです。
●番組内容については以前の記事参照↓
たかがテレビ。006たかがテレビ。007


なぜ匿名なのか。なぜ14年も経った今だったのか。

そのエピソードは、島原という土地柄や、「あの事件」が地元に与えた衝撃について考えることが出来る重用な要素だと思うのですが、番組ではその経緯についてまったく触れていません。
なにかが隠されているか、あるいは意図的に言及しなかったのではないかと感じました。

そもそもテープが復元されなかったら、あの出来事を検証することは行なわれなかったのではないでしょうか?43人も犠牲になったというのに。その後、あの出来事を教訓として学び取り、実際にニュース取材の現場で生かされるようになったことは、あるのでしょうか?

いちばん知りたいこれらのことについても、まったく言及がありませんでした。
ということは、なにも生かされていないということでしょう。なにか改善されたことがあるのだったら、番組で積極的に取りあげることが出来たはずです。この番組の制作者たちは、そこの所から逃げたのではないでしょうか。

次への教訓として生かされてこそ、43人の死は「無駄ではなかった」と言えます。しかしこのままでは、彼らの死に意味を見出すことは、残念ながら・・・。


「殺されたんじゃない」と思いたがっている父の哀しみを想像せよ

日本テレビのスタッフとして犠牲になった2人の両親のインタビューが実現出来たということは、評価できることだと思います。
しかし彼らが語った言葉の裏に潜むものが生かされているようには思えません。

エンジニア孤崎氏の父親は「殺されたんじゃない。『死んだんだ』と」思えるようになった」と語っていますが、それはマスコミの体質が改善されたからではなく、島原の無名の市民からの親切な手紙で、そう思おうと自分を鼓舞しているに過ぎません。それは裏を返せば、この14年間テレビ界からのフォローが無かったことを意味しています。彼は今でも本音では「殺された」と思い続けているのではないでしょうか。その重みを受け止めるべきです。

遺族の気持ちを顧みることさえ、テレビはこの14年間して来なかったのです。その事実を認め、厳しく批判し直すことこそが、遺族の苦しみに応えることなのではないでしょうか。
あの事件以降も毎日休むことなく、同じような取材体制で大勢の人間が、あちこちの現場に大挙して押し寄せ、「他社よりもいい画を撮る」ことに精を出して来ました。遺族達はどのような心境で毎日のテレビを見ているのでしょう。
この番組の制作者たちは、そうした問題点に直面したはずです。
だったらもっと真摯に、「あのときの報道合戦には意味があったのかどうか」を鋭く追求する方法を、模索するべきだったのではないでしょうか。

火山の噴火の「少しでもいい画」を撮ることは、命をかけてまでやるべき仕事か?

フリーのジャーナリストは、よく戦場に単身で乗り込み命がけで取材をします。
それは「大手マスコミでは報道されない、現地で実際に起こっていることを伝えたい」という崇高なジャーナリスト魂から「止むに止まれず」行なわれることであり、とても意味のあることです。

しかし、各社が似たり寄ったりの「画」を撮る事しか出来ないような・・・しかも単なる自然現象である噴火の様子を撮影することに「ジャーナリスト魂」はあるのでしょうか。
そこにあったのはむしろ「サラリーマン魂」ではないでしょうか。

彼らは普段の取材で行なっている政治家や芸能人の「出待ち」を撮影するのと同じような意識で、あの場にいたのではないでしょうか。「定点」に大勢の人員が配置されたのは、その時期、普賢岳の噴火が「旬の話題」であり視聴率が取れるから。彼ら自身が望んで行なっていた行動ではありません。

テレビのニュースというのは映像がないと成立しません。たっぷりと新鮮な映像がなければ放送時間を埋められないのです。しかも旬のニュースは各社が同時に注目するわけですから、取材人も集中します。他社では「いい画」を撮れているのに自分の所で撮れなかったら、視聴者はそっぽを向いてしまいます。実際、撮影に失敗したら解雇されるということも行なわれているようですから、現場で働く者たちは必死です。ノルマのように毎日あちこちの現場に派遣され、そうした仕事をこなしていたら、判断力が鈍ってくるのも止むを得ないのかもしれません。

14年前の1991年以降、阪神大震災やオウム真理教事件など、大事件が起こった時には毎回、行過ぎた取材体制が批判されては来ましたが、あいかわらず全く改善されないままです。
阪神大震災の時には、新聞社やテレビ局の取材用ヘリコプターが被災地の上空に集中し、その騒音のせいで、瓦礫の下敷きになっている人々の助けを求める声が聴こえないケースがあったそうです。助かるべき命が犠牲になったのです。そんな理不尽が、あいかわらず繰り返されています。

この番組はせっかく日本テレビ自身が製作するドキュメンタリーなのですから、豊富に保存されているだろう当時のニュース番組の映像などを丹念に検証し、「あれは本当に必要な報道だったのか」を考える契機にするべきだったのではないでしょうか。
やはり、テレビ局自身がテレビを批判することは、困難なことなのでしょうか。

番組のまとめである最後のナレーションを振り返ってみます。
「43人の犠牲者を出した大火砕流。火砕流の危険を理解できなかったことが、自然の脅威を災害に変えました。そして、取材のモラル。取材のために前に出ることが、地元の人たちを巻き込む恐れがあるということも知りました。悲劇を繰り返さないために、努力し続けることが、残された者の責任。14年の時を経て、復元された映像が、問いかけます。」
・・・努力し続けていないじゃないですか。
悲劇は繰り返されているじゃないですか。
14年間の放置状態については無言及ですか?こんな優等生のようなコメントでお茶を濁さないで、もっと浮かび上がらせるべきことがあるんじゃないですか?
僕は不快になりました。
なぜか?
・・・それは、この番組のまとめ方がいかにも「テレビ的」だと感じたからだと思います。
そのことについてはまた後日。
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メビウスの輪

わかりあいたいけど、わかりあえない
わかりあえないから、わかりあいたい

メビウスの輪のような
終わりなき繰り返しを受け入れながら

束の間の生を
全うしたい


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